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第十三話 壁掛けの秘密

 次にシャハーブが来るのはもっと先だろうと思っていた。

 旅の商人である彼の来訪はいつも突然だが、一週間より短い周期で来ることは滅多にない。

 彼は馬を所有しているが、エラン国内の街や村を回るだけだって、一週間では回りきれないからだ。

 だが、シャハーブは荷物らしきものをほとんど持っておらず、商品の絨毯だと思われる品を馬にくくりつけただけの軽装で事務所に顔を出した。

「よう、忙しそうだな!」

 口ひげを生やした男前は健在だったが、服装がなんだかくたびれて見える。よほど過酷な旅だったんだろうか。

「シャハーブこそ。商売は順調ですか?」

「俺様の名前には様をつけろって言ってるじゃねえか。ん?」

 彼は愉快そうに笑った後、差し入れらしい果物を一つ投げてくれた。

 ちょうど食事休憩だったので、そのまま私も情報交換に加わることにした。

 アラム先輩が書類仕事中だったので、暇をしていたんだろう。彼はどっかりとあぐらをかいて座り、横に小さな絨毯のようなものを巻いて置いていた。

「残念だが、今回は散々だった。収穫と言ったらこれくらいだ」

 シャハーブはそう言って、その小さな絨毯のようなものを指差した。

 事務所の中に商品まで持ち込むことは滅多にないのに、珍しいことをする。

「絨毯ですか?」

「いや、壁掛けみたいなものだ。敷物に使ったっていいだろうが、絨毯ほど大きくはねえな。今回は女性向けのデザイン香炉の類を狙ってたんだがなー、完全にアテが外れちまった」

「へえ」

 この大きさで絨毯ほどの価値があれば、商売としてはかなり効率がよさそうだ。そう思いながら目をぱちくりさせた私は、改めてシャハーブを見やった。顔を合わせてからというものずっと、シャハーブがジロジロと私の顔を見てくるのだ。

「どうしました?」

 シャハーブは、感心したような顔で私の顔を見やり、うんうんと納得した顔をした。

「いんや。俺様になびかないっつったって、この程度の対応だとホッとするなーと思ってな」

「どういう意味です?今回は女性の対応に苦労したとか?」

「ああ」

 冗談のつもりだったのだが、シャハーブは深々と頭を縦に振った。

「よほど男に懲りたんだろ、男の商人とは話をしたくもねえっつー、職人がいてな。んなこと言ったって、女の旅商人なんざエランには数えるほどもいねえ。売れない商品は山になってるっつーのに売ってくれねえという面倒な女だった」

「え、それなのにどうやって手に入れたんです?」

「いい加減生活費に困ってた職人の母親が、仲介してくれたんだよ。それでも手に入ったのは数枚だけだな」

「そりゃ、いつものしっぺ返しだろ。女をナンパして商品を安く手に入れるのが常套手段のくせに」

 アラム先輩はそう言って、シャハーブの正面に座った。

「おう、書類はもういいのか」

「うるせえ、あんなものは後回しだ」

 よく考えたら、いつも書類仕事で頭を抱えているけど、アラム先輩は報告書書きが苦手なんだろうか。カシムの名前ばかり出てくるので書き直しになってるとかじゃないだろうな。

「で?俺に売りつけたい情報ってのは、なんだ」

「おうよ。話が早ぇな」

 ニヤニヤとシャハーブは笑い、それからもったいぶって口を開いた。

「この街から、三日くらい行ったところに村があるのを知ってるだろう」

「そんな村はたくさんあって、どこの村だか分からん」

「話の腰を折るなよ。まあ、聞け」

 シャハーブは持参した果物にかぶりつくと、喉を潤してから言葉を続けた。

「その村が、とある黒装束の集団によって、荒らされてる」

「何」

 ピクンと反応したアラム先輩が顔を上げる。私だって自分の顔色が変わるのを感じた。

 黒装束の集団といったら、『東のカシム』を狙う連中だ。騎馬であることを考えると、活動半径はかなり広いと思われるのだが、アジトについてはこれまでまったく情報がなかった。神出鬼没というか、本当に謎の集団なのだ。街から三日ほど離れた場所までは港湾課の手は届かない。よって、誰もそのような話は知らないだろう。

 シャハーブは片手を差し出した。この先は有料ってことだ。

 アラム先輩は苦虫を噛みつぶしたような顔をして、「ラーダ」と私の方を向く。

 ハイハイ、見ません。私は両目を手で覆って顔をそむけた。

 こんな切り出し方をされたら、アラム先輩じゃなくたって財布を開いてしまう。私だって同じである。アラム先輩がお金を出さなければ、私が出すところだ。

 金銭交渉はすばやく終わったらしく、シャハーブは話の続きを話しはじめた。

「村人が迷惑するほどじゃないが、顔も分からない連中がウロウロしてるってだけでも不気味なもんだろ。それに、そいつらが牽制するせいで旅の商人が村に立ち寄るのを回避してるんだ。武装してる集団なんざ、いつ盗賊に化けてもおかしくないからな。まともな商人なら、行かない。そのせいで、村の連中の商売相手は黒装束に限られている。たまに村にやってきて、食糧を買って去っていくらしい。今んとこ村の連中には迷惑をかけてないらしいんだが……、どうもその絨毯職人は、直接迷惑をこうむったらしい」

「直接というと?」

「さあなあ。肝心の商品売買に障りがありそうだったんで、聞き出せなかったが。男の集団に女の職人一人だぞ?知れてるだろ」

「彼女の顔や手に傷は?」

「よほど男の俺様と商売するのが嫌らしくてな。外でするような完全防備だったんで、さっぱりだ。目元以外ほとんど布で隠れてるなんざ、黒装束と変わらないぞ、ありゃ」

 シャハーブは、よほど交渉が苦戦したんだろう。辟易するような声で言った。

「まあ、いい。それで手に入れたのがこれだ」

 シャハーブはそう言って、先ほどから横に置いていた小さな絨毯のようなものを示した。

「こいつを、港湾課が欲しがるんじゃねえかと思ってな。よそに売る前に持ってきたんだよ」

「はぁ?」

 アラム先輩は得意げなシャハーブに対していぶかしげに首をひねった。

 

 情報ならばともかく、港湾課で商品を欲しがることなんてまずない。

 個人的な趣味ならばともかくだが、アラム先輩が個人的に欲しがるものなんて知らないしな。私だったら何が欲しいだろうか。あまり考えたことがない。そういえば最近バザールで食糧以外の買い物をしてないし、次の休みにはロクサーナと買い物に行こうかなー。

「見せてみろ」

 アラム先輩は警戒するかのように言った。

「おう。驚くぜ」

 シャハーブはそう、自慢そうな声で言ってから、その小さな絨毯のようなものを広げたのである。


 綺麗な女の人の絵だった。

 エラン王国の絨毯は、伝統模様であることが多い。だけどそれだけでは新しい時代についていけないので、職人たちは常日頃新しい模様に挑戦している。

 織物の図案を考え、それに合わせて織り機を調整するんだという。

 私は絨毯を織ったことはないが、ロクサーナが昔習っていたのを知っているし、レイリーは器用なのでけっこう上質な織物を作り上げていた。織物職人になる手だってあったと思うのだが、レイリーは数字にも強かったので、言ってしまえば織物職人になるには多才過ぎたのだ。

「人物絵だなんて珍しいですね」

 私は言った。

 大きさから言って壁飾りだ。あと、人の顔を描いたものを足で踏むのもどうかと思うので、敷物には向かないと思う。

 そう思って発言した私なのだけど、アラム先輩は物問いたげな顔でシャハーブを見やった。

「どういうことだ、これは?」

「さあな。けど、俺様がまずここに売りに来た理由が分かるだろ?」

 シャハーブのニヤニヤとした笑みに対して、アラム先輩は少し考えた後、こう続けた。

「よし。個人的に転売先に心当たりがあるんで買ってやる。それと、この図案と同じやつは、他にどのくらいあるんだ」

「俺様が仕入れた中にはない。まあ、その職人が持ってる可能性はあるだろうけどな」

「それと、その村だ。場所と、その職人の名前を教えろ」

「おいおい、それは有料になるぜ」

「……仕方ないな。こいつも後で要求してやる……」

 アラム先輩はなにやらもごもごと言った後、ニヤリと笑って、私に向かって顔を上げた。

「ラーダ、今日の仕事上がりに用事はあるか」

「特には」

「では、上がりの時間になったら、事務所に来い」

「?はい」


 満足のいく取引だったらしく、シャハーブは水タバコを取り出してくゆらせはじめた。

 もくもくと立ち昇りはじめた冷たい煙に、奥の部屋からロクサーナが飛び出してくる。

「シャハーブさん!治療の邪魔になりますからここでは喫煙しないでくださいって、何度言ったら分かるんですか!」

 ロクサーナ、あなたも少し休んだ方がいい。ここんとこずっと、休暇をとってないはずだろう。



 □ ◆ □





 仕事上がりの事務所に寄ると、意外な人物が待っていた。

 ファルである。装飾は簡素だが、上質な素材で作られていると思われる衣服を身に着けている。まさかこの恰好で外をウロウロしていたわけではないだろうけど。外套くらいは着ていなければ、目立ちすぎる。

 さすがに一人では来られなかったのか、護衛らしき男が横に控えていた。

 まだ10代半ばではないかと思われる若々しい風貌。確実に私よりも年下で、少年といってもいいくらいだ。

 とても荒事向きには見えないのだが、港湾課の調査官とは異なり、実戦部隊のようだ。腰に曲刀を下げているし、特徴のある腰飾りは正規軍に所属している証だ。

 彼は私と目が合うなり、臣下の礼をとってきた。どうやらとても礼儀正しい少年であるらしい。

「彼は、オレの護衛官だ。ボルナーという。ボルナー、彼女は港湾課のラーダ」

「ボルナーであります!どうぞよろしくお願いいたします!」

「ラーダです。護衛官殿に敬語を使っていただけるような身分ではありませんので、どうぞ気楽にしていただければと思います」

「いえ!これはけじめでありますので!」

 直立不動の姿勢でボルナーは言う。本当に礼儀正しい少年なんだろう。


「あなたには王子としての仕事はないんですか?」

 思わず口から疑問が飛び出てきてしまったが、ファルは苦々しい表情を一瞬浮かべつつも、答えてくれた。

「仕事は終えてから来ている」

 未だに王位継承者の一人でしかないが、彼が王位を継ぐだろうということは、内外において認識されていることだ。



「まあ、おまえら中に入れ。そこにいると、外から見えちまうだろ。王子だと気づかれて襲われるのは遠慮したい」

「すみません」 

 アラム先輩が焦れるような声を出したので、私は事務所に踏み入った。

 どうやら食事をここで済ませようとしているらしく、バザールで手に入れてきたと思われる平たいパンとシチューとが用意されている。

「先輩。ここは確かに飲食禁止ではありませんが……」

「俺は腹が減ってるんだ。文句があるなら食うな」

「いえ、いただきます」

 食費が浮くのは願ったりである。

 王子のくせに港で荷運びバイトをしたことのあるファルは、質素な食事でも平気らしく、アラム先輩に一言礼を言った後、お相伴にあずかっていた。ボルナーの方は護衛中は飲食をしないと決めているらしく、一歩後ろに下がっている。

 鳥肉のシチューだ。おなかが空いている時には本当に美味しい。


「しかし……、なぜ、ファルがここに?」

「オレもまた事情を聞かされていない。用事がなければ来て欲しいとだけで」

「いつのまに連絡先の交換を?」

「……オレの居場所は、調べるまでもないだろうからな」

 ファルははぐらかすような声でそう言ってから、「だが」と続けた。

「君のことで相談があると聞けば、来ないわけにはいかない」

 先輩はどんな呼び出し方をしたというんだ。私はいぶかしげに首をひねる。

「どういう意味でしょう。今日の集合は、私も『来い』としか言われていません。まして私のことで相談というのは心当たりがありませんが……」

「え?」

 ファルが驚いたようにそう切り返す前に、アラム先輩が口を挟んだ。

「おう。俺の用事はこれだ。今日、とある情報筋から面白い情報を得た」

 食事を終えて満足したらしい先輩は、容器を片づけた後、例の小さな絨毯のような壁掛けを取り出した。



「これは……」

 最初に声を紡いだのはボルナーである。驚いたように目を丸くした彼は、慌ててファルの方を見やった。

 ファルはといえば、驚きのあまり声が出ない様子で、しばらくしてからアラム先輩へと問いかけるような視線を向けた。

「情報の方は、この絨毯を買ってもらってからっつーことで、どうだ?」

 ニヤリと笑ったアラム先輩は、シャハーブから買い取った時の値段の四割増し程度の値段を口にした。 

「アラム先輩?」

 暴利ではないだろうかと思い、非難するような目を向けたが、ファルはわずかに眉根を寄せただけでこう答えた。

「本人というわけではないのだろう?」

「まあな。似てるだけだ」

「……分かった。いい値で買うが、オマケをつけろ」

「ええええ!?買うんですか!?」

 ボルナーが思わず声を上げ、ファルにジロリと睨まれて押し黙ったが、私としても同感だ。

 先ほどからやたらと皆驚いているが、それほど驚くような女性絵だろうか?綺麗だけど、特にそうは思わないのだけど。

「やれやれ、王子たるものもっと太っ腹でもいいんだぜ」

 肩をすくめた先輩は、シャハーブから聞いた話を簡単にまとめた。

「すると?その情報筋を信じるのであれば、街から三日ほど行った先に、黒装束たちがよく出入りする村があると」

「そうだ。港湾課筋じゃあ調査できないエリアだが、もっと上から指示を出せば調べに行けるだろ?黒装束たちが何者かは未だに不明だが、『東のカシム』を追うために離宮にまで入ってくるような連中が、何の意味もなく活動しているわけがない。放っておくのは不安だ」

「なぜ、それをサンジャルではなくオレに言った?警備に関しては彼の方が担当しているし、港湾課はどちらかと言えば……」

 ファルの言葉に対して、アラム先輩はニヤッと笑った。

「サンジャル様じゃあ、その壁飾りは買わないだろ」

「……」

 黙りこんだファルに代わり、尋ねたのは私である。

「あの、アラム先輩。いい加減に教えていただきたいのですが、その人物絵がなんだというのですか?

 シャハーブも、ファルも……ボルナーさんも分かるみたいですが」

 私が聞くと、アラム先輩は目を大きく見開いた。

「あー、気づいてなかったのか、おまえ」

「はい?」

 先輩は呆れた風にため息をついたが、続いた言葉はこうだった。

「なあ、ボルナー。おまえにだって分かるだろう?この絵が誰に似ているか」

「え?ええ、まあ……」

 ボルナーはアラム先輩の言葉を受けてためらいがちにファルを見やった。

 ファルが特に反応しなかったのを、問題なしと判断したのだろう。ためらいがちなまま、私に向かって口を開いた。


「この絵は、ラーダさん、あなたによく似ています。ご本人をモデルにしたとしか思えないくらいに」


 初対面の人間にそのようなことを言われ、困惑した私は、ファルとアラム先輩とに視線を向けた。

 アラム先輩はニヤニヤと、ファルはどこか機嫌の悪そうな表情を浮かべて返してくる。


「先日の遭遇で、黒装束は確か、おまえを見て『手がかり』と言っただろう。誰と間違ってるのか知らないが、確かに手がかりはあったわけだ」

「……アラム、彼女を囮に使うつもりか」

「当然。港湾課が誇る犯罪者ホイホイは、こんなことでは臆さないだろ?」

 挑発的な視線を寄こしてきたアラム先輩に、私は答えた。

「その呼び名を止めてくだされば、お引き受けします。……ただし、港湾課の権限を逸脱するようなことは、できませんからね?」

 私の返答に、アラム先輩は満足したように、ファルは心配を隠しきれないような顔で反応した。

「ファル、サンジャル様にはそっちから伝えてくれ。確実に行きたくなる理由がもう一つあるからな」

「というと?」

「その村、例の地図にあった村だ」

 アラム先輩は驚く私たちをしてやったりという顔で見やった。


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