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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。

くらやみにひそむもの

作者: 白川明
掲載日:2025/12/06

 仕立ての良いスーツを着て、ピシッと整えられた髭をした白髪の老年の男が、年齢の割に化粧の濃い若い女の剥き出しの肩を抱き寄せ、夜の繁華街を歩いていた。そして、いかがわしいネオンが輝くホテルに吸い込まれていった。

 俺はそれを何の感情もなく、車の中から、カメラに収めた。

 あとはさきほどのお二人さんが出てくるところをパシャリとやり、一目散に退散すれば今日の仕事は終わりだ。


 俺の名前は秋川健一郎。

 この帝都を拠点とする私立探偵だ。


 これでもかつては天才少年名探偵として名を馳せたが、そんなのは過去の話だ。

 今のように浮気調査や行方不明のペット探し、が主な業務だ。他人の愁嘆場を餌に糊口を凌いでいる。


 今日の依頼もよくある浮気調査だ。

 とある会社の社長夫人から、夫の浮気調査を依頼された。会社といっても小さな家族経営だ。しかし金はそこそこあると見た。

 その社長が最近浮気をしているようで、しかも相手は自分の成人した子供たちよりも若い女だという。

 夫人はそれをネタに離婚を迫るつもりは無いようだが、夫の手綱を握るために事実を抑えておきたいという。

 これ以上、外で子供を作られて、自分と我が子たちが相続する遺産が減らないように、と。

 社長がお盛んなのは昔かららしく、既に何人も婚外子がいるとのことだった。


 昔の俺が聞いたら、心底軽蔑するだろう。この夫婦とその家族たちに。

 だが、今の俺は何も感じない。

 結構、結構。存分に揉めて俺の飯の種となってくれ。


 俺はシートを倒し、仮眠を取る態勢に入った。

 事前調査で、二人が出てくるのは決まって始発が動き出す時刻のため、ひと眠りしても問題が無いと判断した。

 こういうところも、昔の俺や相棒だったマコトが見たら、顔を顰めただろう。ターゲットを見張らないといけないときに、眠るなんて、と。

 でも、今の俺はあの頃の俺ではない。

 マコトも、もういない。

 俺は目を瞑った。目蓋の裏でネオンの光が踊った、気がした。



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



「ケンちゃん!」


 高くて甘いボーイソプラノが俺を呼ぶ。

 振り返れば、少女のような美少年が息を切らして、そこに立っていた。


「マコト、走るなって言っただろう」

「走ってないよ……そんなには。それより聞いて、わかったんだよあのトリックが」

「本当か!?」

「うん、間違いないよ」


 マコトが静かに告げる。自分の推理の正しさを確信している表情だった。


 二人はとある連続猟奇殺人事件を追っていた。


「犯人はやっぱり楠木氏なのか?」


 その言葉に、真は寂しそうな表情をして、答えた。


「ううん、違う。犯人は美也子さんだよ」


 美也子は少年探偵二人に捜査を依頼した少女の名前だった。

 白いワンピースに、つばの広い白い帽子を被った少女の姿を思い浮かべる。


 彼女は寂しげに微笑んでいた。


「……なんで」


 弱々しい声が口から出た。


「彼女はずっと助けを求めていたんだ。でも誰も、僕たちも気付けなかった」


 真はどこか遠くを見つめながらそう言った。



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



 足の底が抜けた気がして、俺は目覚めた。

 そこは、俺のおんぼろ車の中だった。

 

 まだ夜は明けていないが、闇が少しずつ薄くなっていく頃だった。

 時計を確認する。寝過ごしたわけではないらしい。俺はホッと息を吐いた。


 随分懐かしい夢を見た。

 俺がまだ十代で、名探偵と呼ばれていた頃のこと。そして俺がまだ一人ではなかった頃。

 俺とマコト――桜原真さくらはらまことはどんな難事件も二人で解決する探偵だった。

 身体は弱いが頭脳明晰で裕福な家に生まれたマコトと、運動神経抜群で野生の勘が冴える俺は良いコンビだった。

 マコトが行方不明になるまでは。

 そして、マコトが消えてから、俺は順調に落ちていった。人生の底へ。


 だが、それも全て終わった話だ。

 マコトは遺体も見つかっていないが、生きてちゃいないだろう。


 それより目の前の仕事に集中しよう。

 ヒヒじじいと玉の輿目当て小娘のお出ましを待ってやるとしよう。



 しかし、お二人さんはいつまで経っても出てこなかった。

 電車は走り出し、通勤ラッシュの時間もまもなく終わる頃合いだ。

 俺はイライラしながらハンドルを叩いた。

 俺が寝ている間に二人は出てきたのか? いや、それはないはずだ。男の方はともかく女の住まいはここから十駅ほど離れているし、タクシーに乗る金は無いはずだ。だが、始発までどこかで時間を潰していないとは言えない。

 今日は諦めて出直すのが、賢い選択だ。

 しかし、こんなクソみたいな案件はとっとと片を付けたいのが本音だ。

 俺はしばし悩んだあと決めた。


 俺は車から降り、ラブホテルに向かった。

 後からもう一人来ると嘘をつき、ホテルに部屋を取った。あとから夫人に請求すればいい。

 俺は部屋に向かうフリをして、ホテルの中の探索を開始した。

 部屋の目星はフロントの壁に掛けられたキーフックで検討がついた。部屋番号が並べられ、その下に鍵が吊り下げられている。鍵がない部屋番号を記憶していた。

 何くわぬ顔でホテルの廊下を進む。

 こんな時間だからか、すれ違う人間はいない。

 俺は313号室へ向かった。何となく匂った。深い理由はなく、敢えて言うなら三階はその部屋だけがキーフックに鍵がなかったから選んだ。

 こういう勘は結構当たる。


 目当ての部屋のドアは薄く開いていた。

 どこかでチリン、と鈴が鳴るような音がした。


 開けない方がいい類の扉だ。 

 だが、俺は開ける。開けてしまう。

 腐っても俺は探偵だから。


 俺はノックをすることも忘れ、ドアノブを回す。


 結果的にノックは要らなくて正解だった。


 むせ返るような血の匂いがした。



 目の前に飛び込んできたのは、全裸でベッドの上に横たわり、頭の上から股間まで赤く太い線が入れられたターゲット。


 男は綺麗に中心から二等分されていた。

 ベッドシーツは最初からそうであったように真っ赤に染まっていた。


 部屋の中にはそれだけがあった。

 女の姿はどこにもなかった。



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



「マコト!」


 茶に近い明るい色の髪をした少年を、俺は必死に追っていた。


「行くな! 戻って来い!」


 どんなに懸命に走っても、運動音痴で歩くのも遅かったはずの彼に追い付けなかった。


「お前がいなきゃ、駄目なんだよ……!」


 少年は決して振り返らなかった。


 俺はとうとう立ち止まり、地面に膝をついた。

 うなだれていると、ふとシャツを引っ張られた気がした。

 横を見ると、小さな細い手が俺のシャツを掴んでいた。


「マコト……?」


 手の主を見ようとして、目の前が真っ黒に染まった。



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



「おたく、聞いてます?」

「あ?」


 男の声に俺は我に返る。

 目の前には太った背広の男が胡散臭げにこちらを見ていた。

 その後ろでは鑑識のワッペンを付けた男たちが部屋に出たり入ったりしていた。


 俺は依頼人の浮気夫の死体を発見してしまったあと、さっさと逃げればいいもののしばらく固まっていたせいで、こうして警察の取調を受けていた。


 あのあと、ホテルのスタッフがなかなかチェックインしない彼らに業を煮やして部屋まで来て、俺と死体を見つけてしまった。発見されたからには、ここから逃げ出すのはまずいので、こうして大人しく指示に従っていた。


「ですから、被害者の浮気調査をしていたのはわかりましたから、なんでわざわざ相手を直接尋ねようとしたんですか?」

「……他の依頼が詰まっていて、早く本件を片付けようと思ったからです」


 嘘ではない。

 そうと思っていたが、あのときドアを開けたのは、そうすべきだと感じたからだ。より怪しまれるだけなので黙っておく。


「本当に? それだけですか? 松田氏とはそれ以外に関わりはないんですか?」

「ないです」


 松田氏が、真っ二つにされた浮気夫だ。

 刑事は胡散臭そうに俺を見る。


「おたくが部屋に入ったときには、二階堂節子はいなかったんですね?」


 二階堂節子が、浮気相手の女の名前だった。

 俺は頷く。

 このフロアに来た時、人の気配はまるでなかった。


「おたくの話が真実なら、節子は忽然と消えたってわけか」

「このホテル、当然従業員用出入り口ありますよね? そこから出たんじゃないですか?」


 刑事はギロリと俺を睨む。


「ええ、そうですね、探偵さん。もちろんそっちの可能性も調べてますよ。でも、全裸で出ていくのは考えられないんですよ」


 二階堂節子が着ていた衣服は下着に至るまで全て残っていたという。場所が場所だけにそりゃそうだろうな、と思うが。


「着替えを用意して、別人になりすましてたんじゃないですかね?」


 俺が監視していたときの節子の荷物は小さなハンドバック一つで、下着の替えくらいしか入れられないサイズだった。

 松田を殺したあと、手早く身体を清めて、予めどこかに用意していた着替えに身を包み、颯爽と裏口から出ていく。


 それなら、俺の容疑も晴れて、おさらばできる。


 しかし、松田を女一人であんな風に殺せたとは思えない。

 松田はお手本のように頭の先から股間に至るまで、綺麗に真っ二つにされていた。ナイフや包丁で出来るものとは思えない。刀でやったとしても、相当の達人だ。そもそも女の筋力では無理だろう。二階堂節子はただの若いホステスだ。


「あんたと節子が共謀しているのが、一番合理的な説明ですなあ」


 当然と言った顔で刑事は言った。

 俺は顔を歪ませる。当然そういう発想になるだろうと予測していた。


「俺はやってませんよ、刑事さん」

「まあまあ。詳しいお話は署で伺いましょうか」


 職業柄、警察と事を構えるのは得策ではない。

 このまま付いていくのも大して得策ではないが。


 昔の俺なら、俺は無実だ、無関係だ、ともっと突っぱねただろうが。

 今の俺は、そこまでの元気はなかった。


 そのとき、チリ、という音がした、気がする。


「警部どの、それは困ります」


 鈴を転がすような若い娘の声がした。

 声がした方を見ると、白い軍服のような詰め襟を着た少女がこちらに近付いてくるところだった。短く刈られた髪は赤に近い茶色だった。


「……もう来やがった」


 刑事はぼそりと言った。


「この現場は今から我々が預かります。参考人の聴取もこちらで行いますので、皆様はお帰り下さい」

「こっちはそんな指示来てないんだが」

「まもなく来ますよ、ほら」


 少女が言った途端、刑事の無線が鳴る。刑事は苦虫を噛みつぶしたような表情でこちらに背を向け、無線でやりとりをした。


 俺は思わずまじまじと少女を見た。

 軍服に似た服だが下は膝までの丈のスラックスで、細くしなやかな足がのぞいていた。

 少女は中性的で整った顔立ちをしていた。無遠慮に眺めてしまった俺を見て涼しげに微笑む。

 但し、目は笑っていなかった。


「わかりましたよ。出ていきゃあいいんでしょう、出ていきゃあ」

「毎度すみません」


 少女はにっこり笑って言った。

 刑事は一言二言文句を言いたそうだったが、飲み込み、他の警官や鑑識を引き連れ、去っていった。代わりに少女と似た服装の者たちが現場に入っていく。


「あなたが第一発見者の探偵さんですね? お手間を頂戴しますが、もう一度お話を聞かせてくれませんか?」

「……あんたら何者だ?」


 警察でないことは確かだ。帝都の警察の制服は少女の来ているものとデザインが異なる。

 かといって軍人でもないだろう。

 警官でも軍人でもない、匂いがした。

 もっとヤバいものだ。


「私たちですか? そうですね……化け物退治を生業とする者どもですよ」


 少女は口元だけ笑みの形を作って、そう告げた。


「化け……物?」

「はい。人ならざる、くらやみに潜むものどもを」


 何を言っているんだ、こいつは。


「人間がやったのではないと?」

「ええ。犯人が人間でしたら私たちは出しゃばりません。そもそもそんな権限はありませんし。まあ、あちらの刑事さんは、人間だと疑っておられるようですが」

「……人間ではないという証拠は?」

「ご興味がおありですか? 探偵さん」


 少女は猫のように笑った。



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



 少女は俺を事件現場に入れた。

 彼女と同じ制服の人間たちが死体を中心にして、鏡のようなものを設置していた。鏡には古めかしい装飾がついており、胡散臭かった。


「あんたたちなんかの宗教?」

「いいえ? 私はどの神も奉じていません。まあ、部下たちの宗教観は聞いたことがないので、何らかの神を崇めている者もいるかもしれませんが」


 どこかずれた返答をする少女が不気味だった。


「あんたたち、ほんとなんなんだよ……」

「私は『あんた』という名前ではありません」

「名乗らねえのはそっちだろ」

「ああ、そうでしたね、失礼しました。私は真壁まかべみすず、化け物退治の親玉です」


 少女はどこか楽しそうにそう告げた。


「親玉というのは盛りすぎました。ただの中間管理職です」

「ハア……?」

「それより探偵さん、『証拠』ご覧になりませんか?」

「見せてくれるなら、喜んで」

「承りました。始めろ」


 少女、みすずがそう言って手を上げると、彼女の部下たちは死体を囲んだ鏡から離れる。そして少し離れてから、各々呟くような音量で何かを唱え始めた。


 やっぱり、ヤバい宗教じゃねえか!


 みすずは、懐から小さな木の枝のようなものを取り出す。それから、両手で掲げるように持つと、舞うような動作で、それを左右に振った。

 どこか人を食ったような雰囲気が鳴りを潜め、舞を奉納する巫女のような厳かな雰囲気を纏っていた。


「来たれ」


 みすずがそう告げると、全ての鏡が突如光を放った。反射するものなど、何もないのに。

 光は少しさまよったのち、死体に集まった。そうして、その光は目が眩むほどの強さになり、俺は思わず目を瞑った。



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



 目を開けると、鏡は消えていた。

 それどころか、死体もない。


 俺が慌てて左右を見回すと、どこか霞んで見えるみすずや、彼女の部下たちがいた。


『お静かに』


 みすずはそう言って、立てた人差し指を唇に当てた。その声はくぐもって聞こえた。


『なんなんだ……』


 俺の声もくぐもり、戸惑う。


 そのとき、ガチャリ、という音がした。

 いつの間にか閉まっていたドアが開かれた。

 最初に白髪の男が、次に若い女が入ってきた。

 叫ばなかったのは奇跡だ。


 松田と、二階堂節子だった。

 二人とも生きている。


『おい、なんで……!?』

『お静かに』

『なんなんだよ、これ!?』

『これはこの場所の過去の光景を映しています』 


 みすずに食いかかろうとした俺を、彼女は細い腕一本で制す。


『今の私たちはただの傍観者。さあ、静かに見守りましょう』


 俺はなぜかそれに逆らえず、彼女の指示に従い、黙る。



 そうこうしている内に、節子はシャワールームへ行き、松田はベッドに腰掛ける。


 そのあとは、まあ、当然のやり取りがあり、俺は居た堪れない気持ちになった。

 仕事柄他人の情事を見させられることは普通の人間より多い。慣れていないわけではない。

 だが、今は年若い娘が傍にいる。

 当のみすずは冷めきった目でそれらを退屈そうに眺めていた。


 二人がひとしきり盛り上がったあと、静かになった。


 しばらくしてから、松田がむくりと起き上がった。シャワーを浴びるつもりか、ベッドから降りようとした。


「ねえ、松田さん」


 おもむろに節子が言った。気怠く、陰のある声音だった。


「なんだい?」

「ルリ子とも寝たんでしょ?」


 その言葉に松田は硬直する。


「何を言ってるんだい…… ルリ子なんて聞いたことがないが」


 川上ルリ子。

 松田の最近できたもう一人の愛人のことだ。節子の同僚のホステスだ。


「そんなに若い女がいいの?」


 節子は二十二、ルリ子は十八だ。

 節子の年齢にも俺はドン引きしていたが、ルリ子については開いた口が塞がらない。松田は六十を超えていた。


「節子ちゃん、落ち着きなさい…… 私はルリ子などという女は知らない」

「嘘。ルリ子本人が言ったのよ。あたしはもうお払い箱だって、もうババアだからいらないって」

「そんなことはない、節子ちゃんは若くて綺麗だよ」


 節子は松田に向かって、何かを投げ付けた。

 松田は怪訝に思いながら、それを拾い、ヒッと悲鳴を上げた。


「なんだこれはっ……!」


 それは、ピンク色の塊の中で赤い石が煌めいていた。

 その正体を悟って俺も息を呑む。


 それは、耳朶の一部が残ったままのピアスだった。


「見覚えないわけないわよね? ほら、ここの黒子ほくろのところ、綺麗に取れたでしょう?」

「ルリ子は……ルリ子をどうしたんだ?」

「このピアスを取りたかっただけだから、ちょっと耳を千切っただけよ」

「お前は……頭がおかしい!」

「おかしいのはそっちよ! あたしと結婚してくれるって言ったのに!」


 松田は節子の言葉を聞いて、我に返り、それから、鼻で笑った。


「私が本当にお前なんかと結婚すると?」


 節子はぽかんと、まるで幼気いたいな幼女のような表情をした。


「お前みたいなアバズレは私の妻になる資格も価値もない」

「だって……約束してくれた……」

「君もいい大人だろう? そんなのベッドの上でのジョークだとわかるだろう? わからないのかい? 君がバカにしたルリ子の方が遥かに物分りが良かったよ」


「ひどい……」


「なんで……」


「どうしてみんなあたしをバカにするの。あたしが悪いの?」


「許せない…… 何もかも許せない」




『来ますよ』


 ぼそりとみすすが言った。



 そのとき、それは現れた。


「なっ……!?」


 松田は、室内に突如現れた黒い影に驚愕する。

 節子は恐ろしく静かにそれを見つめた。


『君は選択できる』


 黒い影――頭の上からフード付きの黒衣を纏った者が声を発した。よく通る男の声だった。

 なぜかその声に俺は聞き覚えがあるような気がした。


『このまま忌々しい日常に何事もなく戻るか』


 男はそこで言葉を切る。


『君の全てを捧げて、この男とあの女と、その二人の親族全て皆殺しにするか』

「選んで……いいの?」

『勿論。君にはその資格がある』


 節子は怯えて震える松田を、じっと眺める。


「節子……?」

「殺すわ、全て」

『君の選択を祝福しよう』


 男は節子に近寄ると、頭に手を乗せた。節子は抵抗せず、身を委ねるように目を瞑る。


 さらさらと音がした。


 節子が、少しずつ砂のように崩れていった。

 砂は散ることなく、男の手に吸い取られていく。


 節子は跡形もなく消えた。


「ひぃいいっ!!」


 松田が情けない悲鳴を上げる。


『選択はなされた』


 男は松田に向けて、手を翳した。それから、すっと、上から下に切るように手を振った。


 松田は声もなく、真っ二つに両断された。

 見えない刃で両断されたように。


 男は踵を返し、ドアの方へ向かう。

 ドアを開ける前で、立ち止まると、真っ直ぐ俺の方を見た。

 男はフードを落とした。


『またね、ケンちゃん』


 その顔は、紛れもなく、かつての相棒のものだった。


 彼はそれだけ言うと、部屋を出ていった。


 チリン、と鈴が鳴った。



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



「終わりましたよ」


 淡々とみすずは告げる。

 俺はハッと我に返り、開け放たれたドアから廊下に出る。


 当然そこには誰もいない。


「もういませんよ」

「おい、どういうことだよ!? なんで、なんであいつがっ……!」

「私たちはあれを『怪人』と呼んでいます」


 静かにみすずは語る。


「命と引き換えに願いを叶える超常の存在を。かつて桜原真まことと呼ばれていた者を」

「何だよ……それっ……!」

「あなたには今後も是非協力お願いしたい。あなたなら、きっと奴は食いつく」




 俺の止まっていた時間が再び動き出した。


 だが、それは二度と戻れない道を行くことでもあった。


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