第十一話 情報交換
ナスタラーン姫とニキについては、警護の体制を再度整えるまで、いったん大使館に避難することになった。
サンジャル様を中心に、今度はもっとしっかり警備体制を整えるらしい。ナスタラーン姫が警備を気にせず過ごせるようにと控えめにしていたのが盗賊を呼びこんだ理由だろうと思われたためだ。
『東のカシム』一味については、これでさらに捕縛が進み、メンバーから聞き出した内容ならば、残党数は三名程度だという。ここまでくれば盗賊が捕まっている情報も流れるので、うかつな悪さはしてこないのではないかというのが、大方の予想だった。
「さすがだな、港湾課の誇る犯罪者ホイホイ。残党を一度に呼び寄せるなんざ、並の才能じゃないぞ」
「それを褒めるのは狙った時だけにしてください。今日は不可抗力です」
アラム先輩の軽口に、今日ばかりは困った顔をして返す。
よりにもよってナスタラーン姫が屋敷内にいる時に盗賊に入られたことは、ペテルセア帝国からの印象を悪くしただろうと思われるのが気にかかる。
私は、ファルとアラム先輩と、情報を統合している途中だった。場所は港湾課の事務所である。
黒装束に奪われたという地図だが、直前に読んでいた私は、文章の内容も地図の赤い印の位置もきちんと覚えていたので、それを別の地図に転記するという仕事を任されたのだ。
国内の地図が保管されているのは港湾課に限らないが、いたずら書きを追記しても許されるのは、アラム先輩の管理下にあるこの地図だけだったのである。
「村だな」
ファルが印の場所を難しい場所で指摘した。地図に照らしてみたところ、赤い印が付いていた場所には、村がある。
「ただの村ですよね?ここに、何があるっていうんでしょう?」
「文章は、なんて書いてあった?」
実際には手紙を見ていないアラム先輩が再度尋ねる。
「『キルスが所有していた魔神のランプは、エラン王国行の船に載せられたもよう。ルーズベフ』でした」
「文面から考えられるのは、ルーズベフとの連絡手段じゃないか?」
ファルが言った。
「魔神のランプは、実際にエラン王国行の船に隠されていた。ペテルセア国王からその行方を確認するよう依頼されたルーズベフは、その行方を追った。調査に対する報酬を受け取るために、目立たない場所を指定するのはおかしなことじゃない」
「……ふーむ」
アラム先輩がうなる。
「ペテルセア帝国からの報酬を受け取るのに、わざわざエランの国内を指定する理由が分からない」
「それもそうだな」
男たち二人が顔を寄せ合い、難しい顔をしている中、私は首をかしげる。
「文章の意味を考える必要は、あるんでしょうか?」
「どういう意味だ」
ファルの質問に、私は首をかしげたまま答えた。
「地図と文章とは別の案件かもしれませんし。これが手がかりだというなら、村を調べてみれば良いことです。港湾課の調査範囲を越えますので、別の課に頼まないといけませんけど」
「……うーん」
アラム先輩は納得できないものがあるらしい。
「こういう時、組織ってのは面倒だなー。せっかく手がかりを得ても追いかけられない」
「それは、オレに……」
「いや、ダメだ」
ファルの言葉を、アラム先輩はきっぱりと否定した。
「シャーロフ大臣を探るのとはわけが違う。こいつは、立派な犯罪の手がかりになる。そういうものを、王子が私的に調べるのはよろしくない。やるなら手段を考えろ。国王陛下ならばともかく、ファル、おまえは王位継承権を持つ一人に過ぎない。職権乱用を指摘されて、継承権を剥奪されるような真似はするな」
「……」
アラム先輩の言葉に、ファルは押し黙った。
「忘れるな。ファルザード、おまえはただの王子だ」
「……ああ」
先輩は、自分が港湾課の一調査官だってことを忘れてるんだろうか。不敬罪とかあったら一番にしょっぴかれると思うんだけど。
「ラーダ。明日からは、ペテルセア帝国行の船に気をつけろ」
アラム先輩は今度は私に向かってそう言った。
「キルスは病気の治療のため、ペテルセア帝国に戻ろうとするはずだ。いずれかの船に、また密航してくる可能性がある」
「はい」
大人しくロクサーナの治療を受けていれば、いずれペテルセア帝国から治療薬の取り寄せもしてもらえるだろうに。エラン王国の女が信用できないのであれば、それしかないだろう。
「……例の、『魔神のランプ』はどうなってるんでしょうか?」
その質問をしたことに、深い意味があったわけではない。
キルスが逃げたというから、当然の連想が働いただけだ。
「キルスは、あれを欲しがるはずです。ペテルセア帝国へ、戻る前に」
『東のカシム』一味と一緒に密航を狙った時にはランプは後回しと言っていた。だからこれは保険の話ではある。
本来はキルスの持ち物である。密輸品として取り上げこそしたが、元がキルスの物だったとするならば、エラン王国がそれを確保しているのはおかしいということになる。
どういう入手ルートだったのかは、さておき。
私の質問に、アラム先輩とファルとは顔を見合わせた。
「……確かに。証拠品として取り上げられた後の行方を確認してない」
「港湾課の手に渡ったという後、こちらでも確保しようとしたが叶わなかった」
二人は同時に結論を出した。
早急に、調べる必要がある。
「それじゃ、ラーダ。また明日な」
アラム先輩がひらひらと手を振り、私は港湾課の事務所を出る。
先輩は今日の事後処理があるそうだ。どちらかというと始末書を書くことになるんだろう。彼の報告書はカシムという名前ばかり出てくるのだが、今日ばかりは『東のカシム』一味なので合っている。
「送らせてくれないか」
事務所を出たところで、ファルがそう口を開いた。
「もう、夜も遅い。女性が一人で帰る時間帯じゃないだろう」
ファルの言葉に、私は正直なところ困惑した。
「先日はともかく、王子と分かっている方に護衛をしていただくわけにはいかないのですが」
どちらかといえば、彼に護衛が必要だろう。
「……その名は止めてくれ」
「では、ファル」
以前呼んだ時はさん付けをしていた気がするが、精神的な気安さから言えば、この呼び方が妥当だ。
「あなたにもし、何かがあった時、私を護衛していたなどと知れたら、他の方がどう思われます?」
責任をかぶるのは私である。
「それでもだ」
あくまで彼は引かないつもりらしい。
私は困惑したまま、仕方なしに見送りを承諾することにした。
この街のバザールは夜でも明るい。そんな街は滅多にないのだと聞く。
日が昇るのと同時にはじまり、沈むのと同時に終わるのが、太陽の下に生まれた生き物らしい生き方だろう。
「悩み事でも?」
歩き出して数分、そう切り出したのは私の方だった。
この国の人々は、暑い太陽と共に生きる。そして、涼しい月の下で迷うのだ。
港湾のバザールには、そうやって夜毎迷いの中にいる人間が多いんだろう。
「どうしてそう思ったんだ?」
「そりゃ、わざわざ私と二人きりになろうとするなんて、そのくらいでしょう」
「……そうか?」
ファルはいささか納得のいかない表情を浮かべたが、やがて静かにうなずいた。
「迷ってはいる」
「何をです。キルスの件ですか?」
出会った時から、『魔神のランプ』やら『不死鳥の雛』やらと一人抱えてきた男だ。当然そういった悩みだろうと思い口にしたのに、彼は静かに首を振った。
「このまま、婚約が成立してしまうのを、許容するべきかどうか」
「え?」
思わず私は足を止めた。
「ナスタラーン姫は、嘘のない王女のようだった。彼女は間違いなく、エランの女性たちの地位向上のために働いてくれるだろう」
「そうですね。エランの王宮はきっと今までと違うものになります。あの方が王妃としてやってくるというのは、働く女性にとっては喜ばし……」
言いかけた私は、突然ファルに腕を掴まれた。
歩いている最中も一定の距離を保っていたというのに、突然どうしたのだと戸惑う。
「だが」
服越しにも彼の指にぐっと力がこもったのが分かる。
「オレは、彼女を友人として尊敬はできても、女性として愛せる気がしない」
「……そう、言われましても」
そう言った相談は、せめてアラム先輩にして欲しかった。
女性同士ならともかく、男性の恋愛相談など、私にしてどうするというのだ。
「……昼間、君の踊り子姿を見た」
ぼそっと呟かれた言葉に、私はぎょっとした。
てっきり、その話題には触れずにおいてくれるものと思っていたというのに。
「男勝りなのかと思っていた君が、あまりに艶やかな姿なので、正直なところ目が離せなくなった」
「あ。あの、その件は触れずに置いて欲しかったんですけども……」
ためらいがちながら、その件は終わり!と言ったつもりだったのだが、ファルには通じなかったらしい。
それどころか、頬を赤く染めたまま、私に真面目な視線を向けてくる。
「君が女性だということを、分かっていたのに分かっていなかったんだ」
「そ、そうですか……」
私としてはそう答えるしかない。
「し、しかし、私の服装が、ファルにどう関係が?そ、そりゃ、まあ、普段女性らしい恰好などしておりませんので、戸惑われたことは理解できますが」
「……そうだな。戸惑っているのだろう。おそらく、月に惑わされているだけだ」
ファルは自嘲気味にそう言うと、首を振った。
「ラーダ」
その響きに、なぜだか私はぎょっとした。腕を掴むファルの指に、また力がこもった。
「明日から、港でキルスを探すのだろう。くれぐれも、一人で無茶をするような真似は止してくれ」
「……それは、約束できかねます。権限を逸脱したようなことはしませんので、さほど危険はないと思いますが、何が起こるか分からないのが、港湾課ですから」
「どうしてもか」
「はい」
私の真剣な眼差しに、ファルは根負けするように一瞬息を吐き、それから笑った。
「……そうだな、君には、君を支える物がある。港湾課の調査官としての誇りが、君を支えている」
迷いが晴れたような顔をして、ファルはそのまま私の腕を引いて、繁華街に向けて歩き出した。
彼は私の家を知っているわけではないから、見送るとしてもここまでだろう。
「王宮まで、危険はありませんか?」
私は聞いた。
私は、ファルが一定以上の荒事の心得があるらしいことは知っている。
だが、暴力を振りかざすのを好んだりはしていないし、人を傷つけるのだって、正義が伴っていなければやらない人だ。
身なりだって良いし、物騒な連中に目をつけられたりする可能性があった。
「今の君ほど危険はないな」
ファルはそう言うと、私の腕を掴んだままの自分の指に視線を落とした。
「……そろそろ離してくれません?家が近いので、できればここからは一人で帰りたいのですが」
私の言葉に、彼はうなずき、手を離す。
「また会いに来る」
別れの言葉としては、それはいささか奇妙だった。
首をかしげた私に、ファルもまた不思議そうな顔をした。
「何かおかしなことを言ったか?」
「ええと、まあ」
私は口ごもった後、話をそらした。
「港湾課に御用があれば、いらしてくださってもけっこうですが。ご自分の立場をお考えになって、護衛はつけてきてください」
私が言うと、ファルは少し間を置いた後、「そうだな」と答えた。
「お気をつけてお帰りください」
「ああ、おやすみ」
ファルが背を向けたのを見ながら、私は自分がなぜぎょっとしたのかが分かった。
「あんた」でも「君」でもなく、彼が私の名を呼んだのは、はじめてだったのだ。私がさん付けを止めたからだろうか?
「……友人に一歩前進てところですかね」
胸のうちで呟くと、私は自宅へと戻った。
□ ◆ □
昨夜のうちに、アラム先輩は船の絞りこみを行っていたらしい。
ただ、ペテルセア帝国行の船は、残念ながらほぼ全部という結論だったので、出航する船すべてについて貨物の改めを行う必要があった。もともと荷物チェックは行っていたから、それにひと手間増えたということになる。
数限りなくある船の中で、キルスが乗り込みを狙う船に当たる可能性など、砂漠の中で黄金を探すようなものだ。
たとえば、以前乗り込みを狙った船がペテルセア帝国へ戻るとなれば、他の船よりは狙いやすかろう。
そう思って警戒してたんだけど、私よりも船主の方がよほど警戒を強めていたらしい。専属の護衛も雇って、ピリピリしながら荷物のチェックを受けている。
「ハイ、問題ありません。絨毯とナツメヤシの実ですかー。こんなにたくさん、よく集まりましたね」
船倉の一部を高価な絨毯が占めているのに感心しながら私が言うと、船主は照れたように笑った。
「麦袋が一つダメになってしまったでしょう。それをお詫びしに行ったら、同情してもらえましてね。安く譲ってもらえたんです。これをペテルセアで売れば、多少のマイナスも充分取り戻せます」
どうやら絨毯は通常品、ナツメヤシの実がオマケということらしい。
「無事な航海をお祈りしております」
私はそう言って、書類にチェックを入れていく。
「そういえば……、あの密航者は、どうなったんでしょう?麦袋の損失の件は、諦めてるんですが」
「……」
まさか逃げ出してるとは言えず、私は黙りこんだ。
「キルスと言いましたっけ。本当に、どうやって入り込んだものか……。何度も言いますが、本当に、あの男が乗り込んでいたことには気づいていなかったんです。航海は何日もかかります、その間に船倉を確認したことは、確かになかったですが、乗組員で物音を聞いたっていう話もありませんでしたし……」
はあ、と彼はもう一度ため息をついた後、「ですが、帰りはそのようなことがないようにしますので!」と力強く言った。
「ええ、どうぞお気をつけて。あの男のことはもう忘れて、次の商売に備えていただけたらと思います」
考えてみれば、あの男、キルスは神出鬼没な男だ。
何度捕えられても、逃げ出す。一度は目の前から逃げたので特におかしいとは思わなかったが、そのたびに武器も持っている。特に強そうといった印象を受ける出来事はなかったが、彼が『魔神のランプ』を本来所有していたはずだということと関係はあるのだろうか?
ファルとアラム先輩との調査で、何かが分かればいいが。
思い悩みながら船を下り、次の船が港に着くのを待っていると、頭布を巻いたロクサーナが近寄ってきた。
「ラーダさん!あちらの船はもう確認終わったのでしょうか」
今しがた終えたばかりの船を指差して言うので、一つうなずくと、彼女はがっかりと肩を落とした。
「どうしたの。一緒にチェックしたかった?」
ロクサーナは港湾課だが、治療師なので、荷物チェックのための資格はない。だが、人手不足の際に協力できるよう、基礎的な知識は習得しているし、調査官と一緒であればチェックしても良いことになっている。
「いえ……、キルスさんが、もしかしたら現れるかもしれないと思って。あの方の治療はほとんど進んでいないものですから」
「ああ……」
ロクサーナらしい理由だと思いながら、私は苦笑いした。
「ひとまず、現れなかった。一応警戒してたけどね。さすがに彼も、一度入って警戒されている場所は避けるでしょう」
「そうですか……」
残念そうにロクサーナはため息をついたけど、もし本当に現れた場合、ロクサーナでは荒事への対処はますますできない。
私たちは次の船が港に到着するまでの間、雑談タイムと決めこむことにした。
「そういえば、ラーダさん。ペテルセアのお姫さまは、一時的に大使館に滞在することになったじゃないですか?」
「ああ、うん。ナスタラーン姫ね。警備体制が整うまでって。私の代わりにロクサーナが遊び相手に呼ばれるんじゃないかと思ってたんだけど、そういう話はなかった?」
「打診されましたけど、断りました。治療師は、定期休暇なんてあってなきがごとしですし」
なるほど。
特にロクサーナは診療対象が多そうであれば、休みの日でも事務所にやってきてしまう。仕事好きというか、仕事中毒というか。
「あれ、最初はバハール様が屋敷に招待なさったけど、取りやめになったってご存知でした?」
「いや、知らないけど……」
そうなの?と首をかしげた私に、ロクサーナはひそひそ声になりながら続けた。
「バハール様と、ダーラー様は仲がお悪いでしょう?今回も、それで意見割れしたんじゃないかっていう噂があるんだそうです」
「それって、……女官さんたちの、噂?」
私もひそひそ声で尋ねると、ロクサーナは首を縦に振った。
「今朝、母が聞いてきた噂ですから、信憑性はあると思います」
「……ダーラー様って、どなただっけ?」
聞き覚えはある名前だと思って確認すると、ロクサーナは一瞬目を丸くした。
驚いた顔をいつものように戻すと、ロクサーナはやわらかい口調で記憶を呼び起こすかのように口にする。
「ラーダさんもお顔はご存じだと思いますよ。治療師にとっては、一番上の上司にあたる方ですから。エランの医療体制をもっと新しいものにしていこうと頑張っておられる方で、いろいろな薬などにお詳しいんです。血縁的には、シャーロフ大臣のお孫さんに当たる方なんですが、サンジャル様とは親友同士とのことです。昔から仲良く、お二人で王子様の後援をされているとか」
サンジャル様と仲がいい。その言葉で思い出したのは、いつぞやファルを迎えにきた二人組のうち、片割れ。
高貴な服を上品に着こなしていた中肉中背の男だった。
「シャーロフ大臣の、孫なの?息子じゃなくて」
「ええ。ご長男の息子さんだったと思いますけど、バハール様ともほぼ同い年ですから、叔母と甥というよりは、イトコみたいな雰囲気だと母は申しておりました」
そういえば、先日の話の中では、バハール様とダーラー様が仲が悪い理由についていろいろ噂されていた。
一緒にいるところを見たことがないので、本当に仲が悪いのかどうかは分からない。敢えて言えば、離宮に来るときのサンジャル様はいつもお一人だったけど、それだってダーラー様と常に一緒に行動しているというわけでもあるまいし。
「なんで反対したんだろ?バハール様の招待ということは、シャーロフ大臣の屋敷でしょう?歓迎準備ができないわけでもないだろうし」
「さあ。とりあえずバハール様の言うことには反対してみる、といった行動だって考えられますし」
それはちょっと大人げない行動だと思うけど。
しかし、ダーラー様か。
シャーロフ大臣の孫で、サンジャル様の親友。ファルザード王子の後援。
三名の王位継承者に、それぞれの形で関わりを持っている人物だ。さぞかし気苦労が絶えないのではないだろうか。
目的の人物、キルスの姿が現れたのは、その日の夜だった。