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オリガミ様は神にあらず  作者: BPUG


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第54話 供物



「ごめ、ださい」


 ずずっと洟をすすり、オリトは赤くなった目元を服の袖で拭う。

 恥ずかしい。でも今更取り繕っても、ここにいる全員の記憶を消すことなどできない。

 オリトは泣きすぎて重い目を瞬かせて、改めてレネーの顔を見る。


 とても穏やかだ。

 オリトの訪れを喜び、「お兄ちゃん」と呼び掛ける声が今にも聞こえそうなほど。

 手を伸ばし、オリトがランドルに抱き着いてしまったせいで乱れた髪を整える。

 オリトと同じ、紙の神の信徒の証である一房の白い髪は、ことさら綺麗に指で梳いた。

 名残惜しい。

 これからさらにまた一つ、別れが待っている。

 穏やかなこの時間はもう終わってしまう。


「……もう、それでいい」


 いつまでも離れないオリトに告げた声。

 引き延ばそうとしても無駄だと悟り、オリトは一歩レネーとランドルから身を引いた。


「ありがとうな。それから、あとを頼む」


 冷静な灰色の瞳がオリトを映す。

 その声も瞳も表情も、何一つ、カミオチには見えない。

 理性のある人間だ。


 なのに、終わらせるのか。

 終わらせなければならないのか。


 駄々をこねそうになる唇を引き結び、オリトは深く頷く。

 赤くなった目も、頬も、格好よくはないだろう。

 それでもせめて、後を託された者として、心の残りのないように。


 ランドルはオリトの頭に軽く手を乗せ、レネーを抱えなおして立ち上がる。

 その二人の間に、ひらりと白い紙片が舞い降りた。


「雪……」


 風で飛ばされてきたのだろうか、と二人は雪を降らせた場所へと視線を向けた、その時、


 淡い光が視界を覆った。


 白い雪が光を放つ。


 ふわりと、紙片が光に包まれる。


 一つ、また一つ、蛍よりも儚い光を放ちながら雪は浮かび上がり、空へと消えていく。


「おお……」


 誰かが感嘆の声を上げる。

 美しい光景だった。

 雪のひとひらひとひらが、煌めきを纏って浮かび上がる。

 儚いのに気圧されるほど圧倒的。

 まだ昼間の青い空が広がるなか、爪よりも小さな灯りが幾百、幾千と灯る。

 全員息を飲み、言葉もなく立ち尽くす。

 そんな中、オリトはポツリと呟いた。


「神様」


 紙の神様、だろうか。

 オリトと職人が作った紙吹雪を供物として受け取ってくれたのか。

 神様の優しさに、止まったはずの涙がにじむ。

 ほうっと見えない雪を解かすかのよう息を吐く。

 そしてふと振り返った視線の先、見えた光景にオリトは両目を見開いた。


「ラン、ドル……?」


 名を呼ぶだけで、言葉が続かない。


 一つ、また一つ、淡い光が立ち上る――ランドルの体から。

 一つ、二つと光が浮かんで消える度、ランドルの体表を覆う黒い毛が薄れていく。

 やがて光はランドルの全身を覆い始めた。


「な、んだ?」


 ランドルはレネーを抱えたままの両腕を凝視する。

 優しい光が溢れている。

 ケモノの証が静かに溶けていく。春先に水となって流れていく雪のように。


 しゅわり。


 音などないはずなのに、ランドルの耳にはそう聞こえた。


 しゅわり、しゅわり。


 十指の先から伸びた歪なケモノの爪。

 鋭く尖り、人を傷つけるための爪、それが光と共に消えた。

 そして現れたのは丸みをおびた人の指と爪。

 力が抜け、ふらりと傾いたランドルの体を誰かが支えた。

 振り向いた先にいたのは、口角をにやりと上げたジョシュアだった。


「あぶねえな、おい。レネーを落とすとこじゃねえか」

「すまん」

「ほら。俺が中に連れて行ってやるから」


 奪うように、だがあくまで丁寧に、ジョシュアはレネーの体をランドルの腕の中から抱き上げる。

 軽くて、小さなレネーの体が離れていく。

 無意識に伸ばした両腕が、視界に入る。


 淡く光る両腕。

 服で肌が見えない場所からも、光があふれている。


「夜、隣にいたら鬱陶しいくらいだな」


 ハッと鼻で笑ってジョシュアが去っていく。

 その軽口に反応することもできず、ランドルはまるで初めて視力を得たかのように自分の両手を見つめ続ける。


 完全に人の手だ。

 ここ数年、忘れてしまいそうになっていた懐かしい人の手。

 まじまじと見つめて、指を曲げる。

 皮膚の下にある骨と、しなやかな筋肉を感じる。

 皮膚に触れる空気、それですら新しい。


 ランドルの体から立ち上る光は徐々に勢いを失っていく。

 一方で、ランドルは以前の自分を取り戻していくのを感じていた。

 指先や手のひらを、痛みともくすぐったさとも違う感覚が通っていく。

 失ったもの、手放したもの、突き放したもの、諦めたもの――それらすべてが両手の中に蘇ったかのようだ。


 柔らかな風が舞う。

 揺れる光が風に乗り、優しくランドルの頬を撫でて通り過ぎていく。

 その行方を追うようにして顔を上げた時、ランドルは自分が涙していることに気づいた。

 冷え切っていた感情が溶けたその証のように、次々と涙が頬を伝う。

 その感覚すら、新鮮でいて懐かしい。


「神よ……」


 許しを、得たのか。

 その言葉は声にはならない。

 そんなおこがましいことを望んだことなど一度もない。

 ただ、神の御手による奇跡に触れたことだけは分かった。


 ランドルの体が大きく震える。

 ありとあらゆる感情がマグマのように体の奥底から湧き出す。

 その衝動は自我を失う恐怖とは正反対に、熱く、ランドルを突き動かす。


「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」


 青く晴れた空に向け、ランドルは心を開放する叫びを上げた。





 光に満ちた場所から、暗い小屋へと足を踏み入れる。

 ジョシュアは大股で窓辺まで進み、ベッドの上にそっとレネーの体を横たえた。

 薄く荒い布を胸元まで掛け、オリトがしたように優しく髪を整える。


「頑張ったな」


 何でもないように吐き出した声は思った以上に震えていて、ジョシュアは腰に両手を当てて大きく息を吐き出す。

 それからジョシュアはベッド脇にある棚の上に手を伸ばした。

 全てが終わりのために整えられ伽藍洞(がらんどう)な掘立小屋に残された、装飾のない粗末な陶器の小箱。

 微かな音を立てて蓋を開け、取り出したのは薬包。

 それを素早く唱えた祝詞で焼き尽くす。

 パッと立ち昇った青白い炎は、一気にその毒を跡形もなく消し去った。

 軽く息を吐き、ジョシュアはベッド脇に崩れ落ちるようにして膝をつく。


「っく……」


 押さえきれない感情が、喉奥を締め付ける。

 腰の剣に手を当て、震える体をかがめる。

 目の奥からこみ上げた感情があふれ出し、目頭を通って鼻筋を濡らす。

 パタパタと音を立てて落ちた雫が、床の色を変えていく。


「はっ」


 息が吸えない。

 喘ぐようにして涙にぬれた顔を上げる。

 窓の外には相変わらず晴れた空が広がる。

 微かに聞こえた男の慟哭に、ジョシュアは無理矢理に口角を上げて笑みを作る。


「ははっ」


 わざとらしく出した笑い声は、かすれていてみっともない。


「はっ、あんの、やろ……」


 悪態をついてやりたい。

 思いっきり背中をどついて、皮肉を言ってやりたい。

 馬鹿みてえだと、ケモノみたいな雄たけびを上げやがって、とからかってやりたい。

 だがそれらの一つとして声になることはなく、ジョシュアは喉を大きく震わせた。

 やがて唯一こぼれ落ちたのは――


「ああ……よかった」


 ただそれだけだった。




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