ライトノベルは質が低いとかバカかと
だいたい若者をターゲットにしている時点で、対象年齢が低いのは当たり前だ
だが未来ある若者を、よりよく効率的に、実戦的な社会経験の延長線上レベルで、物語で学ばせてくれるモノは割と多い
俺は某テーマパークの物語で、真に頑張らなければいけない状況みたいなモノを知った
他にも、様々な戦場、様々な人間関係、時には陽気に、時にはドロドロと殺伐としたモノ
ライトノベルは言うなれば、若者に莫大な利益を与える事を考慮して、作られている場合が多い
だから、バカな大人が読んで、大して役に立たないとか言って、ラノベを馬鹿にするのだと思う
俺が思うに、良い大人が真に己の限界値を上げるなら、どう考えても総合芸術であり、
R18なハードでシリアスな内容も多分に盛り込める、エロゲー一択だと思っている。
文学というのは、長く楽しめて、且つ積み重ねてどこまでも情報の多様性を模索していくようなモノである。
単純な情報強度は低いが、他の情報媒体と重ね合わせたりできて、情報としての応用性が他の情報媒体を圧倒するのだ。
というわけで、若者に向けた内容である以上、単純な情報の密度は薄いと言わざるを得ない。
でもライトノベル全体を俯瞰して見る視点、全体的に見れるように成っていれば、話は断然変わってくる。
例えるなら、芸能界を広く知っていれば、様々な人間関係が有機的に繋がっていて、凄く楽しく観察できるみたいな奴で、
それと同じように、ライトノベル業界を広く知っていれば、楽しめる要素は計り知れない。
ラノベを否定するような奴は、大抵がにわかラノベ読みである事が非常に多い、にわか野球ファンみたいなモノでもこれは、例えられそうだ。
ラノベ業界が衰退しないのには理由がある、というよりオタク業界とも言えるが。
情報の応用性は、連綿と積み重なる系譜によって、どこまでも規模を増す傾向がある。
あるソフト会社が、ある著者個人でも良い、この内容なら売れると出版社が出すという事は、
情報の応用性を高める事を望む、ラノベを良く知る業界人に、一定の支持を得られるモノを出す事に成るのだ。
古い文学の世界は、これが途切れがちなのだ。
個人が圧倒的な世界を描けないからだ、個人に力が集中しないから、情報の多様性が収束しない、応用性が無くなるのだ。
ライトノベルは個人の力ではないが、個人の力が波及する傾向があり、その波及した棒線が、枝のように広がる傾向があるのだ。
例えば、超一流の力のある著者の書く小説に、同等の挿絵師が絵を付加する。
これによって、著者が絵に影響を受けた情報を描くように成り、逆もまたしかり、この連鎖がそれなりに波及するのだ。
それによって情報が一つの纏まりとして、大きく枠に収まり、認識できるように成り、中心人物がもつ情報密度・力を最大化させる。
もちろん、枠内の同心円は、他の同心円と交わり、複雑に入り乱れるのだが、これがまた良い。
ある一つの枠内を知り尽くせば、他のそれと重なり合う情報にも親近感が持てる、情報のネットワークが上手く繋がるのである。
古い文学はこれが無かったのだ、個人同士が繋がる事は多々あるが、まあそれは大抵狭い範囲内に収まる事象でしか無かった。
某クトルフ神話体系のようなモノは例外的で、ほとんどは個人の枠に収まる形で成立していた。
もちろんだからこそ、他に強く影響されず、作家個人の個性が強く、確固として独立とした世界観が在ったのかもしれないが、
それこそを文学と言うのかもしれないが、流石にもう古いと言えよう。
新時代に必要とされるのは、効率性と、実用性だと、既に実質として証明されている様なモノだしな。
このような理由等々から、俺は文学は馬鹿にしないが、ラノベを馬鹿にするのは間違っていると思うのだ。