練習終わって
「疲れた~」
練習が終わり、道場から寮へと戻る道すがら。真っ先に疲労を口にしたのは天野ケイであった。
「プロレスって、こんなにきついんだね~」
「あら、もうギブアップ?」
そういう坂本樹理亜も体を重そうに引きずっている。
「ギブアップじゃないよ。なんで坂本ちゃんいつもいつもそんな言い方するかな」
口を尖らせるケイ。むっとした樹理亜が口を開こうとするが。
「そういえば坂本ちゃんってお笑い芸人いたわよね、今なにしてるか知らないけど」
雅がとぼけたことを口にしたおかげで険悪な雰囲気が霧消する。
肩を落とした樹理亜が雅をジト目で睨む。
「やめてよ、もう」
「ははっ、悪い悪い」
最後尾を歩いていた雪江は、こちらも疲れた声で話しかける。
「雅さんと渚さん、余裕ありそうですね」
「そうでもないよ、筋トレきつかったし」
腕をもみながら雅。一方先頭を歩いていた渚は、胸の前で右こぶしを左手のひらにパンと叩きつけて余力があるとアピールする。
「オレはまあ、お前らとはガタイも体力も鍛え方も違うからな」
「悔しいけどその筋肉見てれば分かるわ、それ」
「さすがの坂本も、久保に対しては生意気な口利けないみたいね?」
「雅ぃ、わたしがいつも生意気みたいに言わないでよ」
「実際生意気じゃん」、とケイが小声で毒づく。雅にしか聞き取れなかったが、雅もあえて燃料を投下する気はないため反応せずにいた。
話しているうちに寮に着く。上履きのスリッパに履き替えながら、渚が後ろを振り返った。
「オレはメシにするけど、お前らはどうする?」
「私も食べるわ。とにかく詰め込んででも栄養とって体を回復させないと、ヤバい気がする」
雅が後に続く。樹理亜も「……食べる」と無理やりでも食べなければという気持ちを見せる。しかしケイと雪江は。
「あたしはちょっとだけ寝るー。今は無理ー」
「私も、ちょっと後で……少し休憩しないと、食べられそうに無いです」
と、すぐの夕食を辞退するのであった。
「あ、じゃあユキちゃん、30分くらいしたら起こしてくれるとうれしいな」
「いいですよ」
頷く雪江に、樹理亜が苦言を呈する。
「雪江、あんまりケイを甘やかすんじゃないわよ。年下だからって気を使わなくていいんだからね」
「いいでしょ別にー。強制してるわけじゃないんだし」
また雰囲気が悪くなる樹理亜とケイ。雪江はおろおろと、ケイの腕を取り
「大丈夫です、私は大丈夫ですから……」
と、部屋へ引っ張っていく。
「もういいよユキちゃん、ありがと。それにしても……部屋、遠いね」
「そうですねえ、4階まで上がるのが、こんなにしんどいなんて」
二人は苦労して4階にある自室に戻るのであった。
無理やりねじ込むような夕食を済ませて、雪江とケイは連れ立って1階にある浴場へやって来ていた。
「ゆっくり浸かって疲れを取らなきゃ、明日がつらいもんね」
「そうですねえ。ここの浴場、湯船が大きくて足を伸ばせるのがいいですよね」
服を脱いでいく二人だが、途中でケイの手が止まる。その視線は雪江のほうを向いていた。
「ケイさん? どうしました?」
その視線に気付いた雪江が振り返る。
「ユキちゃんスタイル良いねー。ほんとにちょっと前まで中学生だったの?」
「スタイルいいなんて、そんなことはないですよ」
「いーや。とくにこのおっぱいは反則だよ!」
背後から雪江にとびついたケイは、そのまま手を雪江の前に回して胸をもみ始める。
「うわ、やわらかいけど弾力すごい」
「ちょ、ちょっと、やめてください!」
「うらやましいなーちょっとくらい分けて欲しいなー」
「分けれませんから! 恥ずかしいのでやめてください!」
雪江はケイの腕を取ると、腰でケイの体を跳ね上げて投げ飛ばす。
「あっ」「えっ」
どしん。浴場の床に叩きつけられたケイは、しかし昼間の練習のおかげで受け身を取ることが出来たので、さほどの痛みは感じなかった。
だが、何が起こったのか理解するのに時間を要した。
受け身を取る際に床を叩いた手だけが、じんじんする。
「ご、ごめんなさい! つい……」
「あたし、投げられたんだ……?」
むくりと起き上がるケイは、呆然とした様子。
「柔道やってたって、そういうことかー……」
「け、ケイさんが悪いんですからね!」
胸をかばうようにタオルで体を隠す雪江。と、そこへ。
「なに脱衣所で騒いどんや。はよ入らんかい」
浴室から関西弁の怒鳴り声が聞こえてきた。先輩が入っていたのだ。
「は、はい、すみません」
「はーい!」
二人は慌てて返事をすると、残った下着を脱いで急いで浴室の扉を越えた。
浴室にいたのはキャリア2年の銀髪アメリカ人レスラー、オリビア・シルバースミス。正真正銘の白人なのだが、大阪生まれの大阪育ちでアメリカ系大阪人と自称している。バニーガールをイメージさせるコスチュームでありながら、オープンフィンガーグローブとキックレガースを着用してのファイトスタイルは完全に打撃系。威勢のいいマイクパフォーマンスも出来る目立ちたがり屋として、若手ながらファンには知られた存在である。
「とりあえず騒いだ罰や。一発ずつ殴らせえ」
と、浴槽の縁に腰掛けて二人を呼ぶ。先輩に呼ばれては嫌は無い。神妙に雪江とケイがオリビアの前に来ると、オリビアは二人の脳天に拳骨を叩き落した。
「うにゃあああ」
「い、痛い……」
二人は頭を抱えて悶絶する。威力の乗った一撃であった。オリビアはそれで気が晴れたらしく、にかっと笑い、
「これで許したる」
と言って、頭にタオルを置いてお湯に身を沈めるのだった。
「ちゃんと洗ってから入るんやで~」
「はーい」「はい」
一つ返事をして、雪江とケイは体を洗い始めた。
雪江にもケイにも、その背中に横長の腫れがあった。
ごしごしと洗いたくても、腫れに触れてしまうと痛みが走る。
「うう~、じんじんする~! プロレスのロープって、あんなに硬いんだね」
「ですね、覚悟はしていたつもりなのに、想像以上に痛いです…」
初日練習のうちの一つであったロープワーク練習。ひたすらリングを往復するのだが、ロープの前てターンして背中からロープにぶつかり、ロープの反動を付けて行う往復なのだ。
ロープは表面こそゴムで覆われているが、その中には金属ワイヤーが通っている。
それに勢いをつけてぶつかるのだから初体験の新人達は皆苦労していた。
「ウチも最初はそうやったけど、慣れや慣れ」
湯船からオリビアが声をかけてくる。頭にタオルを乗せ、大きく手足を広げている姿はまるでおっさんである。
ケイはオリビアの言葉に嬉しそうな顔をする。
「それじゃ、痛くなくなるの?」
「お前先輩に敬語くらい使えんのか。まあええけど。
まあ、あれや、タイミングが取れるようになったら痛みは減るし、体が出来てきたらアザにもならへん」
「それなら良かったです」
痛みに苦労して背中をこすりながら雪江が応える。
だがオリビアは「ま、最終的には残った分の痛みに慣れるだけや」と脅すようにニヤニヤと笑みを浮かべた。
「あたしプロレスラーになれるかな…」
げんなりした表情のケイ。隣で雪江が一緒に頑張ろうと励ます。
プロになるために受けるトレーニングの洗礼。
寮暮らしで先輩と共に過ごす洗礼。
練習初日で、ともに味わう二人であった。
キャラクター名鑑 vol.3
本名:七瀬雅 リングネーム:未定 身長:157センチ 階級:軽量級
出身:佐賀県 スポーツ暦:忍術
概要:実家が忍術道場を開いている。このことを人に話すたびに「忍術(笑)」と笑われ続けていたため、あまり実家のことには触れられたくない。スタミナ、柔軟性が入団テスト生の中では頭一つ抜けている。体力を使って稼げる仕事=プロレス、と短絡的に考えた結果の入団で、全くプロレスには詳しくない。趣味はバイクと横笛。