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第三十七話 王の座


 本宮殿の中央に、玉座がある。

 高い天井のある部屋で、出入りができるのは正面にある扉のみだった。

 天井の中央には太陽をあしらった飾りがあり、その周りには星空が描かれている。太陽と星が同時に見えることなどないのだが、これはこの部屋が世界の中心を意味しているからだった。

 部屋には窓があった。八方に作られたスリット状の窓から明かりが差しこむように設計されている。

 室内は差しこむ太陽の光によって時間が分かるようになっていた。

 現在は夕刻なのだろう。西側から太陽が差しこんでいる。時折スッと光が遮られるのは、雲が太陽を覆ったからに違いない。


 かつて黄金宮と呼ばれた宮殿は、長い間砂の下にあった。そのため、再び地上に姿を見せてからも宮殿のあちこちを侵食している砂が消え失せるにはかなりの時間を必要とした。

 砂は、まるで生きているかのように宮殿の外へと移動している。砂が払われた後には磨かれた黄金が光を取り戻し、太陽の光を浴びて神々しく光を放つ。

 奇妙な光景ではあったが、この時間も黄金宮が蘇るために必要だと思えば苦になる時間ではない。


 玉座には一人の男が座っていた。

 つい数時間前にエラン王となったことを宣言したダーラーは、空腹を覚えて周囲を見回した。

 ダーラーのしもべとなった魔神は、黄金宮を蘇らせるため4人のしもべを手元に呼んだ。

 

 『火』『水』『土』『風』の4人だ。

 

 だが、そのしもべも含めてダーラーのそばにいる者は誰もいなかった。皆、黄金宮を蘇らせるために作業を行っているらしい。

 一人くらい召使いとして残しておいてもらいたかったものだとダーラーは思い、口を開いた。


【魔神よ】


 ダーラーの声は、かつてのものとは異なる。

 王となった瞬間から、声自体に力の宿る身体へと変化したらしい。

 魔神はこれを、『王の声』だと説明した。

 王の言葉は王だから力を持つのではない。力持つ声を発することができるから王なのだ。


 ふっと玉座の間に影が差す。

 何もない場所に魔神が現れたのだ。煙が実態化するようなその様子を、ダーラーは何度見ても不思議なものだと思う。

『主人、黄金宮の準備はもうまもなく。それを止めてまでのご用とは?』


【腹が減った。食事はどこだ】


 ダーラーの言葉に、魔神は拍子抜けしたような表情を浮かべ、それから静かに答えた。

『命じればいい。”食事をここに出せ”と。何もないところにごちそうを用意するのは、魔神の一番得意とする魔法。食事が終わったら”片づけろ”というだけでいい』


【まさかこの場所で食べろというのではあるまい?テーブルも何もない場所で?】


『王の場所は、玉座。他にはない』

 魔神の返答に、ダーラーは驚いた。ダーラーの知る王というものは、王族専用の食堂で食事をするものだったからだ。

 エラン王室に仕えていたかつてのダーラーは、シャーロフという国の重役の血縁として、その席に同席することさえあった。


 エラン王族の食事風景は、大きく分けて二つである。

 一つは、王族専用の食堂で行う食事。もう一つは後宮で女性たちと共に行う食事だ。

 王族専用の食堂は王宮内にあり、同席できるのは男性に限られる。給仕役には女性もいるが、華の無いことこの上ない。王族であっても女性は同席できないので、王妃や王女といった者も例外ではなかった。

 また、王族であっても食堂に向かうには決められた時間を待たねばならかった。料理係が準備を終えてはじめて食事にありつけるのだ。いくら腹が減ったとしても、食事の方からやってきたりすることはない。エラン王族には間食という概念がないのである。小腹を満たすものを食べたりといったことはできない。

 一方、後宮で行われる食事はまったく自由だ。後宮で暮らす女性陣のため、いつでもおやつが用意されているし、王が誰と食事をしようと自由なのである。

 黄金宮の整備はまだ終わっていない。だからだろうとダーラーは理解した。


【夜までには終わるんだろうな】

 

『大丈夫』

 そう言い置いて、魔神は再び姿を消した。


【……食事をここに用意せよ】


 ダーラーが口を開いたとたん、目の前にテーブルが現れた。ほかほかと湯気を立てるご馳走がズラリと並んだテーブルだ。

 酒もデザートもすべて用意されている。王族用だけあってメニューの方も豪華であり、とても食べきれる気はしなかった。また酒は半透明の色つきガラス瓶に入れられていた。これはガラス瓶の製造が進んでいないエランではまずありえない。おそらく他国のものだろう。

 そういえばおとぎ話には『魔法のテーブルクロス』という品がよく出てくる、とダーラーは思い返していた。テーブルにテーブルクロスを広げ、『食事よ、出ろ』と言えばその通りになるというものだ。

 改めて魔神の力を感じ入ったダーラーは、さっそく食事をしようとして……ふと、顔を上げた。


 

 他には誰もいないはずの玉座の間に、男が一人いたのだ。

 いつからいたのかは分からないが、見覚えのある顔だった。ダーラーの前の魔神の主人である男――キルス。

「よう、王様。一人で食べるには多すぎるだろ、そのメシ。食ってやろうか」

 ダーラーは無視することにした。

 港湾課のトップでもあるダーラーは、キルスについての報告をきちんと受けている。そのためこの男が、口も態度も悪いが実力の伴う男ではないことを知っていた。ダーラー自身は港湾課のトップの一人として、剣技にもそれなりの自信がある。また、新王となった時から身に着けている宝剣は軍でも有数の実力者でなければ持てない切れ味を誇っていた。

 

【失せたまえ。ここは君のような者が踏み入って良い場所ではない】


「いーや。関係大有りだからいさせてもらうぜ」

 不遜な態度をとりながらキルスはダーラーに近づいた。そればかりかテーブルの上に置かれた果物を摘み上げると、これみよがしに口に運ぶ。瑞々しい果物はエラン国製のものと思われ、新鮮そのものだった。

「ん、んまいな」

 もぐもぐと咀嚼した上、さらに二つ目に手を伸ばそうとしたキルスに、ダーラーは眉根を寄せた。


【君は王の前だということを理解していないようだ。

 ――1分間だけ時間をやろう、失せたまえ。それでもなおこの場に留まるというのであれば強制的に排除せざるをえないよ】


 スラリと抜き放った宝剣をキルスの首筋に当て、ダーラーは言った。

 鞘にも柄にも金装飾と宝石とがふんだんに使われた豪華な剣である。宝物庫に保管されている中でもダーラーが気に入りの品だ。美しいだけではなく、切れ味の方も良い。曲刀はエラン王国では主流の品だったが、これは国でも一番の鍛冶師が奉納用に作った品で、本来であれば宝物庫におさめるのが惜しいという代物だった。

 実用品とするには装飾が高価すぎるため、王族が参加する祭典の時などに王の腰を彩るものとなっている。

 かつてダーラーは、これを国の功労者への報酬にしてはどうかと国王に進言したことがある。そうなれば対象はシャーロフになるのは間違いなく、いずれは直系の子孫である自分に家宝として受け継がれるはずだったからだ。

 その折、国王は渋った。戦争期でもないのに武器を報酬とするのは躊躇われるというのだ。代わりの報酬としてシャーロフに与えられたのは絨毯だった。これまた高価な品ではあったが、ダーラーは絨毯には興味がない。エラン王国において絨毯とは、飾りであり実用品だ。踏みつけられ、消耗品として捨てられるだけの存在。シャーロフの自宅で日々使われ、少しずつ摩耗していく絨毯を蹴りつけるのは、ダーラーの心を少しだけ癒した。

 

「やってみたらどうだよ?無駄だぜ」

 キルスの言葉は癪に障った。本当はそこまでやるつもりはなかったのだが、ダーラーの切っ先がキルスの喉を抉る。

 噴き出す血しぶきと倒れるキルスの姿を想像したが、――奇妙なことが起きた。

 キルスは数歩足をぐらつかせただけで、その場に踏みとどまったのだ。

「魔神に頼んだ二つ目の願い事はな、『刃で死なない身体になること』だったんだよ。あんたなら、その意味は分かるだろ?」

 キルスの言葉にダーラーは内心で舌打ちをした。


【君は王に対する態度を学びたまえ。

 ……何を要求したくてここに現れたのだ?刃で死なぬと自慢しにきたわけではあるまい】


「メシを分けてもらおうと思ったのさ。昨日からほとんど食ってないんで、腹が減って仕方がねえんだ」

 承諾を与える前に横から手を伸ばすキルスを、ダーラーはそれから二度ほど斬りつけた。


 食事が終わったころ、ダーラーは改めてキルスを見やった。

 もともと一人では食べきれない量だったので、キルスが横から手を伸ばしてきても問題はなかった。

 だが王に対してそのような無礼が許されると思ってもらっては困る。キルスにどのような罰を与えるべきか、ダーラーはそればかりを考えながら食事を終えた。

「王様、酒が苦手なのか?呑まねえならもらってもいい?」

 承諾を求めているわけでもあるまいに、キルスはそう言って瓶ごと酒を手元に寄せる。

 ダーラーは酒に手を出さなかった。特に弱いわけではないが、酒は時に手元を狂わせることがある。この男を殺そうと思った時、判断が鈍っても困る。

「なあ、王様よ」

 キルスは酒を瓶から直接飲み干しながら口を開いた。

「あんたの願い事はこうだった。一つ目は『王様になること』二つ目が『黄金宮を作ること』三つ目が『女ばかりの後宮を作ること』……自分で願ってて、思わなかったか?」

 ぐびぐびと瓶を空にしたキルスは、ポイとそれを放り投げる。

 ガチャンと高い音を立てて瓶は粉々に砕けた。

「つっまんねえよなあ」

 キルスは言った。侮蔑を目に表して、まるで気の毒がっているような声を出した。

「魔神がどれだけ長いこと生きてるかは知らねえけど。

 あんたみたいな願い事をするやつは、すごく多かったに違いねえんだ。子供だって思いつくような、欲まみれの願い事さ。毎度毎度似たような願い事を聞かされた魔神がどう思ってたか、あんたは考えたことがあるか?」


【あのような女ががどう思うと関係あるまい。

 魔神は魔神に過ぎぬ。そもそも人格さえ必要なかろう。人間の願いを叶えるという、一種のシステムに過ぎない。

 さあ、食事は終えたのだろう、さっさといなくなってはどうだ】

 

 キルスは笑った。

 ダーラーとしては腹立たしくてたまらない。問答無用で退けることのできるはずの相手に、問答の機会を与えただけで、ダーラーは相当に我慢している。こんなにイラつくことは滅多にない。

「あんたにゃ用がない。言ったところであんたに何ができる?口だけ達者な王様によ。

 ここにいれば魔神が帰ってくるだろ?用があるのはそっちの方さ」


 そう、キルスが言った時だった。

 目の前に煙が立ち込める気配があり、いつのまにやら魔神が現れていた。

『主人、あなたの願いはこれで叶った。黄金宮は復活した。これよりこの都は、――空を舞う』


 


 かつてこの場所に人々が暮らしていたころ、王は民の前に姿を見せるものではなかった。

 民に姿を見せて演説を行ったり、その施政について宣言を行う必要はなかった。

 民の生活と王の存在は切り離されており、王の存在を知ってはいても、日々の不満を王にぶつけたりすることはありえなかった。民にとって政治とは、自分たちに税を課す役人であり、悪人を取り締まる役人であった。彼らに指示を出している存在がいるかもしれないと想像する必要もなかったのだ。

 人々は黄金の都に住まい、その豪華さを誇りにした。

 素晴らしいのはこの都に住んでいる自分たちであり、それを作った者ではなかった。黄金の都に住んでいる者はそれだけで選ばれし者だったから、都が誰の希望によって作られていたかなど興味がなかったのだ。

 

 黄金宮がなぜ砂に埋もれたのか。その理由がここにある。

 かの都は空に浮かんでいた。地上に住まう”それ以外の者”を見下ろし、天から地上を見下ろす神々のように。

 水も食糧も、魔神の魔力によって供給されていたから、その生活に不足は一切なかった。

 魔神の魔力が潰えた時、黄金宮は地上に落ちた。そればかりか、固く受け止める力のなかった流砂は、そのまま都を砂の中に閉じこめてしまったのだ。


 ダーラーと言えども、この事実には興奮を隠せなかった。

 黄金宮が空を飛んでいたなどと、文献のどこにも残っていないのだ。おとぎ話にも出てこない。

 

【素晴らしい……!】


 浮上している様子を見たくて、ダーラーは玉座から立ち上がった。

 何しろ玉座の間には外を見るための窓がない。あるのは太陽の光を取りこむための隙間であり、それも天井高くに据えられているため、外を見ることが叶わないのだ。

「これで願い事が3つだ。王様よ、魔神は返してもらうぜ」

 ダーラーの興奮が分からないキルスが、水を差すようなことを口にした。


「3つ目の願い事だ。魔神、オレをおまえのしもべにしろ」

 

 彼は魔神から目を離さず、だが頬をかすかに赤らめていた。

「……ずっと考えてた。おまえを俺だけのものにする方法をな。

 おまえを人間にしてみるのはどうか、魔神の力を失わせてみるのはどうか、逆に残り人数分の願い事を一度に叶えるのはどうか、ってな。――だが他に主人を持てるんじゃ意味がねえ。

 おまえと離れない方法は、これっきゃねえだろ」

 魔神は驚いたような表情を浮かべたが、淡々とした物言いは変わらなかった。

『『土』の場所が空いているからできなくはない。『水』と『風』も力を使い果たしているから場合によっては席が空く』

 それから両手を広げ、淡い光を放ちながらキルスを見つめた。

『――キルス。あなたを、しもべとして迎え入れる。

 魔神のしもべである以上、魔神のために力を使うことは拒否できない。また、魔神に危害を加えることはできない。この二点については身体に刻まれる』

 魔神はそう言って、キルスの身体に光の粉を振りかけた。

 そのとたん、キルスは変化した。髪が色鮮やかなオレンジ色になり、服装が赤い男性服になった。

 似合わないとダーラーは思った。もっとも、むさ苦しい男がどのような恰好をしようと、ダーラーが心打たれることはまずないのだが。

 魔神の言うように魔力を提供したからだろうか、キルスがガクンと床に膝をついた。

『手始めに魔力をいただく。――黄金宮の復活には、魔力を使いすぎた』



 □ ◆ □


 私とファル、それにアラム先輩がその様子を見たのは偶然だった。

 


 黄金宮の玉座の間。それは高い屋根の真下に位置している。ファルとアラム先輩が『魔法の絨毯』で飛びながら執拗に屋根を狙ったのは、屋根を崩して直接玉座の間を狙っていたからだと言う。

 なぜ作りが分かったのかと言えば、おとぎ話の黄金宮を描いた絵がいくつか残されており、そこから類推できたかららしい。

 

 『魔法の絨毯』に乗って黄金宮に乗りこんできたのは三名。ファルとアラム先輩、それにキルスだった。『魔法の絨毯』は使用回数のあるアイテムだ。そのため、必要以上の兵士を乗せてくることは叶わなかった。

 シンドバッドの風に阻まれ、吹き飛ばされた『魔法の絨毯』は建物に引っかかって破れた。

 魔法の品とはいえ、絨毯は絨毯である。破損には弱く、また破れてしまうと機能しなくなる。

 乗っていた三名は宙に放り出され、そのまま地上に落下した。

 打ち所が悪ければそのまま死んでいたはずだが、幸いにして無事だった。落ちた場所がたまたま砂が積もっていたため、クッションの上に落ちたようなものだったらしい。そのまま砂の上を転がり落ち、一時は砂に埋もれて息ができなかったというオチがついたものの、私が駆けつけたことで事なきを得た。

 この時点ですでにキルスはいなかった。彼は一人だけ難を逃れ、本宮殿に向かったのだ。


 ファルとアラム先輩に合流した私は、連れさらわれた女性たちと共に脱出したことと、彼女たちが前庭の影に潜んでいることを伝えた。港街では忽然と姿を消した女性たちについて様々な噂話が飛び交っているようだったが、その人数までは把握できていないらしい。合計16名と伝えると、ファルは唖然とした顔を、アラム先輩は感心した顔をした。


 キルスに遅れをとること数十分、私たちは本宮殿を目指したが、たどり着いたのは外壁の外だった。

 太陽の光が射しこむ窓の外である。人が出入りできるだけの隙間があるが、ここから侵入をした場合、床までの距離が遠すぎる。ロープもなしに下りるのは自殺行為だ。

 幸い、私たちがいることで太陽の光が遮られても、ダーラー様は不思議には思わないようだった。すぐに隠れたからかもしれないし、雲の動きあたりと誤解してくれたのかもしれない。あるいは、もはや邪魔者がいないと高をくくっているからか。

 面倒だが遠回りをして一度前庭まで戻るべき――そう、提案を行おうとした時。


 玉座に座るダーラー様の前に魔神が現れたのである。

 


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