第22話 目覚め
折り紙を折る。
色とりどりの紙は、毎日祈りと共に形を変える。
蝶に、鶴に、トンボに、そしてまた鶴に。
何度も何度も、祈った。
回復しますように。
元気になりますように。
一緒に家に帰れますように。
願い、祈り、希望を折った。
そして――心が折れた。
そもそも、存在を信じてもいなかった神への祈りだ。
期待する心は疲弊し、祈りは惰性へと変わった。
全てが終わり、母の体が火に包まれるのを見送った後、千鶴は叶わなかった祈りの残骸を燃やした。
神が住むと言われる場にそれらを捧げたのは、信仰心があったからではない。
単なる未練だった。
何十時間、何百時間を費やして折った折り紙たち。
それを自分の手で燃やす勇気が出なかっただけだ。
段ボール何箱にもなった折り紙は重く、両腕にのしかかった。
生命の源が抜けてしまった母親の体のほうが、よっぽど軽かった。
紙でできたそれらが炎に包まれた時、千鶴はやっと肩の荷が下りたように感じた。
祈ること、期待することを諦めきった人生。
全てから解放され、やっと自分のために生きられると。
火に焼かれ、舞い上がった煤が熱にあおられて蝶のように舞う。
その行方を追う前に、もろい煤は風に砕かれて空気に消えていった。
それはまるで信じることを諦めて砕け散った自分の心のようだと、千鶴は無気力な顔で空を眺めていた。
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馬鹿な男だ。
オリトはぼんやりと毎日見慣れたベッド上の天井を眺め、木目の迷路を目で辿る。
目元に違和感を覚えてこすると、パリパリと乾いた涙が剥がれ落ちる。
まるで古びた感情の残滓のようで、起きたばかりだというのに疲労を覚えた。
持ち上げた手をベッドの上に落とし、ため息を吐く。
(あれが、カミオチ。そう呼ばれるのは、神の加護からこぼれ落ちたから? 髪が人とは離れた状態になるから? でも死んで人間に戻るなんて......なんて悲しいんだろう。もしかしたらあえて殺されるために、人の前にでてきたのかも)
ゴロリと横向きになり、自分を守るように手足を縮める。
温かい布団の中で、両目をつむれば暗闇が心地よい。
(大人が、子供に簡単にカミオチについて語らないのは、興味を持たせないためだと思ってたけど、あの光景を見ると言いたくなくなる気持ちも分かる)
残酷かもしれないが、カミオチはこの世界で生きていくことを許されない存在なのだ。
それでも......それを分かっていてもすっきりしないこの胸の奥のもやもやはなんなのか。
ぐぐぐぐっとさらに体を丸めて、オリトは安全な布団の中に逃げ込む。
「オリト様、起きられました?」
扉をノックすると同時に、ドーサの明るい声が響き渡る。
子爵家の第三子の扱いなんてこんなもんだと嘆きつつ、オリトはもそもそと鼻から上だけを布団から出した。
「……起きた」
「体調はいかがです?」
「問題ない。僕をここに連れてきたのは兄上?」
「ええ、昨日の夕方にお戻りになった際に、オリト様の意識がないと。この部屋に運んだのはうちの主人ですが」
「そうか。手間をかけさせたね」
「いえいえ。ではこちらにお湯を置いておきますから。ご家族の皆さんにはオリト様が目を覚まされたと伝えておきます。奥様から朝食は部屋で取っても良いと仰っていましたがどうされます?」
「うん、ここで食べる」
「承知しました。では失礼しますね」
丁度朝食の時間が迫っているのだろう。
慌ただしく出ていくドーサを見送り、オリトは再び布団に逃げ込む。
しかし無遠慮ながらも明るいドーサと会話をした後では、一人欝々としているのも馬鹿らしくなって体を起こした。
「よっと、はぁ……」
それでも漏れ出るため息は止められない。
よたよたと十歳とは思えない緩慢さで歩き、用意されたお湯で顔を洗えば涙で突っ張った頬がすっきりする。
両腕を上にあげ、軽く伸びをしながらクローゼットへ向かおうとしたオリトの足が止まる。
毎日の癖でそこにある姿見を一瞥し、すぐに状況を悟った。
「あ……、これ、完全にバレたな」
右側にある、紙の神の信徒の証である一房の白い髪が露わになっている。
昨日、オリトが気絶した後、ジルストが家に連れて戻るまで彼が気づかなかったはずがない。
「あああああ……」
崩れ落ちるようにしゃがみ込み、両手で頭を押さえる。
せっかくベッドから降りたのに、またふて寝したい。
もう今日は一日ベッドで過ごそうか。
のろのろと立ち上がり、もう一度鏡を見て、今更だとは分かっていても髪の毛を耳にかけて信徒の証を隠す。
ナメクジよりも重い足取りでクローゼットに入り、オジギソウよりもゆっくりと着替えた服のボタンを留める。
体の向きを変え、心を癒してくれる場所、ベッドへと戻ろうとしたところでクローゼットにかかっている服が目に入った。
深い緑。
それによって記憶がよみがえる。
「あ」
先ほどまでとはうって変わって、機敏な動きでオリトはクローゼットを飛び出し、机へと駈け寄る。
そこには使用人の誰かが届けてくれたのだろう、オリトの子供サイズのカバンが置かれていた。
(良かった。ちゃんとある)
カバンを開けて中を広げれば、オリトが手帳に挟んだまま、綺麗な緑の折り紙があった。
両手で持ち、安堵のため息をつく。
緑の折り紙から、つい昨日の記憶が蘇ってくる。
シュークラ、書の神様、折り紙で作ったウサギ、授かった祝福......そしてたどり着くのはカミオチの姿。
はああっと先ほどとは意味の違うため息が漏れる。
(ダメだ。今日は何をしてもカミオチに繋がっちゃいそう……)
こういう時は、ただ無心で折り紙を折りたい。
そういえば、昨日は気絶したまま夜を過ごしてしまったから、日課の折り紙もできなかった。
でも今オリトがしたいのは、頭を空っぽにするための作業で、毎日の神様へ捧げる折り紙ではない。
(紙の神様、昨日は折り紙を捧げられず、すみませんでした。見えていたと思いますけど、初めてカミオチと遭遇して心がいっぱいいっぱいになってしまったみたいです。今日はちょっといっぱい折り紙を折りたいんですけど、紙を無駄にしたいわけじゃなくって......えっと、なんていうか、作業に没頭したい感じです。いっぱい紙をください。頭がすっきりしたら、また神様にお渡しできるような作品を作りますね。あ、あと、書の神様にもらった折り紙は心が落ち着いたら、使おうと思います。今の僕には、せっかくもらった祝福のある紙を無駄にしちゃいそうなので)
長く息を吐きだし、オリトは握っていた両手をほどく。
目を開ければ、「さあ、思う存分、折り紙をするとよい」というかのように、一センチを超える高さに正方形の白い紙がつみあがっていた。
「……ありがとうございます」
紙の神様なりの慰め方のように感じて、オリトは感謝を口に出しながらそっと紙の表面を指先で撫でた。




