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第7話 それぞれの夕刻

佐伯に気を揉ませた詫びを言い、リクはギャラリー『無門館』を出た。

西日と残り蝉の声の中に飛び込むと、昼間の熱の残る歩道のむこうに、チカリと目を刺す光があった。

公園の入り口のくずかご。光っているのは先ほど新田奈津美が投げ入れた白い紙袋だ。

溢れそうなごみの上に、さっき見たのと同じ状態で乗っている。


横を通り過ぎるついでにほんの少し視線を向けてみた。

紙袋の底には、やはり白のキャンバス地にブルーのラインの長財布が入ったままだ。

男物のように見えるが、新田奈津美のものだろうか。古くなって、いらなくなって捨てたのだろうか。

立ち止まってリクは暫し考えた。


見れば見る程、玉城が持っていた財布によく似ている。

「やだ、中学生の財布みたい」と以前多恵にからかわれ、「うっさいな!」と拗ねていたのをリクは覚えている。

まさか玉城の財布であるはずは無いと思いながらも、なんとなく気になって手に取り、紙袋から取り出してみた。

ずっしりと重くて驚いたが、その正体は紙幣ではなく、ほとんどが割引券やポイントカードの類だった。

いったいこれだけ集めてどうするつもりだろうと思いながら眺めていると、一番手前のポケットに診察券らしきものが見えた。

引き出してみると総合病院の診察券、そしてそこに書いてある名は、「まさか」の友人の名前だった。

ほんの数秒、リクの手の動きと思考が停止した。

顔を上げて辺りを見回すが、もちろんこの奇妙な現象の答えが転がっているはずもない。

……なぜこれが?


リクは改めてもう一度財布の中を調べてみた。

パンパンに膨らんだポケットの一つを覗きこんで、再びハッとする。

中から出てきたのは、以前長谷川がリクと玉城に一つずつくれた、犬の刺繍入りのお守りだった。


これを玉城が捨てるはずはない。

ポイントカードや診察券なら分からないでも無いが、なにより長谷川のお守りが入っているのだ。

「粗末にしたら祟られそうで逆に怖い」と貰った後玉城は言っていたが、あれは結構本音だったとリクは確信している。

うっかり玉城が落としたものを、新田奈津美が拾ったとも考えられるが、電話番号まで書かれているものをまた捨てるというのも、考え難かった。


確認のため玉城に電話をしてみようかと思ったが、あいにくこの日もリクの持ち物の中に携帯電話は入っていなかった。

長谷川のくれた犬のお守りはちゃんとバッグのポケットに入っているというのに。

とりあえずその長財布をショルダーバッグの中に放り込む。

長谷川がそれぞれに渡したお守りが、今はなぜか二つとも自分の手の中にあるのが何となくおかしくて、ほんの少し笑いながらリクは駅へ向かった。



              ◇


「……げほっ!」

自宅兼仕事場のワンルームマンションに帰るなり、玉城は自覚した。

これは本格的に風邪だ。夏風邪だ。

喉が痛い、頭が痛い、おなかが緩い、熱っぽい、食欲が無い。


もう5年も愛用していた財布は失くすし風邪はひくし、ぶつかった女には毛虫のように罵詈雑言投げられるし。

何て嫌な日なんだとしょぼくれながら、玉城は38度5分を示す体温計を見つめた。

薬箱に残っていた数年前の風邪薬を飲み、ベッドに倒れ込む。


風邪くらいで医者に行くつもりも無かったが、そういえばあの長財布には病院の診察券も入れていたなと、がっくりくる。

長年溜めたいろいろな店のポイントカードをすべて失くしたことが口惜しい。もう使える満点カードもあったのに、と。


いや、なによりもあの財布の中には長谷川からもらったお守りがあった。

持っていても幸せなことは起こらないだろうが、ないがしろにすればたちまち不幸なことが起きそうで、玉城はいつも持ち歩いていた。

長谷川はまだ覚えているだろうか、などと思いながら、寝転がったままいつもの習慣で携帯をチェックしていると、その長谷川からのメールに行き当たった。昼間のメールだ。


そういえば長谷川は見合い中なのだった。この都内のどこかで。


「見合い……」

改めて口に出してみて、何だか笑えた。こんなにこの言葉が似合わない人は、ほかにいないような気がした。

いや、して欲しくない人、と言った方がいいのだろうか。

そんな無意味な事をする時間があるのなら、また3人で飲みに行った方がずっと生産的だ。

そもそも、長谷川の中にリク以外の男が入り込む隙はきっとないのだから。

一体いつになったら長谷川は自分の気持ちに気づくのだろと、玉城はため息を吐いた。


薬を飲んだというのに頭痛は治まらず、更に熱が上がったような気がした。

何となく人恋しくなる。

手に持った携帯の画面は、長谷川の情報を開いたままだった。熱に火照ってぼんやりしたせいか、急用以外は滅多に押さないその番号を玉城はプッシュした。

夏の夕暮れ時は熱がなくても時たま人恋しくなる。元来寂しがり体質なのだと、思い知らされる。

体調が悪いときは尚更だ。

ああ、彼女が欲しい。そんなことを思うと何だか、泣けてきた。


『あれ? どうした、玉城』

3コールで電話に出た長谷川の声は、いつになく楽しげだった。

玉城のロウなテンションとは真逆で、少しばかりしゃくに障る。


「長谷川さん、あれ? もしかして飲んでます?」

『ああ、飲んでるよ。いい店紹介してもらってね』

「あ……、もしかしてまだお見合い中なんですか!?」

『まあ、二人で飲んでるから、そういうことになるかな』

「そういうことに……って、どういうことなんですか? まさか気に入っちゃったとか」

『気に入った。なかなかいい男だよ。最終便で帰ろうと思ったけど、久々に酒もうまいし、今夜はホテル取って、明日の昼頃帰ることにしようかって考えてるところ』

「ホ……ホテルってなんですか! 何でそんなことになるんですか! 日帰りじゃないんだったらリクに……」

『え? なんて?』

「……もういいです! 好きにすればいいです。ホテルに泊まって結婚でも何でもしちゃえばいいんです!」

勢い余って玉城はそのままブチリと電話を切った。

大声を出したせいで頭がズキズキする。

さっき飲んだ薬は一向に効かない。捨てた袋の表示を見てがっくりきた。 

ただの胃薬だ。


脱力と気だるさと寂しさが塊になって押し寄せ、玉城はもう一度ベッドに倒れ込んだ。

長谷川に怒鳴ったってどうしようもない。

長谷川が誰を選んで誰と結婚したとしても、彼女の自由だ。


けれどどうにもやりきれなかった。

このまま彼女の中からリクが消え、リクの中から彼女が消える。

3人はただ、昔ちょっとだけ一緒に仕事をした、それだけの縁で終わる。

子供じみたセンチメンタルなのは分かっていた。

みんなもう、いい大人なのだから。 けれど……。


頭が痛む。熱が確実に上がっている。喉が痛い。背中も痛い。薬はといえば、胃薬だけだ。


《かぜひいた  死んじゃう 》


ぼんやりした頭で文字を打ち、送信した。

あれ。誰に送ったんだっけと考えたが、もうどうでもよくなって、そのまま玉城は泥に潜るように重苦しい眠りに落ちていった。



         ◇


「電話、お友達ですか?」

仕事柄、深酒はやめているのだろう、島津はすでに薄いウーロンハイに切り替え、電話を切った長谷川を、楽しそうに見ていた。


「昔、少し一緒に仕事をした子です」

「何か怒られてたみたいだったけど」

「聞こえました? 見合いしてるのが気に入らないらしい」

「それは大変だ」

「大変ですよ」


長谷川もほどよく酒が回り、楽しげに笑った。

どうやらこのまま午前4時の閉店までこの男と話し込むことになりそうだ。

それもまた、いいかもしれない、と。


「ミサキ・リクさんとは会わないんですか?」

再び島津がその名を出してきたが、今度は取り乱すことなく長谷川は流すことができた。


「今度の帰国は、親孝行という任務の遂行が目的ですから。他に費やす時間は用意していません」

「なるほど。それもまた、あなたらしい」

島津が静かに笑う。


他のことを考えるのは極力避けよう。そう、自分には時間がない。

中途半端な残り時間でリクには会わない。今までの経験で学んだ答えだ。ひと目会おうとして探して

も、やつは決して捕まらない。

明日の昼の便でちゃんと帰るのだ。

長谷川は自分に強く言い聞かせ、ストレートのスコッチを一気に煽った。


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