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第三十五話 女の戦い

 一年以上、会っていない。だが一目で分かった。


 レイリーは幼友達であり、アラム先輩の妹だ。

 髪の毛は少し長くなったらしい。後ろで束ねているのだが、リボンを複雑に編みこんであって可愛らしい。

 服装は王宮の女官さんたちのものに近かった。動きやすそうで、清潔で、それでいて身体のラインを出さない代物だ。

 長い棒のようなものは、どうやら武器であるようで、時折それをブンブンと振り回して『砂人形』を牽制している。狭い通路の中で振り回すには長すぎるためか、主に突くようにして振っていた。

「ホントに?本当にレイリー?」

 疑り深く、私は聞いた。

 なにしろルーズベフがレイリーの顔をして王宮に入りこんでいた事件だって、それほど昔のことじゃない。

 その上ここはペテルセア帝国だとは思いづらい場所なのだ。疑って当たり前だ。

「やだなあ、ラーダ。あたしみたいな美少女が何人もいるわけないじゃん?

 そっちこそ、男装が板につきすぎちゃってるけど、男に間違われたりしてるんじゃないの?」

「たまに間違われるけど、少なくなったね」

「わーお。冗談だったんだけどなー。お兄ちゃんもズルイよね、こんなカッコさせておけばラーダに悪い虫がつかないだろうと思って放っておいてるんでしょ」

「……それはどうかなあ?」

 アラム先輩は単純に、私を男と間違う人間がいることを面白がっているだけだと思う。


 通路を走って戻ってきた私たちに気づき、カスルさんとタルジュさんが声をかけてくる。

 耳を澄ませて待っていてくれたのだろう、タルジュさんは不安そうな目で口を開く。

「ラーダさん、その方どなたです?」

「私の昔の知り合いです。大丈夫」

「この通路の先には何があったの?」

 カスルさんにも答えようとして、……悠長に話している余裕がないのだと気づいた。

 

 ざくっ……ざしゅっ……ざざざざざ……。


 音が先ほどよりも近い。

 私はその場に立ち止まってお二人に向かって声を上げた。

「私たちがここで食い止めます。どうかお二人は先に戻ってバハール様に報告してください。くれぐれもパニックを起こさないようにと」

「い、いったい何が来てるの?」

「……」

 私は少しだけ迷った末、レイリーを見やった。彼女はすぐに状況が分かったんだろう。カスルさんに向かってうなずいて見せる。

「ここの番人だよ。でも、中央の部屋にいる分には安全だから心配いらない」

「すぐに戻りますから!」

 私が切羽詰った声を出すと、カスルさんとタルジュさんはチラチラと後ろを振り返りながら通路を戻っていった。

 


「中央の部屋が安全って、どういう意味?」

「あいつの目的は、あたしたちをここに留めることらしいからね。あの部屋にいる分には、それ以上の危険はないはずだよ」

 私の問いかけに力強く答える姿は、やはりレイリーにしか見えない。

 私のことを知らないふりをしたりもしていないし、ルーズベフのような不気味さを感じさせる性格でもなかった。

 そればかりか、その手に持った棒を振り、近づいてきた『砂人形』を打ち砕くなり叫んだ。

「ルーズベフ!出てきなさい!」

「え!?」

 なぜレイリーがその名前を知っているのだと困惑する私の前に、『砂人形』がさらに4体。そして、見覚えのある顔が姿を見せた。元ベフルーズ商会の男、ルーズベフである。

 彼は商人風の服装ではなかった。魔神やヒナと同じような赤い服を身に着けている。さすがに男性用のデザインだが、使っている素材は一緒だと思われた。

 彼はレイリーに向かって不機嫌そうな表情を浮かべた。

「ことごとく邪魔してくれますね、レイリー」

「お黙んなさい、変質者!」

 勇ましく棒を構えながらレイリーはルーズベフを睨む。様になっている様子からして、ペテルセアでは武術を習っていたんだろう。私も仕事柄鍛えてはいるが、それよりもはるかに筋がよさそうだ。

「申し訳ないですが、あなたがたをここから出さないでおく、というのが現在の仕事です。

 ……早いところ終わらせてナスタラーンのところに行きたいので、あまり暴れないでください」

「だーれーがー、行かせるもんかー!」

 近づいてくる『砂人形』を1体殴り壊した後、レイリーは私に向かって言葉を発した。

「ラーダも手伝って!こいつ、あたしがお仕えしてる姫様のストーカーなの!」

「……ルーズベフが?」

「ラーダ、こいつの名前知ってるの?うっわー、姫様がエランにくるからって押しかけてきてたんでしょ!」

 ジロッとルーズベフを睨んだレイリーは、棒を握る手に力を込めた。

「姫様は変わった方だから、あんたのこと邪険にしたりはしてないけど!お付きとしては迷惑してんだからね!もー、ニキ様だってピリピリピリピリして、大変なんだから!そのくせニキ様からはきっちり逃げてくれてー!」

 レイリーの剣幕に押されて、私も腰飾りを手にルーズベフと対峙する。とはいえ、彼との間には『砂人形』が3体おり、他にも2体の『砂人形』が今しがた誕生しようとしていた。

 旧都で襲われた時よりも動きが良いのは、ルーズベフによるものだからなのか、別の理由なのか、そこは分からないけど。

「ルーズベフと、ナスタラーン姫に、なんの関係があるの?」

 私の問いに、レイリーは吐き捨てるような調子で叫んだ。

「言ったでしょ!こいつ、姫様のストーカーなのよ。姫様がどこにいても砂の贈り物とかいうのを届けてきて!だいたい砂製ってどういう趣味なのよ?宝石で彫った飾りとかならともかく!」

「……!」

 では、ナスタラーン姫に砂の花を届けた”贈り主”の正体は彼か。

 それだけではない。ルーズベフが道を踏み外した恋の相手。それが、ナスタラーン姫だというのか。

 魔神のしもべという出生はともかく、一国の王女に商人が恋というのは、実にハードルの高い話だ。

 なるほど、と私は思わず納得してうなずいた。

「レイリーって、ナスタラーン姫のお付き、なんだっけ?」

 先ほどから疑問ばかり口にしている。だがそれに、レイリーは律儀に答えた。

「そういや言ったことないよねー、そうなんだよ。でもって、目下の仕事はこいつの排除だけど!

 姫様相手に、届くわ届くわ届くわのプレゼントの嵐!ったくぅー、姫様にはぜひともエランで王妃になってもらって、あたしが帰国するきっかけになってもらわなくちゃいけないのにぃ!」

「……レイリー。邪魔する理由、自分のためじゃあないよね?」

「それだけじゃないよ?姫様はすごく素敵な人だから、エランを変えてくれるきっかけになると思うし」

「うん、そうだね。それは同意する」

 ひとつ、小さくうなずいた後、レイリーに向かって話すべきかどうか悩む。

 ナスタラーン姫は、正体不明の送り主に対して、まんざらでもないようだ、ということを。

 だが何かを口にする前に、目の前の状況が変わった。


 レイリーの言葉が癇に障ったらしく、ルーズベフの表情が変化したのだ。

「ナスタラーンを他の男のものになんて、誰がするものですか……!」


 ゴゴゴゴゴゴと音が聞こえた。

 複数の『砂人形』が合わさり、巨大な形に膨れ上がっていった。

 高さ二メートル強といったところだろう。横幅は通路ギリギリまで膨れ上がり、道は完全に塞がれてしまった。

 まるで壁のようだ。『砂人形』の向こうにいるはずのルーズベフが見えなくなった。

「また、それ!?芸がないわね!」

 レイリーが挑発するように叫んだが、その額に汗が浮く。

「またそれです。けれど、単純な方が分かりやすいでしょう。すでに通路が2本、塞がってますよ」

 姿の見えないルーズベフの声がする。

「レイリー、もしかしてけっこう前から戦ってた?通路2本が砂で埋まってたけど、それって……」

「あー、うん。これで潰された」

 軽い口調で答えてきたが、レイリー自身も焦りがあるんだろう。表情が固い。

 私の背中を冷や汗が流れた。

 『砂人形』が動き出す。それに対してレイリーが構えをとる。私もその横で腰飾りをブンブンと回した。


「大きくても所詮は『砂人形』でしょう!」

 先に仕掛けたのは私である。『砂人形』の腕をかいくぐり、懐に入りこんで腰飾りで殴りつける。

 ゴンッと鈍い音が返った。

「!?」

 固い。

 手元に戻ってきた感触に驚いて一歩下がる。その頭上に『砂人形』の拳が降ってきた。


 ――ゴウンッ!


 衝撃に声が出なかった。頭の中がぐらんぐらんに揺れる。

 殴られた痛みよりも重い何かが頭の奥に突き刺さる。

「――――っ!?」

「ラーダっ!」

 レイリーが棒で牽制をかけながら私の腕を引っ張った。後ろから倒れるところをなんとか立て直し、頭を振ろうとして失敗する。

 ダメだ、今振ったら吐きそう。

「……」

 そこからは無謀な特攻だった。

 『砂人形』の動きは速くはない。両腕を交互に振り下ろしてくる単純なものだ。それを避けながら、私とレイリーが左右から攻撃する。

「砂は一つ一つは軽いですが……。高密度であれば、そうそう簡単には崩れませんよ」

 ルーズベフの発言は正しい。脆いはずの『砂人形』がこれほど固いのは密度のせいだ。

 レイリーが殴りつけても突き入れても、巨大な『砂人形』はビクともしない。

「彼女が悲しむから、あなたを殺したくはなかったんですが。このまま生き埋めになっていただいた方が良さそうです……!」

 ルーズベフの声がする。『砂人形』に再び動きがあった。もう1体同じサイズのものが現れて、しかも合体したのだ。

 これまでもまったく歯が立たなかったものが、単純に考えて二倍の固さ。――砕けるはずがない。


「……」

 腰飾りを構える手をだらんと下ろし、私はルーズベフに尋ねる。

「ルーズベフ、私たちが脱出しようとしなければ危害を加えるつもりはないというのは本当ですか」

「ちょっと、ラーダ!?」

「レイリー、やめよう。降参した方がいい。それよりも今は情報が欲しいんだよ。私たちの後ろには戦えない女性たちがいるってことを忘れないで」

「……だからって、ねえっ!」

 わずかに棒の先を下ろして、レイリーは叫んだ。

「ルーズベフが逃げ出さないなんて滅多にないんだよー!?」

「そうですよ。人目もはばからず『砂人形』を使うチャンスはそうそうありません」 

 む?

「ちょっと待ってくださいよ!ルーズベフも!レイリーも!」

 大声を上げて両手を振り、私は腰飾りを手に持ったまま二人の間に――正確には『砂人形』の前に割りこんだ。

「この非常事態分かってますよね!?」

「分かってるよ!姫様にバレずに懲らしめるチャンスなんて二度とないもんね!」

「わかっていますよ。ここで殺しておけばナスタラーンには気づかれません」

「違う!」 

 誓ってそこではない。そしてレイリーが『けっこう前から戦っていた』理由が分かった。脱出口を探してという理由も最初はあったのではないかと思うが、目の前にルーズベフがいたのでこれ幸いと殴りかかっただけだ。なんて好戦的なんだ……アラム先輩が聞いたら嘆くぞ。

「私たちは何者かによって閉じこめられてるんですよ。ここに!多くの女性たちと一緒にです。しかも、なんですか、その言い方だと、ルーズベフ、あなた事情が分かってますよね?」

「あたりまえです。番人を任されてしまいましたからね。……ナスタラーンがようやく帰国したというのに!こんな場所で!」

 憤懣やるかたなしといった風にルーズベフが叫ぶ。

「エランの服装も愛らしくて素敵でしたが、やはり彼女にはペテルセアの衣装の方が似合います。着替えもロクに用意できない中、現地の素材を使っての最新デザインアピールをするなど、さすがは彼女です。

 正直なところ、エランの男たちに彼女の姿を見せるなど許しがたい話だったのですが、それもこれも彼女が喜んでいるからと我慢していたというのに!今以上に求婚者が増えたらどう責任をとってくれるんですか、エラン王室は!?」

 ……私、ルーズベフを不気味だと思っていたのだが、考えを改めても良いだろうか。



 私の提案で、レイリーとルーズベフは一時休戦となった。 

 巨大化した『砂人形』は一時的に砂に戻り、通路を塞いでいた壁は消え失せている。もっとも、ルーズベフがその気になればいつでも再生できるのだろう。通路に積もった砂はそのままだから。

「教えてください。ここは、どこです?なぜ私たちは集められているんですか」

 私の問いに、ルーズベフはしぶしぶといった口調で答える。

「黄金宮の一部ですよ。かつて後宮だったところですね。

 魔神の、新しい主人が願ったのでしょう?『黄金宮に女を集める』と。現在のところはまだ、整備が終わっておりませんが、魔力によって主人の『女』にあたる人物たちがここに集められているんです」

「では、ここに現れた女性たちは、ダーラー様の?」

「ええ、そうです。ラーダさん、あなたもどこかで新しい主人に見初められていたんでしょう。そちらのレイリーさんも同様です」

 私は盛大に顔をしかめた。ダーラー様に見初められた覚えもないが、勝手に『女』扱いをされる覚えはもっとない。

「ここは地下ですか?」

「……答える必要がありますか?」

「あります。もし密封空間であれば、たとえ今は空気があってもいずれはなくなってしまう。これだけの人数が狭い場所にいるんですから、当然喧嘩になったりもしますよ。だいたい、後宮というわりにお手洗いとかお風呂とかも見当たりませんし……」

「整備が終われば、そのあたりは問題ありません。かつて人間が住んでいた場所なのですから、必要とされるものは揃っています」

「水や食糧も?」

「ええ。そのために、しもべである我々の魔力が大量に消費されているので。

 かつての黄金宮は女主人は一人きり、あとはその世話係ばかりでしたが、今回は集められた女性が多いですからね」

「帰り道はないんですか?」

「ありません。

 逃げようなどと考えない方がいい。外への通路はすべて砂で埋もれていますから、無駄に動くと本当に死にますよ」

 分かっていたことだが、はっきりと言われてしまった。肩を落とした私に、レイリーがきょとんとした顔で尋ねる。

「ねえ、魔神って、なんのこと?」

 『魔法のランプ』からはじまる一連の騒ぎを知らないレイリーが疑問に思うのも無理はなかった。


「簡単に言うと、『魔法のランプ』で魔神が召喚されたんです。で、魔神の主人になった男が、エランの新しい王になりました」

「えええええ、なにそれ!」

「しかも、新しい王は伝説にある黄金宮を復活させて、その地に後宮を作ることを次の願いとしました」

「ええええ――――…………」

「こちらのルーズベフは、魔神のしもべといって、魔神のために働くお手伝いさんらしいです」

「はぁあ!?」

「その言葉には訂正を加えます。……確かに魔神のしもべではありますが、本意ではありませんから」

 ルーズベフが嫌そうな表情を浮かべて口を挟んだ。確かに彼は、魔神のしもべであることを疎んで一人の商人となるためにベフルーズ商会に入った経緯があったはずだ。

 ものすごく簡単に説明を終えた私に、レイリーはひとしきり驚いてから疑問を口にした。

「それ、お兄ちゃんは知ってるの?」

「アラム先輩は、誰よりもこの事態に首を突っ込んでいる一人ですからね」

「喜んでそうですごく複雑。つまりここ、西の大帝国の跡地ってことでしょう?」

「……たぶん?」

 チラっとルーズベフを見て確認する私に、レイリーはため息をついた。

「ダーラー様って、歴史好きだったんだねえ。お兄ちゃんと同類か」

「え?私、新しい王様の名前までは言ってなかったですよね?」

 私の言葉にレイリーはニヤリと笑った。どこかで覚えがある……というよりも、アラム先輩にそっくりな笑い方だった。

「『女』の一人にあたしが呼ばれたってことがヒントでしょ。あたしがエランを離れたのは成人前だったんだから。その時点であたしに目をつけていた男は一人だけだからね」

 それから、軽蔑するような声で彼女は呟いた。

「イマドキ仕事と引き換えに愛人になるよう強要してくるような男、マトモじゃないとは知ってたよ」

 それと、とレイリーは付け加えた。

「ラーダ、なんで突然あたし相手に敬語なの?」

「……なんていうか、切り替え難しいんだよね。第三者がいるとさ」

 ルーズベフがいたので、プライベートモードに戻らなかったのだ。


 □ ◆ □


 私はレイリーを連れて、一度バハール様とロクサーナの待つ中央の部屋に戻ってきた。

 ルーズベフをすぐに連れなかったのは理由がある。バハール様たちは、普段着なのだ。顔を隠したりできない状況で男が現れるのは嫌がるだろうと考えた。


「ルーズベフ、私はここを脱出したいと思ってます。手伝ってくれませんか」

 そう切り出した私に、ルーズベフは戸惑ったようだった。

「ラーダさん、魔神のしもべに対しての発言とは思えませんが」

「ですからルーズベフさんに対しての協力依頼です。

 私たちは言わば、人質。ダーラー様に反旗を翻そうとする者たちにとって、身内がいずこか分からない場所に連れさらわれたという事実はネックになるでしょう。

 ……西の大帝国跡は、そもそも場所が把握されていません。見つかっていない遺跡なんですから。

 誰も私たちを救出することはできない。彼らは私たちを『亡き者』として動かざるをえない。私たちの命は、私たちが守らなくちゃ助からないんです」

「……」

 チラリとルーズベフはレイリーの顔を見やった。

「彼女は嫌がるのでは?」

「協力を嫌がったりはしないはずです。……その報酬として、ナスタラーン姫との仲を取り持て、などとおっしゃった場合、断ってくるでしょうけど」

「言いませんよ」

 苦笑いをしてルーズベフは承諾代わりに答えた。

「自分の魔力は魔神によって吸い取られている。『砂人形』を使うことしかできませんが、それでも構わないので?」

「ええ」

 私は笑った。

「あなたが敵ではない、ということが一番の協力ですから」

 牢を守る見張りが機能しないのであれば、牢はもはや牢ではないのだ。



 中央の部屋には女性がまた少し増えていた。

 私とレイリーを加えると、合計で16名。以後も増えるようであれば脱出に障りになるかもしれない。

「戻りました、バハール様」

 私が膝をついて礼をすると、バハール様はくすりと微笑んだ。

「この状況で礼などいいわ。それよりもどうだったのかしら、脱出口はありそう?」

「……」

 黙って首を横に振った私は、だがバハール様が肩を落とす前に続けた。

「ですが、協力者を見つけました。この場所について詳しい者です。男性なので、この場には連れてきておりませんが……」

「まあ、それはいけないわ。協力していただくならば、きちんとお礼を申し上げないと。

 ロクサーナさんの診療が終わったら、改めてご挨拶させていただけるからしら」

「はい。喜ぶと思います」

 バハール様は優しくておおらかな方。かつて聞いた評判を思い出した。


「ラーダばかりかロクサーナまでぇ!?」

「まあ、レイリーさん。お久しぶりですね。実は手が足りないのですけど、手伝ってくださいませんか」

「え。再会の抱擁とかなし?まあ、いいけど、何すればいいの?」

「診察結果を記録しておきたいんです。すべての方を確認した上で、今後の方針を考えなくちゃいけませんから」

「紙もペンもないんだけどなー!?」

 目端の先ではレイリーとロクサーナが一年ぶりの再会を喜びあっていた。診察の手が足りなかったロクサーナは、すぐさま彼女を巻きこむことに決めたらしく、診療を終えた女性陣の状態について記載をはじめるよう指示した。

 紙もペンもないので、床に積もった砂に文字を書くという原始的手段がとられている。詳細を書くのは困難なので、簡略化した記号でのメモ書きのようなものだったが、おかげで状況がよく分かった。

 この場に集められた女性たちは、思ったよりも動揺していない。見るからに身分の高いバハール様が落ち着いていらっしゃるのが良かったのだろう。

 

 集められた女性たちもまた、徐々に状況を理解しているようだった。

 なにしろ彼女たちは聞いている。

 ダーラー様が街中に放ったという言葉を。


 ――【これより我が王となる】【エランの新しき王の前にひれ伏せ】


 そして彼女たちは皆、ダーラー様に口説かれた、あるいはすでに手を付けられたという経緯があるのだ。


「さて、お集まりの皆さん」

 私はそう言って口を開いた。

「うすうす気づいておられるとは思いますが。皆さんをここに集めたのはダーラーという男です」

 バハール様をはじめ、誰も口を開かなかった。はじめて気づいたというように驚きを顔に表している者もいたが、騒ぎ出す者は一人もいない。

 その事実にホッとしながら、私は続ける。

「彼の目的は、……この場にいる女性たちを後宮に入れること。そして彼にはそれができる。王だからではなく、彼には強制的に他者を従わせる力があるからです」

 私の説明は分かりづらかったようで、女性たちはお互いに顔を見合わせた。

「ですが、この場には彼はいない。逃げるなら今のうちです」

 ざわ、と女性たちははじめて声を上げた。

 困惑する者、抗議する者、叫び出す者様々だが、15名もいると誰が何を言っているのか分からない。

「お静かになさいませ。彼女のお話はまだ終わっていないのよ」

 そっと口を挟んでくださったのはバハール様だった。彼女のただならぬ高貴な気配に、バハール様の顔を知らない者も一様に黙る。

「私たちに協力をしてくれる者がいます。ですが、多少時間がかかります。外までは歩く必要もあります。

 もし、――ダーラーの後宮に進んで入りたいという方がいるならば、その方はこの場に残ってくださっても構いません」

 砂で埋もれた通路を開通する。ここから逃げる手段はそれしかない。ルーズベフは魔神と違い、人間を瞬時に別の場所に連れていくようなことはできないからだ。だが彼には『砂人形』を作る力がある。通路の砂をすべて『砂人形』に変えてしまえば、私たちが通るだけの道ができる。

「ただし、忘れないで。彼は決して、あなたがたを愛してここに連れてきたわけじゃない。もしそうなら、これだけの人数は必要ないでしょう?」

 もしかしたらダーラー様が選んだ女性の中には、純粋に世話係もいるかもしれない。

 ロクサーナは治療師だし、私は調査官だ。そうやって、仕事ができる人間として連れられた可能性だってゼロではない。

 だが、連れてこられた以上、『女』扱いなのだ。


「わたくしは行くわ」

 最初に宣言を行ったのはバハール様だった。彼女は颯爽と椅子から立ち上がると、私の横に移動して、集まった女性たちを見回した。

「この中には、純粋にダーラーを慕っている子もいるでしょう。あの男は女性を軽視しているから、一度逃げた女へは興味を失って捨てるかもしれない。もしかしたら家族や仕事について脅されて、嫌々ながらあの男に従っている子もいるかもしれないわね。それを理由に残りたいという子もいるでしょう」

 だけどね、とバハール様は言った。

「ダーラーは王に反旗を翻した。クーデターの末路は一つしかない。彼を待つのは処刑よ。

 その時、関係者としてあなたがたが処分されるのはわたくしは我慢がならないわ」

 ざわざわざわ、と女性たちの間にざわめきが広がった。そのうちの一人がそっと声を上げる。

「あ、あのぅ、バハール様。わたしたちが処分されるというのは、どうして……?」

「わたくしたちは今、ダーラーの『女』と認識されてしまっている。妻、あるいは愛人。そういった関係性にある存在は協力者と見なされる可能性があるということよ。妻子は男が処刑された場合に恨みに思う可能性が高いから、諸共に処罰されることがある。後々の憂いを断つということでもあるわね。

 過去に重度の犯罪を行った者が、一族郎党同罪と見なされて処分された例は多い。ペテルセア帝国の影響下に入ってから実行されたことは少ないけれど、それまでは王宮内の権力争いで一族ごと処分されたことが多かったのは知っているわね?」

「は、はい。ですがわたしたち、何も悪いことなんて」

「仮に脱出できても、わたくしは処分を受けるでしょう」

「ぇ……」

「わたくしはあの男の身内だわ。不肖の甥だけど、それでも家族なのよ。

 わたくしの父、わたくしの兄も処分を受けることになるでしょう。ダーラーが王に対して反旗を翻そうとしていることを止められなかった罰として。共犯者でないかどうかを調べられて、仮にそうでないと分かったとしても、ダーラーと血縁関係にある者は今後王宮内での立場が悪くなる。解雇されるか、少なくとも重役の席からは外されて、命があるだけマシだとささやかれる」

「あ、ありえません!シャーロフ大臣は、この国のナンバーツーですよ!?」

「ダーラーの罪はそれだけ重い」

 シンと鎮まりかえった。

「一緒に来た者については、わたくしがその身を保障するわ。わたくしが処分を受けたとしても、彼女は無関係であり、その身内についても一切罪はないと証言しましょう」

 バハール様はそう言って、その場にいた女性たちを見回した。

「わたくしと共に来なさい」

 

 この人がファルの婚約者候補だったということを、私は痛烈に感じていた。

 女性でありながら上に立つカリスマを感じる。後宮をまとめることのできる器量が、彼女にはあるのだ。

「よろしいのですか、バハール様」

 私は小声で尋ねずにはいられなかった。

「私はあなたを破滅させようとしているのかもしれません。外へ脱出しなくても、いずれは助けがくるでしょう。その方が、あなたの立場は守られるかもしれないです」

 今の状況ならば、誘拐された人質と言い張ることができる。逃げ出して、失敗したら、ダーラー様はおそらく怒りをぶつけてくるはずだ。身の安全は保証できない。

 だがバハール様は微笑んだ。

「あなたは脱出するべきだと思うのでしょう?」

「……はい」

 私はうなずいた。

「ここは不安定すぎる場所です。魔神によってかろうじて守られている空間です。それさえも、しもべたちの力を使ってかろうじてという状態……。魔神の魔力は無尽蔵ではないということです」


 私はダーラー様の願い事に対して懸念があった。


 かつて黄金の都はどうなった?

 愚かな姫の願い事を叶えるため、魔神は黄金の都を砂に変えた。黄金の都は王の願いを聞いて魔神が作ったものだったから。

 

 キルスの願い事は一つ残っている。

 魔神はダーラー様の願いを叶えたら、次こそ彼の願い事を叶えるはずだ。

 その瞬間、黄金の都が維持されているという保証はないだろう。


 黄金の都が復活した瞬間。それは、都が崩壊するかもしれない瞬間でもあるのだ。

 私たちは逃げなくてはいけない。

 誰も助けにはこられない。我々はファルやアラム先輩の足を引っ張る存在なのだ。


「あなたの判断を信じます。わたくしはね、この制服を身に着けているあなたに憧れがあるのよ」

 意外なことに、バハール様はそう言った。

「エランの女を甘く見た、あの男を見返してやりましょう」

 そういって、バハール様は微笑んだ。


 

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