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第3話 落胆

リクは何度か瞬きし、息を深く吸い込んでみた。

けれどなんとなく、自分が自分ではないような心許なさがあった。

2週間ほど前に山の中で出会った霊体の仕業だろうか。

頭の芯にふわふわした違和感を覚えながらリクは、自宅から駅までの道をゆっくりと歩いた。


自宅から一番近いJRの駅までは、歩けば小一時間かかる。

もういらなくなったからと玉城が売りつけてきた自転車もあったし、バスも無い訳ではなかったが、時々こうやって長い道のりを歩きたくなる。

住宅地の横に流れている秋川には、リクのお気に入りのアオサギやヤマセミも時々姿を現し、絵のイメージをかき立ててくれる。

都内ではあるが、まだ豊かな自然の残る場所だ。

川の音を聞きながら木立の中を歩くことは、部屋に籠もるよりもリクを癒やしてくれた。


「だから家に持って帰っちゃだめって言ってるでしょ。聞き分けのない子ね!」

「だって……」


ふと声のした方を見ると、土手下の河原で若い母親が10歳くらいの少年を叱りつけていた。

少年の手には小さなビニール製の、水の入った巾着。

リクにも見覚えがある。縁日の金魚すくいでの戦利品を持ち帰る入れ物だ。

そういえばこの近くの社でここ数日、明るいうちから秋祭りが行われていた。

きっとこの子供もそこの出店で金魚をすくって持ち帰ろうとしていたのだろう。


「だってじゃないの。うちには水槽も飼育セットもないのよ。今から買うのなんて絶対に嫌よ。そんな安い金魚なんかのために」

「だっ……でも……どうすんの? 金魚、せっかく5匹もすくえたのに」

そんな親子の会話をやり過ごして、駅へ向かおうとしたリクだったのだが。


「だから川に流しちゃいなさいって言ってるじゃない。ここの方が水槽より広いし、きっと金魚だって幸せに思うわよ」


リクは再び足を止めた。

ブツブツ文句を言いながら少年が、持っていた袋を川の方へ差しだそうとした瞬間、リクは思わず声を出していた。

「やめてください」


河原の親子はギョッとしたように振り返り、土手の上に立つリクを見上げてきた。

「……え?」


「それを川に放すのはやめてくださいと言ったんです」

「は……?」

驚いた表情のまま固まる母親に、リクは少しだけ口調を和らげた。

「どうせ他の魚のエサになってしまうでしょうが、もしも生き延びてしまったらこの川の生態系を崩してしまう。だから、できれば持ち帰ってやってください」


……それがだめなら、すぐに殺してあげてください。……


けれどリクはその言葉は飲み込んだ。

誤解を招くと子供を悲しい気持ちにさせるだけだ。

視界の端で母親が眉を吊り上げて睨んで来るのを感じたが、ゆっくりとその河原を後にした。

後ろから聞こえてくる母親の、「だから生き物なんて、嫌なのよ。二度と捕って来ないでよね!」と子供にあたる怒声を聞きながら、リクは気持ちが沈むのを感じた。

あの母親が悪いという訳では、決してないのだ。


さっきのあの子供はいつか気づくだろうか。

一方では愛玩し、愛でるために生産し、その一方で少しずつ自然の法則を破り生き物たちの尊厳やあり方に影響を与えてしまう、身勝手な人間という存在に。


そんなことを思う反面、少しばかり出しゃばりすぎたかもしれないと、自分の言動を反省しながら国道脇を歩く。

普段の自分ならば、思っていてもきっと何も言わずに通り過ぎた。

やはり何か、今日の体は勝手が違うように思えてならない。


--- ダレカ イル? ---


リクの体の奥で、ちいさな何かがグルンと翻ったような気配がした。


                 ◇


靖国通りを足早に歩き、客の少なそうなカフェレストランを見つけると、新田奈津美はすぐにトイレに入り込み、手を洗った。

地下鉄九段下駅から通りへ出たところでぶつかった男の手が、自分の手に触れたのがどうにも気持ち悪かったのだ。


ああ嫌だ、いくら夏だからってどうして男の手というヤツは、あんなに汗ばんでいて汚らしいのだろう。

奈津美は鳥肌を立てながら手をハンカチで拭いた後、そっとA4程の大きさの袋の中に手を突っ込んだ。

つまみ上げたのは、「さっきぶつかった男」の長財布だ。


生身の男の肌は汚らしく思えるのに、その人間の持ち物に嫌悪感は沸かない。

物は、物でしか無い。

たぶん自分は生物学的な「男」が生理的に受付けないだけで、潔癖症と言うのとはまた訳が違うのだろうと冷静に分析していた。


つい昔の癖で「それ」をスッてしまったのは、ほんの30分ほど前の事だった。

地下から階段を上って通りに出た時、目の前の男の尻ポケットから半分顔を覗かせている財布があった。ストライプの趣味の悪い安っぽいキャンバス地の長財布だ。

馬鹿なのか、それとも取ってほしくてそんなところに突っ込んでいるのか。

どちらにしても奈津美の悪い癖が発動するのを止める要素は何もない。

けれど男が急に立ち止まったのは誤算だった。

手につかんだ財布を戻すことはもう出来ない。

気を逸らす意味も込めてにらみつけ、丸々と太った財布は自分の紙袋に滑り込ませた。

どなりつけたのはカムフラージュでもなんでもなく、無性に湧き上がってきた苛立ちのせいだった。

本来ならばやってしまった後で顔を見られるなどあってはならない。


けれど多分大丈夫。あのぼんやり男はきっと落としたくらいにしか思わないだろう。

ぽかんと口を開け、間抜けな表情をしていた。

奈津美は手際の悪かった自分を慰めながら横縞財布の中身を確認した。

そして眉間に皺を寄せる。

千円札一枚、入ってない。現金はゼロなのだ。

あるのはポイントカードや訳のわからない割引券ばかり。

プリペイドカード一枚入ってはいなかった。

そのかわり貯まったポイントカードには、ご丁寧に名前が書いてある。

「玉城……」


腹立ち紛れに財布ごとゴミ箱に放り込もうとしたのだが、ちょうど入ってきた女性がチロリとこちらを見てきたため、再びその盗品を紙袋に滑り落とした。

何食わぬ顔で再び手を洗い、トイレから出てきた奈津美はそのまま店を出た。

チッと、すれ違った客に聞こえるほど大きな舌打ちをしながら。


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