第8話 まだ早い
朝、まだ疲れが残ったような感覚のままオリトはゆっくりと起き上がる。
今日のことを考えると、まだベッドから出たくない。
母親からの報告を受けた父親の機嫌はすこぶる悪いだろう。
そもそも、よく言えば武闘派、悪く言えば脳筋な父は、オリトのパッとしない性格とは相性が悪いのだ。
明るく社交的で活発な兄とは正反対で、表情が乏しく、心の中で大騒ぎしていても口数は少ないオリト。
冷遇されてはいない。だが、第三子に相応しい扱いで、特に過度な期待もせずに放置されている感じだ。
(朝食に遅れたら遅れたで怒られるだろうから、起きるか)
人生を五十年くらい先取りしたような深いため息を吐き、オリトはベッドから足を下ろす。
子供の担当の使用人は兄と姉から順番に世話をして、オリトのところに来るのはもう少しかかる。
しがない子爵家。子供一人にメイド一人などという贅沢は到底無理なのだ。
顔を洗うのはメイドが来てから。先に上のパジャマを脱ぎ、上半身裸のまま素足でオリトはクローゼットへと歩き出す。
途中にある姿見の前を通り過ぎ、クローゼットの中のシャツに手を伸ばそうとしてぴたりと全身が固まる。
進んだ足を二歩、三歩と後ろ歩きに戻す。
鏡の前に横向きで立ち、感じた違和感の正体を探す。
昨日の選神の儀のために肩口で整えられた薄茶の髪。少し眠そうに下がった大きな目。小さい鼻と口。
全体は整っているし、自分でもそこそこいい顔なのだが、いかんせん隠しきれない無気力感が漂う。
成長しても絶世の美男子には到底なりそうにもないが、不清潔な印象も与えないだろうという及第点をちょっと上まわる顔面。
(なんだ? 何か、引っかかる)
オリトは横向きから正面に向きを変え、鏡を覗き込む。
その時、サラリと髪が揺れ、オリトは眠そうな目を最大限に大きくし、鏡にかじりついた。
「……は?」
開いた口から、空気とも驚きの声ともつかない音が漏れる。
(え? いや、そんな、まさか、まさかまさか……)
荒れ狂うオリトの心のうちとは反して、鏡の中の少年は目を見開いたまま、そっと震える指先をこめかみにあてた。
そして、慎重に慎重に横髪を持ち上げる。
さらりと流れる薄茶の髪。
その間から現れたのは――ひと房の白い髪。
それはまるで、いや、間違いなく、昨日会った紙の神に仕える神官の髪と同じ色だ。
つまり、オリトが紙の神の信徒となった証である。
(うそ、だろ? え? まさか、昨日いっぱい折り紙作ったから? 待ってくれよ。僕、昨日選神の儀を受けたばっかりなんだけど!)
両手を鏡にべっとりと付け、オリトはうなだれる。
心臓が未だかつてないほど早い鼓動を打つ。
十歳で選神して加護を受ける神が決まり、十五歳で成神して祝福を授かって神の信徒となる。
信徒の証として与えられる、神の色。
それが十歳のオリトに現れるのはあり得ないこと……であったはずなのだ。
緩慢に顔を上げ、至近距離で鏡を見つめる。
表情は変わらないが、オリトの頭脳は必死に考えを巡らしている。
(どうしよう、これ。バレるよな? 元の髪が薄茶だから目立たないけど、顔を動かすと微妙に色が違うのが分かるし。いや、待って。横髪を耳に掛ければ、何とか隠れないか?)
幸い、インナーカラーっぽく髪の内側に色が付いている。上から髪を重ねてしまえば、何とかなりそうかもしれない。
いや、なんとかするとオリトは唇を引き結ぶ。
神の色がついた髪を切ることは禁忌だ。
神の加護を否定することに等しい。
神を否定した場合、神から見放されてカミオチという状態になる。それがどんなものなのかは、恐ろしいことだと言われるだけでまだ幼いオリトは詳しく教えてもらっていない。
神が身近にいるこの世界で、神に捨てられることは死と等しいということだけは理解している。
「オリト様、入りますよぉ!」
「っ!」
ノックとほぼ同時、ふくよかな女性が忙しなく入ってきた。
長年アシュヴァル家に仕えてくれているドーサだ。
彼女は鏡の前に上半身裸でたたずむオリトを見て、眉を限界まで高くあげて驚きを表した。
「あらあら、坊ちゃん! 早く着替えてくださいな! 洗面のお水、入れておきますからね!」
「あ、ああ……うん」
ダラダラしていたら朝食の時間が迫ってしまった。
オリトは丁寧に髪を耳に掛けなおした後、オリトはシャツを着こみ、ズボンに履き替える。
ドーサが持ってきた湯は、彼女が火の神の力を使って温めたものだ。
この世界は日常のいたるところで神の加護や祝福を使うためか、原始的な側面があるところと発展している技術に大きな開きがある。
たとえば交通。
馬で移動しているから不便そうに思えるけれど、大都市間では鉄道が通っている。地の神とか鉄の神とか加治の神とか、そのあたりが関わっているらしい。
水道などのインフラも、水の神に頼って水を毎日出しているところもあれば、水道施設がある建物も多くある。これはもちろん水の神と地の神関係だ。
うちの家も火の神の信徒が多いから薪や炭などの常備は少ない一方で、立派な上下水道が整っている。
火の神と水の神は相性が良くなくて、祝福を得た人を雇うより設備を整えた方がいいのだそうだ。ちなみに、火の神の祝福のおかげで、小さなボヤ程度なら水がなくても鎮火できるんだとか。
とてもアンバランスなようでいて、需要と供給が保たれている、のかもしれない。
オリトは顔を洗い終わった水を洗面台に運んで流す。少ない使用人がいないから、多少のことは自分でやる派だ。
もしかしたら古い記憶を思い出す以前から、昔の大人だった自分がオリトにも影響を与えていたのかもと今になって思う。
服を整え、最後にもう一度鏡の前に立って何度も髪を撫でる。
今後これが癖になってしまうかも。
そうするとまた父親に「男らしくない」とか思われそうだな、とオリトはまた一つため息を吐いた。




