第39話 生きる鍵
オリトは無表情鉄仮面ながらも、努めて柔らかい表情を作る。
少女はパチリと瞬きをして、乾いた唇を動かした。
「紙の猫の人?」
「うん、そう。僕が猫を作った」
「うさちゃんも?」
「うん」
オリトが頷いた直後、少女の顔が喜びに輝く。
生きるのに疲れた老婆のような生命のなさは掻き消え、朝露に濡れた大地に芽吹く若葉のような生気溢れる笑顔だ。
「猫ちゃんと、遊びたかったの。でもここには来れないって」
「そうだね」
「嬉しい。ありがとう。他にもいっぱい可愛いお友達ができた」
「良かった」
少女の世界は小さい。
このベッドだけが彼女のすべてだろう。
その中に訪れた小さな動物たちの出会いが、レネーにとってどれほどの喜びを与えたのか。
嘘偽りない眼差しと言葉に、オリトは喉奥にこみ上げてくる熱を飲み下す。
「今日の子たちには、会った?」
「今日? まだ!」
ぐるりと首を回し、レネーが男へと期待の目を向ける。
男は紙袋からパンを出して、その奥からそっと二つの折り紙を取り出す。
思いのほか丁寧な扱いだ。
手のひらに乗せた折り紙を男はレネーに渡そうとして、一拍ほど思案してからオリトへ伺いを立てる。
「そこを、いいか?」
「ええ」
オリトが立ち上がって場所を譲ると、彼はベッドの端に腰かけてレネーを片手で起き上がらせた。
少女が軽いのか、それともと男の力が強いのか。
(両方だろうな)
自分にもたれ掛けさせるようにして体勢を整え、男はレネーの手の上に折り紙を置いた。
「うわぁ、猫ちゃんと、ネズミ」
消え入りそうな掠れた声で精いっぱいの感動を表すレネー。
彼女を見る男の灰色の目は、ただひたすらに優しい。
(この目が空虚になった時が終わりだ)
全ては、この少女が鍵だ。
この男が完全にカミオチしないのは、この少女がいるから。
男がカミオチしてしまえば、この少女は取り残され、一人で死ぬだろう。
反対に、少女の命が尽きた時、この男は完全にカミオチする。
「ははっ……」
息だけで小さく笑ったオリトを、男とジョシュアが訝し気に見る。
(無理難題だ。俺まで神様に愚痴を言いたくなる気分)
はあっと息を吐く。
一歩前進して、百歩ぐらい後退したようだ。
罵詈雑言を神様たちに向けて放ちそうになるのを抑え、オリトは口元を一撫でして改めてレネーを見る。
何の病気なのか分からない。
ここに医者を連れてくるにしても、男がそれを望むかどうか。
「お兄ちゃん、すごいね」
「ありがとう」
両手に持った猫とネズミを揺らす。
追いかけっこさせたいようだが、レネーの体力では揺らすのが限界のようだ。
それにこれ以上彼女を興奮させてもいけないような気がして、オリトは男へと視線を移す。
男は小さく頷き、レネーをベッドに再び横たわらせた。
パタリと小さな腕がベッドに伸びる。
そして男はその手から折り紙を取り、彼女の視界に入る窓の桟にそれらを並べる。
手に持って遊ぶ力もない、衰弱しきった彼女が唯一見える世界。
行儀よく並んだオリトが作った折り紙の動物たち。
空想でもしているのだろうか、レネーの口元に微笑みが浮かぶ。
「またね」
「うん、ありがとう、お兄ちゃん」
伸ばされたレネーの腕の先で、指先だけがひらひらと揺れる。
オリトも小さく手を振り返し、ジョシュアに合図して家の扉から外へ出る。
後ろから男が何も言わずに一緒に出てきたのを感じ、数歩進んでから振り返る。
レネーの前では見せなかった硬い表情で、睨むようにオリトを見てきた。
「俺を、どうする?」
低く、獣の威嚇する声のようだ。
ジョシュアがさりげなく腰に下げた剣に触れる。
相手にはそんなことすべてお見通しだとは思うが。
オリトは男と男の背後にある今にも崩れそうな掘立小屋を見る。
どうするのか。
どうしたいのか。
どうすべきなのか。
ふるりと頭を振って、オリトは彼から視線を逸らす。
「どうにも。僕にはその権利はないので……あなたが町の人に危害を加えない限りは。あと、窃盗も。どうにもならないならある程度は援助はできるかな」
早口に告げる。
オリトにできることは限りなく少ない。
「……レネーを医者に見せたことは?」
今度はこちらから質問をする。
男の現状は把握できた。
彼とレネーの限りなく危うい関係性も。
少しでも何かできることはないかと考え、オリトが出した解決策の一つは男によってあっさりと否定された。
「ああ……生まれつきの胸の病気だ。十歳までは生きられないと言われた」
「今、何歳だ?」
「七歳」
見た目は五歳ほどだったが、やはり病気のせいで成長が遅いだけだったらしい。
そして彼女の命はもう長くない。
「医者を連れてくるか?」
「……薬があるからいい」
「そうか」
まだ信頼はされていないようだ。
それは仕方がないだろう。
今日のところはここまでだ。
だがその前に、一つ質問を。
「レネーが好きな動物は?」
「は?」
「今度、作るから、レネーの好きな動物を知りたい」
「……馬だ」
「分かった。じゃあ、また来週」
「は?」
困惑しきった男をその場に残し、オリトはくるりと背を向けて歩き出す。
すぐにその後をジョシュアも追い始めた。
「まだ通うんです?」
「当たり前だ」
「ま、そうでしょうね」
「パンを受け取って帰るぞ」
「了解~」
信頼を勝ち取らなければ。前進できない。
残された時間がどれだけなのだろう。
焦っても信頼は勝ち取れないのは分かっている。
次はお互いの名前を知ることが目標だ。
「どれくらいかかるかな」
簡単にはいかないかもしれないと、オリトはほおっと長い息を吐いた。




