第28話 希望を抱く
何を語ればいいのか。
誰にでも悲劇は起こる。
大切な家族を失い、職を失い、それでも生きていく。
生きていかねばならないのだ。
しかしそれができない人もいる。
すでに希望を失って倒れ伏せた人に鞭打つようなことはできない。
静かに命を終わらせる。
それが救いになることもある。
彼の妻がそうしたように。
男が神を恨みたくなった気持ちも――分からないでもない。
自分の店が持てるとなった時、男は希望にあふれていたはずだ。
祝福を与えてくれた神に感謝したことだろう。
新しい土地で、家族と幸せに生きる。そんな未来が見えていただろう。
それが全て覆された。
未来が強い光で輝かしかったからこそ、訪れた暗闇は男の視界を奪った。
正常な判断を失い、持って行き場のない恨みを募らせた。
それが男に加護を与えた器の神への憎しみへと変わるのは早かった。
混沌とした感情を深い息と共に吐き出し、オリトは改めて器の神に向き直る。
(器の神様、あの時、あの人が亡くなった時にあなたの色が見えました。あれは……あなたの加護だったと僕は思います。カミオチは一般的には加護を失った者がなるって言われています。でも僕はあなたが最後まであの人に寄り添っていたように見えた。あなたは、本当はあの人を助けたかったんだって思ってます。僕の勝手な解釈かもしれないけれど)
倒れ伏せたカミオチが人に戻る瞬間、視界が紫に染まった。
あれは器の神の嘆きのようだった。
すべての神が善ではないことにオリトは最近気づいた。
例えば、男の店を襲った心無い泥棒たちだって神の祝福を受けている。
彼らがカミオチにならないのは、その心には神への信仰が残っているから。
もし神が善で、罪を犯す人や他者を傷つける人を許さないのであれば、この世界に犯罪者などいないはずなのだ。
神はあくまで神。人間の視点で物事を見ない。
だから、オリトはこう思った。
――カミオチに対する人間の理解はごく一部なのではないかと。
人間が十人十色と言われるように、神様だって十柱十色。
万物に神が宿るのであれば、全ての神がカミオチに対して同じ立場だとは考えられない。
オリトの曲解かもしれない。
だが、それでもいい。
信じている神へ疑いを抱いても、必ずしも神から見放されるわけではないと言う希望が残されているのならば、それは人間にとって幸福なことだ。
(器の神様、あなたのおかげで、僕は人生に迷った時にも希望を失わずにいられそうです。たとえ長く不幸や苦痛に苛まれたとしても、誰かが寄り添っていてくれるのだと信じられる)
期待は苦痛だ。
いつか治るかもしれない。
いつか自分のことを息子だと思いだすかもしれない。
いつか家に帰って来れるかもしれない、いつか、いつか、いつか……
叶わない期待は心を疲弊させる。
でも希望は違う。
自分の中に一つ、まっすぐな芯ができたようだ。
倒れても、打ちのめされても、前へ進むことができなくなっても、生きていける気がする。
(僕には何もない。僕の祝福ではカミオチを救うことも、身を守ることもできないと分かっている。でも、僕のこの思いが誰かに届いて救いにつながれば嬉しい。そう思うんです)
くすぶっていたもやもやが形になる。
形になって思いになった。
それをこれからもオリトは抱いて生きていく。
信念を抱いて、オリトは顔を上げる。
「ありがとう、ございます」
希望をくれて。
感謝を込めて、オリトは器の神の像へと深くお辞儀をした。
顔を下にしたままゆっくりと呼吸をする。
目を瞑り、あの日のカミオチの姿を、そして紫に染まった景色を再生する。
そして白いユリで埋め尽くしていく。
紙吹雪が舞う。
白く、白く、真っ白に、全てを染め上げて、オリトは両目を開く。
そこには白いユリがいつまでも揺れていた。




