第5話 帰路
旧殿は”旧”とつくだけあって、本殿よりも古く、天井は低くてひっそりしている。
だがそれが悪いわけではなく、歴史のある建物の静謐な佇まいは、神と語り合う場として本殿よりも相応しいようにオリトは感じた。
「こちらが紙の神の像でございます」
「ありがとうございます」
案内人が一つの小さな像を指し示し、オリトに礼を取って去っていく。
その後ろ姿にしっかりと頭を下げてからオリトは祭壇に向き直った。
そこに置かれた像に大きな特徴はない。
子供のオリトの指先から肘くらいまでの小さな像だ。
ぐるりと首を巡らせれば同じような像が立ち並んでいて、案内人に言われなければこの中から自分の仕えている像を探し出すのは困難だったに違いない。
今ここに立っていても、像の前に”紙の神”という札が置かれていなければ確信は持てなかっただろう。
今後ここを訪れる時には、全く別の神に祈ったりすることがないように確実に札を確認せねば。
新たな心のメモを追加し、オリトは右手の服の袖を引っ張ってちょいちょいと像の頭や顔のあたりを拭く。
日本人的な考えかもしれないが、綺麗にしてからお祈りをしたいのだ。
(今度は掃除用の布巾もいるな)
短時間で心のメモをもう一つ追加。
地味に黒くなった右の袖口を元の位置に戻し、今度は左手を開く。
鶴の羽根を両手でぴんっと引っ張り、翼が綺麗なカーブを描くように整える。
それをそっと像の前に置き、オリトは一歩下がった。
質素な紙の神の像と、素朴な白い鶴。
色合いが寂しい気がして、オリトは今度は花も持って来ようと心のメモを書き足す。
(紙の神様、オリトとして初めて出した紙で作った、この世界ではたぶん初の折り鶴です。どうか喜んでいただけますように。しばらく来れなくなるかもしれないけれど、絶対にまた来ます)
心の中で早口で語り、オリトは深々と腰を折る。
それから満足そうにふっと鼻息を飛ばし、像に背中を向けて足早に歩き出した。
その後ろで、折り鶴がふわりと浮かび上がり、宙に消えていったことに気づかずに――
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アシュヴァル家は貴族ではあるものの、子爵家という立場のしがない地方貴族だ。
今日オリトが訪れた神殿もお隣の伯爵領にある神殿であり、実家に帰るには約三時間の道のりを馬車に揺られなければならない。
しかし十歳で一人だけでその道のりを旅するなど言語道断。
というわけで、今回の旅にはオリトの母マイヤがついて来ていた。
その母はオリトの向かいに座り、いかにも頭が痛いですというように額に手を当てて息を吐く。
「お父様に何と言えば」
普通にありのままを言えばいいのではと思ったが、聡いオリトは口にしない。しっかりと心の中だけにとどめる。
だがしかし、疲れのせいで緩んだ心の隙間からポロリと、「全員が同じだとつまらないので、一人くらい違うのがいても面白いのでは?」と本心が零れ落ちた。
直後、母親の眼差しがキッと鋭くなり、鈍くなっていたオリトの脳の動きが唐突に活発になる。
耳奥でドッドッドッという激しい鼓動が響く。
「あ、いや、今のは言葉の綾と言いますか……」
十歳の子供らしからぬ言葉遣いで、オリトは母親の機嫌を取ろうとするがすでに遅かった。
限界まで上がったマイヤの眦が、限界を超える。
「……今の言葉も忠実に、お父様に報告させていただきます」
「はい」
これ以上言葉を取り繕っても焼け石に水だ。
オリトは夕暮れ色に染まり始めた田舎道へと顔を向け、そっと目を閉じて寝たふりをすることに決めた。
しかし母はまだ何か言いたかったらしい。
「オリト」
名を呼ばれ、オリトはさも”今、僕は寝てましたよ”というようにピクリと体を震わせてから両目を開く。
正面に座る、オリトと同じ薄茶の髪に二筋の赤い火の神の信徒である証を持つ母親は、しっかりと赤い紅が引かれた唇で告げた。
「選神の儀、お疲れさまでした。これから成神まで、誠心誠意、あなたに加護を与えた神に仕えるように」
「はい。ありがとうございます」
厳しい叱責が飛んでくるかと思ったのに、母の口から紡がれたのは子供の成長を祝う言葉。
思わず二度瞬きをしてから、オリトは揺れる馬車の中でも姿勢を正し、まっすぐに母親の目を見つめて感謝を述べる。
それに「よろしい」と何がよろしいのか分からない返事をし、マイヤは先ほどのオリトのように馬車の外へと視線を向けた。
どうやら今度こそ会話は終わったらしい。
オリトはだらりと体の力を抜き、再び目を閉じた。
紙と神と髪が何度も出てきて、誤字脱字に怯えてます。予測変換トラップです。
見つけたらそっと報告してやってください……なんでこんな設定にしたんだよぉ、作者よぉ。(お前だ)




