第二十三話 商人との遭遇
王宮に駆けこんだファルは、すぐにサンジャル様の部下と接触した。語気荒くサンジャル様への面会を求めると共に、王座の間に駆けこんでいく。こうまでされると、アラム先輩に言われたフォローとやらも難しい。王座の間って、一般人は入れないのである。
エラン王国の玉座は、式典用のものと、通常用のものがあるそうだ。
式典用のものは野外にあり、国民の前に姿を見せるので、私も遠目から見たことがある。どちらも国王用のものが一つあるだけで、王妃のための席はない。他の国のことは知らないが、エラン王国の場合、王妃はまだまだ対外的なポジション。内政に関わるものではないからだ。
それに、エラン王国の女性の多くは、貞淑さを示すためにヴェールなどで顔を隠しているケースも多く、野外に出る場合は日差し避けもあるのでなおのことである。式典用の王妃席など用意された暁には、日差しを避けるためのヴェールで何重にも覆いをされ、さらに全身を日差しから守る衣装で身を包んだ王妃が座るということになるのだろう。別人でも気づくまい。
ペテルセア帝国のナスタラーン姫がやってくれば、この体制にも変化があるだろうとささやかれていた。彼女はおそらく、王妃席を用意して、堂々と顔を出してくるのではないか……と。とはいえ、今のファルには、彼女を迎える気がないらしいけど。
玉座の間に駆けこんだファルから取り残され、入り口あたりでオロオロとする。引き返すわけにもいかず、中に入るわけにもいかずだ。とりあえず頭を下げて畏まっておけば誰かに見つかっても咎められないだろうか?
そんなことを思いながらいた私は、玉座の間からスッと抜け出るように出てきた人物に目を留めた。
顔をヴェールで隠しているのでよく分からないが、細やかなシルエットからすれば女性だろう。私と同じく、男装をしている。細くて小柄な男という可能性も捨てきれないけど。玉座の間から、女?このエランの国に、そんなことのできる女性がいたのだろうか。
彼女は私に気づいて、ちらりと視線を寄こしたが、それも一瞬のことだった。すぐに興味を失ったかのように廊下を歩いていってしまう。
だが、廊下の終点あたりでヴェールを上げた彼女の顔を見た私は、なりふりかまわず走り出した。
見覚えのある、それでいて見間違いようのない顔だったのである。
「レイリー!」
全力疾走で走っているというのに、彼女との距離はなかなか縮まらなかった。
私の知るレイリーは、そこまで運動が得意ではなかったはずだが、一年の間になんの変化があったというのだろう。
いつ、エラン王国に戻ってきたのか。それも王宮に出入りするようになるなんて。
兄であるはずのアラム先輩だって何も言っていなかった。
レイリーは定期的に私やロクサーナに手紙をくれているけど、それにも何も書かれていなかったはずだ。
もやもやと考えていたせいだろうか。廊下を何度か曲がったところで、レイリーの姿を一瞬見失う。
「どこに……」
通路にはいくつも部屋への入り口があり、焦る。
だが、足を止めたせいで、ほのかに香るそれに、ようやく気づいた。
ロクサーナが先日持ち込んでいた香水、『砂漠の薔薇』の香りだ。
なぜ、その香りの主が彼女だと確信したのか。自分でもその根拠はよく分からなかった。
香りを辿ってさらに進んだ先。途中、何人かの人物とすれ違ったが、運良く見咎められることはなかった。
行き止まりにある小さな小部屋に、彼女はいた。
小部屋の中には、机の上に大きな木箱が置かれている。彼女は頭にかぶっていたヴェールを木箱におさめると、ゆっくりと振り返った。室内には彼女の他には誰もいない。
「レイリー、いつ戻って……」
息を乱しながら追いついた私が、見上げる先で、彼女は少し困ったように微笑んだ。
「どなたかとお間違えでは?」
彼女はレイリーの声で言った。
「申し訳ないのですが、わたしはあなたを存じ上げません。おそらく人違いだと思われます」
「そんなはずは……」
私は戸惑い、そう呟いたけど。確かにレイリーであれば、その困惑したような視線はおかしい。私の声かけを無視して行ったのだって、彼女らしくはない。よく似た別人だと言われた方が心情的には納得がいく。
私のだんまりを、理解と受け止めたのだろうか。彼女は口を開いた。
「……わたしは、商いを行っている者です。あなたのお名前は?」
「……ラーダ」
「やはり、存じ上げませんね」
彼女は困ったように首をかしげると、木箱の中から香水瓶を一つ、取り出してきた。
「よろしければ、お知り合いになった記念に一瓶いかがです?」
「……」
困惑している私の手の中に、香水瓶を強引に押し込むと、彼女は数歩下がって、また木箱の前に立った。
「『砂漠の薔薇』と呼ばれる、旧都で育てられている花から抽出した香りです。旧都では高貴な女性を中心に、とても人気のある品なのですよ。ぜひ、この港街でもどうかと思い、こうして運んできているのです」
彼女は商人らしく、にこりと微笑んだ。
商人?王宮に出入りできる商人の中に、女性がいるとは知らなかった。けれど、ベフルーズ商会のスーリさんが、後宮に出入りしているらしいことを考えると、他にもいてもおかしくはない。
「……せっかくのお話ですけど、私は職業柄、香水は使えないんです」
私が言うと、彼女は怪訝な表情を浮かべた。
「自宅で楽しむのもよろしいかと思いますよ?」
「いえ、そういう問題ではなくて……」
私は否定しながら、香水瓶に目を落とした。
ロクサーナの持っていたものと、同種だろう。香りが一緒だ。瓶の質が今ひとつなせいか、蓋をしているにもかかわらず、漏れ出した香りがむせ返るように室内に充満しつつある。
「……ぷっ」
彼女は堪えられなくなったかのように口元に手をやった。
「ぷははははははは!おっかしい!」
突然態度を変えた彼女に、困惑の目を向ける。レイリーの姿をしていた女性は、楽しげに笑いながら木箱の中から小さな人形を取り出した。黒っぽい色をした人形だ。それを、コトリと床に置いた。
「ラーダ、ラーダと言いましたね、あなた?」
「それがどうしました」
「あなたに名前があるなんて驚きですよ。ねえ、『魔神』?」
次の瞬間。
むくむくと、その人形が巨大化していくのが、見えた。
最初は見間違えかと思ったが、元の大きさの五倍を超えたところで、間違いなく目の前で起きている出来事だと確信する。
その人形は、2メートルほどの黒ずくめの男に変化した。
黒ずくめは、身体にぴったりとした衣服を身に着けていた。男だと確信したのはそのせいだが、筋肉質な体つきに、ぴったりと合わせた服なんて、正直なところ見ていて楽しいものじゃない。
一歩ずつ詰め寄ってくる動きに、思わずジリッと後ずさる。
「あ、あなた、何者?」
ようやく、この言葉が口から出た。
「それはあなたがご存じのはずですよ。『魔神』。あなたのしもべたる存在をお忘れで?」
「な、何度か言われた覚えがありますが、私は人間です。『魔神』じゃありません!」
レイリーの顔をした女性は、私の言葉に不思議そうな表情を浮かべた。
「それほど似ているのに?冗談でしょう」
「似てようがなんだろうが、別人です!」
私の言葉に、彼女の笑みは深くなった。
「……そうですか。ならば、ただのラーダさんとしてお相手させていただきましょう。この顔を”知って”いるのでしたね?」
「ええ。その姿は友人のレイリーにそっくり……」
「では、こちらならばいかがでしょう」
ニイ、と笑みを深くしながら、その声が、レイリーのものから別のものへと変化していく。少し濁ったような声は、女のものではない。
細身の女性だったシルエットが、同じく細身の、だがおそらくは男のものへと変わる。
「名を、ルーズベフと申します」
その名を聞いた瞬間、私は香水瓶を目の前の男に投げつけていた。
『砂漠の薔薇』の香りのせいで鼻がおかしくなって、幻覚でも見ているのではないかという気がしてきたが、それは間違いなく前の前で起きていることだった。
小さな人形が、2メートル以上の男に変化したことも。レイリーにそっくりな女性が、いつの間にやら男になったのも。
ルーズベフという名には覚えがある。
ベフルーズ商会の名を騙り、『不死鳥の雛』を入手した商人の名前だ。
遠くペテルセア帝国で働いてるはずだが、そもそも商人なんてものは、取引のためにどこにでも現れる。
ベフルーズ商会のスーリさんは、ルーズベフを男だと言っていた。ならば、あのレイリーに似た姿はなんだというのだ。
人形が男に化けるのだから、男が女に化けるくらい、驚くことではないとでも?馬鹿な。
しかもその人物もまた、私を『魔神』と呼んだ。
「危ないですねえ」
レイリーだった男、ルーズベフは、私の投げつけた香水瓶をひょいとばかりにかわし、その行く先を見送りもせずに笑った。
「別に危害を加えようなんて言ってませんのに」
「そう言うなら、その男はなんなんですか」
私はジリジリと下がり、通路へ出ようとしながら言い捨てた。
「いかにも力づくでと言わんばかりの手下なんて呼んで、『危害を加えようとは言ってない』とは、笑っちゃいますよ」
「ふふ、そうですか?」
ルーズベフは笑った。どうやらこの男の表情は、笑顔以外にはないのかもしれない。
「こいつは『砂人形』と言いましてね」
「聞いてませんよ」
「まあ、そうおっしゃらず。なかなか自慢できないので説明させてくださいな」
にこにこと笑いながら、ジリジリと距離を詰めてくる。
「文字どおり、砂でできた人形なのです。非常にもろいですが、その分何度でも使えます。一体では敵わないような相手であれば、物量作戦に出ればいい、とそういうわけですね。その昔、大帝国では、遠距離武器を持たせて延々と弓を撃たせる、なんて使い方をしたそうです。デメリットがあるならば、メリットを生かせばいいというわけです」
「……」
もろい、という言葉を聞いて、私はつい先ほど、『不死鳥の雛』をおさめた倉庫で出会った人影を思い出す。
あれは、砂に変わった。ということは、『砂人形』の一種だろう。このエランの国に、そんなものを所有している人間が何人もいるはずはない。あの折に襲撃してきた犯人は、この男だということだ。
「『砂人形』同士の連携もできるのです」
ルーズベフがにこりと笑っていた理由を理解した時には遅かった。
いつの間に回り込まれていたのか。それとも最初から配置されていたのだろうか。行き止まりの小部屋において、唯一の出入り口には、黒ずくめの人影が二人ほどいた。
「『魔神』によく似たラーダさん。あなたがラーダという名であればちょうどいい。旧都の依頼人がラーダという女を探しているそうです。わたしの商いのために、一緒に来てくれませんか」
「……私を、誰に会わせたいと?あいにく、旧都に知り合いなどいませんよ」
私が言うと、ルーズベフはあいも変わらず微笑んだまま、続けた。
「向こうは一方的にお知り合いのようでしてね」
「そういうの、知り合いって言わないと思いますが、せめて名前を聞かせてくださいませんか」
冷や汗を浮かべている私の表情に、観念したとでも思ったのか。あるいは違うかもしれないけれど、ルーズベフはにこにことした笑顔を崩さずにこう答えた。
「お会いになれば分かりますよ」
どうやら名前を言う気はないらしい。まあ、これ以上ペラペラと喋るようなら、商人失格かもしれない。
「……」
ごくりと私は息を呑んだ。
余裕の表情を浮かべるルーズベフ。私の周りには前方に2メートルの黒ずくめが一人、後方に二人。
確かにこの状況は、普通で考えたら危険だろう。
だが。
腰飾りのついた布を引き抜き、素早く振り回した私にとって、見かけ倒しと聞かされた砂の塊など、なんの脅威でもなかった。
「潮時のようですから、これにて失礼!」
腰飾りの先を重石にして、思いきり振り回す。大の男をひるませることもできる鈍器である。当たっただけで砕けるようなもろい『砂人形』など、物の数ではない。
だが、地面に崩れ落ちたそれは、さっそく再生をはじめたらしい。もこもこと再び砂が集まり、形作っていく。化け物か。
同じ場所に留まっていて益はないと判断した私は、全力疾走でその場を離れることにした。
「人形たち!追いなさい!」
ルーズベフの声が飛ぶ。王宮内で命令をするなど、大胆不敵にもほどがある。この建物にいくら人間が暮らしていると思うのだ。
とはいえ、内部構造を知りもしない王宮内で逃げ惑い続けることなどできない。私がまっすぐに目指していたのは、出口である。
「何者なの、いったい!」
答えの返らない悲鳴を上げながら、私はとにかく走った。
私とルーズベフの追いかけっこは、三十分も続かなかった。
王宮出口にたどり着いたからだ。
いくら慣れない王宮内とは言っても、入り口から入り、王座の間の前まで向かい、それからまっすぐにルーズベフを追いかけたのである。逆走するだけならば迷わない。
途中、何人かの人間とすれ違ったが、申し訳ないが無視をした。『砂人形』を目撃されれば王宮内がパニックになることは間違いなかったが、それを避ける理由は私にはない。逆に、他の人が騒いでくれればルーズベフも追跡の手を緩めざるを得ないだろうと思ったからだ。
狙いは当たっていたのか、どうか。出入り口についた私を追いかけてくる影はなかった。
「……ふう」
三十分の全力疾走など、早々やるものじゃない。息が切れて足がガクガクしている。
助かった、と思ったとたん、疑問がもたげてくる。
あれは何者だ?
まず、人外の生き物であることは間違いない。人間で、女に化けたり男に化けたりするような者がいてたまるか。
次に、『砂人形』を使った。あれは、なんだ?エラン王国で納得のいかないような不思議なものは、西の大帝国跡地の遺産だと相場が決まっている。ということは、あれもそうか?
不可思議な存在を説明する言葉を、私は一つしか知らない。
……魔神?
そうでなくても、ナクシェ村で出会った”影”のような存在かもしれない。
そういえば魔神のしもべだと言っていたから、”影”の彼女なら知っていたかもしれないが、洞窟は壊れて会うことはできない。
キルスがいれば分かったかもしれない。だが、彼もシンドバッドを使ってどこぞへと逃亡した矢先だ。居場所を掴むのは難しい。
アラム先輩とファルに相談したところで結論が出るとは思えないが、他に打ち明ける相手もいなかった。
とにかく彼らに、と思いながら顔を上げた先、出入り口では焦ったようすで私を探すファルの姿があった。
「ようやく見つけた。どこにいたんだ!」
「いえ、ちょっと……」
説明しようにも頭の中がまだ整理できていない。口ごもった私に、ファルは言葉を重ねた。
「いや、いい。調査団が襲われた件を国王陛下に確認した。
確かに事は起きている。ここから、早馬で約一日半程度の距離にある村のあたりだ。
サンジャルが派遣した追加の軍が間に合っていれば、襲撃者を撃退後、村に滞在して、療養準備を行う予定だそうだ」
「村?」
私が顔を上げたのに合わせて、ファルはうなずいた。
「調査団は、単なる研究者ではない。他国の使節でもある。そんな集団が行き来するのに、宿もないようなルートは使わない。……そこが逆に、襲撃地点を作りやすい原因でもあるが、仕方がない。
港街の療養施設が受け入れ準備を整えしだい、護衛と共に戻ってくる手はずになっているらしい。
……まあ、まだ安否のほどが定かじゃないって話だからな、続報が来るまでは動けないが。軍と一緒に馬車を出しているので時間がかかりそうだとのことだが……、それは、まあいい」
いや、よくないと思うが。
内心でツッコミを入れながら、私はファルの言葉の続きをうながした。
「では、ファルも馬で?」
「いや、今から行っても役に立たない。それよりは、こっちで出来ることをしたい」
できることと言っても、現場がかなり離れている上、状況が伝わって来ないのでは、できることなどないだろう。
そう思った私は、ファルの言葉に顔を上げた。
「私は、お祖母様を説得しに向かう」
言葉を残し、ファルは駆け出した。
ファルがその場を立ち去った後、私はアラム先輩に声をかけられるまで、佇んでいたらしい。
アラム先輩は同僚たちと連携をとって国外脱出者の防衛に動いていた。一人でも多くの港湾課職員を現地に向かわせ、出航する船に乗り込む密航者を止めなくてはならない。港を使わずに脱出する者までは追い切れないが、それだけでもずいぶん減るはずだ。
「サンジャル様にはお会いできたのか?」
アラム先輩の言葉に、ハッと我に返る。
ファルが国王陛下に話をしたらしいこと、サンジャル様にはお会いしていないこと、それと――レイリーにそっくりな姿を見たが、それがルーズベフであったことを無我夢中で話す。
アラム先輩はいくつかの点で驚いたようだったが、ともかく時間がないということで私を連れて国外脱出者の防衛のために港湾課に戻ることになった。




