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第8話 拾いもの

画廊からの帰り。在来線の駅舎を出たところでリクは、夜空を見上げた。

驚くほど大きな満月が、優しい色で地上を包み込んでいた。

柔らかくそよぐ風もひんやりと心地よかったので、バスを待たずにリクは来た時と同じように、片田舎の国道脇を歩き始めた。


ショルダーバッグの中には先ほど拾った玉城の財布。そして、奇しくもふたつ揃った長谷川の赤いお守りが入っている。

そのお守りふたつが共鳴しているわけでもないだろうが、胸の辺りが少し熱かった。

長谷川は今日もシンガポールで忙しく働いているのだろうか。

あの人は忙しすぎて日本のことを思い出すこともないのだろうなと、そんな事をちらりと思った。


携帯電話はよく分からない迷惑メールばかりを受信し、長谷川から送られて来ることはここ半年無かった。

待っていたつもりは無いが、あれば何となく気にしてしまうのが癪で、そのうち充電する事もやめ、携帯電話は部屋の隅に放置したままになった。

玉城や佐伯なら用事があれば車で会いに来る。電話やメールが無くても特に困ることは無かった。今までは。


けれどアドレスを教えた新田奈津美が連絡をよこすかもしれない。

自分が直接受けた依頼でもあるし、ちゃんと受信できる状態にして置かねばならないだろう。

そして正直なところ、やはり訊いてみたいと思ったのだ。

玉城の財布をなぜ奈津美が持っていたのか、ということを。


そんなことを思いながら民家もまばらな田舎道を歩いていると、昼間通った河原の脇に差し掛かった。

何気なく土手の木に視線を向けたリクは、思わずその一点に見入った。

月明かりの下、桜の木の低い枝に、あきらかに自然物とは違う蒼い光が揺れていた。

ビニール袋がぶら下がっていたのだ。

目を凝らすと水のたっぷり入ったきんちゃく袋の中を、きらきらと赤いラメが動いている。

昼間の和金だ。


『その金魚を川へ放すのはやめてください』と、あの時リクは母子にそう言ったのだが、まさかそのままここに置き去りにして帰るなどとは思いもしなかった。

リクは土手を下り、近寄って枝からそれを外すと目の前に高くかざした。水の小部屋に月が重なる。

何も知らずにゆらゆらと揺れている5匹の和金は月を溶かした藍色の闇に映えてとても美しく、同時にとても哀しかった。


……おまえたちはどの道、捨てられちゃうんだな。


リクはすぐ脇の草の茂みで拾ったペットボトルに川の水を入れ、バッグに放り込むと、金魚のきんちゃく袋を指先にぶら下げて歩き始めた。

今日は本当に拾いものが多い日だ、などと思いながら。


家に帰り着くと、ガラス製のボウルにペットボトルで持ち帰った川の水を少しだけ入れ、そこへビニール袋の水ごと、金魚を移してやった。

少しばかり広くなった水の中を、喜ぶというより慌てた様子でクルクルと泳ぐ赤い姿を、リクはじっと見守る。

金魚すくいの小赤(和金)は、本来観賞用ではなく、ペットショップなどで大型魚のえさ用として養殖された弱い金魚たちだ。

そのうえこの5匹は半日も木の枝に吊るされてしまった。

……一週間、持たないかもしれないな。

そんな事を思いながら眺めていると、目の端に同じく赤い揺らぎを捕らえた。

少し前に充電器に繋いだばかりの携帯が息を吹き返し、メールの着信を知らせている。


新田奈津美だろうか、と身構えたが、送り主は玉城だ。

ほっとして手に取り、文面を開いてみる。


《かぜひいた 死んじゃう》


リクは少し笑って、その頼りない字面を眺めた。

金魚よりは長生きしてくれるといいけど……と、思いながら。



               ◇


新田奈津美は自宅マンションに帰り着くとベッドに体を投げ出した。

駅のロッカーに荷物を置いたままだったのを思い出したが、そんなことは大したことに思えないほど、胸の中がザワザワする。

ドキドキ、というべきか。


頭の中を占めるのは、数時間前に絵の契約を交わしたミサキ・リクという年下の青年のことだけだった。

あの青年に会う前は、画廊に展示されていたあやのそっくりな絵に心を揺さぶられたが、それを描いたあの青年は、あやのとの悩ましい日々を霞ませるほどの衝撃を奈津美に与えた。


かつて男を美しいと感じたことなど奈津美には一度もなかった。少女に比べてなんと繊細さのかけらもない造形物だろうと、蔑んでいた。

けれどあのミサキ・リクという青年はまるで観賞用に作られた彫像のように完璧だった。

がさつで粗野な、独特の男臭さなど少しも感じられない。


あやのの絵を描いて貰う契約をしたことには、奈津美にとって大した意味はなかった。

美しい思い出ではあるが、しょせんあやのはもう「過去」の人物だった。

ただ、それを描く間はあの画家は自分の物なのだ。

あのミサキ・リクの時間と技術をその間、金で買うのだと思うと出費は惜しくなかった。

金なら、またどこかで調達すればいい。


しかしながら、あの画家をつなぎ止めて置くにはそれでは不足だった。

16年前に行方不明になった13歳の少女の姿を克明に描くからには、それなりの理由があるに違いない。

失踪に関わることを知っているのか、それともそういう哀れな少女を描く趣味があるのか。

バレないと思って描いてしまったのなら尚更。

調べてみると、ミサキ・リクは結構名の売れた現代芸術家の一人らしいことが分かった。

どこかであやのの写真を偶然手に入れたのだとしても、それはそれでちょっとスキャンダラスだ、と奈津美はニヤリとした。


絵を描かせることでミサキ・リクに近づこう。そしてじわじわと裏を探るのだ。

逃れられない弱みを、もしかしたら握ることが出来るかもしれない。

トクン、と胸が高鳴った。

他人のそら似などという逃げは通用しない。口元と首筋の小さなほくろ、左頬だけの小さなえくぼ。肩までで切りそろえた髪、よく見れば赤いキキョウがあしらわれている、珍しい赤い浴衣。あれは紛れもなく「あやの」なのだ。


白く透き通る様な肌をしたあやの。

小さなほくろでも、あの白い肌にはよく目立った。

口元、首筋。そして左胸の乳首の横と、臍の少し下にも一つあった。


あやののへやのベッドに座り、下着もつけていないあやのの赤い浴衣の胸をそっと開いたあの日のことが、鮮やかによみがえる。

浴衣の赤と、肌の白さの対比があまりにも鮮やかで目眩がした。

遊びの延長のようにあやのの白く幼い、ほんのりとしか膨らんでいない胸に触れ、そのほくろに口づけた。

しっとりした柔らかな感触と、花のような匂いが忘れられない。


奈津美にとって、あやのは可愛くて清らかで、思い通りになる自分だけの人形だった。


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