第52話 真っ白
馬車は大通りを抜け、幅の狭い道の終点までたどり着いた。
ジョシュアが御者に合図をして馬車を止めさせ、職人たちへと呼びかける。
「馬車はここまでだ。箱をそれぞれ持って移動してくれ」
「おう」
早速職人たちは荷台から紙吹雪の入った箱を下す側と受け取る側、二手に分かれて動き出す。
御者を合わせれば総勢六人の職人が一つ、あるいは二つの木箱を抱えて歩き始める。
先導するするのはジョシュア。
オリトはパタパタと大人の足に遅れないように、前に進むことに集中する。
ランドルを尾行して撒かれた角、パンを抱えて毎週通った道、ジョシュアとランドルが剣の稽古をした空き地──
奥歯を噛みしめて、見えてきた掘っ立て小屋を目指す。
「ジョシュア、先に行って」
「はい」
中の様子がどうなっているのか。
手遅れになっていないことを願って、ジョシュアを先に送り出す。
「オリ坊、あの窓の外でいいか?」
「は……い、おね、が、します」
走って荒れた息と共にオリトは答える。
木箱が地面に下され、中から布袋が引き出される。木箱にそのまま入れると紙吹雪がこぼれてしまうから、と工夫してくれたのだ。
「んで、こいつを足台にすりゃ、いい感じになんだろ」
「お、頭いいな、お前」
「天才と呼べ」
こんな時でも軽口を忘れない職人たちに心の中で礼を言い、小屋の扉の前に立つ。
一、二、三。
呼吸を整え、心を整える。
手を前に出して、ざらざらした表面の扉に体重を乗せる。
ぎぃっと軋む音と共に小屋に足を踏み入れる。
視線はすぐに窓際に向いた。
ベッドの横に膝をつくランドルと、その後ろに立つジョシュア。
「オリト様」
振り向いたジョシュアの声が柔らかい。
間に合ったのだ。
無意識のうちに服の胸元を握っていた手を下し、ランドルの隣に立つ。
「お待たせ、レネー」
自然と小さな声で呼びかける。
空気を揺らすのさえためらうような慎重さで。
紙のように白い、とは正しい表現なのだろうか。
レネーの顔色を見てオリトは思う。
日々触れている紙よりも、透き通ってしまいそうな肌。
その皮膚の下に、本当に血が通っているのかと疑ってしまいそうなほど。
脈が止まっていないことを確かめたくなるほど。
レネーの顔を凝視するオリトの視線の先で、レネーの瞼が震えた。
オリトはランドルの隣にしゃがみ込み、思わず彼の手を掴む。
ランドルはギョッとしてオリトを見る。
カミオチして手の甲にまでびっしりと生えた黒いケモノの毛と、鋭い爪が伸びる指。
誰も触れたいと思わない手だ。
緊張のあまりに忌避感すら忘れているのかと思いつつ、振り払うことはせずにランドルはレネーへと視線を戻した。
「レネー?」
名前の一音一音が舌先に重く絡まる。
半分も空いていないレネーの瞳の中に映りこもうと、オリトは前かがみになる。
その背を、ランドルは握られていない方の手でそっと支えた。
全神経を集中させ、食い入るようにレネーの唇を見つめる。
微かに震えるレネーの唇が音を発する前に、オリトは勢いよく立ち上がった。
「見てて! すぐ! すぐだから!」
静寂をぶち壊し、音を立てて小屋から飛び出していく。
扉が閉まった衝撃で、小屋全体がギシギシと不穏な音を立てた。
「なんだったんだ」
首を傾げるジョシュアに対して、ランドルは顔を上げて窓を見る。
「雪を、見たいと」
「ああ……そうか」
釣られるようにして顔を上げたジョシュアは、青い空を見て目を細めた。
「おじさん! 雪! 雪を!」
「おうよ!」
転がり出るようにして小屋を飛び出してきたオリトを見て、職人たちが声を上げる。
布袋に両手をつっこみ、勢いよく上部へと掲げた。
風もない青い空に、白い紙片が舞う。
太陽の光を受けてキラキラと輝く姿は、雪を見たことがない者たちでさえ息を飲むほどに美しい。
「雪か」
「雪だ!」
「はは! すげえ!」
雪の中ではしゃぐ子供のように、職人たちが笑顔で空を見上げる。
不規則に光を抱いて輝く雪のかけら。
偽物だなんて誰が言うだろう。
これは間違いなく雪だ。
空気を、地面を白く染める雪。
「ほら! オリ坊も! ここに立て! 雪を降らせるんだ!」
「うん!」
木箱から降りて、職人がオリトを誘う。
駆け上がり職人が広げた袋に両手を突っ込んで、頭上へと散らす。
「わぶっ」
投げた方向が悪かったのか、顔と体の前面が真っ白になる。
慌ててパタパタと引っ付いた紙片を払う。そのオリトの頭上にさらに紙吹雪が舞い降りた。
風が地面に落ちた紙吹雪を舞い上げる。宙を小さなつむじ風が奔り、まるでダンスを踊るようにくるくると縦横無尽にかけていく。
「綺麗だ」
思わず手を止めてオリトは呟く。
袋に入った紙吹雪を撒き終わった職人たちが、積もった紙吹雪をまた宙に散らす。
何度も、何度も。
オリトは肩に目尻を押し当て、息を吸いこむ。
「レネー! 雪だよ!」
両手で掴めるだけの紙吹雪を掴み、今度こそ高く空に向けて放つ。
風が優しく吹いて、小屋の窓のそばに雪のカーテンをかける。
さらさらと、紙片がぶつかってまるで粉雪のような音を奏でる。
晴れた青空と白い紙吹雪がどこまでも美しい――そんな日だった。




