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オリガミ様は神にあらず  作者: BPUG


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第45話 記憶の底にある


 突然だが、アシュヴァル子爵領は内陸にあり、年間を通して比較的温暖である。

 四季は一応あるものの、冬から春にかけて朝晩が若干冷えるだけで、霜も降りなければ雪も降らない。

 そんな地域である。


 なぜそんな情報の羅列をしたかと言えば、今日オリトはレネーにこう尋ねられたのである――「雪を見たことはあるか」、と。

 最適解は「ない」だ。


 だってオリトは生まれてこの方、子爵領から遠く離れた地域に行ったことがないからだ。

 隣の伯爵領の神殿には行ったが、馬車で三時間移動しただけでは気候にたいした変化はない。

 だがオリトには雪を見た記憶がある。それはオリトであってオリトではない、過去の自分の記憶の中だ。

 だからオリトはレネーにこう告げた。


「直接は見たことはないけれど、雪が真っ白で冷たいってことは知ってるよ」


 曖昧な回答ではあったものの、レネーはオリトが雪を知っていたことに喜び、さらに質問をしてくる。


「本当にお空から冷たいものが降ってくるの? 雨じゃないの?」

「そうだね。雨じゃなくって、なんていうのかな……小さい氷みたいなもの、かな」

「氷? 痛くない?」

「痛くないよ。ふわふわだよ」

「ふわふわ……お空から」


 レネーは窓の向こうに広がる青い空を眺めて、か細い息を吐く。

 体調が良い時はランドルが抱いて外を散歩していたという。

 周囲に人がいないこの場所は、ランドルの外見のことだけでなく、レネーの療養のために選んだようだ。

 体力が落ちているのに、体の痛みや呼吸困難で寝られない日もある。

 寂しいくらいに生活音の全くないこの場所は、レネーがゆっくりと休める環境なのだ。


「鳥みたいにお空を飛んでみたい。大きなカミヒコーキに乗るの」

「それは楽しそうだ」


 折り紙を折って、広げて、曲げて、また折る。

 特徴的な尻尾にカーブをつけて綺麗に整える。


「はい、リスだよ」

「わ、可愛い。レネー、リスは見たことある」


 体と同じくらい大きな尻尾を持つリスを見て、レネーはそっくりだと笑う。

 追いかけっこしているのを、ランドルと散歩していた時に見たらしい。

 このあたりのリスは警戒心もなく、小屋に近づいてくることもあるのだとか。


 リクエストに応えて、同じサイズでもう一匹リスを折る。

 レネーは「一匹じゃ寂しい」と言って大抵の折り紙は二つ欲しがる。

 それはレネー自身が寂しいと言っているように聞こえる。そしてあながちオリトの勘違いではないだろう。

 ランドルは見るからに喋るタイプではないし、ずっと一緒にいたら新しい話題もない。

 我がままを全く言わないレネーの唯一の我がままが、「折り紙の動物を折った人に会ってみたい」だった。


(そりゃ、ランドルが断れるはずもないよね。折り紙を入れた俺、ナイス判断)


 何の役にも立たないかもと思いながらも入れた折り紙。

 希望と期待に縋ったのは神様の存在。

 前の自分も、今のオリトも結局神様に頼って生きている。


「レネーがお空に行ったら、雪を降らせてあげる」

「レネーが? 冷たいよ?」

「お兄ちゃんのために、冷たくない雪にしてあげる」

「冷たくない雪かぁ。それは、不思議だね」

「ふふふ」


 喉奥が、苦しい。

 空へなんか行かなくていい。

 でもどこまでも自由に映る空に憧れるレネーにそんなことは言えない。

 だからオリトはただ黙って二匹目のリスを折り続けた。



 外から、金属音が聞こえる。

 ジョシュアがランドルに頼み込んで、王都の元騎士の剣技を教えてもらっているのだ。

 最初は渋っていたランドルも、ジョシュアの無遠慮で粘り強くてしぶとい頼み込みにほだされ、というかうんざりして承諾した。


 子爵領の兵士は平和だ。ジョシュアの言葉を借りれば、温いともいう。

 この世界は、日本で流行っていたファンタジーに出てくるような、強力な敵や魔法生物などいない。

 国家や領土間で多少のいざこざはあれど、命を懸けた戦争が勃発することはめったにない。

 では兵士は何をするかというと、警察とほぼ変わらない。

 犯罪を取り締まり、治安を維持する役だ。

 そしてその中で一番彼らの力が試される時が――カミオチとの戦闘である。


『多分、ランドルがカミオチしたら、部隊の一つか二つは壊滅ですねぇ』


 パン屋からの帰り道、オリトがランドルの技量を尋ねたらジョシュアは何でもないことのように告げた。

 ランドルは元々の戦闘能力が高い上に、カミオチした人間は異常なほどに身体能力が高くなる。

 驚異的なジャンプ力、人の体では追いつけない瞬発力。

 そして鋭い爪から繰り出される攻撃。

 理性を失ったランドルが暴れまわったら、負傷せずに止められる兵士はいないだろう。そう冷静な眼差しでジョシュアは言った。


『あいつ、毒を持ってるんだそうです』

『え?』

『理性を失う前に、飲むんだって。自分が誰かを殺す前に』


 驚きに足を止めたオリトを見下ろして、ジョシュアは苦笑する。


『言わなくてもいいかなとは思ったんですけどね』


 そうジョシュアは呟き、真剣な顔で続けた。


『あいつの命は、どう転んでも長くないです。オリト様』

『……でも』

『助けられるとは思わないほうがいいです。レネーが死んだら、あいつは毒を飲む。もし毒がカミオチの体に効かなかった時も、俺たちがあいつを殺す』


 覚悟のこもった眼差しに、オリトは唇を引き結ぶ。

 ジョシュアも、ランドルも覚悟しているのに、オリトだけがだらだらと逃れられない結末から顔を背け続けている。

 力を失い弱っていくレネーの声も、そのレネーを無表情で見るランドルの片方だけ灰色の瞳にも、明らかに終わりがあるのに。


『兵士の中には、何かが起こる前にランドルを殺せって言う奴もいます。俺もその気持ちは分かる。というか、この任務に就く前は……そんな危ねえ奴、とっとと殺しちまえって思ってたんすけどね』


 過去形で語られる思い。

 でも嘘偽りのないジョシュアの告白にオリトは視線を彼から外して、通りの向こうへとさ迷わせる。

 兵士たちの気持ち、ジョシュアの気持ちを押しやり、そして彼らの命までを危険にさらしてまでオリトはランドルに会い続けるべきなのか。

 毎週、変わらない姿のランドルを見る度に、安堵と同時に沸き上がる葛藤を見て見ぬふりをしてきた。


『でも、今は知って、良かったと思います。ランドルの剣を。鍛えられた技術を。あれで風の神の祝福がついてたら、もっとすごい剣士だっただろうなって思います』


 いつもの屈託のない笑顔を浮かべて、ジョシュアは「悔しいけど敵わねえんすよねー」といって歩き出す。

 護衛対象を置いて行ってしまうジョシュアの横に追いつき、オリトは今彼に告げられる唯一の言葉を口にする。


『ジョシュアが、僕の護衛で良かったよ』

『それは嬉しいっすね!』


 本当に、心からそう思った。



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