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第七話  宮廷の噂話

 忘れちゃいなかったんだけど、数日後に帝国王女がやってくる。

 いや、ごめんなさい。本当は忘れてた。通常業務の一部でしか考えていなかったのだ。衣装も、新品ではあっても港湾課の制服だし、ボディチェックをする数分間しか顔を合わせない予定だったから。特にお給料は増えていないのだが、私も出世したものだ。

 本日、事前打ち合わせとして、ロクサーナと共に帝国王女が滞在する予定の建物に呼び出されている。

 ロクサーナが言っていた通り、王宮の一部というそれは、美しい建物だった。エラン王国の伝統様式である、レンガを重ねて球形の屋根を重ねた建物だ。窓も丸みを帯びた形に切り取られていて、職人の腕前を見せ付けている。日干し煉瓦を重ねただけの庶民の家とは一味違う。壁の表面は青色に塗られていた。これはたぶん、水をイメージしているんだろう。ペテルセア帝国には、さらに薄く磨き上げたタイルを貼り付けるという秀麗な装飾をしている建物があるそうだけど、さすがにそこまでではない。

 四つの四角い庭園を作り、その十字の中央に建物を置くという配置は、人気はあるけど庶民では実現できない庭園だ。庭園の手入れは行き届いているらしく、花が咲き乱れていて美しい。

 てか、この建物、現在は使われていないとかって話じゃなかった?それなのに毎日手入れしてたんだろうか?

 それと、今更だけど私みたいな庶民が王女のボディチェックなんかしていいの?失礼をしたってことでクビになったりしないだろうな?打ち合わせだけじゃなくて礼儀作法も一緒に教えてくれよ……。

「美しいですよね」

 ロクサーナが目を細める。

「王宮には何かと無駄も多いですけど、こういった建築技術を継承するには必要なところもあるんでしょうか」

「うーん……。綺麗なのは、見ていて楽しいけど。使われてないなんて勿体無いね」

 戦争に負けて50年。ペテルセア帝国のてこ入れのおかげで復興はいち早く進み、戦争前よりも豊かな国になったのは間違いないと言われている。それは、こういう使わない建物への手入れができるという点にも現れているんだろう。


 庭園の端では、音楽隊が練習中のようだった。

 宮廷音楽家だろうか。楽器を持った何名かが、日除けの下で音を合わせている。珍しいことに男女混合隊のようだから、後宮勤めじゃなさそうだ。そのうち一人が奏でているのがカマンチェだと気づき、私はふと懐かしい思いがした。ちょうど一年ほど前、カマンチェの音に合わせて歌った時は、まさか自分が他国の王女のボディチェックをする日が来るとは思ってなかった。

「ああ、あちらですね。ラーダさん、行きましょう」

 係りの人間が声をかけてきたので、私とロクサーナはその美しい建物の中へと入っていった。


 打ち合わせはものの数分で終わった。この建物まで来る必要があったのか、真剣に問い質したい。ただ、建物内部で迷わないよう、また余計な部屋に入らないよう事前に打ち合わせることには意味があったらしい。私とロクサーナがボディチェックをするためにあてがわれた部屋は、窓がなく、周囲から覗かれる心配のない部屋だった。

「王女の側仕えの女官がいらした場合、その方々のボディチェックも行います。これにつきましては、お忍びである以上は例外を認めないと言う連絡を行っておりますので、受け入れていただけるはずです」

 係りの人はそう言った。私も念を押す。

「本当に、お願いしますね?当日になって嫌だ、触るなと言われても、私では何の対処もできません」

「ええ、分かっています」

 係りの人は深々とうなずいた。

「他国の王族なんて、本来は直接口を利いていいのかどうかも悩ましいですからね……。王女様も、お忍びなんてことせずに、堂々と表敬訪問してくださればボディチェックなんてする必要なかったんですが……とと、今のはどうかご内密に」

「はい」

 私も深々とうなずいた。係りの人間も相当緊張しているらしい。粗相があったらどうしようと思っているわけだ。無理もない。

「万が一、危ないものが出てきた場合は、私を呼んでください。……くれぐれも!そんなことがないことを祈っておりますが」

 彼は心底本音だろう言葉を漏らして、大きなため息をついた。


 ロクサーナと合流しようと、部屋を出てキョロついた時である。

 彼女は医療用具を持ち込んでいたので、少し時間がかかる手はずになっていたのだ。控えの間かなと思って廊下越しに覗き込むと、ちょうど世間話の最中だったらしい。ロクサーナの他にも三人の女性がそこにいた。

「では、王子様もこちらにいらしているんですか?」

 ロクサーナが微笑んで聞くと、女官らしき人物が上品に微笑んだ。

「ええ。王女殿下がいらした時に失礼がないように、王子殿下も打ち合わせに加わる必要があるだろうということのようです。本当に真面目な方で」

「でも、バハール様もお気の毒よね。ご自分が王妃になられる予定だったのに、未来の王妃殿下の出迎え担当だなんて」

「ううん、それはご自分で立候補なさったそうよ?」

「え、そうなんですか?」

 これは楽しそうな話題である。思わず足を踏み入れた私に、女官たちはばつの悪そうな表情を浮かべたが、ロクサーナはにこりと笑った。

 なお、エラン王国の王妃というものは、後宮の女性たちの中でも一人格上の存在となると聞いている。

 もともと、エランの王室には王妃という位はなかったのだ。後宮の女性たちは全員平等で、国王の妻たちという扱いだった。次代の国王の母となった女性だけ、少し格が上になるし、その実家も含めて発言力が大きくなるけれど、女性の地位自体が低いエランでは特に扱いに差はなかった。

 ところが、他国ではそうではない。一夫一妻制を敷く国では、王室には正妃と側妃があって、扱いが異なる。簡単に言うと正妃は妻で、側妃は愛人扱いであるらしい。庶民と一緒ということだ。国際関係を形成する中で、国王と王妃が並んで挨拶を行うといった機会もあり、正妃には王族としての教養だの心構えだのも必要になってくる。

 時代が変わってきて、エラン王国にもその風潮が現れてきた。『王妃は誰か』ということが注目されることになったのだ。国内における王妃の地位は上がり、側妃の地位は下がった。

 特に50年前、戦争に敗れる前あたりは宮廷内での権力闘争などがあって大変だったらしい。

 現在の王妃は、世継ぎの王子を産んだことで王妃扱いとなった。もともとが穏やかな性質で、他の後宮の女性たちとも仲が良かったため、権力闘争とは無縁のまま、後宮全体で王子を養育していこうという方針をとっている。

 ただ、これでは国際社会の中では今後困ることになるため、ファルザード王子の妻には、最初から正妃に相応しい人物を迎えたいというのが国王の考えだ。

 ……というのが、このたびの王女ボディチェックに当たってアラム先輩から教えられた情報である。

「そういえば私たちは、王子殿下とは面識がないのです。どのような風貌をされているんでしょう?」

 あ、ロクサーナはまだファルが王子だということを知らなかったっけ。

 私が何も言わずにいると、女官たちはまた噂話に戻ってくれた。どうやら息抜きタイム中だったらしい。

「国王様に似ていらっしゃるけど、もう少し細身の美しい方よ」

「武術の腕前も良いのですけど、見掛けからはたくましい印象は受けませんね。ご本人も気にされてるようですけど、そこはお母上似かしら」

「小さいころはホントに可愛らしくて。後宮中の女性がチヤホヤしたものですわ」

 くすくすくすと女官たちは笑った。上品さはどこかに消えたらしい。

「ただ、英雄色を好むって言葉がありますでしょ?ああいう男らしいたくましさだとか……女性に対する興味とかも薄くて。ご本人はあくまで、将来の王妃様を大切にされたいから、他の女性を迎えるつもりはないっていう態度をされてますけど」

「そうなのよねー、もう少し、女も権力もオレのもの、国はオレに任せろみたいな強さがあってもいいと思うのよ。未来の国王なんですもの。おかげで、男色家なんじゃないかって噂されちゃうくらいで」

「真面目すぎるところがあるのですわ。学問にも明るくて、音楽も嗜む方なんですけど、それも、平和な時代の国王様だから良いけれど、例えば50年前の戦争期だったら、ちょっと頼りないと言いますか……」

 言いたい放題である。王宮って、こんなものなんだろうか?王族に対する敬意とか、そういうものはどうした。不敬罪とかそういうのってなかったっけ。陰でこっそりな噂話だからいいのかな?

 それにしてもアラム先輩から聞いた、船乗り間での王子近辺の噂とはちょっと雰囲気が違うな。もっと線の細い、繊細な印象。ファル本人を見たことのある身としては、こちらの方が実態に近いと思う。

「バハール様とおっしゃるのは?」

「シャーロフ大臣の末のお姫様よ。元々は、彼女が王妃様候補の筆頭だったの。王子様とも親しくされていたしね。ただ、年齢がけっこう上なこともあって……。王子様が適齢期になられる前に、王女様をお相手にという話が国王様から上がったことで、ご自分から辞退されてしまったの。王子様がお望みなら、後宮に入ることもあるんでしょうけど、それはねー」

「ええ。真面目な王子殿下はなさらないのではないかと言われていますわ」

「優しくて大らかな方だから、彼女が王妃様なら後宮内も穏やかだろうって女官一同歓迎していたのですけどね」 

「まあ……」

 ロクサーナはあいまいな笑みを浮かべて首を傾けた。

「今の後宮内も、わりと穏やかだと思いますけど」

「ええ、もちろん。でもそれは、男の子が王子殿下お一人だけだからですわ」

「戦争前はそりゃもうドロドロの宮廷劇だったらしいわよ。ご側妃に子供ができると、殺してしまうなんていう王妃様もいらしたとか……!」

「いやぁ~、怖いですわっ。私、そんな時代の女官でなくてよかったわあ」

 声を潜めてささやき合う女官たち。どうやら王宮内の話はこうやって代々伝えられてきたんだろうなあ。

「ああ、でも。バハール様への遠慮はあると思いますけど、ここ数日は王子殿下も王女殿下の出迎えに前向きなのですよ」

 女官の一人がフッと話を戻した。

「これで国王様も一安心よね。王子殿下は真面目な方でしょう?ああいう方って、ひとたびのめり込むと一途になっちゃうから、皆こっそり心配してたのよね」

「心配……?」

 首をかしげた私に、女官は笑った。

「身分の違う踊り子とかに惚れこんで、彼女を王宮に迎えたいなんて言い出しちゃうんじゃないかって。ご側妃ならともかく、王妃になんて言い出しかねないって、特にサンジャル様は心配されていたの」

「ダーラー様は、その際は側妃になさればいいからって気楽でいらしたものですけど。それも無責任ですわ」

「サンジャル様は必死よねえ……」

 女官たちの噂話は次から次へと話題が飛ぶらしく、私もロクサーナもついていけなくなっている。

「そういえば、ダーラー様とバハール様の仲がお悪いのはどうしてなの?ご兄妹でしょ?」

「あら、叔父と姪じゃなかったかしら」

「従兄妹だったと思いますけど……」

 女官たちは互いに顔を見合わせて、首をかしげた。

「まあ、なんだって良いわよねえ。確か原因は、ダーラー様がバハール様のお気に入りの召使いをクビにしたのよ」

「ご自分の妾にしようとしたんじゃなかったかしら」

「違いますよ。……でも、あれ、なんででしたっけ」

 女官たちは互いに顔を見合わせる。アテにならん。でも噂話というのはこういうものかもしれない。

 その時だ。

「そこで何をしている?」

 噂話に花を咲かせすぎて、廊下まですっかり声が聞こえていたのかもしれなかった。不審に思った係りの人間が顔を覗かせ、私たちは総じて決まり悪げに目をそらした。女の人なら巻き込むこともできただろうに、男の人じゃそれも無理だ。

 ごまかし笑いを浮かべつつ、噂話の会(仮称)は解散したのであった。


「なかなかの収穫だったけど」

 ひとしきり噂話に興じたので、私はわりと満足していた。

 港湾課の調査官は物品と睨めっこしながら毎日を過ごしている。暇さえあればロクサーナのところに顔を出す私なので、お喋りの相手に飢えてはいないんだけど、レイリーがいなくなってからというもの、二人きりではどうしても話題が限られてしまうのだ。たまには女ばかりでワイワイというのも悪くない。人の噂は陰口みたいっていうのが今ひとつ盛り上がりに欠けるけど。街中で流行りのファッションとか、帝国産の人気商品についてとかっていう話題を振ってみたら良かっただろうか。もしかしたら興味を持ってくれて、代わりに後宮内人気スイーツみたいなことが聞けたかもしれない。

「でも……。気の毒ですね」

 ロクサーナは表情を翳らせながら呟いた。

「ラーダさんもご存知でしょう?わたしの母は、王宮で働いています。女官としては古株ですけど、王女殿下のお世話ができるほどの身分ではありませんから、今回は出番がありませんけどね」

 何を言い出したかと思って私は目をぱちくりさせた。

「母は昔からよく言っていました。王宮で働く者にとって、第一に重要なことは、常に噂に気をつけること。耳聡くいることだって」

「そうなの?」

「ええ。噂話をきちんと聞いて、王宮内部の勢力図をきちんと把握しておかないと、権力闘争に負けた側に付いて働いているとあっさり仕事をクビにされてしまうからと。おかげで母はとても情報通でした」

 懐かしそうにロクサーナは言った。

「わたしが、王宮ではなく国軍に就職しようと思ったきっかけでもあります。……王宮の女官て、耳聡いだけではなくて、動きも機敏で……」

 ああ、なるほど。ロクサーナ、運動オンチだからね……。それに噂に強くもない。王宮内で女官を志願するよりも治療師になったのはそれが理由だったのね。

「彼女たちも常に噂に心を砕いているのですね……」

 ロクサーナはしみじみと言ったけど。

「いやあ、今の三人は、純粋に噂話が楽しそうだったから、いいんじゃないかしらね」

 人には向き不向きがあるってことだろう。

 

 

 ロクサーナと一緒に、庭園を抜けようとした時である。急ぎ足で建物に向かう男の人とすれ違った。

 どこかで見覚えがある、と一瞬思った私よりも先に、ロクサーナが目を丸くした。

「サンジャル様……お急ぎでどうしたのでしょう?」

 30歳前後の、まだ若々しい風貌。よく思い出してみれば、以前ファルを迎えに来た男の人だ。

 王位継承権を持つという一人。

 彼は通りすがった私たちには特に気づかず、そのまま建物内へと入っていった。

 

「ロクサーナ、知ってるの?」

「先ほど噂話にもありましたでしょう?王弟サンジャル様。年の差こそあれ、国王様とも仲の良いご兄弟ですよ。王宮の一角の館をお持ちでいらして。普段はそちらに住んでいらっしゃいます」

「……もしかして、知らない方が、おかしいとか?」

「いえ、サンジャル様は大臣職などに就いてはおられませんから。あくまで国王陛下のサポートをされている方ですし、あまり街中では知られてませんしね。王宮内では、有名人です。王位継承権をお持ちで、独身で、あの通り見目も良い方ですから……」

 ロクサーナはまたもや気の毒そうな表情を浮かべた。

「王位継承問題になるのを避けるために、ご自分は結婚も考えていないという方です。国王様は、さすがにそれは気の毒だから結婚はしたらどうかと提案しているそうですけど、そうなると相手のご実家なども気にしないといけなくなるでしょう?それで機会を逃しているという噂なのですけど。母が昔聞き込んできた噂によりますと、バハール様との仲が囁かれていたのですが、ダーラー様が反対されたのでうまくいかなくなってしまったとか……」

「ロクサーナ」

 私は短く言った。

「十分、王宮内で生きていけるだけの噂好きだと思うわ」

 ロクサーナは頬を赤らめた。彼女は人の悪口は嫌いだが、色恋沙汰は大好きなのである。


 庭園では、音楽隊がまだ練習中だった。

 先ほどは男女混合だったけど、今は女性のみ。皆、華やかな衣装を身に着けている。当日もこの服装をするんだろうか。

 下はたっぷりとしたデザインのズボンの形をした服で、同色の上着の上に別色の、細かい刺繍の縁取りが施された長い上着を重ねている。男物と違うのはまずその素材。薄いヴェールみたいな布を重ねたカラフルな衣装は見ていて楽しくなってしまう。彼女たち一人一人が花のようだといったらイメージが伝わるだろうか?

 皆、日除けのための頭帯をしているけど、それだってシャラシャラした金属の飾りがついたもの。王女相手に披露となると、こんなところにも気合が入るんだろう。気に入ってもらえるといいなー。

「あら、お二人も聴いていかれます?」

 ぎゃー、綺麗なおねーさんに声をかけられた。

 メンバー中、一番豪華と思われる衣装を身に着けた女性である。年齢は30歳前後。若々しさはないが、その分熟した色気があって美しい女性だ。目元のホクロがまたひときわ色っぽい。マジマジ見過ぎていたんだろう。私が狼狽していると、ロクサーナがにこりと微笑んだ。

「もし、ご迷惑でなかったらお願いしてもよろしいでしょうか?当日は、私たちは用事が終わればすぐに退散いたしますので」

「大歓迎よ。ねえ、みなさん?」

 女性は仲間にそう言って声をかけ、それから再び調弦に入った。

「わたくしは、音楽は、誰かに聴いていただけた方がより良い音が出ると思うの。そうは思わなくて?」

 そんな高尚なことは考えたことがないです。

「すみません、私は、聴くのは好きなんですが、演奏の方はからきしでして……」

 申し訳ない気分になりながら、私とロクサーナは邪魔にならないところまで下った。

「あら、二人とも?では歌はどうかしら」

 ロクサーナがちらりと私を見たけど、私が得意とするのはデタラメおとぎ話。そんなものをこの身分が高そうな女性の前で歌えるものか。

「お披露目できるようなレベルでは……。それより皆さんは、宮廷楽師の方ですか?」

 私の質問に、彼女たちはふふっと笑みをこぼした。

「だとしたら面白いわね」

 何やら含みのある言葉で言って、彼女たちは楽を奏ではじめた。


 音楽も見事なんだけど、それよりも美しい女性が並んでるってことが目の保養である。

 国王の後宮ってこんなだろうか?なんか居心地悪いような、すごく良いような、不思議な気持ちだ。

 ずらっと並ぶ楽器も、各々が違う音色を奏でていて素晴らしい。うっとりと聴いていると、さっきの女性が歌いはじめた。

 真昼間から聴くには少し雰囲気が合わないが、どうやら恋唄らしい。


『月夜の晩に出会った男女。

 オアシスの水辺だけで逢える恋人。

 夜が明けてしまえば姿はそこになく、ただ花の香だけが残っている。

 あの人はどの誰なのか。月が人の姿をして現れたのだろうか』


 歌いながら、女性はハラハラと涙を流した。切ない恋物語に陶酔してしまったのだろう。

 ストーリーがあるようでないような恋唄だったが、どうやら男は月の化身、女は花の化身である。オアシスの水に映りこむ時だけ、二人は寄り添うことができる。

 夜にだけ逢える二人は、やがて離れ離れになる。お互いを想いながらも住む世界が違うのだ。


 最後まで聴き終わった私とロクサーナは、互いに拍手喝采した。音もさることながら、女性の声がいい。情感たっぷり。

「素敵でした……!わたしも、こんな恋をしてみたいです」

 ロクサーナは頬を赤く染めて言ったが、私は少しだけ困った顔を向けた。

「でも、あの、今の唄も王女様の前でご披露されるのです?」

 これ、両思いだけど悲恋だよね?気にしないかな?大丈夫かな。しょせん歌だし、深読みせずに楽しんでくれるならいいんだけど。

 女性は涙で濡れた頬を布で隠した後、くすっと微笑んだ。

「たくさんの唄を披露する予定だから、気にされないと思いますわ。だって考えてもみて?この世に成就する恋物語がどれほどありますかしら。この世には男と女しかいないのに、お互いの運命の相手に出会える人は一握り。どれほど熱く焦がれても、空回りする恋がどれほどあるものか。それに、幸せな恋物語なんて歌で聴いても面白くないでしょう」

 女性はふふっと笑みを浮かべたまま、「だけど」と続けた。

「誤解はなさらないでね。王女様とファルザード様がうまくいけばいいと、わたくしは心から思っているのよ。年齢も身分もちょうどいい組み合わせですし、次代の王室が不仲では国の乱れの元ですもの」

 ねえみなさん、と彼女は言って、楽器を演奏していた女性たちはくすくすと笑った。

 その言葉に含まれた意味に気づいて、私は驚いた。

 ロクサーナの方を見やり、確認をとる。

「ねえ、もしかして……?」

「そうですよ?気づいておられませんでした?」

 この女性はバハール様。

 シャーロフ大臣の末の姫で、王子ファルザードの婚約者候補だった女性で、帝国王女出迎えのための準備責任者となっている人物だ。

 バハール様は弾き語りを終えた楽器を膝の上に置き、私に向けて目を細めた。

「王女様が我が国の後宮の主として相応しいお方かどうか、それは女の目からしか分からないことですわ。ファルザード様との仲が一番重要だとはいえ、身分は王女。仮に二人の間が不仲となった場合にも軽んじることはできません。逆を言えば、他国の王女である以上、相応しからぬ場合は受け入れ自体を拒否することが可能です。これが国内の女性では、国王の狙いを退けることなどできませんものね?」

「あ、あの……。王女様を王妃様に、というのは、国王様のご意向なんじゃありませんでしたっけ?」

 一国の主の決定を、一介の女たちがどうこうできるものだろうか。

 そう思いながら見つめた私の視線の先で、バハール様は色っぽく笑った。

「ええ、もちろん。けれど、ファルザード様がお断りになる分には、成立しませんもの。あなたがたも王女様と直接接する機会があるのでしょう?どうかお気にかけてくださいませ?」

 思わず顔が引きつった。

 どうやら帝国王女を出迎えるこの建物は、同時に帝国王女を見張る檻であるらしい。


 バハール様は優しくて大らかな方だっていう評価はどこへ行った。

 彼女は今、『わたくしたちが気に入らない女性なら、王子はお気に召さないようだと報告する』と暗に告げたのである。


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