第六話 ベフルーズ商会
さてさて、困った。
さまざまな憶測が飛んだところで、あくまで全ては憶測だ。荷物の中身が分からない以上、誰が犯人か、何を狙ってるのかも分からない。
そんなわけで、私たちがした行動とは何かと言うと。
荷物は厳重管理のまま、シャーロフ大臣の元へたどり着くかどうかを追うことになった。
そもそもの大前提として、この荷物は商人ベフルーズが購入したものだ。彼が、売る予定だった先が大臣という保証がない。
船主の荷物に調査が入った件を、船主からベフルーズに報告させる。その場にアラム先輩が同行し、件の品について詰問を行う。仮に売り先が大臣であったら(大臣でなくてもするつもりだと思うけど)さらにその先の売却について口出ししようというわけだ。うむ、港湾課調査官の権限を完全に逸脱してると思うんだけど、アラム先輩、大丈夫なのか?
「それじゃあ、ラーダ。俺とファルは行ってくる。見張りは頼んだ」
「……アラム、彼女一人に見張りをさせる気なのか?先ほどのように盗賊が来たらどうする気だ」
「そうですよ。ぜひとも追加人員をください。荒事はできませんってば」
私の要請はスルーして、アラム先輩はファルを見やった。
「なら、ファルはここに残る?」
「それは……」
一瞬、ファルが迷うのを見て、聞いた本人のくせにアラム先輩はダメ出しを加えた。
「ダーメダメ。残ったところで意味がないから却下だ。ラーダのボディガードにしかならないだろ。それより、王子ってのを利用して、ベフルーズが難癖つけてくるようならゴリ押しできるよう俺をフォローして欲しいね」
「……」
ファルはなおも心配そうにしていたが、諦めたようだった。人間の身体は一つしかないので、常に選択しないといけないのは確かだ。
「ラーダは大丈夫だよ」
ニヤッと笑いながら、アラム先輩はピッと指を立てて片目を閉じた。
「港湾課一番の犯罪者ホイホイだからな」
「先輩、それは次から次へと犯罪者に遭遇するって意味であって、荒事対処はいつも別の人が担当してるんですけどもー」
私が言うと、ファルはますます心配そうな表情を浮かべた。
「分かった分かった、後で応援をやればいいんだろ?」
「よろしくお願いしますよー」
そうやって、ひらひらと手を振って見送ったのはたぶん十分前である。
「どうしてあなたが来るかなあ?」
「それはこちらのセリフだ」
予想に違わず、見張りの少なかった船には盗賊さんが現れた。事前情報に寄れば30人規模の盗賊団が解散したわけだから、そのくらいの数はあり得るのだ。港湾課の仕事は常に船を狙う盗賊さんとの戦いでもあるのである。少し港から離しておいたんだけどなー。小舟を使って、裏から回り込もうとした人物が二人。
問題は、その盗賊さんがつい先日遭遇した密航者……つまり、ランプを狙っていた男、キルスだったということである。
船内に侵入を図ったところを、ランプ(通常用であり、以前発見されたものではないよ)を突きつけ誰何してみたところ見覚えのある顔だった。一方は海の男風の恰好をした壮年の男で、口ひげのせいで人相がよく分からない。もう一方が彼だ。
「あなたはイロイロ尋問するって話になってませんでしたっけ?」
「ああ。散々な目に遭わされた。アラムとか言ったか?涼しげな顔をして相当な嗜虐趣味だな」
「あらまあ、ご愁傷様……。つまり、洗いざらい話したので解放されたと?病気の件があったのに、ロクサーナがよく許可しましたね」
「知り合いに会いに行くと言ったら、あっさり認めてくれたんでな」
「……」
ロクサーナぁあ……。
私は思わず天井を仰ぎ、ふうと息を吐いた。彼女らしいと言えばそうなのだが、そこは認めてはいけない。
特にこのキルスについては、外に出るたびに余罪が増えているではないか。
「で、そちらがお知り合いですか。確かにあなた、密航者だけど盗人としてはまだ釈放余地がありましたよね。でも今回のケースで台無しですよ?」
私が指摘すると、男は嫌な顔をした。
「その前に帝国に帰ってしまえばいい」
「ランプは諦めたんですか?」
「病を治す方が先だ」
「……ふむ?ロクサーナの診断が信じられないと?」
「女の言うことなどアテになるか」
キルスは苦い表情を浮かべた。
ロクサーナの診断を信じられるなら安心できるんだろうが、帝国出身であってもまだまだ女は信用されないんだろうか。
それともロクサーナのおっとり加減がイマイチ不安だということだろうか。
そこに、もう一人の壮年の男が口を挟んだ。
「おいおいおい、二人で話して満足してんじゃねえぞ。こいつは港湾課の女だろう。子分どもが捕まって手が足りてねえんだ、さっさと仕事をするぞ」
「あ、ああ」
「情報に寄りゃあ、この船には一財産になる宝が運ばれてきたはずなんだ。港湾課どもが揉めてたっつーことは、それなりにヤバイ代物がな」
「ちょっと待ちなさい。目の前に私がいて、それを言いますか」
「女一人に何ができる?」
壮年の男の言葉に、私は思わず呆れた。
港湾課で働きはじめて一年ほど経つが、毎度毎度飽きないんだろうかというほど、このフレーズを出してくる人がいる。
最初はちょっと悔しかった。護身術程度の技はあるけど、相手を斬りつけたりするような技術の習得はしていない上、力で圧倒的に劣る女の身では、確かに『女一人では何もできない』と言われても仕方がないところがあるからだ。
しかし。
私が動じる気配がないのに、キルスが少し不安そうな顔をした。
「アラムとやらが連れを連れて船を離れたのは確認している。ここから事務所に向かうのに十分はかかるからな、急いだところで戻ってこない。なのに、なぜそう堂々としていられる?」
どうやら、盗みは壮年の男、妨害排除はキルスという役割分担だったらしい。キルスは抜いた短剣を手に私を見やった。今度こそは捕まった時点での武装解除をしてるはずなので、壮年の男あたりから入手したのかもしれない。
「そうですねえ……」
ランプを床に置き、私はしゅるりと腰飾りを紐解いた。
金属の印のついたそれを掲げて見せながら、私はにこりと笑みを浮かべる。
「私は、エラン王国国家治安維持部隊、港湾課のラーダです。まだ船倉を荒らしたわけではありませんが、他人の船に乗り込んできた時点で、現行犯ですから。二人まとめて捕まっていただきましょう」
「キルス!そいつは任せるぞ!どうせ帝国に向かうんだ、殺してしまっても構わん!」
壮年の男から檄が飛ぶ。
キルスは一瞬だけ嫌な顔をした。だが、断る気はなかったらしい。
「ロクサーナとやらは泣くだろうが、ここで遭ったのがおまえの不運だ、諦めろ」
短剣を手に、じりじりっと近づいてくる。
「言っておきますが、殺人犯でしたら国外であっても追及の手は伸びますからね」
私の言葉を、キルスは聞かなかったことにしたらしい。さらに距離を詰めようとするのを見て、私はランプの位置を一度確認するべく視線を落とした。
勝機と見たキルスが一気呵成に飛び掛かろうとした瞬間、バックステップで距離をとる。
「キルスさんと、話しからすると盗賊三人組の親分さんですね。もしかして『東のカシム』ってあなたですか?」
親分さんの反応は、ない。
「いくつか、疑問にお答えします」
私は挑発するように声を高くしながらアラム先輩がよくするような笑みを浮かべた。
彼のニヤニヤした笑みは、出会った当初はあまり印象が良くなかった。
ところが知り合ってしばらく経って分かったのだ。これは、港湾課の調査官を舐めてかかる盗賊たちに対する武器の一つなのだ。『不敵な笑み』というやつである。『おまえらなんて敵じゃないぜ』という挑発の笑い方だ。アラム先輩のそれは頻発しすぎて成功しているとは言い難いけど。
じりじりと後ろに下がりながら、今度はキルスから視線を外さない。
彼はどうやら話を聞く気があるらしい。短剣の先がほんのわずか下がった。
「まず、なぜ私が一人でここに残っているのか。それはもちろん、見張りのためですが……」
チラ、と視線は壮年の男へと向いた。
船倉に向かってまっしぐらに駆けていく男の背は、さすがに海の男のそれである。陸で盗賊をする前は海で海賊をしていた可能性があるだろう。口ひげがむさくるしくて顔がよく分からなかったが、剃ってみたら意外とワイルドガイである可能性もある。
「三人組が言いました。『親分』って言葉を。ですからねー、彼らの親分とやらがすぐ近くで様子を見ていた可能性があると思ってたんですよ」
予想通りですね、と私は言って、キルスへと視線を戻した。
「もう一つ。なぜ、私が一人なのかと言えば、それはもう、あなたはご存じだったはずです」
船の外から聞こえる雑踏。船倉に駆けこもうとした壮年の男はまだ気づいていないはずだ。
「女を一人置いておくと、ビックリするほど効果的な餌になるので。先輩は味をしめてるんですよね」
他の釣りの方法も覚えて欲しいもんだけど。
私の鼻には随分と前から、船を囲んで息を殺している人の臭いが海風に混じって届いていた。
「先輩もファルも、まだ事務所には向かってませんでした。三人組を事務所に届けた時点で、先輩はすでに応援を呼んでましたので。『東のカシム』一味が街に入り込んでいるって情報がありましたので、もともと港湾課一同警戒態勢にしていたんですよ」
足音が近づいてくる。
キルスは焦ったように顔を上げた。短剣一つで対応できるのは、せいぜい数人。駆けてくる足音が何人によるものなのか、彼には分かるまい。
ニヤーッと、今度こそはアラム先輩に似ているだろうと思われる笑みを浮かべて、私は腰飾りをブンブンと振り回した。金属の印を錘にしたそれが、簡易な武器になるってことは、港湾課の多くは知らない。キルスがこちらの意図に気づく前に、彼の手元に思いきりぶつける。ゴロロロっと短剣が転がって行くのを見やり、それがランプに当たらなかったことにホッとした。船内で火災は起こしたくない。
「さて、強制武装解除と参りましたが、どうします?あなたは病気を気に病むあまりに、知り合いの甘言に騙されたってことで、口利きしてあげてもいいですけど?」
私の親切心から来る言葉は、キルスには届かなかったようだ。
「女のくせに……」
「それは、褒め言葉と受け取ります」
私は晴れやかに笑った。
女のくせに生意気?それはつまり、男に負けてないって意味に受け取れる。
キルスが心から観念したかどうかは分からない。甲板から駆け下りてきた応援部隊の一部によって彼は三度捕獲されたからだ。応援部隊はさらに船倉へと駆けて行き、親分さんを捕縛した。
もちろん、船倉には鍵をかけてあった。親分さんが鍵開けの技術を持っていようと、この短時間で船倉の鍵を開けて、かつ金属の箱を開封するなどできっこない。乱暴に船倉の扉を蹴破る可能性だってないわけじゃなかったけど、そこはそれ、ラッキーな方に転んでくれた。
「ふー」
再び腰飾りを腰に巻きつけ、しっかりと結びつける。
てか、せっかく新品一式にしてもらったのに、帝国王女に会う前に汚しちゃってるわ。どうしよう。布が切れなかったのは幸いだけど、こりゃ念入りに洗っておかないとマズイ。
「これが、彼女は大丈夫だという、言葉の根拠か?」
いつからそこにいたのか、ファルがアラム先輩に尋ねた。
応援部隊に混じっていたんだろう。盗賊が二人きりだったので、出番じゃないとでも思ってたんだろうか。
「まあね。女一人に何ができるって言われちまうのは仕方がない。ってことは単純に、ラーダは一人にしなきゃいいんだ」
「……何度か危険だったこともあっただろう」
「けど、それはキミがいたから回避できたしね」
しれっとした顔でアラム先輩は言い、私へ「ご苦労さん」とばかりにニヤニヤした笑みを浮かべた。
「港湾課が誇る犯罪者ホイホイ、ラーダの武器は、その男勝りの運動神経と腰飾り。そしてどんな状況下でも引かないクソ度胸ってことだ」
「先輩、それはあまり褒められた気がしません」
私は冷静に返したけど、アラム先輩は楽しそうな顔でファルを見やった。
「どうだった?キミが思うほど、彼女は非力な存在か?」
「……いや」
ファルは感心したように首を振り、それから口元に笑みを浮かべた。
「女性にも、これほどたくましい人材がいるとはと、感服している。部署移動してはどうかと提案したことは、詫びよう」
「たくましいは褒め言葉ですかね?」
私が言うと、彼は笑った。
「『女のくせに』よりはよっぽどな」
□ ◆ □
商人ベフルーズは、商会を運営するような大商人だったらしい。
そもそも王宮にも出入りするような商人は、その素行だとか商売内容だとかいったものを検査されるものらしい。大商会ほど細部まで教育を行き届かせようとする。港でイチイチ目をつけられるような商売をしていては、商品が傷んでしまったりするからだろう。
その彼が、事前に港湾課に連絡も寄こさず、不死鳥の雛を買い付けたというのがそもそも奇妙だ。
「ご主人様は、不在でして……」
船主を案内人にして、アラム先輩とファル、そして私の三人で押しかけた商会は、なんとまさかの不在という肩透かしにあった。
入り口で対応してくれたのは、召使いらしい恰好をした男の人である。
「そ、そんな馬鹿な。この荷物はベフルーズ様が買い付けたというので、わざわざ海の向こうから運んできたんですよ?」
船主が泣きそうな顔をして召使いらしい人物へと訴えた。
「商品の詳細につきましてはご主人様でないと分かりかねます」
「せめて代理の方は!」
船主の言葉に、召使いは気の毒に思ったのだろう。あるいは港湾課の制服を着た人間を二人も連れているのが面倒だと思ったのかもしれない。
「では、奥様よりお話を伺ってください」
そう言って、私たち三人と船主は、ベフルーズ商会の応接間のような部屋に通された。
商人ベフルーズの奥様というのは、背の低い華奢な感じの女性だった。
さすがに大商人の奥様である。いい服を着ている。首元を飾る宝石は、ペテルセア帝国産の首飾りだろうし、サラサラと肌触りの良さそうな布は、東の国から運んできたという絹だろう。貴婦人らしくヴェールで顔を隠すという上品さまで見せてくれた。これは貞淑さの証と言われてるんだけど、実際のところは半分はオシャレな日除けである。
年齢は40歳前後だろう。化粧と衣装によって若々しく見えるし、何よりもスラッと姿勢がよく堂々としているため、実際よりも大きく見える。凄みのある美人といった感じ。
「ベフルーズの妻、スーリと申します」
彼女は、ファルの姿を見ると目を細めた。
「まあ、王子様ではございませんか。後宮の皆様が、滅多に足を運ばなくなったと寂しがっておいでですよ」
「オ……、いや、私を知っているのか」
「夫の代理として、後宮へ商品を運びます折にお顔を拝見させていただくことがございましたので」
にこりとスーリさんは微笑んだ。
「港湾課の皆様がお揃いで、何の御用でしょう。夫の商品に、何か不具合でも?」
アラム先輩は彼女の態度に感心したようだった。
「いや、代理と聞いてけんもほろろな態度の人が出てきたらと心配していたんだが、杞憂に終わりそうだ。助かるよ」
ニヤッと彼は笑った。
船主は横でビクビクとしながらアラム先輩の様子を伺っていた。先輩が荒っぽい態度をとって、今後の取引が打ち切られでもしたらと心配しているのかもしれない。
「実は、こちらの船主が、ベフルーズ殿の依頼という形で運んできた商品が、いささか問題があるかもしれないんだ。そこで売り先について知りたくてね。勝手に荷物を開けて調べてもいいんだが、商品は、商人にとっては命と同然だろう。そこらへんを荷主と話を詰めておきたい」
アラム先輩の言葉に、スーリさんは眉を寄せた。
「状況が分かりかねますが。その商品とは?」
「不死鳥の雛」
アラム先輩の言葉に、彼女は目を大きく見開いた。
「不死鳥とは……。伝説にある?いくつもの呼び名のある巨大な鳥のことでしょうか?」
「ああ、そうだ。炎で出来ているという鳥のことだ。伝説によれば、西の大帝国が滅んだ際、王はその背に乗って海の向こうへと行ったとか……」
答えたのはファルである。
「まあ……。まあ、まあ、まあ」
手の甲を口元に当て、コロコロと笑いながらスーリさんは言う。
「ご冗談がお上手ね。そのような商品を、夫が仕入れたとでもおっしゃるの?せいぜいそれを模した彫像とかではなくて?」
「そ、そんな!?」
船主は慌てた。
「お、お待ちください。私は確かにペテルセア帝国の港でベフルーズ商会の代理人だと名乗る男から荷物を預かったんです。ほら、ここに証文つきの割符もあります。中身は炎の塊だから、決して、決して中を開封してはならないと忠告されてましたので、港湾課の要請にもこの証文と荷物を差し出すことだけはずっと断っておりました!ベフルーズ商会との取引ははじめてでしたけど、私も港じゃ誠実な人柄で知られた船商人です。決してウソじゃありません!」
船主は焦りながら懐から薄い焼き物のようなものを取り出した。度重なる港湾課の事情聴取の間もずっと手放さなかったんだろう。
「失礼。拝見してもよろしい?」
スーリさんの言葉にうなずいて、船主は証文を差し出した。
「確かにサインは、ベフルーズ商会のものに似ている……」
スーリさんは眉を寄せたまま、証文の表面を指で撫でた。
「その代理人、なんという名前でした?」
「え。ええと。ルーズベフと名乗ってましたけど……」
スーリさんは表情を変えた。眉根を吊り上げて怒りを露にする。間近でそれを見た船主が、「ヒッ」と悲鳴を上げて数歩下がった。しどろもどろで言い訳をする。
「ベ、ベフルーズ商会の代理人ですから、わざとそういう名前を名乗るのかとばかり……」
「馬鹿をおっしゃい!」
ガシャン!!とスーリさんは焼き物を地面に投げつけて叩き割った。
「ひぃぃいいい!?あなた、なんてことを!?」
「アタクシの前で偽者の証文になんの価値があります?ルーズベフ!あの男、商会を追い出してなお悪事を働く気ですか。やはり首を捻りきってやればよかった!」
ワナワナと震えながら、スーリさんは召使いを呼んだ。
「夫を連れてきなさい!それと、ここ数ヶ月の間に発行した証文の控えを全部運んで来なさいとね。サインだけして取引に使う予定だった証文が盗まれている可能性があります。だから横着せずに取引後にサインを行えと口を酸っぱくして言っているのに……っ!取引はスピード命だなどと調子のいいことばかり言って!」
「は、はい、奥様。ただ今!」
召使いたちは大慌てで部屋を出て行く。
その慌しい様子に、アラム先輩はまたもや感心したようにため息をついた。
「スーリさん、あなたは旦那の商売を全部把握してるわけか?」
「まあ」
目は笑っていない。口元だけコロコロとした笑みを浮かべながらスーリさんは答えた。
「それは正しくありません。ベフルーズ商会は、正確にはアタクシの商会。エラン王国では女性が表に出ては商売がしづらいですので。名義人として夫の名前を使っているだけです」
「……そ、そうだったのか」
ファルが圧倒されたように声を漏らした。
「それに、気性の激しめなアタクシよりも、穏やかな性格の夫の方が向いている取引相手も多いものですから。アタクシは主に商品管理が担当。後宮の皆様のお望みになるような華やかな品を仕入れてくるのも、男の目よりも女の目の方がより好みに合うものを探すことができますからね」
「わ、私は、どうなるんでしょう……?」
割れた証文を泣きそうな顔をして見下ろす船主に、彼女は微笑んだ。
「今回の件で、あなたが大変正直な船商人だということはよく理解できました。それに、仮にサインが盗まれていたとすれば、あなたは純粋な被害者です。商会としても、このような不名誉なことで信用を落としたくありませんし……。もし、ベフルーズの商会長が実はこのアタクシだと公言しないと誓えるのでしたら、今後は本物のベフルーズ商会と取引していけばよろしいのではありません?メインはその鳥の雛だとしても、他の商品も一緒に運んできたのでしょう。船を動かしただけの代金は充分取り返しができるはずでしてよ」
「……!スーリ様!」
「アタクシのことは奥様とおっしゃい。商会で、アタクシの名を触れ回ってもらっては困りますから」
船主は、ベフルーズ商会との取引は今回がはじめてだと言っていた。ということは、偽サインによる被害は今回がはじめてだろう。ベフルーズ商会はエラン王国でも大きな商会みたいなので、これはラッキーな展開と言える。最初の不運も取り返しがきくかもしれない。
「はぁ……。未来のレイリーを見ているようだわ」
私は感心して思わず声を漏らした。
数字に強い彼女なら、ペテルセア帝国できっと成功して帰ってくる。それは、スーリさんみたいな商人かもしれないな。夫を隠れ蓑に使えるあたり、スーリさんの方がしたたかそうだけど。
「話がだいたいまとまったところで、この証文は証拠品としてこっちで預からせてもらおう」
アラム先輩が口を挟む。
「ベフルーズ商会が知らないってことは、船主さんよ、あなたの取引相手は向こうから近づいてくる約束だったんだろう?それは、いつだ?」
「え?」
「ベフルーズ商会に荷物を運び入れても、同じことになると犯人は分かってたはずだ。なら、あなたがそれをする前に、向こうから接触があったはず。こちらで代理人と会う約束はどうなってた?」
「え、ええと……」
船主は困った顔をした。
「それは、何も。だから私も荷物のチェックが終わったら、ベフルーズ商会に運び入れるつもりでしたし」
港に到着して港湾課のチェックが入ったのは本日のことである。
同日中に二回も盗賊が入ろうとするなど、船主さん、今日はとことん運のない一日だ。
「……あの盗賊連中、もしかして『東のカシム』じゃなくてルーズベフとやらの手下か?」
アラム先輩はそれに思い当たって顔をしかめた。
「親分さんたちですか?けど、彼らは荷物を盗ったらそのまま船で帝国に向かうつもりーみたいなことを言ってましたよ。早く帝国に帰りたかったキルスさんも、だからこそ彼らを頼ったんでしょうし」
「それも、そうか。なら別の……」
アラム先輩が迷いはじめたところで、ファルが割り込んできた。
「すまない。オレからも推測を述べていいか」
ファルはファルなりに状況をずっと考えていたんだろう。
「王宮で、オレは確かにシャーロフが不死鳥を購入したらしいという噂を聞かされたんだ。だから、調べるならシャーロフの周りからの方が良いかもしれない。誰かが、シャーロフに不死鳥の話題を吹き込んでるはずだ。
おそらく、その犯人は、最初は向こうから船主さんに接触をとるつもりがあったんだろう。だが、何度も盗賊が狙ってくるし、オレは港をウロウロしているしで、近づくのを取りやめたという可能性はないか?不死鳥の雛がいくらになる予定だったのかは知らないが、自分が捕まりそうな状況なら、プラン変更をしたとしてもおかしくはない」
ファルの推測に、アラム先輩は「ほ~」と感心した声を出した。
たぶん、これまであまりファルの頭のキレには期待していなかったんだと思う。大人が子供に感心するような声を聞いて、ファルが少々不機嫌そうに眉根を寄せた。
「確かにな。高額になりそうな飯の種なら、庶民派の犯罪者は諦めない。執拗に狙って、結局尻尾を出すものだ。けど、貴族を相手にしてるような犯罪者なら、勿体無くてもあっさり諦めて次のプランに移るかもしれないな。……勿体無いけどなあ」
「アラム先輩、感心している余裕はないかもしれませんよ」
私は言った。
「もう、夜です。明日の朝になれば次の船が来る。私もアラム先輩も、荷物チェックのノルマに戻らなくちゃいけません。この件の調査は、そこまで時間をかけられないんです」
世知辛い世の中だが、それが実態だ。これが、犯罪調査を専門にしているとかだったら違うんだろうけど、私たちの職務は、あくまで港湾課の調査官。
「あー、そっか。そうだなー。下っ端は辛いな」
アラム先輩は残念そうにため息をついた。
「不死鳥の雛は、荷物ごと回収して港湾課で保管するか。この件についての調査はまた後日再開ってことで……。船主さん、あんたもそれでいいだろう?船の上に載せたままだと、いつまでも船を動かせないもんな」
「は、はい」
縮こまりながら、船主がうなずく。それを見てスーリさんが声をかけた。
「このまま帝国に戻るのです?」
「あ、いえ、数日は運んできた他の商品のために取引を……」
「でしたら、帝国に戻る際にこちらに声かけなさいな。帝国に運びたい商品があれば、それを預かっていただくのも悪くないでしょう。最初の取引ですから、まずはお試しとしてね」
「は、はい!」
スーリさんの微笑みに、船主は感動したように目を輝かせる。
そのまま取引のために話があるという船主を置いて、私たち三人はベフルーズ商会を後にすることにした。
もうすっかり夜だ。
明るい月が街を照らしている。建物のせいで闇に沈んでいるところも、ところどころにあるランプの灯りで赤く彩られている。
どこからか音楽が聴こえていた。おそらく夜通しやっている店が、窓を開け放っているのだろう。
「アラム」
スーリさんや他の召使いたちの目が届かない場所に来た時である。
ファルが口を開いた。
「この件は、この先はオレにやらせてくれ。シャーロフの側から探ってみる。それまで、荷物の方は開封せずに置いておいて欲しい」
硬い声でそう言うのへ、思わず口を挟む。
「大丈夫なんですか?先輩の推測じゃあ、この件はむしろ、王子を罠に嵌めるために用意されているんじゃ」
「罠であろうと、危険かもしれない荷物を放置しておくのは嫌だ」
ファルの理屈は、我が侭な子供のようだった。
「……オレは、頼りない王子なんだろう。サンジャルが後援に回ってくれなければ、次期王位を望むことができるような素質はないのだと思う。役人には向いているが王向きではないと言われたことも、一度や二度じゃない」
ぽつりと弱音を吐くようにファルは呟いて、私を見た。
「だが、エランの国が乱れるのは嫌なんだ。……おかしいと思うか?」
私はその真剣で真面目な眼差しを見て、なんだか少しおかしくなった。
「どうして笑う?」
「いえいえ」
どうやら笑っていたらしい。いや、すまない。
口元の笑みを隠そうとせずに私は言った。
「自分の国が荒れて、嬉しいと思う人間はいませんよ。すごく、当たり前のことです。皆それぞれの立場で出来る限りのことをして、それを防ごうとするんじゃないですかね」
「そうそう。特に俺やラーダは国家治安維持部隊だ。あんまり当然のこと言われると思わず笑っちまうぞ」
「そうか、そうだな……」
感じ入るような声で、ファルは言った。真面目っ子は悩み方も真面目だな。
重苦しい沈黙が嫌だったのか、先輩はからかうような声で続ける。
「今日はいい月夜だろう」
「は?……ああ、そうだな。雲一つない……」
ニヤッと、先輩は笑った。
「だからって、月に浮かされるのは止めてくれな。そこはちょっと、兄貴分としてはいただけない」
「え?」
目を丸くしたファルに、アラム先輩は肩をすくめた。