第二話 治療師と密航者
遅めの朝ごはんを入手するべく、私は事務所に向かっていた。
治安維持部隊港湾課には、港の一角に事務所がある。風通しは良いが乾燥しているのであまり過ごしやすいとは言えない。
海風が好きな人でないと務まらないね。海が嫌いな人はそもそも港湾課に来ないけどさ。
「ロクサーナ、いるー?」
事務所の中には、書類仕事用のスペースの奥に、治療師たちが作業を行う診療スペースがある。
リラックス効果のある植物の香りが香炉から漂って、独特の雰囲気が漂う。
港湾課の持ち場では、様々なケースの怪我人、病人が出る。多くは船乗りたちが暴れて怪我をするというパターンで、正直なところこれは放っておかれている。多すぎるので毎度毎度相手にしてられないのである。
しかし、伝染病みたいなものを持ちこまれると困るので、病気や見慣れない怪我の場合はチェックが入る。
そこで活躍するのが治療師だ。
彼らは港湾課のマークに治療師の赤い羽根が重なっている印のついた腰飾りをつけている。この赤い羽根は不死鳥の伝説からとっているらしい。何度でも蘇るよという意味なのか、そう簡単に死なせないよという意味なのか、マークを考案した人物に問いただしてみたいけど、あいにくと何十年も前のことだ。
目指す人物、ロクサーナは治療中だった。
治療師たちは長いローブのような服装を身に着けている。治療師には女性もそこそこいるので、男性用と女性用の両方の制服がある。女性用の衣装はロングドレスの上にローブを重ねるといったもので、作業の邪魔になるため袖は細い。ロクサーナの清潔で華奢な雰囲気によく似合っている。外では太陽から守るためにさらに頭帯を巻いてるけど、実は長い黒髪を三つ編みにしていて、室内ではそれが背中を覆っているのが見て取れた。
病人として清潔な絨毯の上に横になっているのは、五人ほどの男女だ。
「まだ時間がかかりそう?」
私が聞くと、ロクサーナは困った顔をした。
「四人は、治療が終わってるんです。ただ、この方が……」
ロクサーナが示したのは、見覚えのある人物だった。つい先ほど見た密航者だ。
熱があるのか、濡らした布を額に乗せて、目を閉じている。まだ取り調べ中だからだろう、手枷がはめられているのが見えた。
「少し厄介な病気に感染しているようなのです。それに、調査官の方がお話を伺いたいから様子を見ていてくれとおっしゃって。長引きそうですから、わたしのことはどうぞ気になさらず、お食事に行かれてください」
「えええ?病気?感染ったりしないの?」
私がロクサーナと他の四人について心配して尋ねると、ロクサーナは微笑んだ。
「感染症ではありますが、一緒にいるくらいなら問題ありません」
「そ、そう?」
私がおっかなびっくりで距離をとろうとしたのに気づいたんだろう。ロクサーナは私に遠慮してか、患者から少し離れてから続けた。
「滅多なことでは感染しないのですが、一度感染すると治すのが難しい病気なのです。帝国には治療薬があると聞きますけど、エランはそこまで医療品が充実しておりませんし。一番良いのは、船で帝国に戻って、そちらで集中治療をすることなんですけど……。このまま王国で治療をするのであれば、他の方への感染を予防するために施設に入っていただくことになりそうで……」
「あー、それ、難しいかもね……」
私は納得してうなずいた。
この男は密航者なので、強制送還か強制労働の罰が待っている。強制送還であれば帝国に戻るように指示されるので一石二鳥だけど、他に余罪がないかどうかの調査などがあって、しばらくの間はこの国に留め置かれる可能性が高い。
「担当官に、病気のことを話せば、特例も認めてもらえるんじゃない?病気だって知れば、担当官だって長く留めておきたくないでしょう」
私が言うと、ロクサーナは咎めるような目を向けてきた。
「ラーダさん、ご病気の方に、もう少し配慮なさった発言をされてください」
はい。ごめんなさい。
「そういえばその人、名前はなんていうの?」
「まだ伺っておりません」
ロクサーナはそう言って、くすくすと楽しそうに微笑んだ。
「でも、子供みたいな方です。先ほども夢を見ていらしたのか、何か呪文みたいな言葉を呟いてらして。どんな夢を見ているのかしら」
「じゅ、呪文……?」
「ええ、『まじんよ、願いを叶えたまえ』ですって」
ロクサーナがそう言った時だった。
手枷をつけていたはず、目を閉じていたはずの密航者が、曲刀をロクサーナの首筋に当てた。
何が起きたのか分からず、ロクサーナが目を見開く。
「……ぇ」
密航者は、私とロクサーナの二名しか起きていないことを素早く視線で確認し、優位に立った笑みを浮かべた。
「あの男はいないらしいな」
それから腕の一方をロクサーナの首に回して身動きを封じると、曲刀の先を手枷に当てる。
キン、と小さな音を立て、手枷が床に落下した。手首の自由を得た密航者は嘲るような笑みで私たちを見下ろした。
「ロ、ロクサーナ?なんでその武器、ここにあるの?」
犯罪者の武器は取り上げるのが前提だろう!
刃物を突き付けられ、今度は首で絞められたロクサーナは、怯えたように震えるだけで、私の質問には答えてくれない。
代わりに口を開いたのは密航者だった。
「よほどお人よしらしくてな。そいつは親の形見だと言ったら、そばに置いていいと言ってくれたんだよ」
なるほど。それはロクサーナの性格をよく見抜いた話だ。
「ランプはどこだ」
「……なんのことでしょう?」
すっとぼけようとした私は、続く言葉に言葉を封じられた。
「おまえは俺を捕えに来た調査官だろう。当然、あの船にランプがあったことに気づいたはずだ」
顔色は変えなかった、と思う。だがわずかな動揺を悟られてしまったらしい。
「やはりだ。あのランプは俺のものだ。どこにある」
「答えると思いますか?」
「この女の命が惜しくはないと?」
「……」
卑怯者め。私が奥歯をギリリと噛みしめるのと、ロクサーナが口を開くのは同時だったと思う。
「あのぅ……」
おっとりとした声で、ロクサーナは言った。
「おっと、喋る許可は出していない。命が惜しければ黙って……」
「お名前を伺ってもよろしいでしょうか」
「……はぁ?」
ロクサーナののんびりした声に、密航者は呆れた顔をした。
「わたしはロクサーナと申します。エラン王国の国家治安維持部隊で治療師を務めております。港湾課の事務所に来るのは週に三日ほど、残りは王宮勤めなのですけれど……」
「ちょ……、喋るなっつってんだろが!」
ペースを崩さないロクサーナに、密航者は戸惑い、だが続いてあることに気づいた。
「おう、きゅう?おまえ、王宮に入れる身分なのか」
マズイ。冷や汗をかく私とは対照的に、ロクサーナはにこりと微笑んだ。
男の中ではすばやく計算が行われたに違いなかった。
王宮勤めのロクサーナを殺した場合、追手の数は一般人の場合とは比べものにならない。だが、殺さずに口だけ封じた場合、男はいつまでもロクサーナから手がかりが漏れることを恐れなくてはいけない。
「おまえが口利きしたら、王宮に入ることは可能か?」
うわお。男の計算は、私の考えたよりもさらに上の結論を出したらしい。
大胆不敵にも、王宮に入りこもうというのだろうか。
「あなたのお名前は?」
ロクサーナは首を絞められ、その首筋に曲刀を突きつけられながらもまったく動じることなく尋ねた。
「質問に答えろ!」
「あら、それはおかしいと思います。先ほどから一方的に質問されているのはわたしたちの方ですよね?あなたにもお答えいただかなければ公平とは言えません」
「状況が分からないらしいな……!?」
「よく存じておりますよ」
ロクサーナは微笑んだまま、続けた。
「まだ熱が高くていらっしゃいますでしょう。お手がとても熱いですもの。そのような身体で動き回ろうとしたら、すぐに病気が進行してしまいます。どうぞ横になって休まれてくださいな」
「~~~~ッッ!」
男は苛立ちの限界に到達したらしい。ロクサーナを使って王宮に入ろうと計算した結果も忘れ、いっそとばかりに曲刀を振りぬこうとした。
シュイン、と鋭い音と共に血しぶきが飛ぶ、と考えたに違いなかった。
パシン!
「動かないでください」
それ以上見ていられなかったのは私も同様だ。
距離を詰め、曲刀の刃を両手で挟み、男に接近しながら早口でまくしたてる。
思ったよりも力の強い男らしい。曲刀にかかる重みが両手に伝わり、ズシンと響いた。
そういえばかなり切れ味のいい剣だった。振り下ろされれば、私は真っ二つかもしれない。
「男に頼るような調査官に、何ができる」
男は苛立ったように曲刀を握る手に力をこめた。
「私は戦いはできませんが、その代わり体力には自信があります。それに……」
ジッと睨みつける。
男がごくりと息を呑むのが分かった。
「状況を忘れるということは、いたしません」
気づいていなかったんだろう。ロクサーナを人質にとろうとバタついていたせいで、診療が終わった四人が起き上がり、男を包囲していたことに。
合計五人の目で睨みつけられ、男は舌打ちをした。
「ラーダさん、そのような脅かすような言葉はお止めください。彼は病気で、少々苛立っていらっしゃるだけですよ」
ロクサーナがおっとりとした声で言う。
彼女は本心から言っているのだろうけど、男には遠回しの脅しにしか聞こえなかったに違いない。
「くそっ!」
ロクサーナを私に押しつけ、曲刀を放り出し、男は診療所から逃げ出した。
「あっ!お待ちください、まだ治療がっ……!」
ロクサーナの声にも立ち止まることはない。
四人の内数名がとっさに後を追ったが、がむしゃらに逃げる男を捕まえることはできなかった。
ロクサーナと一緒に遅めの朝ごはんを食べながら、太陽が過ぎ去るのを待つ。
今日の朝ごはんは焼きたての平たいパンとナツメヤシの実、羊の乳で作ったヨーグルトとチーズ。飲み物をどうしようか悩んだのだけど、果物をとろとろにしたフルーツジュースにした。時間的にお昼を兼用にしないといけない感じだったので、私はプラス煮こみシチュー。ロクサーナは豆のスープにして、パンにハチミツをつけている。港は魚が手に入るからメニューが豊富でいいんだけど、今日は魚の気分じゃない。
エラン王国は寒暖の激しい国だ。昼間は太陽が焼けるように照らし、夜は凍えるように寒くなる。よその国の話を聞くに、砂地が多いせいらしい。国の西半分は砂漠なので、ほとんどの国民は東半分に住んでいる。
また、真昼間の仕事はなるべく避けることになっている。熱中症で本当に死んだりもするからね。続々と到着する船を放っておくわけにはいかないから、運悪く日中の当番になった人は「ハズレ」と呼ばれている。外れた人は「アタリ」の日。
「でもって、この砂漠には大昔、大帝国があったっていう伝説がある。おとぎ話じゃ、一夜にして滅び、黄金の宮殿も都もすべて砂になってしまった、っていうものだ。かなり規模の大きい砂嵐でもあって埋もれたんだろう。海の向こうの帝国は、その大帝国が滅んだ際に逃げ出した王族の末裔だって話でね。現在でも使われている不思議な品は、その大帝国の遺跡から発掘されたものだっていうんだよ」
なぜか朝ごはんの席に加わってきたアラム先輩がそう言った。先輩も今日は「アタリ」の日らしい。
語るのは昔々の伝説だ。
エラン王国にはいろいろな昔話が伝わっていて、私もそれなりに知っている。だけどあくまでおとぎ話。それを実際の歴史と照らし合わせるようなことは門外漢だ。エラン先輩はおとぎ話に隠された歴史の方が好きらしい。
「西の砂漠にはいくつかオアシスがあるが、その近辺の遺跡からはたまに建築物の跡が発見される。だから、何かがあったのは確かだ。砂まみれの器の欠片じゃ、金銭的価値はほとんど分からないから、荒野の盗賊くらいしかいないけどな」
「まあ。そうなんですか?そういえばエラン王国では西は禁忌とされていますけど、どうしてでしょう」
おっとりとした声でロクサーナが尋ねる。
「そりゃ、どうして滅んだか分からない国の跡地なんて、怖くて近づきたくないだろ。どんな化け物がいるか分かったもんじゃない」
「そういう理由なんですか?」
私も首をかしげる。
「単に、盗掘防止とかではなく?」
「あー、それもあるだろうなあ」
アラム先輩は納得した顔でうなずいた。
「どっちにしろ、エラン王国の人間はほとんど西に興味を持たない。だって水もなければ食べ物もないような場所だ、行ったところで死ぬのは分かりきってるからな。ところが帝国の人間は、エランの西にはかつての黄金の都が今でもあるなんていうおとぎ話を信じてて、たまーに調査団を派遣してくるんだよ」
「無駄骨なのにですか」
私の呆れた声に、アラム先輩は笑った。
「そう、無駄骨なのにだ。これまでの最大成果は、オアシス都市近くで見つけたっていう遺跡跡だな。ところがやってくる調査団が死んだりすると、エラン王国の責任になってしまう。そのためエラン王国じゃあ、調査団を派遣された時は護衛をつけてやることになってる。調査団って言うが、要するに彼らは大使団なんだな」
「えぇええ、迷惑な。私たちには何のメリットもないじゃないですか」
「そうでもない。まず、本当に遺跡が見つかったら、その所有権はあくまでエラン王国にあるし。ついでに、その調査団を手厚く歓迎することで、帝国からけっこうな援助物資を受け取ってる。この国はもともと食料品の輸入依存度が大きいし、雨が少ない年には、特に食料は不足しがちなんだ。船便が止まったら辺境の街一つくらいは餓死しかねないくらいに」
「エラン王国は、帝国の配下じゃないんですけどね」
恩恵を受けてるのは確かだけど、まったく失礼な話だと思いながら私がぼやくと、アラム先輩はさらに笑った。
「向こうはほとんど属国だと思ってるだろうさ。けど、完全な手下じゃないから王女を送りこみたいんだ」
「お詳しいですねえ」
ロクサーナが感心して言う。
「帝国のお姫様が婚約のためにやってくるというのは、王宮でも噂話になっておりましたけど。まだ先のことですよね?」
ロクサーナが首をかしげた。
「あれ、本決まりじゃないの?」
私が聞くと、アラム先輩は実に楽しそうな顔でチチチと指を振った。
この話がしたくて仕方がなかったと見える。
「次の調査団にかこつけて、王女がお忍びで来るらしい」
ニヤニヤと人の悪い笑みを浮かべてアラム先輩は言った。
「結婚にノリ気じゃない王子を説得するために。……つまり、帝国王女自ら王子を口説きに来るんだよ」
うわぁお。
大胆な王女だと感心した私とは対照的に、ロクサーナは表情を陰らせる。
「どうしたの」
「あれ、面白くなかった?色恋沙汰のゴシップ話は好きだったよな?」
アラム先輩としてはケラケラ笑う類の話題を提供したつもりだったんだろう。アテが外れておろおろした顔をする。
「いえ……。婚約を嫌がっている殿方に、女性からアプローチをするだなんて……」
ああ、とアラム先輩は苦笑いを浮かべた。
「けど、帝国の女性らしい行動力だとは思わないか?」
女性の社会進出を支持するアラム先輩としては、アリな行動なんだろう。というより、むしろ強い女性が好みなのかなーと思わないでもない。
「で、だ。本題に移るぞ、ラーダ、ロクサーナ」
「え?私ですか」
「わたしにも?」
「先も言ったように、一週間後に帝国王女がお忍びでやってくる。あくまで調査団の一人としてって話だが、こっちとしては王女なのは分かってるし、失礼がないようにしたい。ところが、エラン王国には女性の要人を守る護衛官ってのがまだ整備されてないんだ」
「……まさか、私にやれと?荒事は無理ですよ?」
「ははは、そうは言ってない。けど、王女のボディチェックは、さすがに男にやらせるわけにはいかないだろう?王女がおかしなものを持ちこんでくるとは思ってないが……念のためだ。港湾課からのボディチェック、並びに怪我や病気に関する確認を二人に任せたい」
なるほど、と私はうなずいた。
港湾課の業務は基本的に物品だけだ。持ちこまれる商品が調査の対象なので、人が対象になることは滅多にない。
だからといって、まったくないわけじゃない。
今回はそれがよその国の王女だというだけだ。
「ちょうど、新しい制服を申請してただろ?王女に失礼のないように、一式新品で送り出してやるから」
アラム先輩は恩着せがましく言ったけど、それは経費でなんとかするって交渉が終わってた件だと思う。
私が承諾したと見て、先輩は続いてロクサーナを見やった。
ロクサーナは新しい服に釣られたりしないので、どう説得したものかと考えているのかもしれない。けど、頼まれたことを断ることは滅多にない子なので、彼女は素直にうなずいた後、事務的なことを尋ねた。
「それは、どちらで行うのですか?港湾課の診療所で?」
「ああ、いや……」
アラム先輩は反射的に否定をしたが、そこでうっと言葉を詰まらせた。
「確かに、そうだな。場所は考えていなかった。調査団の他のメンバーについては、いつも通り大使館の一角で行うだろうから。王女もそこでいいか」
「お姫様は、お忍びではあっても王子様との婚約のためにいらっしゃるのでしょう?でしたら、大使館で他の方々と同列にされるのは嫌がられるのではないでしょうか」
「うー……、そうか。だとすると……」
「滞在中はどちらにいらっしゃるのです?」
「それはもちろん、大使館に……」
「大使館では、他国の王族への護衛が万全とは言えません。王宮になさいますよう、提案されてみてはいかがでしょうか」
ロクサーナはあくまでもおっとりと、それでいて隙なく言葉を紡ぐ。
こういうところが、私が彼女を気に入っているところだ。本当におっとりのんびりとしているだけの子だったら、港湾課の治療師なんてのは務まらない。
「王宮には、大事なお客様をお迎えするための建物が一つございます。美しい装飾と伝統的な建築様式の建物ですし、そこでしたら、王子様の婚約者候補に相応しい場所かと。お忍びとおっしゃってもおそらくは召使いをお連れでしょう?その方々のお住まいも提供できますし、護衛が詰めてもおかしくは思われません」
「そんな場所あるの?」
私が目をぱちくりさせると、ロクサーナは微笑んだ。
「王宮には、無駄にいろいろな施設があるのですよ」
その言葉は、ちょっとばかり棘があった。
ロクサーナの仕事は、夕方に終わる。
夜間には船の出入りがあまりないから、私もほとんど同じ時刻に仕事上がりだ。
働く女性はまだまだ少ないので、私とロクサーナは休憩時間はほとんど一緒にいるし、帰りもなんとなく待ち合わせて一緒にすることにしている。
港は灯りが少なくて危ないというのもあるが、ロクサーナを一人で歩かせると、彼女を口説きたい海の男たちが山のようにやってきて帰れなくなるからだ。ロクサーナ一人なら口説けるけど、私がセットだと尻込みするというのはどういう理屈なのか小一時間問い質したいところなんだけど、まあ、そこは勘弁してやろう。
今日も通りがけに現れた何人かは、私の姿を見るなりしょんぼりと肩を落として去って行った。
「ラーダさんが一緒だと、心強いです」
そう言って、ロクサーナはくすくすと笑った。
「失礼な話だけどねー。どうせなら私も一緒に誘って、二人分の夕食を奢るくらいの甲斐性を見せたらいいのに」
「あら。いけませんよ、ラーダさん。ご馳走していただくことが前提だなんて」
「でもね?向こうはロクサーナと一緒に過ごしたい。こっちはご飯が食べたい。なら、私たちにご馳走することで一緒に時間を過ごせるんだったらお互いにいいとこどりだと思わない?」
まあ、男どもはロクサーナと二人きりになりたいので、オマケ付きだと意味がないってことなんだけど。
「そういうことではありません。お金を稼ぐということはとても大変なことなのです。他人の頑張りを、安易にアテにしてはいけません。例え最終的にご馳走していただけたとしても、自分で食べた代金は自分で払うという姿勢を見せなくては」
ロクサーナを誘いたい男たちには悪いのだが、彼女はおっとりとした見かけとは異なるところがある。こっちの顔が目当てで誘っているのであれば、それはそれで構わないんだけど。
「それはそうと、昼間に先輩が言ってた件だけど……」
話を変えようとした私は、路地から現れた黒い影にビクッとして顔を上げた。
それは、全身を黒い布で包んだ人物だった。長いローブの上にマントを身に着け、目以外のすべてを黒い布で覆っているせいで、男か女かも分からない。手に短い短剣を握っているところを見れば、物盗りだろうかと思われる。
「ランプはどこにある」
……うむ。正体は考えるまでもなかった。
「そんな恰好して隠してるつもりですか。目的がランプな時点で正体をバラしているようなものですよ」
未だに名前は不明だが、逃げ出した密航者に違いない。
一度捕まえた人間を逃がしたことで先輩に怒られているので、できれば再度捕まえたいところなんだけど。
「昼間の方でしょうか?」
ロクサーナが首をかしげる。
「でしたら、良かった。治療が途中だったので心配していたのです。治すのが難しい病気ではありますが、安静にして栄養をとっていれば、自然に少しずつよくなって……」
「おまえは黙れ」
男はロクサーナを睨みつけると、忌々しいとばかりに舌打ちをした後、私を睨んだ。
「病気持ちだと気づいていながら、よくもそう呑気にしていられる。俺が運び屋だとは考えなかったのか?」
「運び屋……?」
「そうだ。病気にわざと感染した状態で敵国に入り込み、そこで蔓延させる。一種の生体兵器だ」
顔をしかめ、私はロクサーナへと視線を移した。
「感染力は低い、んだよね?」
「はい。滅多なことでは感染しません」
「そんなはずはない!」
男は声を荒げた。
「俺の依頼人は、この国で三日過ごせばいいと言った。その後船で帰国すれば用が済むとな。その場にいるだけで周囲の人間は感染していき、やがては国中へと蔓延する。その混乱が必要なんだと言ってな」
「……ロクサーナ?」
「感染力は低い、のです。わたしの知る限りの知識であれば」
ロクサーナは不安げに瞳を揺らす。
「診断が間違っていたのでしょうか……?」
「いや……」
私は静かにうなった。
「診断が間違ってるかどうかは別としても、かなりマズイ。この男の病気が本当に感染するような病気なら、私たちも含めてすでにけっこうな人数に広がってることにならない?国中を混乱させるなんて……、この男の依頼人が考えているのは何?」
「国の混乱……?」
ロクサーナは不安げに首を振った。
「ハン。そんなこともわからないのか、所詮女だな」
男は馬鹿にするかのように口を開いた。
「戦を起こそうとしているということになるな」
答えたのは、別の男だった。
路地にいた私たちのところへと、ランプの灯りを手にした長身の男が姿を見せたのだ。船倉で見つけた室内用のランプとは違う、外を出歩く際に使うタイプである。
ランプの灯りに照らし出された人物は頭に布を巻き、海の男たちと同じ恰好をしていた。
根っからの海の男じゃなさそうなのは、その肌が日に焼けていないせいだった。どこかで見た顔な気がする。
「あんたの話、興味深いな。依頼人について口を割ってもらわねばなるまい。病気が本当かどうかが分からないから、当面の間隔離しながらになるが」
カタンとランプが地面に落ちる。
その動きを目で追ってしまったのは、密航者の敗因だった。
男は一気に距離を詰めると、短剣を持つ手をひねり上げ、そのまま腹部に拳を叩きこんだ。
「ごふっ……」
たった一撃だ。それだけで、男は崩れ落ちるように倒れこんだ。
そのまま身動きしないことを確認した後、男はランプを拾い上げた。油が地面にこぼれなかったのは幸いだ。
「そこの二人」
声をかけられた私とロクサーナは顔を見合わせる。正直なところ、武器を持った男を拳一つで倒すような人間とかかわり合いにはなりたくない。
私が黙りこんでいるのを見て、男は少し困ったように口を開いた。
「……港湾課の制服を着ている方」
特定されるとどうしようもない。私は大人しく返答する。
「なんでしょう」
「この男を、連れていきたいが。どこの担当になるか分かるか」
「……港湾課で、事情聴取をしてる最中だったので、こちらに連れてきていただいても結構ですが。先ほどの話を聞く限り、そんなのんびりしている場合じゃなさそうです」
しぶしぶと私はうなずいた。
「上司に連絡をとりますので、できれば港湾課の事務所までその男を連れてきてもらえますか?下手をすれば国家反逆罪に該当するかも……」
「ま、待ってください。ラーダさん。でしたらわたしも行きます。この方は治療中だったんです。そのまま連れて行かれたら、治療が受けられなくなってしまいます!」
「ロクサーナ、そういう場合じゃ……」
「いや、あなたにも来てもらった方がいい。この男の病が、本当に三日で手遅れになるほど蔓延するものかどうか、治療師の意見が必要だ」
男は偉そうに言った。
どうにも、人に命令するのに慣れている風である。服装にちっとも合っていない。
「……あなた、一体何者なんです?」
私が胡散臭そうな視線を向けたのに気づいたのだろう。男は苦笑いをした後、こう答えた。
「ただのお節介な通りすがりだ」
そのまま男を抱え上げる。
ランプを持ったままでは不便だろうと手を差し出した私は、間近で見た顔にやはり見覚えがあった。
先日港で会った、新人荷運びの男である。