第55話 消えたカミオチ
ランドルが人の姿を取り戻した後、二度目の大泣きをして疲れた様子のオリトを職人たちに託し、ランドルは軋む扉を開ける。
中には綺麗に整えられてベッドに横たわるレネーと、剣を壁に預け、片膝を立てて床に座るジョシュアの姿。
「よぉ」
「ああ」
何の挨拶なのか。意味もなく声を交わす。
ランドルは小さなベッドの足元に腰かけ、改めてレネーを見つめる。
こんなに安らかな心でレネーの死と向き合うことになるとは、一日前の自分だって信じられないだろう。
「んで、紙の神の信徒になったんだな」
「そうらしいな」
まるで他人事のようにランドルは答える。
伸びきった髪は、カミオチから人に戻った時に真っ白に変わっていた。
肩を流れる髪をひっぱり、暗くなり始めた部屋の中で改めて確認する。
白く染まった髪は、視界を埋め尽くしたあの眩いほどに白い雪と光を思い起こさせる。
きっと今日だけでなく、明日も明後日も、ランドルが生きている限り。そう、ランドルが生き続けていく限り、何度でも思い出すのだろう。
「紙の神に祈った自覚がないのか?」
「……いや、あの時、神を選ぶとしたら、紙の神だっただろうからな」
「神を、選ぶか。なかなか傲慢な発言だ」
ジョシュアの軽口にランドルは肩をすくめる。だがそれは真実だ。
あの時、感謝を捧げたのは、その対象は神ではなかった。
ただ一人、ランドルを救ったのは神ではなく、小さな少年だった。
その彼が仕える神が、ランドルに手を伸ばしたのだろうとは思う。奇跡をもたらせるのは神の御業なのだから。
そしてランドルの信仰の先に紙の神がいるのであれば、ランドルはかの神に仕えよう。
それがあの少年の行いに報いることだと信じて。
ふと、遠くからこちらに近づいてくる集団の気配を感じ、扉へと視線を向ける。
ジョシュアも続けて顔を上げ、「ジルスト様だな」と呟いた。
「ジルスト?」
「オリト様の兄君、この子爵領の跡取りだ。あんたがカミオチした場合に備えて、兵士を連れてきたんだろう。カミヒコーキを受け取った時、ジルスト様も一緒にいたからな」
「ああ、そうか」
後のことはすべてジョシュアに託していたが、万が一の備えとして兵を連れてくるのは正しい。
何度か家の周囲で気配を感じたこともあった。
接触をするのはオリトとジョシュアだけに絞られてはいたが、監視の手を緩めてはいなかった。
堅実な領主なのだろうと思っていたが、息子も同様らしい。
行動は自由なくせして顔面の硬いオリトのアンバランスさは、どうやら家族の影響が強そうだ。
「んで、カミオチがいなくなっちゃったってこと、どう説明するかねえ」
おっこらしょとおっさん臭い掛け声と共に立ち上がり、ジョシュアは剣を腰に佩きなおす。
ちらりと向けられた眼差しに対して、ランドルも半目で返す。
カミオチはいない。
そうなれば討伐する対象もいない。
カミオチではなくなった。
そうなれば、ランドルは死ぬ必要はない。
がちがちに固めていた覚悟の持って行き所が定まらないまま、物事は流れていく。
ため息を押し殺し、ランドルも立ち上がって扉へと向かう。
「なあ」
「あん?」
肩越しにジョシュアに声をかける。
わずかな躊躇いを消し、ランドルは尋ねる。
「オリトの兄は、いい奴か?」
「ああ、いい次期領主様だよ。オリト様の百倍は表情がある」
「そうか」
彫刻家が作った石像ですら、オリトよりも表情があるだろう。
そんなことを考えながらランドルが扉を押し開けると、丁度兵士たちが集まってくるところで、出てきたランドルを見てわずかに緊張が走る。
だが続いて出てきたジョシュアが手を上げると、彼らは戸惑いながらも警戒をわずかに解いた。
「ジョシュア、報告を」
兵士の後方から武装した姿で現れたジルストは、ランドルを一瞥してからジョシュアに命令する。
一礼をしてジョシュアは姿勢を正し、きっぱりと告げた。
「はい。私がここに来た時、カミオチはおりませんでした」
「いなかった?」
「はい。どこを探しても見つかりませんでした」
至極真面目な顔でジョシュアは言い切る。
二、三秒と沈黙したままジルストはジョシュアを見つめ、ふと眼差しを緩めて一度頷いた。
「兄上!」
何を納得したのか。
そもそもジョシュアのあの誤魔化し方が通じるのか。不安になりつつも、オリトは職人たちの元からジルストの前へと進み出る。
「オリト、大丈夫か?」
弟の顔に残る涙の跡に、ジルストは痛まし気に眉を寄せる。
鉄仮面無表情に見えるオリトの中でいつも輝いている瞳が、今はウサギよりも赤くなっている。
「僕は大丈夫です」
ついさっき二度の大泣きをしたことはおくびにも出さず、オリトはいつも通りの無表情で返す。
隠しきれていないのに虚勢を張る弟の気持ちを汲み、ジルストは何でもないように話を続ける。
「紙吹雪は上手くいったか?」
「はい、レネーに見せました。喜んでくれたと、思います」
「そうか……私も見たかったな」
「紙の神様が、全て受け取ってくださいました。とても、綺麗でした」
「それは良い事だ。神様も喜んだだろう」
「はい、そう思います」
目元も鼻の頭も真っ赤にしたまま、気が緩んだように目を瞬かせるオリト。
ジルストはぽんっとオリトの頭に手を置き、数秒考えこむように遠くへと視線を向けた。
何か言われるのだろうかと心臓をバクバクとさせて待つオリトに、ジルストはふと表情を和らげる。
「カミオチはいなくなったようだな。危険が無くなって安心だ」
「そ、うですね。はい。安心……安心です」
それでごり押しするらしい。
ジルストがそれをよしとするのであれば、オリトとしては追及する必要はないだろう。
そう考えながら、オリトはジルストの横顔を見つめる。
オリトの肩をぽんと優しく叩き、ジルストは掘っ立て小屋からジョシュアと共に出てきた男、ランドルへと声をかける。
「レネーという子の叔父か?」
「はい」
「そうか……オリトと仲良くしてくれて感謝する」
それに対してランドルは口を開きかけ、結局は何も言わずに僅かに首を縦に振る。
レネーと仲良くしてくれて礼を言いたいのはランドルのほうだ。だが、それをこの目の前の男に言うのも違う気がしたのだ。
そんなランドルの様子に構うことなく、ジルストは淡々と言葉を続けた。
「あとで、神殿から人をよこそう。葬儀について、相談するとよい」
「……ありがとうございます」
ランドルは強く目をつむり、深く頭を下げる。
カミオチになりかけた自分では、レネーの葬儀まで見届けられないと思っていた。
ましてやカミオチした身では、神殿が受け入れてくれるはずないと。
それなのに、レネーをふさわしい形で送り出すことができる。自分もその場に同席できる。それが、どれだけ嬉しいことか。
強く握りしめた両手が、自分の肌を傷つけることもない。
「いい体格だな。兵士にでもなったらいい」
「考えておきます」
「ああ、そうしてくれ」
話は済んだとばかりに、ジルストは片手を上げて離れていく。
その後に続こうかと前に出した足を止め、オリトはランドルへと近づいた。
「レネーの葬儀に立ち会っても、いいかな?」
「ああ、もちろん」
「ありがとう」
きゅっと唇を引き結び、笑みとも取れないこともない表情をしてオリトは去っていく。
その向こうでは、ジョシュアが兵士たちと共に並び、軽く片手を上げた。
釣られるようにしてランドルも手を上げ、空に向かってゆらりと振った。




