第18話 同士
「――できた」
十分もかからなかったかな、とオリトは出来上がったウサギを手のひらの上に置き、上下左右から確認してしっかりと頷く。
座ったウサギの丸みを帯びた背中と、ピンと立った両耳。
紙で再現するのはやや上級。
難易度を五段階で表すとしたら三か四だ。
ふっと息を吐き、顔を上げる。
そして視界に入った光景に、ピクリと体を震わせた。その拍子にウサギがコテンと手の上で転がる。
オリトを、いや、厳密にはオリトの手のひらの上にある紙でできたウサギを凝視する職人たち。
その眼光の強さに、オリトは緊張に体を震わせる。連動してオリトの手の上でウサギもふるふると震えた。
鉄仮面無表情のままオリトは助けを求めるように視線を右から左へとさ迷わせ、観衆の最前列にしゃがみ込み、机にしがみつくようにしている人物のところでピタリと止めた。
「シュ、シュークラさん、これ、どうぞ」
転んでしまっていたウサギの背中を摘み、オリトはそっと彼女の目の前に置く。
「す、げぇ」
消えてしまいそうな声でつぶやくシュークラ。
彼女の口から漏れた息でゆらりとウサギが揺れて、慌てて両手で口を押える。
それからしゃがみ込んだままで体を左右に揺らし、ウサギを観察しだす。
まるでヤジロベエみたいな動きだ。
「触っても大丈夫ですよ」
「お、おう」
オリトがそうやって促しても、シュークラは手を伸ばそうとはしない。
机の端をぎゅっと握り、じっと動きもしないウサギを凝視している。
(これ、どうしたらいいんだろう。そろそろここから移動したほうが良さそうだよね)
書の神からの祝福による写本作業に感動してお礼をと思ったのだが、気づかぬうちに工房の職人が集まってきてしまっている。
このままでは作業の邪魔をしただけじゃないか。
なりたくなかった面倒な貴族の子供そのものになってしまう。
意を決し、オリトは椅子を引いてゆっくりと立ち上がった。
なんとなく、素早い動きで周囲の職人を刺激してはいけない気がして。
気分としては満足げに日向で寝ている猫の横を、足音をひそめて通る時のようだ。
「それじゃ、僕は……」
座っていた位置からは見えなかったが、立ったことで離れた場所にセディックを見つける。
安堵と共に別れの挨拶をしようとした時――
「これ! 本当にもらっていいのか!?」
シュークラが勢いよく顔を上げた。
立ち上がって顔の位置が高くなったオリトを見上げ、最初の不愛想顔が嘘のように目を輝かせる。
その視線の強さに気圧されつつ、オリトは「はい」と短く答える。
「そ、そうか。そっか。私のか」
シュークラは唇を緩ませて照れたように小さく笑う。
その顔を見ただけで、作って良かったと感じる。だが同時に、注意点も伝えておかなければと思い出した。
「ええ。でも紙でできてるので水に弱いですし、年数が経つと色が変わったり脆くなります」
「え、そ、そうなのか。どうすれば長持ちする?」
必死な眼差しに、オリトはぐっと喉を詰まらせる。
古い、過去の記憶が脳裏に浮かんだ。
一つ一つを丁寧にファイルに入れて保管されていた折り紙たち。
作った本人ですら忘れてしまうような子供のころのつたない作品たち。
母親の遺品の大半は、他人にとっては全く価値のない、母親の記憶からも忘れ去られたはずの自分の折り紙だった。
「――直接光が当たらないところに。あと、軽いの飛んで行ってしまうこともあります。本に挟むとか、飾る場合ならばガラスのケースなどが良いかと」
「分かった。ケースならある。大切にする。ありがとな」
「いえ、こちらこそ。ありがとうございました」
ふわりと心が温まる。
喜んでもらえた。
自分の作ったもので。
受け入れてもらえた。
大事にすると言ってもらえた。
ふわふわとおぼつかない足でセディックの元へと行く。微笑みを浮かべて頷く彼に促されて、工房の出口へと向かい始める。
そんなオリトの背中に声がかかった。
「また、来いよ」
半身、振り返ると立ち上がったシュークラと目が合う。
そして彼女の周囲に並ぶ、この工房の職人たちも。
「今度は俺の仕事見てけ」
一人の職人が言う。
それに続いて他にも同様の声がオリトの耳に届いた。
真剣な顔はただ遊びに来いと言っているのではない。
たった十歳のオリトを一人の職人として認め、同じ志を持った対等な相手として技術を見せようと言っているのだ。
オリトの喉奥が熱くなる。
「また、ぜひいらしてください」
「……はい」
上から届いた柔らかな声。
オリトはそちらを見るのではなく、体の向きを工房へと向けて一つ、礼をした。




