第零話
昔々、エランの西には黄金で出来た都があった。
都にはこれまた黄金と宝石でできた王宮があり、王に愛された美しい姫が暮らしていた。
けれど、本当は姫は黄金ではなく、白亜の宮殿の方が良かったし、宝石よりも花の方が好きだった。
王は姫を愛してくれたが、彼女の意見を一つも聞きはしなかった。
ある時姫は魔神に頼んだ。
「わたしも王の役に立ちたい。もっと女の意見を聞いてくれるような世の中になってほしい」
魔神は承知したが、ただ一つだけ忠告した。
「あなたの願いには時間がかかる。それでも良いか?」
もちろん、と姫がうなずくと、黄金で出来た都は瞬く間に砂と化した。
都は魔神が王の願いを聞いて作ったものだったのだ。
愚かな姫の言葉により、王の築き上げたものはすべて失われ、都は砂漠となってしまった。
エランの西に広がる広大な砂漠がそれである。
王は魔神の行いを怒り、ランプに封じ込めた。そして、二度と誰の願いも叶えられないよう砂に埋めてしまった。
それから王は姫を連れて不死鳥の背に乗り、海の向こうに渡って新しい国を作った。
砂漠には今でも、黄金の都と魔神のランプが砂の下に眠っているという。
それは遠い遠い昔の話。
「それ以来、エランでは女が政治に口を出すとロクなことがないと言うことで、男は外、女は内にいるように決められたのよ」
祖母が語る昔語りに、聞いていた子供は首をかしげた。
「もちろん、時代は変わったわ。戦争で男の多くが命を落としたから、女もまた貴重な労働力として外で働くようになった。けれど上流社会では、女を働かせる男は甲斐性なしということで、妻が遊んで暮らせるだけのお金のある男の方が頼りになると思われているのよ」
子供は口を尖らせる。
「それじゃあ、女は何をするの?」
「自分を養ってくれる夫を楽しませるために、日々美しく賢くなるの。音楽を奏で、舞を踊り、刺繍をして、子供を育てて」
子供は納得できかねるような顔をした。
「おばあさんも、お母さんも働いているのに。おじいさんやお父さんは甲斐性なしなの?」
「まあ」
ホホホと祖母は笑った。
「外で働かない分、家の中で働いているのよ。この国一番の高級品は、女が刺繍を施し、織り上げた絨毯なんですから」
なるほどと子供はうなずいた。
昔語りの教訓と、現実とは必ずしも一致しないらしい。
「ねえ、おばあさん。さっきの話で本当に可哀相なのは、誰なの?王様?お姫様?それとも、魔神?」
「あら、どうして可哀相だなんていうの?」
「だって王様は都を砂にされちゃって、お姫様は願いを叶えてもらえなくて、魔神はランプに封じられちゃったんでしょう?」
「そうねえ……。おまえは誰が一番可哀相だと思う?」
子供はしばらく考えた後、こう言った。
「黄金の都に住んでる人がいたら、その人たちが一番可哀相だね。だって、王様もお姫様も魔神も、彼らには関係ないのに。毎日一所懸命暮らしてたのに、突然都が砂になっちゃったんでしょう?
本当は、エランの国はもっと豊かだったのに、今ではそこに住めなくなって」
「……面白いことを言うのね」
祖母は感心したように呟いて。それから微笑んだ。
「それなら、あなたは偉い人になりなさい。二度と居場所を奪われる人がいなくなるように」
「うん!」
子供が首を縦に振るのを見て、祖母は優しくうなずいた。
□ ◆ □
時代は変わった。
その昔大帝国を築き上げていたという伝説のあるエラン王国は、今では国の半分が不毛な砂漠地帯という、小国に成り下がっている。
50年ほど前に戦争に負け、植民地になることは避けられたものの、海向こうにあるペテルセア帝国の属国みたいな扱いだ。
もっとも国民の多くは気にしちゃいない。ペテルセア帝国は圧政を強いたりはしなかったからだ。
戦争が終わったことで、海に面したエランの東部には他国の商品が続々と入ってくるようになった。日々の暮らしが豊かになってくれば、政治の不満などどこ吹く風である。
何かと口出ししてくるペテルセア帝国だが、国力はエランよりも圧倒的に高く、また教育レベルも生活レベルも高いとなれば、むしろ属国として恩恵を受ける方が遥かに有益だったのだ。
その恩恵の一つが、私の手元にあるこの通知だ。
友人ロクサーナの部屋には、美しい模様の施された絨毯が敷かれている。その上に座り、食事用の布を敷いて器を並べるのが私たちの食事風景である。今日はお祝いなので果物と羊料理、ついでに飲み物も何種類か用意してみた。端っことはいえ王宮の一角なので、この絨毯はロクサーナが十年働いても買えないような値段がするらしい。汚したらえらいこっちゃである。
「ふ、ふふふふふ。やった。国家治安維持部隊!憧れの国軍!事務官だけど!これで将来安泰!」
受け取った通知と、中に入っていた腰飾りを握りしめて、私は万歳三唱とばかりに両手を上げた。
この腰飾りは金属で出来た港湾課の印を、布に縫い付けて使用する。結び方には特に法則性はないらしいけど、たいていの場合は、短剣などを腰に差す時の抑えを兼ねているらしい。
エラン王国で女性が国軍に入隊するのは、限られた職種のみだ。治療師だとか、翻訳事務官だとか。それが、事務官は事務官でも、現場で実際に調査を行う部署に女性を配属するのは極めて異例と言えた。
否、第一弾であって、これは異例なことじゃない。今後はきっと増えていく。
ペテルセア帝国は男性優位の国だが、女性の権限拡大に積極的な国なのだ。つい最近、女性の大臣が誕生したという話さえある。大臣は何人もいるそうなので、そのうち一人というだけだけど、いずれはきっと、女帝なんかも出てくるんじゃないかとさえ思う。
「ラーダさん、いつまでそうしてるんですか?もう五回は同じことを繰り返してますよ」
おっとりとした声でロクサーナが言った。
彼女もまた、この4月から治療師として働くことが決まっている。広い意味では同僚ってことだ。
「まあまあ、いいじゃないの。嬉しいんだよねえ、ラーダ」
くっくっくと笑みを浮かべてレイリーは赤ら顔でコップを空にした。
「けど、港湾課には女性用の制服はないよね?そっちはどうなるの?」
レイリーの質問に、私は首をかしげる。
「たぶん、男物の流用じゃない?小さいタイプならダブついて着れないなんてことはないでしょうし、女性が他にいないのに、新しい制服を用意してくれたりはしないだろうから」
「ラーダさんには似合うでしょうけど。少し残念ですね」
ロクサーナが言った。想像したんだろう、レイリーが笑う。
「似合いすぎて男と間違われないように気をつけてよ?ただでさえ背が高くて凛々しい容姿なのに」
「失っ礼ーな」
憤慨したように答えたけれど、実のところそれでも別に構わない。男装だろうと、私が女だということには変わりないのだ。
私たち三人は、共に成人するなり国軍に就職を希望したという点で珍しい共通点のある三人組である。
エラン王国の成人は法的には16歳だが、個人差があるのを一括管理するのが面倒という理由で、満15歳になった後、次の春で全員成人とみなされる。
実際は私が16歳、ロクサーナが17歳、レイリーはもうすぐ16歳である。
「レイリーさん、先ほどから顔が赤いですけど……」
ロクサーナがふと不安げな表情を浮かべて、コップの中を覗きこんだ。
そのゆらりとした色合いはおそらく葡萄酒だ。
「まさか、お酒を飲んでらっしゃるのではありませんよね!?」
「えー?へっへへへーどうだと思う?」
にやにやにやーと笑ってレイリーは返答を誤魔化した。彼女は部屋に持ちこんだ壺を一人で傾けていたので、私は中身までは把握してない。
「だ、ダメですよ!良いですか、いくらエラン王国と申しましても飲酒は満16歳からと……」
「まあまあ固いこと言わない。二人と違って、あたしはまだ本決まりじゃないんだから。ちょっとはハメを外させてよ」
「……もう。一杯だけです。それ以上は絶対にダメですからね!いいですか!?」
ロクサーナが困った顔をするのへ、レイリーがへらへらと笑って返した。
「うふふ、ロクサーナってば、その真剣な顔が可愛いっ!」
まったく懲りない様子でレイリーは笑った。
「ラーダさんもなんとかおっしゃってください」
「いやあ、ゴメン。もしかしたらお酒かもとは思ったけど、敢えて指摘しなかった」
私が言うと、ロクサーナはむくれたような顔をする。
言い訳のように私は言った。
「許してちょうだいな。通知見るまでは、さすがに無理かなって思ってたんだよね。成人したばかりの小娘を採用するのは」
「そだねー。あたしも、採用枠に入るのに、ちょっとヤな条件を飲めばもしかしたらってことになってて……。どうしよかなって」
「ヤな条件?」
私の質問に、レイリーは笑って首を振った。
「めでたい席では止めとくよ。まだ迷い中だしね。ロクサーナみたいに一年先に回すって手もあるし」
レイリーの言葉にロクサーナが不安そうな表情を浮かべる。
「何か……心を病むようなことでしたら、相談してくださいね?わたしも、ラーダさんもいるんですから」
「……ん」
レイリーはにっこり笑って言う。
「その時はヨロシク」
月が綺麗だった。
エラン王国は雨が少ない国だ。そのためか、夜は満天の星空と大きな月が輝く。
焼けるように大地を焦がす太陽よりも月がありがたがられる国柄である。
寒暖の差が激しくて夜は寒いけれど、建物の中から外を見やるには夜の方が雰囲気があっていい。
「あー、それにしても気分がいいわ」
レイリーの酔い覚ましを兼ねて窓を開ける。
涼しい風が吹きこんできた。
どこからか、弓奏楽器、カマンチェの調べが聞こえてきて、ますます気分がいい。
「ああ、これって昔語りの曲ですね?」
私の隣にやってきて同じく風に当たったロクサーナが言った。
ロクサーナの部屋は、王宮の端にある。彼女の母親は王宮で働いているのだ。さすがに成人したからいずれは出て行かなくてはいけないだろうけど、治療師になったということで期間は延長される可能性が高い。
「いつもは宮廷楽師の方々が弾いてるんですけど……、これは誰でしょう?弾き慣れない音ですね」
ロクサーナはそう言って、耳を傾けた。
確かに、少し拙い弾き方だ。だけど、習い覚えた曲を弾くような情感のある音は、夜中に聞くにはちょうどいい。
「どんな昔語り?ロクサーナは聞いたことある?」
「さすがにありません。宮廷楽師の方が、王族相手に披露するような曲ですからね。もっと街中で、庶民向けに奏でてくれたら楽しいんですけど」
「まあねえ。下町の音楽はもっと賑やかだから」
しばらく聴いていたんだけど、どうやら曲の主は同じ曲を何度も繰り返している。納得がいかないのか、発表会でもあってそれに備えているのかというところ。
やがて音が止んでしまい、私は残念さに思わず声を張り上げた。聞き覚えたメロディに合わせて歌いだしたのだ。
「『むーかーしー、むかしーのそのむーかーしー。
エランの西に幻のー。黄金の都がありましたー。
咲き乱れる花ーと色とりどりの宝石にー、誰もが憧れておりましたー』」
「え、ラーダさん?」
「替え歌よ、替え歌」
ふふんと笑いながら、私は続きを歌う。何度も繰り返し弾くものだから、メロディはすっかり覚えてしまった。
「『けれど住むのはお姫様一人。
彼女はある日気が付きます。毎日王様を待つばかり、こんな退屈な日々は嫌。
世界のどこかにあるという、海をこの目で見てみたい。
お姫様は都を抜け出し、お供を連れて船に乗る。さあ、大冒険のはじまりです!』」
私の歌詞に、ロクサーナがぷっと噴き出した。いつのまにか窓辺に寄ってきていたレイリーが目を丸くする。
「『大海原は砂海よりも青く、魚が泳ぐ不思議なところ。
嵐がくれば前は見えず、船がバラバラになってしまう。
船の進行は風任せ、そよ吹く風がなければ進みもしない。
花も宝石もないけれど、海風を受けて進むのはどこまでも青い美しさ!
カモメを友達に、サメとクジラを手下にして、お姫様は進む。目指すはこの世の果ての島!
ところがお姫様驚いた。海をどこまでも進んだら、また同じところに戻ってくる。
家には王様が待っている。大人しく帰るのは癪に障る。それよりも別の冒険がしたい。海は行ったから、次は山だ!
お姫様はお供を連れて、今度は世界一高い山へと登って行った!』」
いつの間にか、ロクサーナとレイリーが目を輝かせて聴いている。
こんな替え歌、エラン王国ではまず聞かない。この国の女性は外に大冒険などしないからだ。
だけどそれは、憧れないって意味じゃない。
一度途切れたはずのカマンチェの調べが再開した。どうやら伴奏してくれる気らしい。
「『山はどこまでも高く、雲を突き抜けて進んでいく。
雪山も氷の山も抜けると、雲の上には魔神の国があった。
お姫様のお供が驚いて口にする。『まあ、見てくださいお姫様。空の上から見ると、砂漠はなんて小さいんでしょう!』
お姫様は考える。海にも山にも来たけれど、まだまだ行きたいところはたくさんある。
そこでお姫様は魔神に言った。もっと面白いところはないかしら。
魔神は困ってこう答えた。『巨人の国も、小人の国もあるけれど、あなたが面白いと思うところがあるわけじゃない』
お姫様は驚いた。冒険に次ぐ冒険で、面白くない日々なんて少しもない。
魔神に頼るのを止めて、お姫様は進む。
海も山も行ったから、次は空を駆け廻ろう。お姫様は翼を生やし、お供と共に空を飛ぶ。
そのころ黄金の都では、待ちぼうけを食らった王様が、一人ぽつんと待っていた。
待たせるばかりで待つことなんてなかった王様は、お姫様が飛び出した理由を理解した。
だけど、海に出るのも山に登るのも、王様には怖くてできっこない。
しょんぼりする王様に、空を飛ぶお姫様が笑って言った。
家にいるのは安心だけど、それじゃいつまでも同じこと。外に出ましょう、世界はこんなにも面白い!』」
両手を広げて高らかに歌い上げた私に、ロクサーナとレイリーが拍手した。
歌にオチをつけるなら、お姫様は王様と一緒にならないとマズイだろう。ハッピーエンドはそれが基本だ。
だけど、エラン王国に風を吹き込むべく社会に出ようとしてる私たちである。最終的な幸せが男頼みだなんて嬉しくない。
王様がお姫様について来ないなら、このまま捨てていくくらいの気概でいい。
我ながら満足していると、どこからか笑い声が聞こえた。
押し殺した笑い声だが、どうやら窓の下の方から聞こえる。
おそらくはカマンチェを弾いていた人だろう。楽しんでくれたなら何よりである。
ロクサーナの部屋は、中庭に面していたはずだから、弾き手は中庭にいるはずだ。だけど真下に位置しているのか姿は見えない。
「まあ、人の歌声を聴いて笑うだなんて趣味の悪い方ですね」
ロクサーナが憤慨したような言い方をしたが、彼女だって笑っている。笑みこぼれるような顔で、窓の下に声をかけた。
「よろしければあなたも部屋に来て加わりませんか?お祝いをしていたのです」
「……あ、いや、女性の部屋に入るわけにはいかないから」
声の主の言葉に、私とロクサーナは目を丸くして互いに見合わせた。
てっきり女性だろうと思っていたのだが、この言い方だと男性なんだろうか。
「なら、そこでもう一曲弾いてくれない?私たち、演奏はちっともダメなのよね」
楽を奏でるのも、女性の教養って思われてる側面があるというのに、そこらへんは私たちは無教養だ。ロクサーナなんて、運動オンチな上、音痴なので、治療師になれなかったら将来が不安なレベルである。
私が言うと、承諾したとばかりに、伸びやかな一音が返ってくる。
「さーて、伴奏も手に入った!次は何を歌おう?」
私が言うと、レイリーがリクエストする。
「ラーダのデタラメおとぎ話がいいわ。替え歌のやつ。もう一度聴きたいって言っても、いつも断るんだから」
「だって即興なんだもん、二度同じ歌は歌えないよ」
私は笑いつつ、流れてきたカマンチェの曲に合わせて歌いはじめた。
私たちの未来は明るかった。少なくとも私はそう思っていた。
レイリーが突然就職を取りやめると相談してきたのは、それから一か月後のことだった。
「帝国に行くわ。親戚がそっちに住んでるから、それを頼りにできるし。あっちで就職して、いつか大商人か外交官にでもなって帰ってくる」
「なんで、急に……?」
「前に話したでしょ、ヤな条件があるって。それを飲むのは、やっぱり嫌なの。それよりはツテは少ないけど女性が働く環境が揃ってる帝国の方がいい。あちらの国の成人は18歳だから……、しばらくは親戚のところで勉強させてもらう」
レイリーは数字に強くて、計算が得意だ。
三人の中で一番就職は確実じゃないかと思われていた。だというのに。
私が何も言えずにいるのに、ロクサーナは優しく微笑んだ。
「応援しています。レイリーさんは、三人の中で一番、誇り高い女性です。偏見の強いエランよりも向いているかもしれません」
「ありがとう」
ニヤッと口端に笑みを浮かべて、レイリーは去った。
「手紙!手紙はちょうだいよ!」
私にはこれを言うのが精一杯だった。
「ラーダこそね。港湾課は、荒くれが多いんだから、油断しないように!」
レイリーは悲しい顔はしなかった。
馴染みのある場所ではないけれど、帝国はエランよりも豊かな国だ。教育レベルも高いし、街中も綺麗だろう。むしろ楽しみじゃないのと言ってのける。
前向きで、明るくて、賑やかで。彼女のこういう強いところが、エラン王国の体質には合わなかったのかもしれない。
「……この国じゃ、女が偏見なく働くのは、まだまだ厳しいのね」
「いずれ変わります。わたしたちは、この国の中で見守っていきましょう?」
レイリーが船に乗ったのはまだ春のことである。
それから、一年が経った。