邂逅
3月頭の土曜日、東京は調布駅前。まだ冬の気配が残る冷たく乾燥した風が吹く中、駅のコンコースから出てきた少女は、肩のスポーツバッグがずれたのか、よいしょと担ぎなおして息をつく。
「寒いなあ。東京の空気って、本当に乾燥してるんだ」
ひび割れて痛む唇に手を当てて呟く少女は、少し思案顔。地元ではこんな風に唇がひび割れた経験が無いのであった。ふと何かに気付いたように顔を上げた。
「そっか、リップクリームってこういうときのために売ってあるんだ」
納得、という風に頷くと、携帯電話のアプリ(少女はまだスマホではないようだ)でコンビニを探す。思ったより近くにあるようだ。足早に向かっていく。
コンビニで首尾よくリップクリームを手に入れた少女は、コンビニから出るとさっそくそれを取り出し唇に塗り始める。
「ちょっと痛み引いたかも、すごいなあこれ」
一息ついて、腕時計に目をやると。
「ああっ、もうすぐ時間だ! 急がなきゃ!」
あわてて駆け出していく。どちらかというとのんびりとした性格の少女は、しかし遅刻に対しては人一倍気を使う。気を使うのは、几帳面だから――というわけでもなく、遅れていったときの空気が苦手、だからである。
ぱたぱたと駆けていく少女の後ろから。同じく駆け足の音が聞こえてきた。少女の足は決して遅いわけではないが、後ろの足音はどんどんと近づき。
「ひゃあっ!」
真後ろで、悲鳴とともに誰かが倒れる音が、した。
「あの……大丈夫ですか?」
少女が振り向いて声をかける。そこに倒れこんでいたのはリュックを背負った150センチほどの小柄な少女、であった。
「いたたたた…。スピード出しすぎちゃった、よく躓いちゃうの」
小柄な少女は体を起こしながら照れ笑いをする。その膝はストッキングが破れ血が出てしまっているが、あまり気に留めてないようだった。慌ててスポーツバッグの少女が荷物から絆創膏、彼女の地方では一般的にカットバンと呼ばれている、を取り出す。
「はい、とりあえず貼っておきますね」
「あはは、ありがとう。お姉さん親切だね」
にかっ、と笑う小柄な少女。
「いえ、そんな。あの、すみません、私急いでいるので、これで」
あたふたとスポーツバッグの少女が立ち上がる。
「おっと、あたしも急がなくちゃ」
小柄な少女も素早く立ち上がる。
「ひょっとして同じ目的地だったりして。お姉さんひょっとしてシャングリラってところに行く?」
「えっ、あなたも? じゃあ、今日のテスト参加者なんですか」
「やっぱりそうだった! うん、あたしもテスト受けるの。じゃあ、一緒に行こうよ! 一人より心強いよ!」
「そうですね、一緒に行きましょうか」
「と言っても走りだけどね! あはは!」
屈託なく笑って走り出す小柄な少女に勇気付けられながら、スポーツバッグの少女も駆け出すのだった。
「……受付は、こちら」
女子プロレス団体『シャングリラ』の道場入り口では、ジャージを着た練習生が受付をしていた。
「はあっ、はあっ、はあっ、間に合いました、ね……」
スポーツバッグの少女がまず受付用紙に名前を書く。
「川部、雪江、っと。これでいいですか?」
「……うん。次……」
「ふー。よかったよかったー。えーと名前ね。天野、ケイ、っと」
「……はい。中に入って……案内の先に更衣室があるから……動ける格好になっておいて……」
ぼそぼそとしゃべる練習生の声を何とか聞き取って、二人は更衣室に向かう。
「で、ええと、川部さん? は大学生?」
小柄な少女、天野ケイが尋ねる。川部雪江は顔の前で手を振りながら、
「あ、違います、私中学生です、じゃなかった、ええと中学卒業したばかりで」
「ちゅ……え、年下!? うそ! 大人っぽい!」
「え、じゃあケイさんは私より年上!?」
「あたしは高校卒業したとこだよ……うわーそうなんだ……大人っぽい……」
ほえー、っとため息をつくケイ。雪江は顔を赤くして。
「そんなことはないですよ。ちょっと、背は高いかもしれませんけど」
雪江の身長は167センチ、確かに中学生としてはかなりの高身長といえるだろう。
「そんなことより、ほら、着替えましょうよケイさん」
「あーごまかしたー」
「いいじゃないですか~」
きゃいきゃいとじゃれあいながら二人が更衣室に入る。と、そこは緊張した空気が流れていた。さすがに雪江も、そしてケイも、その空気を感じて口を閉じる。そんな二人に話しかける人物がいた。
「時間ギリギリに来て、じゃれあってるなんて。随分と余裕じゃない」
明るい茶髪をツインテールにした少女が、スポーツタオルで首筋の汗を拭きながら棘のある言葉を投げかけてきた。
遅くなっていたことを反省していた雪江はこの言葉にうっとダメージをうけたが、けろりとしていたケイはこの挑発にひるまない。
「そうだよー余裕だよー。あなたは余裕無いみたいだけどねー。だいたい時間ギリギリだったけど遅刻じゃないし」
「ふん、やる気が無いからギリギリでも気にしてないんでしょ。やる気がある人ほど早くきてアップしてたんだから!」
「ふーん。そういうツインテールさんは何番目? もちろん一番か。いやーさすがー」
「ツインテールって呼ぶな! 確かに、一番じゃなかったけど……」
ケイの切り返しに言いよどむツインテールの少女は、ふんと鼻を鳴らして背を向ける。ケイはその背中を睨み付けながら、「目にモノみせてやるんだから」と息巻いていた。その様子を雪江は困ったように見つめていたが、
「と、とにかく、テスト頑張りましょうねケイさん」
と、ケイの手を引きながら、空いているスペースへと歩いていくのであった。