8-19
「今のはアウトかも、ここだけの秘密にしといてね」
聖女の在り方を否定することは、国や王への批判に等しいので、これはまずいなと気づいたようだが。
そんなハキハキとしゃべっておいて、本当に今更だとナターシャは思う。
「すでに周りに丸聞こえだと思いますが」
「えっ、マジ? やばぁ」
わざとらしく驚いてみせるアランに、ナターシャはあきれながらも小さく吹き出してしまった。
そう、アレンにはこんなところもあったなと、ナターシャはさらに思い出す。
決して丁寧ではないし、あまり真面目でもない、良くも悪くも貴族らしくない男。だがなぜか人の警戒心を解くのが上手く、人心掌握に長けた人物であったこと。だからこそナタリーも、信用してしまったのであろうことも。
「笑った顔も可愛いなぁ、ね、なにか食べたいものない? なんでも取ってきてあげるよ」
「いえ、けっこうですわ、公爵家のご子息様にそのようなことさせられませんもの」
「えー、じゃあ今日から出家するよ」
「また、そのようなご冗談を」
二人の会話が弾む度に、一つ、また一つと、アリストの心に傷が増えていくようだ。
美しいとか可愛いとか、自分が必死になってやっと言える台詞を、この男はいとも容易く口にする。その上、欲しいものを取ってきてあげるなんて気遣いまで。
自分のことでいっぱいいっぱいな己には、到底できないことばかり。
じめじめ、ドロドロした感情が、アリストを侵食してゆく。
どうにか気持ちを落ち着かせようとしたアリストは、咄嗟に親指の爪を口元に持っていくが。
『気持ちが悪い! その悪癖を何度やめろと言わせれば気が済むんだ!』
フラッシュバックする過去の映像と罵倒に、アリストはビクッとして動きを止めた。
寸前のところで指先を噛むのをとどまった彼は、僅かに震える手を力なく下ろす。
その様子にナターシャが気づかないわけがなく、アリストに声をかけようとした時だった。
「これはこれはマッドボーン卿、ずいぶん久しいですな」
重苦しい気配とともに、やや掠れたような低い声が訪れた。
ナターシャとアリストが同時に振り向いた先には、深い青色の貴族服を纏った男性が立っていた。
白髪混じりの茶髪をオールバックにした彼は、エメラルドグリーンの瞳でアリストを見据える。