#6 残業忍者・二十四時
土曜の半日勤めを終えた業後。俺は、昼に買い込んだ瓶の飲料と携行食を口にしながら、周辺を見渡す。
東には、四年前に完成した東京の新たなシンボルとも言える、赤く輝く電波塔がそびえ立つ。その人工物の荘厳さは、まだ街灯の整備が終わっていない、仄暗い街並みとは対照的だ。
俺が今いる場所は、勤め先である「㈱東都電販」の事務所の入ったビルヂングの屋上。この辺りでは比較的高い建造物で、見張りをするにも便利だ。
しかし、ここに拠点を構えたのには、もうひとつ目算がある。
俺が「怨鬼の女」と出会ったあの夜。俺を装束から着替えさせて、公園に運んだ何者か。
それについて、昨日までは「俺を発見した宮子が世話を焼いたのではないか」とも考えていた。
だが、実際会った感じでは、どうにもそうは思えない。もしあいつがやったことなら、一言目には「北坂さんの近くを嗅ぎまわっていたこと(早合点だが…)」よりも先に、「昨日の晩、何をやってたんだ」と問い詰める。
……というか、そもそも警察に任せる理由がない。その場で叩き起こすか、対策室の本部にでも引き摺って帰って、説教のひとつでもするに違いない。そういうやつだ。
そうなると、消去法として俺を警察に保護させたのは、怨鬼本人ということになるだろう。時代錯誤な行き倒れの忍者を、背広に着替えさせて警察に引き渡す存在など、他に考えられない。
……目的が全く読めないがゆえに、不気味だ。「善なる怨魔」なんて存在するわけはない。隠れ家が露見しないよう証拠隠滅を行うなら、偏食家にしても俺を殺すぐらいはするのが妥当だろう。
ならば、俺を生かしたことそれ自体が、何かしらの罠か、交渉を目的としている、そのために再度の接触を図るか監視を行っていると、そう考えるのが自然だ。
だから俺は、奴が俺に接触しやすくするための布石として、営業と称して軽口を叩き、派出所に名刺を置いてきた。
奴と俺の繋がりと言えば、あの派出所以外に何もない。もし、奴が接触を試みるなら、あそこ以外に向かう場所もない。
奴が俺の様子を警官に尋ねれば、名刺の情報をもとにここにたどり着く可能性は高い。
……我ながら、雑で根拠の薄弱な推測と打ち手だが、奴の意図が全く読めない以上、俺に出来ることなんてそれぐらいしかないだろう。
あとは自分の足で歩き回って探すことだが、敵に自分の素性を明かした可能性を考えれば、しばらくは会社を中心に張り込むべきだし、周囲を見渡しやすい立地も、悪くはない。
俺は、引き続き屋上から辺りを見渡す。しばらくの間は、このコンクリートの物見櫓が、俺の寝床になるだろう。
* * *
――おいおい、いきなり本命か?
正直、希望的観測の詰まった俺の作戦には全く期待なんかしていなかったのだが、ビルの下に、明らかにこの時間には似つかわしくない、若い長身の女がやってきた。
ここからでは流石に顔までは判別は出来ない。いや、むしろ顔が異様に明るい。おそらく白いマスクをしている。……顔を周囲に見せたくないのか?いかにもな怪しさだ。
とはいえ、スペイン風邪でもひいた女が、鎮痛剤を求めて薬局に向かっているだけの可能性もあるだろう。この時間にしては違和感はあるが、近づいて確認する必要はある。
俺は、忍び装束の上から背広を纏い、屋上から飛び降りた。……鬼が出るか、蛇が出るか、だ。
* * *
俺は、女の背後に十数メートルほどの距離を取り、様子を窺う。黒い長髪に赤いロングコート。近くで見ると、何とも奇抜な格好だ。
……いや、これ別人だな。髪もボサボサで、身長も……下手したら俺以上の身長があるぞ。曲がりなりにも「美しい」と思った昨日の怨魔と比べると……いや、よそう。確証のない中で、失礼だ。
女は、暗がりの何もない路地を曲がり、その先に歩いて行った。……これ追いかけたら、俺が変質者として捕まるんじゃないか?……どうにも、最近は女難の相でも出ているのかもしれない。
俺は女を追って路地に差し掛かる。
女は路地の入口に立ち、狐のように細く釣り上がった目で、俺のことを見下ろしていた。……ああ。やはり誘い込んでいたか。
「ねぇ……」
女は、マスクを取る。耳まで届くほどに割けた口。手術痕ではない。「最初からこの形」の口だ。……これは、まあ、確定だろうな。
「わたし……キ・レ・イ?」
「……一応確認ですけど、お姉さん、人間?」
女は、裂けた口をさらに歪めて、不気味な笑顔を作る。そして、俺の足払いを回避し、その場で三メートルほど真上に跳躍した。
ヤツは、コートの袖から、数本の包丁を引き出し、俺に投擲する。それを俺は側転で避け、体勢を整えた。
――考え得る限り最悪の状況だ。「あの女」以外にも、「甲種」が居た。
俺は背広をその場で投げ捨て、下に着込んでいた忍装束に早着替えをした。
「……うふふ、失礼なオトコねぇ。けれどね、生意気な男の生き肝は……大・好・き♥」
「うるせぇ、レバ刺しでも食ってろ」
「臨」「兵」「闘」「者」「皆」「陣」「烈」「在」「前」――
俺は、掌を動かし、九字の印相を結ぶ。
「血因遁法 『焦』――」
印を結んだ掌が陽炎のように揺らぎ、熱を帯びる。……が、これ単体で怨魔に有効打は与えられないのは明らかだ。根性焼きぐらいにしか使えないだろう。
……くそっ、我ながら、なんて心もとない巫力だ。思わず、泣き言が口をつきそうになる。
――ああ、今日こそ、俺、死ぬな。
だが、最後に見るのがこいつのニヤケ面ってのは、あまりにも癪だ。
俺は、熱を纏った掌で、隠し持っていた小太刀を抜いた。見てやがれ、バケモンが。その不細工なツラ、恐怖で引き攣らせてやるよ。
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