2話目
次の満月の晩、僕は北の庭園に来ていた。
当日の夕方まで、行くかどうか散々悩んで、結局、先輩の助言と好奇心に負けて来てしまった。
夜の庭は底冷えする。厚着をしてきたが、長時間待たされると真から凍えそうだ。
夜空は雲もなく澄んでいて、満月が白く浮かんでいる。溜め息を一つ吐くと、白い吐息が夜空に溶けた。
月の白い光が強くて、星は息を潜めて瞬いていた。庭は月明かりで仄明かるく、広場になった場所に、うっすらと植木の影の輪郭を写す。
ずっと待っていても、誰も来ない。時折、植木の枝がさやさやと風に揺れるだけだ。
帰ろうかな。
そう思った時、後ろから声をかけられた。
「早かったな。ちゃんと来たか」
後ろに立っていたのは、彼だった。
上機嫌な彼は、広場の入口の植木の側に僕を連れて来ると、
「ここで観てな」
と言った。
そして、彼は広場の中央に戻ると、しきりに地面と月を見比べる。
相変わらず、彼は黒の着物一枚を着付けただけで、足も裸足だ。見ている方が寒くなる。
「…寒くないのかな?」
思わず口にした僕の言葉に、
「うん、寒くないよ」
背後から、誰かが答えた。
勢いよく振り返ると、広場に立つ彼と同じ格好をした人が、もう一人。
色だけ違って、こちらは、真っ白の着物に金の帯を結んでいる。裾にあしらわれた刺繍も、同じ柄で色だけ金だ。
白い着物の彼は、僕の横を通り過ぎる。
「遅い、シロ」
すかさず、彼から文句が出た。
「うん、ゴメン、クロさん。寝過ごした」
もう一人は、ほわりと笑う。
「珍しいね、今日はギャラリーがいる」
「俺のご招待」
「へぇ、本当に珍しい」
「そりゃ、お気に入りだからね」
自慢気な彼に、もう一人が、あはは、と笑い返し、彼と背中合わせになる位置に立った。
「もうそろそろ?」
月を見上げた彼に、もう一人が地面を見つめて訊ねる。彼は、ああ、と短く返事した。
僕も、彼らに倣って地面を見てから月を仰ぎ見る。
月は真上で、冴え冴えとした白い光を放っている。
さわ、と地面が蠢いた。
影が、ゆらゆらと地の底から這い上がって来る。月明かりで明るいはずの広場が、ゆっくり闇に呑まれる。影は眠た気に揺れていたが、次第に不機嫌そうに震えはじめ、その色彩を濃くした。空気に不穏な気配が混じる。
きぃーーー…ん
突然、耳鳴りがした。頭に響く。あまりの酷さに耳の奥が痛い。
彼は僕に振り向くと、
「耳、塞いでな」
ジェスチャーしながら言った。
彼の言う通りに耳を塞ぐと、少しはましになるが、それでも頭に響く。
広場は、何時の間にか濃い闇に包まれていて、どこかどんよりしている。蠢く影たちが造る闇だ。心なしか、周りの温度も下がっている。
彼らは、影が造る闇を穏やかに見つめ、空気を払うように一度、袖を振った。
ふわり、と彼らが舞う。お互いが立っていた場所を中心に、同心円を描きながら、風を切るように舞った。
裾を捌く素足が、闇色の影を払う。彼らが触れた部分から、影の闇色が溶けて透明感が戻る。何度も同じ事を繰り返しながら、彼らは軽やかに舞った。
優雅で、でも、どこか愛嬌のある舞だ。
徐々に透明感を取り戻す影が、彼らを追いかけてじゃれついている。まるで遊んでいるようだ。
いつしか魅入っていた僕が、思わず、わぁ、と感嘆の声を上げる。その声に反応して、彼らがこちらをちらりと見やった。
いいモノ見れたろう?
黒い着物の彼が、優雅な笑みを浮かべた。
やがて、遊びに満足した影が消えて、彼らの着物の裾が地面についた時、彼らの姿も忽然と消えた。
ありがとうございました。
クロさんとシロくんの舞は、結構スピードがあります。くるくる回ってるので、踊ってる本人たちの目が回らないか、心配です(笑)
…2人共、足癖悪い訳じゃないですよ、ちゃんと理由あります…(汗)