第19話 緑の加護
テーブルに置かれたお茶を音を立てないようにすすり、ほっと息を吐く。
オリトの要望で温めに入れられたお茶は、香りを損なうことなく喉と感情の火照りを沈めてくれる。
「とても、有意義な時間でした。ありがとうございました」
「こちらこそ、オリト様の素晴らしい技術を見せていただきとても光栄です」
お世辞なのか本気なのか。
貴族の面倒なガキに対して大げさな言葉を紡ぐセディックをちらりと見て、オリトはカップをテーブルに戻す。
一心不乱に、周囲の状況にも気づかずに熱中してしまった。
そんな自分を恥じつつも、良い作品ができてそれを喜んでもらえたという興奮が未だオリトの体を包んでいる。
(紙の神様、僕、これからも折り紙を作りたいです。紙を出すことが一番大事だと思うけど、やっぱり折り紙が楽しいし、作ったものを誰かに喜んでもらいたい。僕ができることは多くないけど、それが紙の神様のことをみんなに知ってもらえることに繋がるなら、続けていきたいです)
無意識に心の中で紙の神へと語り掛ける。
それはただ漠然と生まれた願いだった。
毎日、夜に神様と二人で楽しむだけの折り紙でも、過去の自分が母親のために折っていた折り紙でもない。
自分の作った物で誰かを喜ばせたい。
その思い、形は同じでも、オリトの中では全く違う意識だった。
そしてその思いに呼応するかのように、ひらりとオリトの目の前に一枚の紙が舞い降りた。
それは間違いなく紙であり、正方形の折り紙であった。だが――白ではなく、深い緑色をしていた。
「……なんで、緑?」
手に取って光にかざす。
過去の記憶の折り紙は片面に色がついていて、片面は白のタイプが多かった気がする。
しかし今目の前にある折り紙は、しっかりと裏表とも緑だ。これでカエルを折ったら完璧なカエルが出来そうだなと思いながら、オリトは首を傾げる。
セディックは突然現れた紙と、それを手にして何やら悩みだしたオリトを観察する。
紙の出現に驚かなかったのであれば、他に何か疑問があるのだろうかと、セディックは考え込んでいるオリトに声をかけた。
「オリト様、そちらの紙がどうされました?」
色紙に意識を集中させていたオリトは、セディックの声にふと顔を上げる。つい、彼の存在を忘れてしまっていた。
だがそんなことをおくびにも出さず、オリトはそっと紙をテーブルに置いてセディックの方へと押しやる。
「祝福で頂いた紙に、色が付いているのを初めて見たので」
「紙に、色が……言われてみれば、確かに」
手製で作られる紙には、色が付いたものや、紙の中に押し花が入ったものはある。
だが、紙の神の加護で出された紙は、基本的に白だ。
紙の白は、まさしく紙の神の信徒の色であり、白い紙こそが紙の神の加護の現れでもあるのだ。
「僕、何かやっちゃいましたかね……」
紙の神の不興でも買ってしまったのだろうか。
にわかに心配になり、オリトは眉を寄せる。
そのオリトと緑の紙を交互に見て、セディックはまだ十歳の子供であるオリトにあまり広く知られていないとある情報を伝える。
「オリト様、加護というのは複数の神様から頂けることをご存じですか?」
「え!? 一人じゃないんですか!?」
両目を最大限に広げて驚きを露わにする少年に、セディックはやっと子供らしい表情を見たと目を細める。
「信徒として仕え、祝福を得られるのは一柱のみです。ですが、他の神の御心に触れる行いをすると、加護を授かることができると聞いたことがあります。もちろん、それは非常に稀なことです。また、人によっては自分の仕える神以外からの加護を受けることを背徳とも捉えるようですので、複数神からの加護を受けても大っぴらにはしないようです」
「な……るほど」
興味深い話にオリトは頷きそうになり、途中でその動きを止める。
なぜ、セディックは急に他の神からの祝福を話題にしたのか。
この話題が出る前に何があったのかをたどり、オリトは視線をセディックの顔から緑の折り紙へと落とす。
緑――もしかして、この色は他の神からの祝福を示唆しているのではないか。
オリトは恐る恐る折り紙を手に取り、じっと見つめる。
深い緑。
一体自分はいつ、どんな神から加護をもらうようなことをしたのか。
記憶を掘り返しても全く心当たりがない。
オリトは(彼にしては)、非常に困った表情を浮かべ縋りつくような眼差しでセディックに助けを求める。
「心当たりが、ありません。どの神様が加護をくださったのでしょう」
小さな貴族の子供の戸惑いを感じ、セディックはこれ以上会話を引き伸ばすことなく簡潔に答える。
「書の、神です」
「書の……ということは、シュークラさんの?」
「はい。彼女の髪の色を見ませんでした?」
「え? あ、ああ……確かに、結んだ髪に緑色が入っていた、ような? ……すみません、シュークラさんの書の方が印象が強くて」
確かに何度もシュークラの顔を見たはずなのに、髪にどんな色が入っていたのか、そもそも色が目に入ったのかさえ覚えていない。
この世界の人々は、髪に神の色を纏うことを誇りに思っている。祝福により受けた恩恵で自分たちが生きていることを認識しているからだ。
それなのに数か月前に会った人ならばいざ知らず、つい先ほど会ったばかり、しかもあれほどの熱意を向けた相手の髪の色を忘れてしまうのは失礼なことと言える。
シュークラと書の神を蔑ろにしていると取られてもいたしかたがない。書の神に加護をもらったのに、申し訳ないとオリトはしょんぼりと肩を縮こまらせた。
しかしセディックはこらえきれないように口元に手を当てて、ふっと横を向く。そして何度か咳払いをして再びオリトに向き直った。
「大丈夫ですよ。神々は信徒を大事にしてくれる人を喜ばれるとは思いますが、やはりその加護をどう扱うかが重要でしょうし」
「加護を……すみません、どういう意味でしょうか」
「そうですね。例えば、オリト様自身を尊ぶか、紙の神の力によってオリト様が出した紙を尊ぶかの違いでしょうか」
「ああ、なるほど。書の神にとっては、僕が書を喜んで、それに対して折り紙を捧げたことが重要なんですね」
「はい、その通りです」
神々と人との視点は違うのだ、と改めて納得する。
それであればこの緑の折り紙はありがたく受け取るとしよう。
唇をきゅっと強く結び、オリトはニンマリと崩れそうになるのを自制する。
とはいえ、多少崩れたとしても、普段から凝り固まった表情筋が大して動きそうもないのだが。
「書の神の加護があると、シュークラほどではありませんが筆跡が上達したり、書き出した文字を覚えるのが得意になります。勉学に役立つ加護ですよ」
「なるほど。例えば、歴代の貴族の名前を書き出したら、覚えやすくなるとか?」
「ふふっ、ええ」
「それは大変嬉しい。書の神に改めて感謝を捧げに行くとします」
「そうされるのが良いでしょう」
貴族や王族の家系図、歴史は単調で覚えるのが面倒な教科だ。
覚えたと思っても時間が経つと忘れてしまう。しかし貴族である以上は覚えなくてはならない。どこでどんな貴族と関わるか分からないからだ。
(書の神様には次に神殿に行く機会が会ったらお礼をしないと)
心のメモに書き留めるオリト。
神殿に行った時のタスクリストがだいぶ長くなっているようだ。




