第42話 風が吹く
ジョシュアはひらひらと二人の子供たちに手を振り、男のあとに続く。
数メートル小屋から離れて立ち止まった男に合わせて、ジョシュアも歩みを止める。
ぼさぼさに伸びた黒い髪の隙間から、灰色と空虚な透明の瞳がジョシュアへと向けられた。
文字通り空っぽな目にジョシュアは背筋を震わせつつ、さっそく話を切り出す。
「あんたの処遇については、オリト様に一任されている。何かあったら領主が責任を取るそうだ。俺は死にたくねえし、オリト様にも傷ついてほしくねえし、まあ、あんたにも死んでほしくねえから、できる限りのことはするつもりでいる」
「……なんで、そこまで」
「さあなぁ。オリト様が言うには、神様が悲しんでるんだと」
「は?」
「ま、とりあえず飛ばしてみようぜ。そうしたらあんたも分かる」
「おい」
戸惑う男を無視して、ジョシュアは服の合わせから自分で作った紙飛行機を取り出して形を整える。
そして自慢げに男に向かって説明を始めた。
「こっちが頭でこっちが翼。紙でできた鳥だと思えばいい。無理に腕の力だけで飛ばすんじゃなくって、風を読んで乗せる感じだな」
風を読むというジョシュアの言葉に、男の瞳が一瞬陰る。
風の神の加護を受けていた男が日々頼っていた力である。
それを分かっていながら、ジョシュアは軽い口調で話を続けた。
「あんたに渡したカミヒコーキは、オリト様が紙の神から受けた祝福を込めた紙で作ってある。持ち主のところに届くようにっていうものだから、今のところオリト様にしか届かない」
「音の神や声の神の神官の遠耳のようなものか?」
「ん? ああ、ま、そんなもんだろ」
詳しい説明が面倒でジョシュアは適当に相槌を打つ。
音の神や声の神の神官同士だけでしか通じない遠距離の会話とは異なり、オリトの紙飛行機は誰でも使える。
だが先ほどジョシュアが言った通り、オリトにしか作れないし、オリトにしか届かないのが難点だ。
しかし少なくとも、今のこの男に必要な連絡手段だ。
「これは紙でできてるから、何か伝えたいことがあれば、翼の外でも中でも好きなように書けばいい。んで、こうやって……飛ばす!」
声と同時に、ジョシュアは開けた場所に向かって紙飛行機を投げる。
ピンと伸びた指先から放たれた紙飛行機。
ふわりと浮いて、のびやかに風に乗って飛んでいく。
そして最後にはすーっと雑草の生い茂る地面に不時着した。
「これが、カミヒコーキ」
「そ。これは俺がオリト様のアドバイスを受けて色々改造したやつな!」
ジョシュアがまるで犬のように駆け出して、地面から紙飛行機を拾って自慢げに男に見せる。
男は先ほど渡された紙飛行機と、ジョシュアが作ったという紙飛行機を比べて違いを確認して頷く。
そして伸びた獣の爪で紙を破らないように注意しながら、丁寧に折りたたまれていた翼を広げて空にかざす。
「なるほど。風に乗せて飛ばすのか」
「そうだな。無理矢理に遠くに勢いをつけないほうがいい」
そう言いつつ、ジョシュアは振りかぶってボールでも投げるかのように紙飛行機を飛ばす。
すると白い機体は上方に高く上がったかと思うと、一瞬で地面に落ちた。飛距離としては二メートルもない。
「こんな感じだ」
ジョシュアが肩をすくめると、男は納得したというように頷く。
灰色の目はその間も忙しく風を読むように、何もない空間を行き来する。
それから手にした紙飛行機を飛ばそうと腕を上げた男を、ジョシュアは慌てて止めた。
「あ、練習するなら俺のを貸す。そっちはどこに投げてもオリト様のとこに行っちゃうから」
「ああ、そうだった。悪い」
「お、おお」
半分上の空で謝罪してきた男に、ジョシュアは狼狽える。
本当にこの男はカミオチしているのか疑わしくなるほど、中身はまともだ。
どうしても助けたいと願うオリトの思いが少しだけ分かる。ほんの、少しだけではあるけれども。
男はジョシュアから紙飛行機を受け取り、爪の先でそっと羽を撫でて顔を上げた。
木々が揺れる。
緑の下草が、さらさらと音を立てる。
空気が流れる。
「風だ……」
男は呟いた。
見えなくとも、そこにある。
触れられなくとも、ここにいるのだと告げている。
男は顔の高さまで紙飛行機を掲げ、透明な左目を眇めた。
まるで狙撃手が遠くの敵を狙うように。
そして一瞬の風と共に放たれる、一基の白い紙飛行機。
「お!」
ジョシュアは思わず声を上げた。
風に乗り、優雅に翼を広げた紙飛行機が舞う。
それはまるで鳥のように自由に前へ前へと進む。
木々の間から差し込む光を受け、白い機体が輝く。
「すげえ!」
遠ざかっていく姿を目で追い、ジョシュアは無意識に男の肩を叩いた。
仲間の兵士と紙飛行機で競い合った時と同じ行動だった。
大きく体を震わせた男に気付くこともなく、ジョシュアは視界から消える寸前に地面に落ちた紙飛行機を指さす。バンバンと力強く男の背を叩きながら。
「おい! 四十メートルは飛んだぞ! すげえな!」
取りに行こうぜと数歩進み、ジョシュアは振り返る。
男は、ただそこに立っていた。
微かに唇を震わせ、息を吸い、そしてまた吐く。
何かを言おうとしては失敗を繰り返す男をジョシュアは黙って待つ。
ジョシュアの立っている場所から、男の透明な瞳が光を受けて揺れるのが見えた。
泣くのかと思ったが、その目は何も生み出すことはなかった。
「風が、吹いた」
低い声が呟いた。
風に乗せたら消えてしまいそうな微かな声で。
「ああ、いい風だったな」
ジョシュアは短く答える。
男は唇を強く引き結び、眉間に深い溝を刻む。
泣くのを堪えるような、あるいは怒りを抑えるようなどちらともつかない表情だ。
きっと本人ですら今の感情を言い表せないだろうと感じる。
「拾いに行こうぜ」
「ああ」
軽い調子でジョシュアが誘うと、男は大きく息を吐いて足を踏み出した。




