第四話 旅商人の情報
翌日、私は港湾課で身体検査を受けた。
再度捕まった密航者、キルスの病気が感染していないかどうかの確認だ。こんな名前だったらしい。
ロクサーナの診断によれば、私も港湾課の他のメンバーも感染はしていないということだった。昨日から治療続きでロクに眠っていないらしく、ロクサーナの目の下には隈があった。せっかくの美人が勿体無い。
キルスには、イロイロと事情を聞きだすべく、専門の調査官が向かっているらしい。ご愁傷様である。今のところ密航はしたが盗み被害を出していないということで船主との間に示談が成り立つ様子だ。麦袋の破損を働いて返せば、盗賊扱いはしないってことらしい。
「今日も、晴れ!太陽がジリジリといい仕事してるわ」
残念なことに、私はハズレの日だったのだ。身体検査を受けた後に現場に向かった私が待っていたのは、航海には良いけど港湾課では歓迎されない炎天下。頭に巻いた頭帯では足りず、もう一枚ヴェールをかぶってやろうかと思うくらいである。視界が悪くなるのでやらないけど。港を往来する海の男たちもどことなく茹だった顔をしている。
「ハイ、問題ありません。お疲れ様」
私が船を一つチェックし終えると、船主がホッとした顔をした。書類に簡単にサインをして、これで終了。さっそく荷物の運びだしにかかる。従業員へと指示を出す様子を見守りながら、では次の船を、と私は視線を巡らせた。
「よう、ラーダ!暑そうだなっ」
最初、声をかけてきたのが誰だか分からなかった。
振り返ろうとした私の元に果物が一つ飛んでくる。ダイレクトキャッチをしてその赤い果実に目を丸くしている私を、楽しそうな笑みで見やりながら、その男はやってきた。
「少しは成長したか?ん?」
旅装束の商人風の男だった。頭に白い布をかぶり、紐で結んでいるらしい。長い外套も白で、その下に着ている服は赤みの強い茶だ。
口ひげを生やした顔は男前で、黒々と日に焼けている。服越しにも体格がいいことが分かる。
「オイオイ、俺様が分からないなんて言うなよ?おまえの愛しい旦那様じゃねえか」
私には旦那はいた覚えはないんだけど、と思ったところで正体に気づいた。
「シャハーブ!?」
「様をつけろよ、ん?」
「つけませんよ、わざわざ。アラム先輩が嫌な顔をするのが楽しいからって私を使わないでください」
私が言うと、彼は「ははははは!」と愉快そうな笑いを浮かべた。
「あいつは元気か?相変わらず女にフラれてるんだろうなあ?」
「相変わらずかどうかは分かりませんが、まだ結婚はしてませんね」
私がうなずくと、彼は後ろに控えていた荷物を一瞥してから言った。
「後で事務所の方に寄るって伝えておいてくれ。俺様はこの荷物をいったん捌いてこなきゃならん」
彼がそう言って示したのは、一頭の馬の背にくくりつけられた絨毯。それと、後ろに続いているのは何頭ものラクダのようだ。どれも血色が良い顔をしていて、元気そうである。
「ラクダまで扱うようになったんですか?以前は塩じゃありませんでした?」
「それはそれ、時勢に合わせて動くのが賢い商人てもんだ。特に俺様みたいな特定のルートを持ち合わせてないやつはな」
「しかし、ラクダならもう少し西に行けば……」
「いーや、こいつらを売るならこの街しかありえない」
フフン、とシャハーブは笑った。
「いいラクダを必要としているはずじゃねえか?それこそ、王族が背に乗っても不足のないようなやつをな」
そう言って、彼は王宮のある方へと進んでいく。
「あ、シャハーブ!この果物はいただいちゃっていいんですか?」
「おう。俺様は女に贈った物を突っ返された記憶はねえな!」
ひらひらと手を振ったシャハーブの後姿を見ながら、私は果物をかじった。さすがの目利きである。ほどよく甘くてよく熟していて食べごろだ。じゅわっと果実の汁が渇いた喉を潤してくれる。
「ああいうところが、モテるんでしょうねえ」
私は感心して呟いた。
当番が終わって、私は事務所に戻ってきた。アラム先輩はアタリの日のはずだったから、まだ休憩中だろうと思ったのである。
「ああ、いたいた」
事務所で書類と睨めっこしている先輩に、後ろから声をかける。
「先輩、シャハーブが戻ってきてますよ」
「おう」
驚くと思ったのに、彼はあっさりとうなずいた。
「もう来てる」
奥を指差して言う言葉に、私は目を丸くした。
「はやっ!」
シャハーブはのんびりと座りながら水タバコをくゆらせていた。
冷たい煙を吐きだして満足そうだが、これもまた、よく手に入ったなあと思わせる代物である。エラン王国じゃ、まだ浸透してない舶来品なんだけど。
「シャハーブさん!治療の邪魔になりますからここでは喫煙しないでください!」
ロクサーナが悲鳴を上げながら診療所から顔を出した。
「ん?治療中のやつらだって冷たい煙を吸ったらいい気分になるぜ?」
「なりません!それにこの診療所にはリラックス効果のある香を焚いてるんです。それが台無しじゃないですか!」
ロクサーナが飛び出してきたせいで診療所からは件の香が煙を上げている。水タバコの煙と混ぜ合わせて息苦しくなりそうだ。大丈夫だろうか。
「とりあえず二人とも、病人もいるんですから控えてください」
私が声をかけると、ロクサーナは憮然とした顔で診療所に戻り、シャハーブはまったく動じずにニヤッと笑った。
「ラクダを売りに行ったんじゃないんですか?」
私が聞くと、シャハーブは笑った。
「もう行ったさ。いーい値段がついたぜ。やっぱり、調査団が来るって噂は本物なんだな」
「俺だって仕入れたばかりの情報だってのに、詳しいな」
「そりゃあな。港湾課のやつに情報で負けてたら、凄腕商人とは言えねえな。港湾課が情報を買ってくれなくなる」
「違いない」
二人は顔を合わせてニヤニヤと笑った。
シャハーブの年齢はよく知らないが、おそらくアラム先輩と似たようなものなんだろう。アラム先輩が呼び捨てしろというのでそうしているが、本来はさん付けした方がいいだと思う。
二人は親友同士というのが私の見立てである。
「だが、ラクダなのか?馬じゃなく?おまえ、いい馬のツテも持ってただろう」
アラム先輩が聞くと、シャハーブは肩をすくめた。
「砂漠のど真ん中に進むなら、ラクダの方がいいだろ?馬は軍隊に売りつけた方がいい値段がつくんだ。勿体無い」
「なるほどな」
「それに、調査団が馬で行くと危険かもしれねえぜ?」
「……ほう?」
アラム先輩が興味深そうに目を細めた。含みのある言い方は、シャハーブが情報を売る時の癖だ。回りくどい言い方をして、興味をそそり、続きを聞きたかったらお金を払えってわけである。
「いくらだ」
「こんなもんだな」
指を使って値段を示したシャハーブに、アラム先輩は眉根を釣り上げた。高い。
「よほどの情報だろうなあ?」
「少なくともおまえらにはな」
シャハーブは笑みを浮かべたまま、指の値段を変えない。それを見たアラム先輩は、私の方へと視線を向けた。
「ラーダ」
「ハイ。私はなーんにも、知りません」
見てない見てない、とばかりに私は手で目を覆った。
アラム先輩の情報は、おそらくシャハーブのような人物から買い上げたものだろうと私は睨んでいる。
まさか港湾課の懐から出しているとは思わないんだけど、その可能性もあった。港湾課の調査に役に立ってはいるんだけど、横領とかになってないといいなあ……。というわけで、私は念のため、見ないフリをしている。
やりとりは見ないことにして(チャリチャリと硬貨のような音や布をこする音がしたけど、私は何も知らないからね!)いると、やがてシャハーブが口を開いた。私はそろりと指を外して目を開けた。
「砂漠を根城にしてた盗賊団が一つ、潰れた。そのせいで部下だった連中が街に流れ込んでいる。おそらく港も今後盗賊が増えるぞ。護衛なしで港に入ってくる船が特に危ない」
「マジか……」
「冗談で言うと思うか?」
「いや」
アラム先輩は首を振って、それから続ける。
「潰れたっていう盗賊団はどこのだ?」
「『東のカシム』だ。ボロッちい村跡を隠れ家にしてた連中だな。けっこうな大所帯で、30人くらいはいたはずだ」
「潰した連中は?この街からは軍は出てないが、旧都からとかでもなく?」
「不明だ」
それどころか、とシャハーブは続けた。
「潰れた盗賊団は、自分らを襲ったのは国軍だろうと考えている。騎馬隊だったらしいからな。そのせいで、馬の隊商が復讐を考えた盗賊たちに狙われているって噂がある」
「それで、調査団に馬を売るのは止めたのか」
「おう。ラクダは足は早くないが、砂に足を取られることもないしな」
「正解だ。調査団が盗賊に襲われでもしたら、国際問題になる」
苦い表情を浮かべたアラム先輩に、シャハーブは笑った。
「その顔じゃあ、帝国王女が紛れ込んでるっつー噂の方も本当だな」
「耳が早い」
「こっちは朝、港で仕入れた」
ニヤニヤと男たち二人は顔を見合わせた。
「いいじゃねえか。羨ましいぜ?ナスタラーン姫は新しもの好きで金遣いの荒い、俺様たち商人にとってはカモみたいな姫様だが、その容姿は極上品だっつーからなあ。最近じゃあ、エランの女を召使いに加えたらしい」
「おいおい、そっちは初耳だぞ」
「王子の情報を得るために、いろいろやってるって話だ。美女に狙われるなんざ、気の毒なことになあ」
少しも気の毒がっていない顔で、シャハーブは笑った。
「それじゃあな、ラーダ。俺様のハーレムに入りたかったらいつでもいいな。歓迎するぜ」
軽口のように言って、シャハーブはまた街の喧噪へと戻って行く。次の街へ行く前に、新しい商品を仕入れるんだろう。旅の商人っていうのはそういうもので、ひとところに留まるということがない。どこかに屋敷を構えているかもしれないけど、シャハーブがどこに住んでるのかも私は知らない。
「遠慮します。旅の商人の帰りを屋敷で待つような生活は耐えられそうにありません」
私も笑って見送る。次に会うのはいつだろうか。どうせまた、ひょいっと意外な時にやってくるんだろうけど。
「おまえも次に会う時には結婚できてるといいなあ?アラム!」
「余計なお世話だ!おまえこそいい加減に身を固めたらどうだ!」
「はっはは!俺様にはこの生活が肌に合ってるんでな!」
アラム先輩との別れの挨拶も軽く済ませて、シャハーブは馬ごと姿が分からなくなった。
「やれやれだ。いつも騒がしい」
アラム先輩はそう言ったけど、シャハーブとのやりとりは楽しいらしい。口元が笑っている。
「それにしても、シャハーブさんって、本当に何人も奥さんがいるんですか?国王様でもあるまいし……」
ハーレム、ハーレムとはいうが、会う時はいつも一人旅なので、いるとしたらどこかに屋敷があるんだと思うんだけど。
「さあな。俺も知らん。あれで、実は一人の女にぞっこんで、子供を溺愛してる父親だったりしたら笑ってやる」
アラム先輩はそう言ったけど、それならそれで面白いと目元が語っている。
「さて、忙しいぞ。ラーダ、おまえハズレの日だったよな。ってことは今日は夕方は空きだな?」
「……え?」
ニヤッと悪いことを考えている目をした先輩に、私は嫌な予感がした。
「空いてます、けど、それが何か……」
「シャハーブの話を聞いただろう。明日以降に港に入ってくるうちで、護衛の数が少ない船をチェックしろ。商人として名が売れていない小規模の商船が特に危ない」
「え。え、ちょっと、待ってください……?」
おそるおそる口を開いた私に、アラム先輩は続ける。
「港で盗賊団に備えるにしても、ターゲットを絞っておいた方がやりやすい。最大で30人なら、おそらく数人ずつのグループに分かれて行動してるだろう。港湾課内でも情報を共有しておく」
言うや否や、先輩は事務所を出て行った。
先輩はアタリの日なので、通常業務、港の荷物チェックに向かったんだろうとは思う。……が。
「一日分の船の申請書を、全部確かめろって言うんですか!?飛びこみだって少なくないのに!」
「港の平和はおまえの肩にかかっている!頼んだぞ、ラーダ~!」
もはや姿の見えない位置でそうこだまする声が聞こえた。
その後私が休憩時間返上で書類と向き合うはめになったのは言うまでもないが、夜までかかっても明日一日分の船を事前チェックするのだけで精一杯だった。
港湾課の皆さんは、もう少し文字を勉強してくれ。特にアラム先輩。読みづらいです。
その夜のことである。
暗くなってきたので、私は室内でランプを灯していた。ファルが置いていった外用のランプを使おうかと迷ったんだけど、一応他人のものだしね。これ、どうしようかなー、返せないんだけど、もらっちゃっていいものだろうか。でも盗んだって言われたら困るしなあ。
明日一日分の船のうち、護衛が少ないと思われる船は大小合わせて合計七つ。それぞれ朝と昼で半々程度なので、港湾課のメンバーを配置することは難しくない。一度に狙われたらサイアクだけど、そうでなければお互いの持ち場から駆けつけることもできるだろう。
「つっかれたーあ」
コキコキと肩を回しながら、私はここでいったん打ち切るか、あるいは明後日分のチェックをはじめるべきかと悩んだ。
とりあえずおやつ、とナツメヤシの実を乾燥させたものを口に放り込む。甘くて美味しいんだよー、これ。食べはじめると止まらない。ついつい、二つ、三つ、四つと……ふふふのふ。
徹夜はしたくないし、キリもいい。先輩が帰ってきたら終わりにしてしまおう。
「『むーかーしー、むかしーのそのむーかーしー。
エランの西に幻のー。黄金の都がありましたー。
咲き乱れる花ーと色とりどりの宝石にー、誰もが憧れておりましたー』」
気分が良くなってきたので、鼻歌交じりに歌いはじめる。もちろん歌うのはレイリー曰くデタラメなおとぎ話だ。
「『けれど住むのはお姫様一人。
彼女はある日気が付きます。王様が乗る不死鳥は、天を覆う程の広い翼。だけど彼女は乗ったことがない。
果てのない大空の先に輝く月へ、あの鳥でならきっと行ける。
お姫様は王様の目を盗み、お供を連れて不死鳥の元へ。さあ、大冒険のはじまりです!
瞬く星は輝くお菓子。舞い上がる砂は翻るドレス。歌い上げるは天井の音色。
宮殿でさえ爪で持ち上げる白く赤く美しい鳥。一目でお姫様は魅せられた。
鳥よ、鳥よ、美しいおまえ。どうかわたしを乗せてちょうだい。
お姫様の願いに不死鳥はつれなく答える。『この背に乗ればあなたは燃える。二度と愛しい人に逢えなくてもいいのなら』
お姫様は驚いた。王様はいいのにわたしはダメ、こんな区別は納得いかない。
不死鳥に頼るのを止めて、お姫様は進む。
大きな帆を張り、風を受けて、空まで駆ける船を作ろう。砂嵐に乗ってどこまでも……。』」
うむむ。途中で私は声を切った。
この展開だとお姫様、砂嵐で死んでしまう。砂嵐の届かない空の上でないといけないのだけど、楽しい展開にならなければ意味がない。どうしようかな。雲に乗ってみるのはどうだ?
トントントン、としばらく書類を指で弾きながら考えていた時、入り口の方で音がした。
カタン。
「ああ、おかえりなさい、先輩。書類のチェックはもう……」
てっきりアラム先輩だと思い、振り返った先には、頭を黒い布で覆って顔を隠しているファルがいた。黒いマントで隠しているのでよく分からなかったが、その下はおそらく海の男たちの恰好とは異なるのだろうと思われる。足元にのぞくズボンに刺繍が施されていた。
お忍びでやってきたのだと物語る恰好に、思わず呆れていると、ファルは顔の布をスルスルと外してから口を開く。
「すまない、驚かせたか」
「ああ、いや、まあ……」
二度と会わないだろうと思った人間と、翌日に会うとは思わなかったので驚きはしたけど。
「ランプですか?ここにありますけど」
外用ランプを取りに来たんだろうかと思いながら指差すと、ファルは首を振った。
「尋ねたいことがあって来た」
「私にですか?」
「いや……」
ファルは一瞬口ごもった。港湾課の人間であれば誰でも良かったんだろう。
「明日以降で、ペテルセア帝国からやってくる船は、どのくらいある?」
それは、奇妙な質問だった。
そもそもの前提として、エラン王国の港のうち、外国からの船が到着するような港は一つだけだ。漁村みたいなところは他にもあるが、それらは外国船を受け入れられるような作りにはなっていない。
エラン王国とペテルセア帝国は、海を隔てた隣同士で、仮に遠洋からやってくる船であっても、エラン王国に食料や衣料を輸入する船は、ほとんどペテルセア帝国を経由してくる。
そういった意味では、ペテルセア帝国からやってくるのは、ほぼ全部なのだ。
「今回のお探し物は、なんです?」
代わりに私はそう聞いた。
麦袋に入っていた『魔神のランプ』のように、荷物の中に忍び入っているものを探しているとか言われた暁には、正直なところまたの機会にしてくださいと答えるしかない。
砂漠の盗賊が街に流れてきているという情報がある以上、危険かどうかも不明な骨董品に関わっている場合じゃないのだ。
「探しているのは、ペテルセア帝国から商品を仕入れたという船についてなんだが」
「たくさんありすぎてお答えができかねます」
正直なところ、ペテルセア帝国は、エラン王国にとって最大の貿易相手だ。港湾課で把握しているのも、あくまで船の往来についてであって詳しい貨物の内容じゃない。事前に申請を出せることなど稀で、ほとんどは、現地で首尾よく仕入れたものを載せるだけ。荷物の詳細は港に入ってきた船の船倉を直接見てみないことには分からないのである。
「……そうか」
「もう少し情報を絞りこんでくることはできません?協力して差し上げたくても難しいですよ」
キツイ言い方になっちゃったかと思い、少しやんわりと声音を変えた。
「それと、王子様自ら探しに出るんじゃなくて、もう少し部下などを使ったらどうなんです。危ないですよ?」
お付きの方々もさぞかし迷惑していることだろう。
ファルは困った顔をした。他人に指示ができないタイプなのか、頼んでもやってくれそうにない知り合いしかいないのか、あるいは思いつかなかったのかは分からないけど。
「……お願いしますから、フラフラと荷運びに紛れてきたりはしないでくださいね?港湾課は盗賊対策にピリピリしてるんで、お忍びの王族のフォローなんてできないんです」
心底本音を呟くと、ファルは一瞬目を大きく見開いた後、黙ってうなずいた。
「君たちの仕事の邪魔にならないよう、フォローが必要なやり方はしないよう心がけよう」
本当に頼むよ、王子様。
「また出直してくる。仕事中に済まなかったが、その……」
ファルは少しばかり口ごもってから再び布で顔を覆った。
「この部屋にいるのは、君一人か?」
私はきょとんと目を丸くして、首をかしげる。
「仮に一人でしたらどうする気です?」
ファルは憮然とした顔で答えた。
「こんな時間に、女が一人で部屋にいるのは感心しない。オレが、邪なことを企む不心得者だったらどうする気だ……、いや、そういうことではなくてだな」
誤魔化すように彼は室内を見回しながら聞いた。
「……誰か、歌を歌っていなかったか?」
私は目を丸くしたまま答える。
「なんのことでしょう」
あのいい加減な替え歌のことじゃないだろうなと一瞬ヒヤッとしながらも、私はすっとぼけてそう答えた。
「そうか。……気のせいだったか」
ファルは少しばかり残念そうな声で言って、「では」と言って立ち去った。
当番を終えたらしいアラム先輩が戻ってきたのは、その数分後である。
「先輩。チェック終わりましたけど」
書類の山を指差しながら答えた私に、アラム先輩は自分の指示を忘れていたような顔をしながら、豪快にバンバンと肩を叩いてきた。
「いやー、お疲れお疲れ!さすがだ、ラーダ!おまえならやってくれると思ってた!」
ほんのり頬が赤いところを見ると、おそらく海の男たちと一緒に陽気な夕ご飯を終えてきた後だろう。
つい、カチンときてもおかしくはあるまい?
「ねえ、先輩」
私は冷ややかな声で言った。
「私、休憩時間も返上して調べてたんですよね。これって、契約違反だと思いませんか?当然その分のお給料は別途支払われますよね?」
正当な訴えは認められ、私はお給料を別途支払わせることに成功した。
仮に国軍からが無理なんだったらアラム先輩のポケットマネーから出させる予定である。