ヒールの道はまだ遠く
夜。入浴を終えて寮の部屋に戻ってきた雪江は、スマホに通知が入っていることに気づいた。ロックを解除して何かと見てみると、妹の結花からのLINEであった。
『お姉ちゃん、起きてる~?』
『お~い?』
『忙しいのかな』
何度も書き込みやスタンプが繰り返されている。せっかちな妹だった。
「はいはい、お待たせ、っと」
ドライヤーで髪を乾かしながら返信する。すこしすると、反応があった。
『おそーい』
「ごめんごめん」
『あのね、今度島根で試合あるじゃん』
「うん」
『お母さん、やっぱり見に行きたくないって』
「そう、残念だな」
『痛そうなの見たくないってさ』
「うーん、しょうがないのかな・・・」
「お父さんは?」
『仕事が終われば、行くってさ。チケットは買ってくれたよ』
「そっか、早く終わってくれるといいな」
『そうだね』
『あ、前田さんのサイン欲しい! もらってきてくれる?』
「うっ、麗子さん? そんなに交流ないんだけどな」
「でも、頼んでみる」
『ありがとう!』
『お姉ちゃん大好き!』
「はいはい」
『それからさあ』
『わたしもね、中学卒業したら入門試験受けるから!』
「えっ」
実際に声を出してしまった雪江である。
『えってなんだよお』
『お姉ちゃんだってそうだったじゃん』
「そうだけどさあ」
『そのときを待っているがよい川部雪江!』
「はいはい」
妹は現在中学2年生。卒業までに心変わりすればいいけど、と考えてしまう雪江だった。
翌日。
「ということでですね、麗子さんのサイン、もらえないでしょうか」
色紙とペンを手に、道場へやってきた前田麗子に早速突撃した雪江だった。
麗子は苦笑するが、はいはいと色紙を受け取りサラサラとサインを書いていく。
「妹ちゃんの名前、なんだっけ?」
「結花、です」
「ゆかちゃんね。ひらがなでいい?」
「はい」
ゆかちゃんへ、と最後に書き加えてポンと雪江に色紙とペンを返す麗子。
「あ、ありがとうございました!」
「それはそれとして」
ストレッチをしながら麗子がじろりと雪江をにらむ。
「プライベートはどうだろうと別にいいけどさ、リング上でヒールやるならもっと徹底しなさいよね」
「う、それは」
思わず縮こまる雪江。多少自覚はある。
「クリーンファイトするヒールが、まあいないことはないけどさあ」
股割りするから背中押して、とストレッチマットに腰を下ろす麗子。
「ちゃんとお客さんに憎まれなくちゃ」
「そうですよね……」
「もっと押しても大丈夫よ」
ぐいぐい。ほぼ脚が180度開脚になる状態まで押し続ける。ここまでくるとさすがにしんどそうだった。
「レスラーには憎まれる試合しますけどね、雪江」
横から声をかけてきたのは雪江の同期の久保渚。体格、テクニックとも同期の中では群を抜いており、既に上位選手とも試合をしている。その久保が言う、レスラーに憎まれるとは。
「前田さんはまだほとんど当たった事ないから分からないかと思いますけどね、そいつの関節技ヤバいですよ。殺意入ってます」
「さ、殺意なんて入れてませんよ!?」
思わずぐい、と力を入れてしまう雪江。
「いだだだだだ!」
強引に股を割られた麗子が悲鳴を上げて雪江の手を跳ね除ける。
「す、すみません麗子さん」
「言ったっしょ、前田さん。そいつ加減できないんですわ」
「今のは違いますっ!」
手をぶんぶん振って否定する雪江だが、麗子はなんとなく分かった気がする。
「雪江はあれね。サドっ気ある感じね」
「そんなことはないです!」
「お前気づいてないのかよ。関節技かけてるときすんげーいい笑顔してるんだぞ」
横から久保が突っ込んだ。麗子もそれは知ってる、と頷く。
「え、うそですっ!」
「写真とっとこうか?」
「いりませんっ!」
久保と麗子はひとしきり笑うが、一転まじめな顔になって。
「でもね、本当に大事なんだけど、お客さんに伝わらない怖さは、危険よ。どうせやるなら、お客さんにも伝わる怖さを出さなきゃ。ああもう、なんであたしがこんなこと言わなきゃなんないのよ。鈴村は何を教えてるんだか!」
少し顔を赤くした麗子が立ち上がる。
「渚、ちょっとスパーリング付き合いなさい!」
「ほいほい、照れ隠しに付き合えとのご指名ですね、了解っと」
「余計なことは言わなくていい!」
きゃいきゃいとじゃれながらリングに向かう麗子と久保を見送って、雪江はサイン色紙を抱きしめながら「お客さんに伝わる怖さ」について考え始めるのだった。
「とまあ、そういうことを言われまして」
今の道場はビューティ・コネクションの使用時間。全員が集まったところで雪江は質問してみた。
「まだ早い」
ぴしゃりと斬って捨てたのは他でもない師匠、鈴村天。麗子め、余計なことを吹き込んで、とぶつぶつ言っている。
「でも華山さんは、うまくその、お客さんに伝わる怖さを出せてると思いますし……」
キャリアが半年ほどしか変わらない華山涼子は、パンキッシュなメイクと衣装、狂乱的なファイトと観客に伝わりやすいヒールレスラーとして活動できていた。
「……そう? ……かな?」
「いいのよ涼子は。観客の様子を把握しながら戦うだけの視野があるのだから」
どう答えたものかと悩んでいる華山に、高峯飛鳥がフォローを入れる。
「雪江。あなたまだお客さんの反応を見てファイトできてないの。だいたい、今は技の正確さを鍛え上げるべき時期よ。麗子は親切心で言ったのかもしれないけど、物事には段階があることを知っておかないといけませんわ」
「は、はい、分かりました!」
「それじゃ、今日は雪江の技の正確性を伸ばす日ってことで、特訓ね。グラウンドスパーやりましょ。MACHIKO、私、あすかちゃんの順番でやるわよ」
寝技の特練と聞いて、喜び半分恐怖半分の雪江である。なにしろ飛鳥のグラウンドは圧力が違う。正直怖い。
「ふっふっふ、雪江、楽しみましょうね」
天が雪江の頭をぐしぐしとなでる。MACHIKOも楽しそうに早速ストレッチを開始していた。
「今日は予定もないですし、徹底してしごいてあげますわ」
飛鳥も乗り気だ。
「よろしくお願いします!」
道場に、雪江のやけくそ気味の大声が響き渡った。




