4話目
僕が、彼らに纏わる小さな事件を起こしたのは、梅雨の合間の晴れた日の事だった。
その日は休日だっので、遅く起き出して、昼食がてら朝食を摂りに遅めに食堂に行った。
中途半端な時間なので、食堂を利用する職員の数も少ない。あと30分もすれば、今度はランチで混み合う。僕は端の席に陣取り、ブランチを楽しんだ。
梅雨の晴れ間は貴重なので、今の内に買い物に行こうと思っていた。どこに行こうか迷っていると、足元が急にひやりとした。
その感覚に覚えがあって嫌な予感がしたので、机の下を覗く。
ゆらり、と、影が揺れていた。
叫び声を上げそうになって、僕は口を手で覆う。
彼らは、と周りを見回したが、姿は見えない。
足元の影は、眠た気にゆらゆらしていたが、その内、不機嫌そうに震えだした。
これ、ヤバいやつだ…。
視線を巡らし、周りが気付いていないのを確かめる。今のところ誰も気付いていない。
一瞬だけ迷って、僕は、彼らがしていたように影を足で払った。何度かやってみたが、効果はなかった。
影の震えは大きくなっていて、徐々に闇色に染まっていく。
彼らは、どうしてたっけ?
僕は必死に考えて、彼らが素足だったのを思い出した。
周りをもう一度見回し、誰も見ていないのを確認して、僕は素早く机の下に潜り込む。ふるふる震える影に、手でそっと触れた。
ふに、と柔らかい。
さらっとしていて、仄かに温かかった。
なんだか小動物みたいだ。
僕が触れると、影は次第に大人しくなって、色も透明に戻っていった。その内、僕の指にじゃれついて遊びだす。
しばらく遊んでやってから、僕は影に囁いた。
「…ここに居ちゃ駄目だよ、早くお家に帰りな…」
影は返事をするように、ゆらりと揺れて消えた。
ほっと一息吐いて机の下から這い出ると、驚いた顔の先輩が、机の向こうに立っていた。
「……」
「…おま、え…あれ…」
先輩は、言葉を詰まらせて机の下を指差す。
「…えーと…」
僕は言い訳を探すが、何も出てこない。気まずくなって、先輩から目を逸らしたまま呟いた。
「…そのまま放置、は出来なくて…」
「…お、おまえな、あれ、ヤバいだろ…!」
小声で窘められた。
「…あー、悪いモノじゃないのは、知ってるんで。あの2人の真似すれば下に帰せるかな、って」
バツが悪くて頭を掻きながら答えると、先輩は口を手で覆って、大きく溜め息を吐く。思い切り呆れた顔をされた。
「悪いモノじゃなくても、危険なモノかも知れないだろ。ホイホイ手ぇ出すな」
先輩は向かいの席に座りながら、僕に説教した。
僕が、すみません、と小さくなって謝ると、先輩はもう一つ、溜め息を吐く。
「…ま、おまえらしいっちゃ、らしいんだが…。あんまり無茶するなよ?」
先輩は心配そうに言うと、くしゃくしゃと僕の頭を撫でた。
そのまま席を立った先輩を見送って。
僕が急に倒れて、食堂が大騒ぎになったのは、それから30分ほど経ってからだった。
僕が倒れた後の事は、ほとんど憶えていない。医務室に運ばれた時には、意識もなかったそうだ。
高熱が出ていたが原因も分からないので、一晩、医務室で様子を観る事になった。
僕が目を覚ましたのは、真夜中を少し過ぎた頃だった。
ふと、冷たい何かが額に触れた感触に、意識が引っ張られたのだ。
目を開けると、黒い闇…の端に、銀の模様。
ああ、クロさんか…。
「……クロ、さ…?」
出ない声で問いかけると、僕が目を覚ましたのに気付いた彼が、そっと手を引いた。
「目、覚めたか? もう大丈夫だな」
彼は優雅に笑う。
「あんまり無茶するな。アレは悪いモノじゃないが、人には毒だ。もし触れてしまった時は、早目に流水で流すか、氷水で毒を追い出しな」
分かったな、と彼は僕に教え諭す。僕が頷いて答えると、彼が、堪えきれないように笑い出した。
「…しかし、アレに生身で触れて倒れたバカ見たの、久し振りだ。シロ以来だよ」
「……ぇ……?」
「大昔に、シロも同じ事やらかしたんだ。あの時は、2、3日ぶっ倒れてたけど」
楽し気に笑って、懐かしそうに目を細める。
どういう事?
僕が聞こうと口を開く前に、彼は僕の瞼を手のひらで覆う。
「もう少し眠りな。朝には毒は抜けてるから」
優しい声と裏腹に、その手は冷たかった。感触は人のものなのに、今の季節にはあり得ない冷たさだ。
まるで、石みたい。
でも、高熱の出ている僕には、その冷たさが気持ち良かった。
眠りに落ちる寸前に、ありがとな、と、彼の呟きが耳に届いた。
ありがとうございました。
影ちゃんのイメージは、赤ちゃんのほっぺです。ふにふにもちもちです///
そして、主人公とシロさんが、実はバカだと判明しました…_| ̄|○