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番外 アラムと過去の話

 過去の話をしよう。

 ペテルセア帝国とエラン王国との間に起きた50年前の戦争。双方に傷を与え、と言いたいところだが、この戦争は主にエラン国土を傷つけただけで、ペテルセア帝国にはなんら影響を与えなかった。ペテルセア帝国はエランを侵略することこそできなかったが、和解交渉を行うにあたり、その復興に口出しする権利を得た。金と人を与えることでエランのペテルセア化を進め、実質的に属国扱いをしていったのだ。

 その活動の一環として、ペテルセア帝国から何人もの女性がやってきた。高等教育を受けた女性たちは、エラン王国の女性たちに衝撃を与えた。女性であっても政治に口出しすることのできる実例を見せつけたのだ。

 その一人が、俺の母親である。

 俺の母親は、逆に、エランの「良く言えば大事にされている」女性のあり方を羨ましく思ったらしい。伝統的なエラン女性は、家の奥で大事に育てられる。素顔さえ父親と旦那以外には見せないと言われ、外で働くなどもっての外だ。家の奥で楽器を奏で、料理を作り、絨毯を織る。生活費は夫が稼いでくるので、外で働く必要などない。夫は妻のために、そして子供を育てるために働く。

 母親はエラン王国で働く一人の男を夫とし、そのままエランに居ついた。父親はエラン男らしく女性を大事にするタイプだったので、夫婦仲はなかなか良好であると思う。

 ただ、ペテルセア帝国で教育を受けた女性として、生まれた娘をエラン風には育てなかった。ペテルセア化していく時代に合うよう、きちんと教育を施したのだ。その結果、娘レイリーは文官としてはかなり優秀な人材に育った。

 生まれたのは男が一人と女が一人。兄の方はエラン王国で就職し、これまた優秀だと評判だった。それが俺だ。名はアラムという。


 レイリーも長じてエラン王国へと就職を希望した。よりにもよって国軍に、である。優秀な文官の素質があり、また兄という前例もあったことで、レイリーの就職はかなり実現性が高かった。

 だが、ここでエランの悪い癖が出た。レイリーの就職に対し、条件をつけたのだ。

 それまでのエランであれば、確かにありえる条件だった。だが、コネではなく、自分の実力で働こうとしていたレイリーにとっては屈辱極まりないものだった。就職を悩んでいると家族に相談してきた時も、最後まで内容を話そうとはしなかったが、逆にそのせいで俺には分かってしまった。

「ペテルセアに行け」と俺は言った。「あっちには母さんの兄弟もいるだろ。勉強させてもらって、あっちで就職すればいい」

「でも、兄さん……」レイリーは迷っているようだった。仲のいいロクサーナとラーダと一緒にエランで頑張りたいと思っていたからだろう。

「おまえがその条件を受けたら、あの二人が泣くぞ」俺がそう言ったのがレイリーには決め手になったらしい。迷いが晴れたような晴れ晴れとした顔をした。「それもそーね。あんなクソバカ野郎なんかに従う必要ないわよね」ケッと淑女にあるまじき舌打ちをした後、レイリーは海を越えていった。

 とばっちりのように俺の左遷が決まったのはその直後で、むしろ俺は呆れていた。

 優秀だからとあれこれ頼まれオーバーワーク気味だった俺としては、他に手を広げる余裕ができて喜んだくらいだったが、以後の出世見込みがないということで結婚相手が見つからなくなるというオチもついた。今は良くても将来的に不安な相手との婚姻を、向こうの親が反対するようになったのだ。無理もない。

 それが一年ほど前の話である。


 □ ◆ □


 ペテルセア帝国の王女帰国を間近に控え、俺はサンジャル様に呼び出されて王宮にいた。

 組織の末端に落とされた身としては、直接サンジャル様とやりとりをしていると知れるといろいろと陰口を叩かれそうなものだと思うのだが、今のところそのようなことはないらしい。サンジャル様自身が、組織の中でどこに該当するか分からないポジションにおられるからだろう。

 少し状況が読める人間であれば、サンジャル様こそが『現在の王位継承者』であると気づきそうなものなのだが。

 国王の唯一の息子であるファルザード王子が王太子ではなく、かつ国王代行業務をサンジャル様が行っているという現状を見れば一目瞭然である。

 サンジャル様との接触場所は、王宮の隠し部屋だった。座椅子が一つ置かれているだけの小部屋で、壁には壁掛けが飾ってある。この部屋で呼び出し鈴を鳴らすと、隠し通路を通って彼が姿を見せるというのが連絡方法だ。彼が俺に連絡を取りたい場合は、空に一条の煙が上がることになっている。これがちょっと分かりにくい煙で、目には見えづらい。特別な香を混ぜてあるので、鼻が良い港湾課向けならではと言えるだろう。正直なところ、あまりに堂々とした呼び出し方なので他の連中に気づかれるんじゃないかと懸念している。

 だが、呼び出されたのはこちらの方なのに、鈴を鳴らしてもなかなか姿を見せない。

 遅い、と不平を口にする前に、俺はハラハラする気持ちで廊下をうかがっていた。

 この隠し部屋は廊下の終点にあるため、誰かが来た時に逃げ場がない。ついでに言うと、他に見られないから密会場所には最適なのだ。

 そう考える人間が、他にいてもおかしくなかったのである。


 ――カツ、カツ、カツ。


 嫌な懸念ほど当たるもので、廊下を進んでくる音を聞きつけた俺は、わずかに迷った末――壁掛けの裏に潜りこんだ。

 座椅子の下には潜れそうになかったのだ。足音は二人分だった。

「ここなら、他に聞かれることはない。正直に話してくれ」

 現れたのはダーラー様と。

「どうしました、ダーラー。ナスタラーン王女の帰国準備で忙しいと知っているはずでは?」

 サンジャル様だった。

「そのことだ!サンジャル、おまえがペテルセア帝国まで護衛するというのは本当か?」

「本当です。大使とも言える調査団が襲われたという現状、巻き返しをはかるにはこれがベストだと国王陛下に進言しました」

「ダメだ、ダメだ、ダメだ!おまえ、分かってるのか!?万が一ペテルセア帝国で身柄を拘束されでもしたら、帰国できる見込みがなくなってしまう。いや、それ以上に!調査団を襲った連中はまだ捕まっていないだろう。その残党が襲ってきたらどうする?おまえの身に何かあれば、エランの未来はないんだぞ!?」

「……ダーラー。言葉を選んでください。そのような乱暴な言葉遣い、他に聞かれていたらどうします」

 激昂するダーラー様を諌めるように、サンジャル様は口を開いた。

「いいや、選ばない。単刀直入に尋ねるが、……おまえ、ナスタラーン王女と結婚する気があるのか?」

「え?」

「民の噂話の一つだ。ナスタラーン王女は”王妃”となるべくしてこの国に来訪している。もちろん、相手候補の筆頭はファルザード王子だ。だが、……国王陛下が考えておられる、次の国王とはおまえのはずだ。

 そしておまえは独身。年齢差はあれ、10歳年下程度ならば許容範囲だろう?

 ナスタラーン王女は美しい。エランの女性たちの中でもあれほど魅力的な容姿を隠している者はほとんどいない。いくら女嫌いと言われているおまえだって興味が湧いたはずだ」

「何を言って……」

「もちろん、いずれはファルザード王子に王位が回ってくるだろう。だが、まだ若い王子であれば、それは今すぐでなくてもいい。おまえは30代で、中身も外見ももっとも充実している時期なんだ。一時的な王位が回ってくる可能性があることを、おまえが考えていないとは思わない。そのために、仮に一時的に王になったとしてもその後の王位継承で揉めないようにと独身を貫いてきたんだろうが」

「国王陛下はまだお元気でいらっしゃる。そのような懸念はありませんよ」

「……これは言いたくなかったが」

 ダーラー様は口ごもった。

「医療部門以外には口止めされていることだが、国王陛下は病を患っていらっしゃるのだ」

「……な……?」

「もちろん、すぐにどうこうなるという病ではない。だが、しかし。エランの気候は厳しく、病を患った身ではいつ他の病に侵されてしまうとも限らない。祖父から忠言を受けて、様々な国王業務をサンジャルに回すようにしているのはそのせいだ」

「同じことを大臣も言われていそうですね」

「ああ。当然だ。祖父には散々、忠言を行っている。国王陛下からもな、後任を育てて欲しいと希望されているし。……だが、死ぬまで現役でいたいというのが彼の望みなんだ。老害と言われる前に引けと、昨夜も大ゲンカしたばかりだ」

「あなたも、身内と外とでは態度が違いすぎますよ」

「それのどこがおかしい」

 キッパリと言い切ったダーラー様は、サンジャル様の肩をガシリと掴んだ。

「バハールを裏切る真似は許さない」

「……」

 ダーラー様の剣幕に気圧されていたサンジャル様は、そこではじめて、ため息をついた。

「……ダーラー。私がペテルセア帝国へ向かうのは、調査団の襲撃を退けるためです。少しでもまともな頭の働く連中であれば、私が護衛に乗り出した船を襲ったりはしないでしょう。仮にまともでなくても、護衛が務まるだけの人数を連れて行くつもりでいます。

 ペテルセア帝国との関係は、我が国の生命線なのです。ナスタラーン王女にもしものことがあっては、それこそ国が滅びる。それに、ファルザードにも顔向けができません。私が出張らなければ、彼が護衛役に立候補してくるでしょう」

 そこでもう一つ息を吐いた。

「ナスタラーン王女と私の婚姻など、ありえません。否定しておきます。

 ダーラーも知っての通り、私は女嫌いなので、生涯独身を貫くと国王陛下にも宣言しておりますから」

 それと、とサンジャル様は付け加えた。

「ナスタラーン王女とは相性が悪いようで、まったく会話になりません。彼女から希望することもありえないでしょう」

「所詮女だ」

 ダーラー様は吐き捨てるように返した。

「王女の希望なんざ、どうでもいいに決まっている。女など、男が抱けばホイホイと従う生き物だ。そもそもからして男の庇護なしに生きられるものじゃない。

 おまえは見目もいいし、仕事もできる。多少性格が合わない程度、たいした問題じゃない」

「口を慎みなさい、ダーラー。そういった態度でいるから、別れた女性たちやその親から悪評を流されたりするんですよ。大臣の孫でなかったら職を追われていた可能性もあります。

 だいたい、最近の女遊びは目に余ります。きちんと側室にするのであればともかく、両手で余るほどの女性に手をつけておいて、正式に婚姻を結びもせずに……」

「女など、どれも一緒だ」

「ダーラー」

「……どれも一緒なんだよ、サンジャル。だからこそ分かる。おまえが思うほどナスタラーン王女は特別じゃない。美しいがただの女だ。相手がファルザード王子だろうと、サンジャルだろうと、ペテルセア国王が望めば輿入れしてくる。どちらであっても妻の顔をして、他の女の存在を認めない。だがあんな女はバハールの代わりになどならない」

「……ダーラー。いい加減にしてください」

 サンジャル様は静かに首を振った。

「もう一度言います。ナスタラーン王女と私の間で婚姻をという提案は、国王陛下からもされていません。現時点では想定されていない話です。今回の同行は、あくまでもエラン王国の誠意を見せるための人選であって、他意はありませんよ」

「……本当だな?」

「はい」

「分かった。……忙しい時にすまなかったな。こちらも準備を進めておく。治療師たちの中でも優秀な人材を送ろう」

「ええ。お願いします」

 バタバタと走り去るダーラー様。その足音が完全に聞こえなくなったところで……、サンジャル様は、壁掛けの方へと視線をやった。

「いるのでしょう、アラム。待たせましたね」


 正直に言って、壁掛けに隠れていることがダーラー様にバレなかったのは驚きだった。

 ダーラー様も国軍で鍛錬を受けている身だ。人の気配には敏感のはずだというのに、よほど切羽詰っていたのだろうか。

「え、えーっと。出てもよろしいでしょうか?」

 おそるおそる壁掛けの端から顔を出した俺に、サンジャル様は苦笑いを浮かべた。

「この状況で出るな、というのは酷でしょう。……見苦しいところを見せましたね」

「いやあ。確かに見苦しかったです。ダーラー様って、あんなでしたっけ?女好きでいらっしゃるのは知ってましたが、あそこまで女性を卑下しておられるとは思いませんでしたよ」

「そうですね……。元からその傾向はありましたが、ここ最近異常です。アラム、あなたの部署には手を出していないでしょうね?」

「ここ一年は無事みたいですね」

「たぶん、バハールと何かあったんでしょう。また喧嘩でもして機嫌が悪いんだと思います」

「サンジャル様、『様』が抜けてます。

 それにしてもサンジャル様はラーダが女であることにも気づかないくらい女性慣れしていないのに、ダーラー様は王宮内で噂が絶えないほど女好きというのは……。よく友達してられますね」

「アラム」

「失礼しました」 

 俺は一応謝ると、サンジャル様に対して形ばかりの礼をした。

「お呼びがあったようなので、参りました」

「ええ。緊急事態が起こりました」

「調査団が襲撃されたという以上に緊急のことなんてないような気がしますが……」

「ファルザードにとってはもっと重要でしょう」

「え?」

「……王宮の宝物庫に侵入者があったようです」

「………………はぁあ!?」


 大声を出しそうになった俺は、慌てて口を覆ってから、「それはもしかして」と続けた。

「例のやつが盗まれたとかですか」

「そうです。……他の被害はないようですね」

 そもそも、そういった事態を避けるために王宮の宝物庫を使ったはずだ。ファルザード王子自らの手で納めたと聞いている。

 宝物庫内にそれが納められたということを知っているのだって、王子と、護衛のボルナーと、俺と、目の前のサンジャル様くらいのはずだ。ああ、いや、当然国王陛下は知っているかもしれないが。

 『魔法のランプ』。

「どうして……、いや、どうやって。仮にも王宮内の、一番警備が厳しいところのはずですよね?」

「ええ。そのはずです」

 チラリとサンジャル様は廊下に視線をやった。

「警備に穴があったとは思われません。襲撃があったという報告も聞きません。ですから、煙のように消えてしまったのでなければ、宝物庫に出入りできる人間が持ち出したのでしょう。

 それも、ファルザードが旧都に向かうと言って飛び出した夜半から、翌朝にかけての間に」

「……」

 俺が頭を抱えているというのに、サンジャル様は平然とした顔で続けた。

「心当たりはありませんか、アラム」

「なんでそこで俺が知ってるかもしれないって飛躍したのかを聞きたいですよ!」

 ぐしゃぐしゃと髪をかき、頭に巻いた布を取り去って目を閉じる。

 

 ファルザード王子が、調査団襲撃の報を聞いて、サンジャル様の元へと急いだ夜。

 サンジャル様ではなく、国王陛下と面会してから、そのまま王母様のところへ行くと言って姿を消した。

 その夜、王子に同行させたラーダは気になることを言ってた。そう――。


「……心当たりがあるのが憎いですね。確かに怪しいやつがいました」

 ルーズベフだ。あいつが、なぜか王宮内にいて、ラーダと遭遇している。レイリーの姿に化けていたというが、その事実は確認していないので確かではない。

 宝物庫に出入りすることのできる人物ではないと思うが、レイリーに化けられる存在なら、それこそ国王陛下などに化けて宝物庫に入ったとしてもおかしくはない。……宝物庫に侵入した時にもレイリーの姿をしていたらどうしよう。今度こそ俺、職を失くしそうだ。

 ルーズベフと相対したという部屋については、翌日調査を入れたが、砂以上の形跡は何も残っていなかった。

「私はおとぎ話については門外漢です。その怪しい人物が盗んだとして、悪用できる見込みはあるのですか?」

「……ない、と思います。

 おとぎ話自体については王子の方が専門ですが、『魔法のランプ』の願い事は、誰かの願いを叶えている最中は次の順番が回ってきません。キルスはまだ願い事を残しているらしいので、それが終わるまではただの古びたランプです」

 俺自身、試しにこすってみたが何も出てこなかったのを確認しているので、そこは確かだろう。

 俺が言うと、サンジャル様はわずかに安心した顔をした。

「なら、構いませんね。放置で」

「ええええええええええええええええ」

「なんですか、大きな声を出して。優先順位でいけば後回しになっても仕方がないでしょう。目の前のナスタラーン王女を無事に帰国させるほどの価値がありますか?」

「いやあ、その……」

「安心しました。では、私は戻ります。アラム、あなたも咎められる前に戻った方がいいですよ」

 そう言いながら、壁掛けの向こうへと消えるサンジャル様。

 ここに呼び出した張本人でありながら、いつもながらそっけない。

 

 確かに、サンジャル様はおとぎ話を重要視していない。その脅威のほどについても、「私には手におえない」といってこちらに振ってくる程度でしかない。王子がおとぎ話に肩入れするのも非難するくらいだから当然ともいえる。

 だが、王宮の、それも宝物庫に侵入した人物がいるという状況を、『放置』はまずかろう。

 ぐしゃぐしゃと髪をかき交ぜた後、俺は布を巻いて無理やり髪の乱れを誤魔化した。

「だけど確かに、目の前で燃えかけてる火種を消す方が優先なんだよな……」

 エランには使える人材が少ない。

 ペテルセア帝国との交渉を行うのに、国第二位の人物が直接出向くしかないくらいに。

 王母様をなだめるために、王子自ら片道一週間の道のりを行かなくてはならないくらいに。

 国宝とも言える品を貸与されている港湾課職員が、国軍の下っ端として日夜業務に励まなくてはならないくらいに。


 

 王宮を後にした俺は、まるで待ちかねたように佇む女の子に気づいた。

 深いオレンジ色をした髪は肩くらい。年齢は五歳前後に見える、赤い服を身に着けた女の子だ。

 見ているだけで肌がチリチリと熱く焼かれている感覚が蘇ってくる。

「ヒナ!?」

 驚いて近づいた俺に、彼女は嬉しそうに目を細めた。

『アラム。やっと出てきた。何をしてた?』

 俺はと言えば、驚きすぎて続く言葉が出なかった。

 不死鳥であるヒナは、つい先日魔神の迎えを受けて姿を消したはずだ。二度と会うことはないのだろうと思っていた。

「か、身体は……大丈夫なのか?毒は?」

 俺が困惑する声で尋ねると、ヒナは小さくうなずいた。

『まじんがどくをちゅうわしてくれた。まだとべないけど、だいじょうぶ』

「そうか……」

 ホッとしたような、呆気ないような、不思議な気持ちだ。ヒナを蝕む毒がどういうものだったのかは分からないが、苦しんでいた姿を目に焼き付けてしまった身としては、あんな姿は二度と見たくない。

 そもそも、女が苦しむというだけでも嫌なのに、子供なのだ。五歳の子供が毒に苦しむなんて、見たがるやつの気がしれない。

『アラムにおしえたほうがいいと、まじんがいったから』

「そうだな。おかげで安心できた。ありがとう」

 俺は素直にそう言って、ヒナの頭を撫でた。

 温度を調整してくれているせいかもしれないが、彼女の頭を撫でても熱くはない。人間の子供を撫でるような感じである。

 オレンジ色の髪は珍しく、普通じゃない気がするが、それだけだ。

『ラーダは?』

「仕事中だよ。今頃港で荷物のチェックをしてるはずだ。あいつにも会いたかったなら、この間と同じ事務所にいれば良かったかもしれない。休憩しに戻ってくるだろう。行くか?」

 俺の誘いに、ヒナは首を振った。

『まじんのところにもどるから』

 時間がないということか。残念だ、と俺は思った。

「分かった。なら、ラーダには伝えておこう。心配していたから、安心すると思う」

『……』

 ヒナは首をひねり、それからこう口にした。

『まじんが、みやこはきけんだからちかづかないようにって』

「え?」

『みやこ。おんなのひとが、あたしのランプをもってる』

「は?」

『アラム、にぶい』

「があん!?」

 かつて鋭いと言われたことはあれど、鈍いと言われたことのない俺である。地味にショックだ。

『ランプのまほうじんがかさなると、きけん。なにがおこるかわからないから』

 ヒナはやや聞き取りにくい発音ながらそう言って、まじめな顔をした。

 五歳児の真剣な表情は、正直なところ可愛らしいだけだったのだが、彼女は不死鳥である。その内容を真摯に受け止めることを約束して、俺はヒナを見送った。

「帰り道は分かるのか?」

『あたしはまいごじゃない』

 むすーっとむくれた顔をした後、ヒナは人混みに紛れて見えなくなった。


 どこかに魔神の迎えが来ているのかもしれない。まさか歩いていくわけではないだろう。

 少しばかり心配だったが、俺としても仕事に戻らなくてはならない。

 道中彼女の言葉を頭の中に蘇らせながら、俺は歩いていた。

 みやこ。

 その言葉で想起されるのはこの港街なのだが、おそらくは違う。

 旧都のことのはずだ。ファルザード王子が向かっているはずの場所が危険だと聞かされて、心穏やかではいられない。

 サンジャル様に連絡しておくべきだろうか。通信鳥であれば間に合うだろう。


 □ ◆ □


 あれこれ雑用を終えてから事務所に戻ると、タイミングよくラーダが戻っているところだった。

 彼女は今日も朝から港街の荷物チェックを続けて疲れ切っているようで、俺の顔を見るなり「食事に行きませんか」と口を開いた。

「アラム先輩の奢りで」

「オイ」

 ちゃっかりした面もあるにせよ、このラーダこそがエラン王国を変える一人である。

 国家治安維持部隊港湾課、アラム隊に所属するラーダ。

 港湾課に採用された女性としては、初。実働部隊に配属された人物である。

 一年前、はじめて制服を着ているところを見た時には思わずうなってしまった。「おまえ、男装がそんなに似合ってどうするんだ」と。

 ラーダは女性としては背が高い。別に顔立ちが男顔ということはなく、むしろ完全な女顔で、日差しから顔を隠さず晒していていいんだろうかと思うほどだ。女性らしいボリュームの有無については確認する機会がないので知らないが、もともとエラン女性は婚姻するまでそこらへんが謎なものなので気にならない。

 実働部隊なので一応の鍛錬は行っているが、文官能力の方が高い。文字も綺麗だし、ペテルセア公用語が読み書きできる上、会話も可能なので、最近の新人の中では一番便利でもある。

 レイリーの友人なので、俺としても妹相手のような気分で接することが多い。

「あー、まあ、いいぞ。ただし、店は俺が選ぶ」

「女性が半裸で踊る店でなければ喜んで」

「アホか。真昼間からそんなところに行くわけないだろう」

「もう夕方ですけどね」

 何か言えば一つ一つ丁寧に返してくるので、揚げ足取りと見えなくもない。

 ラーダを連れて適当な飯屋に入る。ヒナの話もしておこうと思ったので、きちんと席が確保できる店にしたところ、ラーダは少しばかり居心地が悪そうな顔で店内を見やった。

「どうした。希望通り、女性が踊ってない店だぞ?」

「……ああ、いえ。違うんです。以前ファルを連れてきた店だったので」

「ほー?」

 ファル。ファルザード王子とラーダの関係については、兄貴分としてはいろいろと複雑な思いもする。

 どうやらこの国の唯一の王子、ファルザードはラーダに興味があるらしいのだ。

 たまにラーダが漏らす情報を聞くに、無自覚というわけではなく、自覚ありで口説いてくるらしい。

 堅物で恋人の一人もいないはずの王子としてはずいぶんと積極的な話である。

 ラーダが彼をどう思っているのかはよく分からない。王子の婚約者候補としてやってきたナスタラーン姫と仲良くなったせいで、余計に王子を恋愛対象と考えづらくなっているらしい。

 単に恋人同士の間はいいが、いざ婚姻を考えた場合、確かに厄介な組み合わせではあるだろう。王妃になる可能性のある娘を港湾課で働かせることはしないだろうし、ラーダの場合、親も兄弟もいないため後見人がいない。それだけ立場の弱い娘が後宮に入った場合、貴族たちがとやかくとうるさく文句を言ってくるのは間違いない。

「ラーダとしてはずいぶんと大胆なデートじゃないか」

「え、なぜです?」

「この店は個室があるから恋人同士が選ぶ店としては人気高いぞ。知らなかったのか?」

「まったく。それに、デートなんてものじゃありませんよ。途中でサンジャル様とダーラー様がいらして、ファルを連れていってしまったので」

「何をしてるんだ、あのお二人は……」

「サンジャル様は私を男と思った上で、逢引だと考えていらしたようです」

「ますます何をしてるんだ」

 だがその言葉で、ラーダがいつの話をしているのかが分かった。サンジャル様に男と間違われたという話は、その翌日にチラッと聞いた話だったのだ。いくら女性慣れしていないとはいえ、見る目がないと思ったものである。

「そうだ、さっきヒナがな、」

「ファルは……」

 ほぼ同時に口を開き、俺とラーダは顔を見合わせた。ラーダは切羽詰った話題ではなかったのか、「お先にどうぞ」と一歩引いた。

「さっきヒナに会った。魔神は無事に毒を抜いてくれたらしい」

「そうですか!」

 パッと目を輝かせたラーダは、嬉しそうに目を細めた。

「本当に良かった。これで先輩も安心ですね」

「うん?俺か?」

「ええ。ヒナに膝を貸して頭を撫でているところなんて、まるで若い父親のようでしたよ。隠し子疑惑に確信を持ったものです」

「ラーダ、おまえ奢りはなしな。むしろ奢れ」

「えぇええっ!?」

 のけぞったラーダは慌てて財布を取り出して中を確認しはじめた。俺の奢りだと決めつけて財布を持ってきていない、なんてことはさすがにないと思うのだが(それだと事務所に財布を置いてきたことになる)俺の分を奢れるほどは持ち合わせていないのかもしれない。

「……まあ、今日はワリカンか自分の分は自分で払うくらいで勘弁してやろう。

 で?ファルがどうした」

 俺が話を振ると、ラーダは困ったような、安心したような顔をした。おそらく困っているのは終わったと思った話題に話が戻ったため、安心したのは奢りじゃなくなったためだろう。

「……ファルは、本気で言ってると思います?」

「おまえはあれが、冗談で女を口説ける男だと思うのか」

「……」

 思わない、とラーダの顔は言っている。

 エラン王国の王子、ファルザードは、エランの男としては稀なほど、女性に対してまじめだ。

 幼いころからの刷りこみもあるだろう。妻として迎える女性は王妃一人にすべし、と国王が告げたのを守るため、そのたった一人に出会うまでフラフラしないでいたのだ。サンジャル様といい、王族の皆さんは少々極端に走る傾向があるのではないだろうか。

 だがそれだけに、好意を抱いた相手に対して簡単に諦めるような気がしない。

「……魔神への興味と、一緒にしている可能性はないでしょうか」

 ラーダは言った。確かに魔神に似ているというのは、おとぎ話好きな王子には高ポイントだと思うが、そう言われ出したのは彼がラーダに興味を抱き出すより後だろう。

「どうだろなー」

 とはいえ、この件はうかつに煽ったりはできない。相応の覚悟もなく盛り上がってしまったら、苦労するのは当人たちなのだ。

「ファルのこと嫌いか?」

「まさか」

「では好きか?」

「……」

 黙りこんだラーダは、運ばれてきた食事をもぐもぐごくんと飲みきった後、小さな声で答えた。

「友人としてなら、間違いなく」

 なるほど。

 いつの時代も男女の仲ほどスッキリしないものはない。友情と愛情の境は複雑で、混合すると面倒なことになる。

 してみると、俺の両親はよくやったものだ。恋愛結婚で、子供にも恵まれて、まったく羨ましい。俺にも早く妻になってくれる女性が現れないものだろうか。

「なら、急いだって仕方ないだろ。幸い、ファルは焦って答えを出せなんて言わないさ」

 焦るのは周囲の方だろう。

 20歳を越えた国唯一の王子が、初恋の女の子相手にのんびり口説こうとしているなんて知ったら、サンジャル様が頭を抱える。

 その上、ラーダはまだ成人してから一年しか経たないのだ。結婚を急ぐ年頃ならばともかく、先のことをいろいろ考えなくてはいけない相手だなんて、面倒だったりするんじゃないだろうか。

「相手がアラム先輩なら迷わないんですけどね……」

 はあ、とラーダはため息をついた。

「え、それはどっちの意味でだ」

「兄としか見られないのでお断りします。と言えるでしょう?」

 こんにゃろう。

 一瞬ドキッとした俺がバカみたいじゃないか。 

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