初練習!
寮の食事を作ってくれるのは会社が雇ってくれている「オバちゃん」こと井上という女性である。住んでいるのが大飯喰らいのプロレスラーだけあって、かなりの量を用意しなければならない。それはかなりの重労働であった。それでも美味しそうに食べてくれるので励みになるとはオバちゃんの談。
朝6時、他の入寮しているレスラー達に先駆けて食堂に連れてこられた練習生達は、どんぶり飯、大盛のトン汁、オムレツ、トンカツなどのバランスよく栄養が取れる、しかし多量の朝食を胃袋にかきこんでいた。
「しっかり食べないと練習についていけないわよ」
面倒見役のMACHIKOが、朝食に苦戦している練習生――特に七瀬雅――に声をかける。
「分かってますけど……私どっちかっていうと少食なんで……うぷ」
寝起きに弱い雅が少し青い顔をしながらそれでもなんとか食事を押し込んでいく。
同じ練習生でも、入団が1年早い三宅美鈴と鹿山涼子は涼しい顔で食事を進めている。
「涼子も1年前はこんな感じだったよね」
意地悪そうに隣に座る涼子をいじる美鈴。
「……そのうち、慣れる」
一瞬箸を止めた涼子はぼそりと呟いてすぐに食事を再開する。機嫌が悪そう、と雪江が少し体を硬くしたのを見て、MACHIKOがフォローに入る。
「気を悪くしないでね、この子こんなだけど悪いやつじゃないから。口下手なのよ」
「は、はい」こくこくと頷いた雪江は朝食との格闘に戻る。
「そうそう、コミュ障なのは十条さんのほうが……おっと」
MACHIKOにじろりと睨まれた美鈴は慌てて味噌汁で玄米飯を流し込んでいく。
ちなみに十条とは、2期生の十条菖蒲のことで、リングネームをアヤメという。
「1年以上練習生かあ、プロになるのは大変なんだなあ」
と、こちらは小柄な体格からは予想できない健啖ぶりを発揮していた天野ケイ。何気ない言葉だったが、美鈴と涼子は二人とも体を硬直させる。
「うちらはその、落ちこぼれっていうか、劣等生というか……はっきり言って遅いんだよね……」
沈み込む様子の美鈴。涼子も、食事の手が止まっていた。
「でも腐らずよく頑張ってると思うわよ。3人いた同期の子は結局デビューしないまま辞めちゃったからね」
苦笑しつつMACHIKOが言う。新人たちに、「あなた達はやめないでね?」と、優しく言葉をかけるのであった。
「4人とはテストの時にも会いましたが、あらためまして、トレーナーの石黒翔子です。私が練習指導を行ないますので、くじけず着いてきて下さい」
朝食後、道場に集められた新入り5人と先輩2人の練習生たち。食事直後ということもあって、テスト生の4人は程度の差はあれ苦しそうにしている。
「スケジュールですが、この後腹ごなしを兼ねて柔軟をします。これ本当に大事だから、怪我をしない体作りのためにも手を抜かないように。その後ロードワークを行なって、そのあとこの道場の2階にあるマシンルームで筋トレというのが午前中の予定です」
すぐにロードワークでなくて良かったです、と雪江がほっとしたように隣のケイに話しかける。
この時までは、柔軟というものに対して自分が行なってきたレベルを想像していたのだ。
が、それが大きな間違いだったとすぐに思い知った。
「痛い痛い痛いですぅっ!」
尻をついて座った状態から両足を開き、前屈する……ただそれだけなのだが、もうこれ以上無理と思っていたところからさらに押し込まれていく。痛いと言っても背中を押す涼子の力は緩まない。坂本樹理亜を美鈴が、ケイを石黒が、雅を久保がそれぞれ押さえているが、雅を除いた3人は一様に悲鳴を上げていた。一方で雅は。
「石黒サン、七瀬のヤツ、柔らかすぎて負荷かかんねえんだけど」
雅を押さえていた渚があきれた声で石黒に伝える。石黒が見ると、雅の上半身は床にべったりとくっつき、そのままリラックスすらしているように見える。
「うわ、初日でここまで柔らかい子ははじめて見るわ。七瀬、久保、とりあえず攻守交替しましょ」
「はいよ」「はーい」もそもそと位置を入れ替える二人。その間も、ケイ、樹理亜、雪江の悲鳴は続いていた。
柔道時代の柔軟で体中が悲鳴を上げる経験など今までなかった雪江は、次のロードワーク、筋トレでもプロの洗礼を浴び、午前中だけですでに満身創痍の様相である。柔軟性と、ロードワークで驚異的なスタミナを見せる雅であったが、細身が災いして筋トレでは苦労しているようだ。これでも石黒によれば、初日なのでそれぞれの筋トレメニューを作るために現在の筋力を調べる程度とのことである。本格的なトレーニングになるとどれだけ厳しいのかと、渚を除く4人のルーキーは青ざめるのだった。一方で渚は「これくらいのトレーニングは経験済みだ」と、きつさを感じてはいるもののこの程度は当然といった様子であった。
「手、手が震えて……」
午前中のトレーニングが終わり、シャワーを浴びた後は昼食である。メニューはカレーライスであったが、雪江はそのスプーンを持つ腕が筋トレの負荷の影響で力が入らず、ぷるぷると震えて食べにくいことこの上なかった。
「あたしも、力が入らない~」
ケイも同じく苦労してカレーを口に運んでいた。雪江が向かいを見ると、朝とは打って変わってもりもりとカレーを平らげている雅が視界に入る。雪江の視線に気付いた雅は少し照れくさそうに笑う。
「調子が悪いのは朝だけだからね。昼になっちゃえばこっちのもんよ」
「すごいですねえ、私、この量食べるのもしんどいです」
「ユキちゃんもそうだよねーあたしもだよー」
雪江とケイが苦しむ中、ほかの練習生は黙々と食事を続けていた。特に渚は。
「オバちゃん、おかわりもらっていいか?」
「はいはい、初日からいっぱい食べるねえ」
と、大盛りのおかわりをもらって再びガツガツとカレーを平らげていく。雪江はその様子が視界に入るだけで満腹感が増大していく気分になった。ますますスプーンが重くなった気がする。
「川部、大丈夫?」
練習中は事あるごとに雪江を挑発していた樹理亜が、さすがに悪態をつくのも忘れて心配そうに声をかけてくれる。雪江はこくこくと頷くと、力を振り絞ってカレーを頬張っていく。せめて残すものか、と意地になる雪江であった。
午後。道場にてまず教えられたのは、受け身であった。道場中央に設置してあるリングに練習生5名を上げて石黒が指導を始めた。
「プロレスの技術面で、重要なことはいっぱいあるけれど、一番大切なのはなにかと聞かれたら間違いなく受け身だからね。3ヶ月は徹底して、それ以降も常に優先して受け身の練習を行なうつもりでいてね。命にかかわる技術だから、油断しないように」
『はい!』
一同の返事を受けて、まず石黒が基本の動きから、と手本を見せる。そして練習生達にやらせてみると。
「うん、アマレスしてた久保と、柔道してた川部はさすがにちゃんと出来てるね。七瀬も経験者?そう、上手上手。天野は、もっと手を強く叩いて手で衝撃を吸収するように」
「でも、手が痛いんですけどー」
「これをしっかりしないと、首とか肩とか、とにかく手よりもっと面倒な部分を痛めることになるわよ」
「はぁい」
「久保くらい筋肉がついてたら筋肉で衝撃を吸収できるけど、天野は特に小柄で筋肉がついてないから、受け身の技術をちゃんと習得しないと最悪死ぬわよ?」
「わかりましたっ」
そして一通り後ろ受け身の形が全員さまになってくると、全員リングから下ろされて、マットが敷いてある一角に連れてこられた。
「リングの感触はさっきので分かったと思う。ここのスペースは受け身の練習専用でね、リングよりちょっと硬いけど、ここでひたすら受け身取ってもらうからね」
「ひたすらって、どれくらいですか? 具体的に何十分とか……」
樹理亜が手を上げて質問する。石黒はにやりと笑うと。
「始めても無いのに終わる時間を気にするんだ? 随分と余裕じゃない?」
「……っ!」
かっ、と樹理亜は赤面する。それに諭すように石黒が言う。
「何回やった、とか、何時間やった、じゃないの。ちゃんと相手の攻撃を受け止める受け身が出来るかどうか、なのよ。そのためには、終わる時間を見ながら散漫にやるような練習は意味が無いわけ」
「はい……」
「何度も繰り返すけど、自分の体を守るためだからね。まあ、単調に受け身だけやってても散漫になるし、休憩を入れたり他の練習をしたりするから安心しなさい」
「分かりました」
樹理亜は納得したという表情で頷く。
こうして午後は、受け身と午前中に続いての柔軟、ブリッジの指導などで時間が過ぎていくのであった。
キャラクター名鑑 vol.2
本名:天野ケイ リングネーム:未定 身長:151センチ 階級:軽量級
出身:新潟県 スポーツ暦:飛び板飛び込み(インターハイ出場)
概要:小柄だが飛び込みで培ったボディコントロール能力が売り。プロレスのことはよく知らないが、なんだか楽しそうというだけでプロレスに飛び込んだ。天真爛漫で誰とでも臆さずにコミュニケーションが取れるのが長所。
趣味は漫画、アニメ、カラオケ。苦手は辛い食べ物。