第43話 存在を知る
大人二人組が紙飛行機を飛ばしている頃、室内では子供二人が熱心に折り紙を折っていた。
ベッドから起き上がれないレネーのために、オリトは彼女の視界に入るようにベッドの端から精一杯腕を伸ばして折るという不思議な体勢になっている。
これは肩が痛くなりそうだと十歳らしからぬ感想を抱きつつ、オリトは口と手を同時に動かす。
「それで、ヒツジはもこもこの毛をしてるんだ。夏になる前にもこもこの毛を切って、羊毛を集める」
「切っちゃうの?」
「そう。いっぱい伸びちゃうと毛で前が見えなくなっちゃったり、夏に暑くてバテちゃうからね」
「へぇ~」
折り紙を丁寧に折りながら、オリトは羊の生態についてレネーに教えてあげる。
レネーの使う布団は綿が入っているが、羊からとれる毛でも布団が作れると教えたらとても興味深そうにしていた。
「ヒツジはね、走る時にピョンって四つ足で飛ぶんだ。とても可愛い」
「ピョン!」
オリトはほぼ出来上がってきたヒツジの折り紙を跳ねるようにして揺らす。
宙を跳ねまわるヒツジを目で追い、レネーは鼻を膨らませて自慢げに言う。
「お馬さんは、パッカラパッカラっていうんだよ」
「レネーは良く知ってるね」
「うん。ランドルがいつもお馬さんに乗ってたから」
「ランドル?」
初めて聞く名前に、オリトは最後の仕上げをヒツジに施しながら尋ねる。
レネーはまるでどうしてそんなことを聞くのかとばかりに、「うん、おじさんの名前だよ」と答えた。
ピクリと微かに止まりかけた手を動かし、オリトは何でもない風を装って確認する。
「そっか。ランドルはレネーのおじさんなんだね」
「お母さんの弟だって」
「そうなんだ。僕にもお姉ちゃんがいるよ」
「お兄ちゃんなのにお姉ちゃんがいるの?」
「そうだよ。それにお兄ちゃんもいる」
「すごい」
「でしょう」
何がすごいのか分からないが相槌を打つ。あえて誰がすごいかと言えば、三人産んだ母親だろうか。
とはいえ母メイサに突然「母上ってすごいんですね」とか言えるわけがないので、オリトは少女の言葉を胸の奥にしまった。
完成させたヒツジをレネーの前で揺らす。
安眠をもたらしてくれるというヒツジの力を願いつつ、オリトはレネーからもちゃんと見えるように窓枠に並ぶ動物たちの列にヒツジを加えた。
丁度その時、ギギギッと軋む音を立てて扉が開く。
男とジョシュアが連れ立って戻ってくるのを見て、オリトは不自然な体勢をやめて立ち上がる。
これ以上ここにいてはレネーを疲れさせてしまうところだったので、いいタイミングだ。
「レネー、そろそろ行くね。レネーが喜びそうな動物を探しておくよ」
「ありがと、お兄ちゃん。待ってる」
ベッドに横たわったまま笑顔で手を振るレネーの顔には、微かな疲労が滲んでいる。
レネーの体力では十分にも満たない会話でも毒なのだ。
オリトは無表情鉄仮面の裏に憂いを隠して、視線をレネーから男へと向ける。
(あれ? 少し、表情が和らいだ、かな?)
カミオチの危うさと警戒に満ちた雰囲気が薄れている。
しかしオリトはすぐには問いただすことはせず、そのまま視線をジョシュアへと移した。
「帰れそう?」
「はい。次に来る時に必要なものの確認と代金も受け取りました」
「そう、ありがと。じゃ、行こうか」
用件が済んだならとオリトはジョシュアを促して扉へと向かう。
帰りに受け取るパンに思いをはせ、外へと踏み出したオリトに後ろから声がかかった。
「待ってくれ」
立ち止まって振り向くと、小屋から出てくる男の姿。
常ならば猫のように神経をとがらせるジョシュアが、全く自然体で男が近づくのを待っている。
(やっぱりなんかあったな、これ)
一人納得して、オリトは男が話を切り出すを待つ。
見上げる男の灰色と透明な瞳をじっと見ていると、男は戸惑うようにぼさぼさの髪を掻いて透明な左目を隠した。
男が深く息を吸うのに合わせて、鍛えられた胸が膨らむ。
「俺は、ランドル。王都で騎士をしていた。それから……カミオチする前は、風の神の祝福を得ていた」
一言一言を噛みしめるように告げられる男――ランドルの自己紹介の言葉。
自分が何者であるのか。カミオチしかけた時に忘れてしまいそうになったものを、そっと拾い上げるように語られた情報。
オリトは二度、三度と瞬きをして舌の上で彼の名を転がす。それから両目を細めて声に出した。
「ランドル。改めてよろしく。僕は紙の神に仕えるオリト・アシュヴァル。それから、一つ、訂正しておくと、ランドルにはまだ風の神の加護があるから。祝福ほどではないけれど、風の神様はランドルが望めば力を貸してくれるはずだ」
「……それは、さっき少し感じた」
「うん、ならいい」
小屋に戻ってきたジョシュアとランドルの様子が変だった。
変というか、変わっていた。
お互いの間にあった緊張感や警戒がなくなった感じだ。
そしてランドルの”風の神の存在を感じた”という発言。
紙飛行機を飛ばしに行ったのは知っている。オリトがジョシュアに紙飛行機での連絡方法を教えるようにと頼んだから。
そしてオリトには紙飛行機を飛ばす時、風の神が男に力を貸すだろうという確信があった。
男が神の存在に気づくかどうかは賭けだったが、オリトは賭けに勝ったらしい。
最初から、ランドルが風の神を憎んでいる様子はなかった。
彼がカミオチする切っ掛けが風の神ではなく別の神に起因しているのであれば、カミオチしかけたことでランドルが一方的に風の神から離れた可能性が高い。
でもオリトには風の神がまだランドルのことを見放していないのが見えた。
だからランドルにも気づいてほしかった。それが叶ってよかった。
「もし何かあったら、紙飛行機を飛ばして。紙の神と風の神がランドルを助けてくれる」
「分かった……感謝する」
短く告げられた礼の言葉に、オリトは頷く。
本当はもっと何か伝えた方がいいのかもしれない。
ここまで一人でよく耐えたとか、僕たちがいるから安心していいとか。
でもそれは、かえって男の心を折るかもしれないと思って、口にはできない。
踏ん張っている人から急に荷物を取り上げたら、バランスを崩して倒れてしまうように――男はまだ背負っている物が重すぎて。
(前の僕は、優しい言葉なんて受け入れられなかった。投げ出せないものばかりで、雁字搦めで、どうにもならない状況から逃げることも目を背けることもできなかった。慰めとか温かい言葉が欲しい人もいる。でもこの人は、きっとそういうタイプじゃないと思う。前の僕みたいに)
言葉では救えないなら、態度で伝えていくしかない。
一つ一つ、男の足元にある障害を減らして前に進んでいけるように。
「それじゃ、ランドル。来週また、会おう」
「ああ、待っている」
灰色の目がオリトをまっすぐに見下ろしている。
確実に約束を守ると伝えるように、オリトは深く頷いた。




