働かざるもの入るべからず
「おい、雨音いるかぁ?」
――返事が無いただの独り言のようだ。
雨音と連絡が取れなくなってから丸一日経つ、疲れたから寝ると言っていたが幾らなんでも寝すぎじゃないか? まさか敬愛する兄を見捨てて他の男と愛の逃避行を……いやいや、俺と雨音はそんな関係ではない。それに雨音から色恋沙汰など聞いた事もない、それ以前に雨音の性格からして真っ当な男が出来るとは考えられ……なくもないか。意外に家庭的であったり面倒見が良かったりと悪い所ばっかじゃないしな。
――いつかそんな日が来たら俺は最高の兄として全身を使って祝福してやろう。
(……)
――ま、まさか! 金がない俺の為に身体を張った商売をしてそして悪い男に利用された挙句に薬漬けされて最後の最後には海外に飛ばされるとかお兄ちゃんは断じて許さないぞッ!! けしからん! 実にけしからん! アマレスなんぞ見るに堪えん、泥レスなら一見の価値有りだ!
「雨音ええェェェ――……ッ! 返事をしろおおォォ! このままだとお兄ちゃん妄想の中でお前を汚しちゃうからなああァァ――ッ!」
(……)
ここまで叫べば出てくるかと山を踏んだが……本当にいないのか。
非常に残念だ、本当にいないなんて残念すぎる。いやはや残念残念、いないならしょうがないよな?
不本意であるがいないなら仕方がない。
誰にも見られず抑制する人もいない、久方ぶりの自由の身を満喫しようじゃないかっ!
レッツッ独身貴族ッ!!
あ、その前に老朽化が進み今にも崩れてしまいそうなボロボロで潰れないなら俺が潰してやる的な協会で何があったかと言うと――
――結局二人の愛があの場で実る事はなかった。
一方的に常識外れだと言われ変態とか気持ち悪いとか早く死んでしまえとか口の悪いシスターに侮蔑され敷地内から追い出された俺は心の傷を癒すために一人町に繰り出している、神に仕える聖女のくせにまるで悪魔の様な女であった。
まぁ、結果はどうであれ向こうの言い分を纏めると"熟せよ乙女さすれば美味し"と言う事らしい。
しかし俺は納得などしていない。何故ならお互いの意思も確認せずに引き裂くなど真愛物語フラグではないか、今から楽しみで仕方が無いのだがそこには大きな問題がある。それはこれ以上時間を掛けて相手側が言うように青い果実を腐らせてしまう事。
レイチェの歳は知らないがまだ早すぎると言われてもそれは向こうの勝手な都合だ、俺にとっては今が旬である以上この機を逃したくは無い。
相手の都合で俺の都合が通らないとは話が通らないと一緒であり何よりも優先させるべきは俺が待ちきれないから早くして欲しいです、お願いします。
何か無いものか、例えば時を止める時空魔法とか、透視能力で対象の衣服のみ透けさせるとか、良案としては俺が透明になれる薬が良い。あ、ついでに共同浴場となる場所を調べなければ。
そう言う理由で俺はこの状況を打破する方法が無いか模索しつつ町を徘徊していた。
そこで俺は異世界に来て初めて自分の置かれた立場を認識する事となる、正確には再認識だが今回は当初気が付かなかった大きな見落としを今回初めて気が付いたのだ、かなりの窮地に自分が陥っている事に恐怖した。
「――お金が無い」
元の世界ではお金を持っていない事が自然すぎて異世界に来てもまったく違和感なく気が付かなかったという訳だが。
しかし大きな違いは元の世界であれば例え金がなくともコンビニの裏に行けば幾らでも無料弁当は手に入るし、たまに原因は分からないが夏場に良くお腹を壊した時など公園に行って並べば身体に優しいスープとか蒸した芋が無料で貰える。
だから俺は現金主義の社会が嫌いで敢えて持ち歩かなかったのだ、決して働きたくないとか働いても一日で解雇されるとか不当な扱いは断じて受けていない。
小銭を集めようにもこの世界には自動販売機すらない、一体この世界の住民はどうやってお金を手に入れているのだろう? 元の世界の常識が一切通用しない今、俺が今までお金を手に入れる為に培って来た経験も一切通用しないと言う事だ、これには恐怖感に苛まれるのも仕方がないと思う。
はぁ――……なんとも俺にとって世知辛い世界だ。
ぼやきながらも金策を考える、それにしても腹が減ったなぁ……ここに来る前に食べた罰ゲーム的なカップ麺を最後に何も食べていなかった。
せめてあのボロボロで今頃は崩れて落ち廃った教会で何か食わせて貰えば良かったな。
始まりの町で餓死何て冗談じゃない、俺は何としてでも異世界と言えば代名詞であるハーレムを実現するまでくたばってなるもんか、いや、実現してから死ぬのも何かと楽しめないまま終わるようで嫌だから目標は常に高く一国の王になってやろう。
よし、やっと異世界成り上がりハーレムっぽくなってきたぞ。
元々この異世界に来た意味すら曖昧だったし、肝心な雨音も職務怠慢で投げやり気味だし今まで我慢の連続だった人生を振り返るとこれからは始まる第二の人生は我慢をしない事をモットーに楽しんで行くか。
◇◆◇◆◇
これからの人生やっと方向性を定めた俺はある建物の扉の前に立っていた。
「……どうしよう、やっぱり働きたくない……いや、でも……どうしよう」
――俺はある建物の扉の前で一時間程立っていた。
あれから金策についてあれこれ考え情報収集を行ったのだがこの町には働く以外金を得る方法は無かった。
誠に不本意ながら最初だけ働く事にした、本当にちょっとだけ。
俺は此処に来る前に川辺で途方に暮れていた、そこで俺は一人のオジサンと出会う事になる。
人生を見通したと言うオジサンは働きたくないなら一緒に住んでも良いぞと甘美な声で俺を誘ってくれたのだ、しかも家賃として一日三食差し出すといった好条件であった。
是が非でもお世話になりたかったのだがオジサンが誇らしげに語る手作りの家を見て俺は苦渋の決断をした、何故かと言うとその家には人が一人通れる程度の穴しかなく濡れてしまえば崩れそうで腰辺りの高さしかない家だったのだ、耐久性の問題はあるがそんな所で男二人が住むなんて窮屈で迷惑が掛かってしまう、常識人である俺は苦労して作り上げたマイホームに土足で上がり込むような非常識な考えにはなれなかったのだ。
そして俺はオジサンの優しさを踏み躙るように懇切丁寧に断る事にしたのである、そんな俺に対してオジサンは「お前なんて魔物に喰われて死んでしまえ!」と真剣な眼差しで激を飛ばしてくれたのだ、働かなければ俺の様な末路になるから頑張れよと俺を励ましてくれた人生の先輩に感謝しながらこの場所に辿り着いたのであった。
しかしいざ扉の前に立つと困った事に足が前に進まない、どうして俺の身体は労働に対してこうも消耗的なのだろう、末路となる人生に危機を感じて足早に辿り着いたまでは良かったのだが……。
労働に対してトラウマ的な何かが作用しているとでも? 確かに俺は勤めた先々で即解雇になって来たがその原因は未だ分からなかった。
例えば――
初めてバイトしたコンビニでは指導熱心な先輩がいた。先輩は俺に客がレジに並べた商品を大きな声で読み上げてからバーコードリーダーに通せと言った。
もちろん真面目な俺は先輩の教え通りに男性従業員しかいない深夜帯に来る常連のお客さんが買った本を大きな声で読み上げたらたまたま店内に女性客がいて常連のお客さんが慌てて本を棚に戻した翌日に解雇になった。
次に宅配ピザ屋で働いた時は初日に新人歓迎と言う名の登竜門があって引き伸ばしたピザ生地に何分間顔を埋めていられるかという儀式があった。
そこで肺器量だけには昔から自信があった俺は堂々と歴代一位を飾っていたチーフである先輩の記録を超えたのだ、その二日後に俺は解雇になった。
理由は後で知ったのだが俺がピザ生地に顔を埋めている所をあの場にいた誰かが撮影しネットに流したようだった。
幸いピザ生地はクリスピータイプの物でなくレギュラー物を使用していた為に輪郭程度しか分からなかったのでネットで晒し者にならなくて済んだ。ピザ屋の方はと言うと三日後に休業となりそのまま潰れてしまったのだから解雇にならなくとも一日の差で職を失っていたのだ。
その後も不服の精神で様々な業種に就いたが結局長続きしたのはピザ屋の二日が最高記録となった。
さて、そうも語っている内に二時間は経過してしまったようだ。行き交う人々の視線が痛い。
出来るだけ怪しまれないように同じ人が来た場合は靴紐を直す振りをしたり携帯電話で一人会話をしてその場をやり過ごしているのだが、困った事にこの世界では携帯電話が存在しない為にハンズフリー状態になっている、ただの独り言とか言わないように。
そして靴紐を直す行為についてもだ、そもそも俺は靴を履いていない。ただ足先を掻いたり曲げたりとしているだけである、決して水虫ではないので勘違いしないように。
そうこう挙動不審者を演じている間にも時間ばかりが経過して行く、悩みに悩んだ俺は三点倒立をし逆立ち歩きを試みたが結局三秒も持たず倒壊してしまった、やはり脚が動かなければ腕でと言う安易な発想は通用しなかった、というか自分が倒立すら出来ないことを忘れていた。
ならばハリウッドスター張りの前転で突入をしようかと思ったが運動神経皆無な俺が回った所で一回転半が関の山だ、その結果は目に見えているから俺はやらない……やらないと言ったらやらない。いや、本当にやらないぞ?
――地を蹴る風を切る。前屈みになった俺は太股あたりに顔をくっつけ勢い良く前に突き出た。
「あっ……」
ここにきて長時間立ち通ししていた俺の脚は既に限界に達していた、その為に筋肉疲労からなる硬直によって脚は曲がらず伸膝前転となりそのまま勢い良く扉を破壊し内部へ――
「んぎゃっ!」
――する事はなく踵が触れる直前に内側より扉が開かれた事によって空振りし地面に激突して――……いなかった。
(ん? 何か奇怪な声がしたような。それに扉に激突もなにも脚を伸ばした状態で仰向けのまま腰が半分浮いているんだが……何故?)
片方だけ限界まで反り上がったシーソーのように後頭部を地面に着けている俺からは脚が何に引っ掛かっているか見えない。
俺はその姿勢のまま器用に腕を組み落ち着いてゆっくりと考える。運動神経は悪く倒立や回転といったバランス感覚も無いのだが一年の大半を布団の上で過ごしてきた俺にとってみれば布団の上で行う運動だけは他の追随を許さないと自負している。現在、対戦相手募集中。
今の状態を見れば常人にはアクロバッティングに見えるかもしれないが、俺にとってはお茶の子さいさいで三杯は飯のお替りが出来る。
あぁ、この体勢は落ち着く……このまま眠ってしまえば次に起きた時にはハ――……レ……
「お、おい……い、いつまでわっちの頭の上に汚い物を乗せておるのだ?」
頭の上に乗せてるだって? 何を馬鹿な小人でもあるまいしそんな位置に頭がある訳ないだろう……。
「お、おい……お、お主もしかしてその体制で寝ようとしていないか!?」
おいおい煩いな、俺は今から夢の国でハ――……レ……
「ムッ!? うおおおおっ!?」
体が浮き上がる感覚に見舞われる、実際に浮いてた。
「おおおおおっ!? 一体全体なんだああっ!? ぐふっあ!!」
体全体が浮き上がったと思ったら今度はそのまま落下した、そのままの姿勢で背中を強打した俺は呼吸出来ず息を飲み込むと同時に背中全体に鈍い痛みが走った。
何者かが真上から見下ろすように手をパンパンと叩きながら俺に話し掛ける。
「どうだ、痛かったか? だがわっちを足蹴にした挙句さらにわっちの頭を足置きとして眠り込もうとするお主が悪いんだからな」
「うぐぐぅ……」
駄目だ肺が苦しくてまともに声が出ない。涙で滲んで良く見えないがかなり小柄な体型である事は感じ取れた、どうにか目線だけでも相手に向けなければ……なんでこんな時に"涙で前が見えないの"とか気の利いた台詞が言えないんだ、いや、それは今どうでも良い……相手は間違いなく、くそっ本気で涙で前が見えないよ……こんな大切な時に一目だけでも良いから開け動け俺の身体!
「おぉっ!? お主今ので立てるのか?」
「うぐっ……ぐ、グスッグスッ」
「な、泣いておるのか? いや、それにしても見上げた性根――」
――……パタッ
――……俺の意識は途絶えた。