第60話 捨てたもの
【ランドル視点】
暗闇にまぎれ、敷地を横切る。
目立つ白い髪は布で覆い、さらにフードをかぶって隠す。
こんな時、カミオチの黒い髪であれば目立たなかったのに。
そう感じると同時、新しい自分の誇りでもある髪を隠さなければいけないのが悔しい。
勝手知ったる自分の生家。隠れるべき場所も、避けるべき場所もランドルは全て把握している。
安全なルートを誰にも咎められることなく移動してたどり着いたのは、貴族の屋敷には必ずある礼拝堂だ。
裏口から入り、さらに奥へと進む。
夜は人気がない場所。さらに滅多に人が立ち入らない場所へと足を踏み入れる。
滑らかな石段を足音を殺して降りると、奥から柔らかな風が吹いてくるのを感じた。
夜のひんやりとした空気を運ぶ密やかな風。
一度は切り離してしまった繋がりを感じて、知らないうちに口元に笑みが浮かぶ。
『幸せにならなくていい。生きて。最後まで生き抜いてくれたら、それでいい』
あの優しい人は、今は死の神の御許で安らかでいるだろうか。
狭い通路の先にある扉のない開口部を抜ければ、その先がランドルの目的地だ。
「……失礼いたします」
誰かがいるわけではない。
ただ礼儀として、かつて生きていた祖先への敬意を払うため、深く礼をする。
それから石で造られた棚の一角に近づき、立ち止まって胸元からベルベットの小袋を取り出す。
中から転がり出たのは小さな白い珠――レネーの神珠だ。
それを棚に置かれた壺の中にそっと落とす。
カチリ、と珠同士がぶつかる音が暗闇に響いた。
「レネー、母親と共に、安らかに」
短い祈り。
神々への祈り。
心に何の引っ掛かりも覚えずに口にできる幸せをかみしめる。
そう、幸せだ。
「姉上、レネーは最後まで生き抜きました」
産まれてすぐ、長く生きられないと告げられた子供。
生きてくれているだけでいい──それは母親としての愛情の形であっただろう。
生きてさえいれば、それだけで。
短い人生の中で幸せを見つけられるなど贅沢な願いだと、そう思ったのだろう。
でも、最期を見届けたランドルは確信をもって言える。
「そして、幸せな時間を過ごしました」
カミオチになった時、ランドルは思った。
自分が死んでも、誰も涙を流さないだろう。
反対に、カミオチなどという不名誉極まりない存在が消えた方が皆は喜ぶのではないか。
孤独な時間は精神を蝕み、カミオチしていく恐怖を増幅させた。
死んでしまえばいい。
何千回と死を考えた。
死を願った。
そんな自分を生に繋ぎとめたのはレネーだ。
レネーが最後まで生き抜くこと。彼女の母親でありランドルの姉の言葉を守るため、生にしがみついた。
そうして良かった。今は、心からそう思う。
「泣いてくれる存在がいる。それは幸せなことだ」
今ランドルが命を落としたら――涙を流しそうな人の顔が最低二つは浮かぶ。
ふっと口元に笑みを浮かべ、ランドルは一歩壁から離れた。
一族の神珠が収められたこの場所に来るのはこれで最後。
たとえランドルが死に、神珠となったとしてもここに戻ることはないだろう。
ランドルの胸を占めるのは寂しさでも悲しさでもない。
むしろ決別あるいは旅立ちの清々しさに等しい。
胸元に手を当て、深く礼を取る。
顔を上げ、体の向きを変えたランドルは二度と振り返ることなく暗闇に消えて行った。
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光が差し込む窓を背に、アシュヴァル家当主であるリュウスト・アシュヴァル子爵は深くため息を吐く。
考え込むように口元に手を当てしばらくした後、視線を上げて口を開いた。
「……話は、理解した。正直に話してくれて礼を言う」
貴族としては珍しく、下の者、さらに言うならばカミオチしかけた心の弱い軟弱者に礼を言うリュウストに、ランドルは居心地悪そうに軽く頭を下げる。
オリトに騎士にしてくれと懇願してからひと月ほど。
王都に行き心残りを全て清算して、ランドルはまた子爵領に戻って来た。
そしてジョシュアを通してまずはオリトの兄であるジルストに連絡を取り、正式に子爵家を訪問することとなった。
今更顔を出したことに文句を言われるかと思えば、ジョシュアが話を通してくれていたのか、案外友好的な場となった。
リュウストとジルストからの質問はランドルの想定内のものばかりで、追及したり難癖をつけたりすることはない。
形式的な雰囲気すらあり、ランドルは心の中で首を捻る。
「さて……君に来てもらったのには、いくつか理由があってだな」
言い淀むようにリュウストは唇を指先で擦る。
その間にランドルはリュウストの言う”理由”を思い浮かべる。
オリトの騎士になりたいということについてか。あるいは領内で犯した窃盗についてか。
窃盗をしたような元カミオチもどきのランドルなど、騎士にさせることはできないという話か。
背筋がゾワリとして、ランドルは手を強く握りこむ。
「オリトのことだ」
リュウストが切り出した瞬間、ランドルは「諦めません!」と声を上げる。
「ん?」
「自分が清廉潔白な人間ではないのは重々承知しております。ですが、私は、オリト様の騎士になることは、絶対にあきらめません」
「あ、ああ……君がオリトの騎士になるという話は知っている。一応、領の兵士に加わってから、必要に応じて騎士として動いてもらうことになっているはずだ」
リュウストが同意を求めるようにジルストに顔を向けると、ジルストは頷いて返す。
ランドルは荒い息を吐き、二人を交互に見る。
リュウストは一つ咳ばらいをし、「オリトのことだ」と再び告げ、ちらりとランドルの様子を確かめる。
「あの子のことだが、何と言えばいいか……このまま子爵家に留まることはできないだろう」
それはオリトが次男だからなのか。だがランドルから見ると、自領から息子を追い出すような心無い親には見えない。
オリトを迎えに来たジルストの様子も、弟への気遣いに溢れていた。
疑問を口にすることなく沈黙したままのランドルに向け、リュウストは言葉を続ける。
「オリトは、神の色が見えるのだ」
「言い換えれば、他人の加護を敏感に感じ取れるみたいでね」
付け加えられたジルストの説明に、ランドルには思い当たることがあって頷く。
ランドルが完全に神からの加護を諦めていた時でも、オリトはランドルのそばに風の神がいると言っていた。
水色の風が寄り添っていると。
「十歳という若さで信徒になることといい、神の祝福が見えることといい……ああ、あとは他の神々から加護をもらっていることや、今回のような奇跡に関わっていることといい……」
言葉を重ねるごとに、リュウストが頭痛をこらえるように額に手を置く。
小さな唸り声まで聞こえた。
確かに、これだけ重なれば親だったら胃が痛くなるだろう。
兄のジルストまで渋い顔をしている。
「とにかく、オリトは神々に愛されていると思う。親の欲目かもしれないが」
「私もそう思います」
完全に同意する長兄に、リュウストは眉を下げて額から手を下す。
喜ばしいことなのだろうに、どこか陰鬱とした空気が部屋を包む。
しばしの沈黙の後、リュウストは改めてランドルを見上げて自分を納得させるように頷いて言った。
「今度の件に関して緘口令はしいたが、一切情報が漏れないということはないだろう。それが何につながるのか見当もつかない。子爵家では守り切れないこともあるだろう。その時に、君の力が必要になるかもしれない」
「……武力、ということですか?」
言葉の裏に隠された意図を探るように、ランドルは尋ねる。
リュウストは腹の上で両手を組み、自嘲の滲むような笑みを浮かべる。
「武力、だけで解決しないこともあるだろうな。しがない子爵家だが、歴史は長く、貴族家とのつながりは多い。多少のゴシップくらいであれば、遠く離れた王都からも届くのだよ」
その言葉の指す意味に、ランドルは眼帯で隠された目を細める。
自分から望んで捨て去ったとしても、全ての過去が消えるわけではない。
だがそれらが自分の主人を助けることになるかもしれないと考えれば、ランドルはリュウストの言葉を完全に否定することはできなかった。
「私の存在はすでにないものとなっています。あるいは忌み嫌われているかもしれない」
「だが繋がりがあるだけで、心強い」
無いに等しいつながりに頼ることがないなら、それはそれでいい。
リュウストがランドルの過去まで理解したうえで、オリトの騎士として必要だと判断したならばなおのこと。
「オリトは来年には貴族学校に通うことになる。学校の中までは無理だが、必要な時には騎士として目を光らせて欲しい」
「承知いたしました」
ランドルとしては最高の指示に嬉々として、だが表情にはあらわさず礼を取る。
その様子にリュウストとジルストも安心したように深く頷いたのだった。




