第30話 辺神の日
「我が神、火をつかさどる火の神。我らが導きの灯。我らが迷いし時も、心凍える時もその温かな火によりて我らを救いし神よ。人の営み全てにおいて我らと共におられる神。ここに揺るぎない我らの信仰の火を捧げます」
低く渋みのある声が、礼拝堂の高い天井に朗々と響く。
我が父親ながら良い声だ。いつか自分も年を取ったら、こんなうっとりするような声が出せるだろうか。
口数が少ない父親の声をたっぷり聴けるのは、火の神への祝詞の時だけ。
思えばこうやって礼拝堂に家族で集うのを楽しみにしていたのは、父親の声が聴けるからというのもあるかもしれない。
父が祝詞を終えて両手を前にかざすと、オレンジ色の火が空中に現れる。
それを用意されていた燭台に移し、父は深々と正面に座す火の神の像へと頭を下げた。
それに倣ってオリトを含め、家族や同席した一部の使用人も礼を取る。
今日は一年で一度の儀式の日――返神の日である。
日々神に感謝するのに加え、こうやって家族で集ってこれからもよろしくとお願いする日。
領地によっては領民を集めて神殿で大々的に儀式を行うところもあるが、アシュヴァル子爵領では家族単位で行われている。
家長が代表して祈りを捧げることが多いため、アシュヴァル家では火の神にご挨拶することとなる。
オリトが隣の領の神殿を訪れた際、火の神の奉られたこの礼拝堂で紙の神にも祈ってよい、と許可を得たことは父リュウストにも伝えてある。
おかげで、この場所で紙の神に祈ることにも罪悪感はなくなった。
(でもさ……火の神様、ちょっと気軽に来すぎじゃありません?)
手元に取り出した鶴が赤く染まっていくのを見て、オリトはため息を押し殺す。
その隣では白いカエルがピョッコピョッコと、火の神に対して文句ありげに跳ね回る。
(神様、神様、お願いだからここはちょっとだけ大人しくお願いします。家族以外の人もここにはいるので)
まるで子供を叱るように、オリトはそっと二体の折り紙たちに呼びかける。
最初に火の神の加護に気づいたのはいつだったか。
書の神から加護をいただいた時、紙の色がすぐに変わったので分かった。
しかし火の神の加護は分かりにくかった。
この礼拝堂に来て火の神に挨拶し、紙の神への祝詞と作品を捧げるようになって一月ほど経った頃だったか。
捧げた作品が微妙に白ではないのに気付いた。
まさかと思って白い紙を出現させて並べれば、うっすらとイチゴミルクのような色が付いていた。
それから毎回礼拝堂で祈るたびに、色が濃くなっていき、数ヶ月経った今では完全に火の神の加護の色が現れている。
加護は純粋に嬉しい。
だってアシュヴァル家で育ってずっと火の神様が身近にいたから。
(あ、紙の神様も大好きですから。折り紙が毎日できるおかげで心が平穏だし。それに、流されるままに生きるんじゃなくって。ちゃんと将来のことを考えられるようになったし。だから紙の神様の信徒でずっといたいです。もっともっとたくさん、折り紙を折ってみんなに喜んでもらいたいです)
いつも通り、オリトは早口で神へと語り掛ける。
返神の儀の一部なのか、それとも日常の心の風景なのか、境目は曖昧だ。
「オリト、こちらに来なさい」
礼拝堂の木のベンチに座って二体の折り紙がピョコピョコ、パタパタと動くのを見つめていると、母マイヤから呼ばれる。
「はい、今参ります」
顔を上げて返事をした後、オリトは赤い鶴と白いカエルに向かって指を一本立てる。
(席を外しますけど、大人しくしていてくださいね。僕が信徒だとかいろいろ加護を受けてるってのは大っぴらにはできないので)
分かったというようにピョコン、パタパタと揺れる折り紙たちに小さく手を振り、オリトは立ち上がる。
父と並んで立つ母は、近づくオリトの肩に触れ、彼女の正面に立つ一人の壮年の男性にオリトを紹介した。
「この子が次男のオリトです。オリト、こちらは領地の神殿からいらしたホルーセス神官よ」
「初めまして。オリト・アシュヴァルです」
「お会いできて光栄です。アシュヴァル様。ホルーセスと申します」
軽く頭を下げた際に、首から下げた帯状の布が揺れる。
神官はその立場を表す際に、頭に帽子などはかぶらない。
信徒の証である髪を一切隠さないようにするためだ。
代わりにホルーセス神官のように刺繍の施された布を纏うことが多い。
(これだけ細かい刺繍が入ってるなら、神殿長とまではいかなくてもそれに近い立場の人かな)
母から紹介された時に職位を伝えられなかったから、オリトは学んだ知識と照らし合わせて銀糸の刺繍を観察する。
「十歳ですのでまだ領地内を自由に行動させておりませんの。選神はうけておりますから、近々領内の神殿にもご挨拶に伺いますわ」
「左様でしたか。神殿に新たな火の神の信徒を迎えられることは喜ばしいことでございます」
「いえ、オリトは火の神からの祝福は受けておりません」
「……ほう」
にこやかなはずの笑顔が、どこか奇妙なタイミングで止まった。




