#5 東の都に怨《うらみ》は集う
――外で、空襲警報が鳴り響いている。
「……朱くん」
「なに、宮ちゃん?」
「戦争が終わったら、私たち、どうなるんだろうね……」
僕たちは、暗い防空壕の中で、お互いの手を握っている。
「おなかいっぱい、ごはんが食べられるといいね」
宮ちゃんは僕より一歳年上。海の向こうの大国と戦争が始まるその年に産まれた。
その頃は配給にもお米はあったらしいけど、僕が物心ついたころには麦や芋に変わっていった。
大人たちは、口をそろえて「日本は勝つ」と、そう言っていた。僕には詳しい事は何もわからない。
けれど、僕たちの頭上を飛ぶ爆撃機は一向に減ることはなく、代わりに警報を聞いてこの暗い穴に逃げ込むことが増えた。
一度だけ、僕たちを預かっている親戚のおばさんが、宮ちゃんの親戚の人たちと話をしているのを盗み聞いてしまったことがある。
「敗戦すれば、浄忍衆と靈異統制局は解体される」
「そうなっては、荒廃した首都の怨魔に手が付けられなくなる」
「国体の維持のためにも、首都圏の浄忍はすべて疎開させるよう陛下に直訴すべき」
「東京は放棄する前提で、西への遷都に備え早々に子を増やさなくては」
……そんな話だった。
僕は、震える宮ちゃんの手をぎゅっと握り返す。
……宮ちゃんはきっと、この戦争で日本が勝っても負けても、大人になったら「戦わなきゃ」いけない。兵隊とはまた違う、おそろしい「何か」と。
だから、僕はもっと強くなって、宮ちゃんを守れる男になりたい。おばさんたちは、口を揃えて「男は忍者に向いてない」って言うけど、宮ちゃんを一人にしたくない。
防空壕の外で響く爆発音。同い年の子供たちは頭を抱えてしゃがみ込んだ。
「宮ちゃん、僕は、ずっとそばにいるから。一緒に、立派な忍者になろうね」
宮ちゃんは、僕の手を握り返し、こくりと頷いた。
* * *
……昔の夢を見た。アパートで仮眠から目を覚ました俺は、アイロンをかけたワイシャツを手に取り身支度を始めた。
宮子に会った日は、いつもこの夢を見る。そのたびに、今の俺の惨めさを自覚する。何が「守れる男」だ。恥ずかしいマセガキめ。
当時は「兵隊よりもっと怖い怨魔と戦って…」なんて考えてたもんだが……東京を地獄絵図にしたのは怨魔ではなく、米軍の爆撃機と焼夷弾だ。
「怨魔に通常兵器は効かない」ってのは、打点の小さい銃火器の話であって、一帯が焼け野原になるほどの爆撃を受けて、無傷でいられる怨魔なんて存在しない。
だから、東京に闇市が開かれてた頃なんかには、一時的に怨魔被害は激減していたらしい。
その後、空白地帯に怨魔が流れ込んだってのは当たらずとも遠からずだが、戦前の怨魔は総じて消し炭だ。
敵国の、市民の人命を顧みない戦略爆撃が、どれだけ過去を遡っても成し遂げられなかったとされる浄忍衆の悲願、首都怨魔殲滅の快挙に繋がったとは、まったく人間の科学力には恐れ入る。
俺は、ラジオのつまみを捻った。俺には世界のことなんか何もわかっていなかったし、今も全てを理解してはいない。
なんだかんだ、明松も守谷も名家の類だ。鍛錬の日々こそ地獄だったが、戦後しばらく続いた食糧難も、本家の資産を削ることで、比較的早い段階で安定した食生活に改善した。
暴利を貪る戦後間もない闇市や、愚連隊の闊歩する治安が最悪だった頃の東京、戦後残留した外国人と日本人の軋轢、進駐軍の功罪なんかの話は、実体験よりも伝聞によるものが大半だった。
家を出て市井に生きている今だからこそ、そうした世間感覚を持って生きているが、当時の市井は今と比べて遥かに人命の軽い世界だった。
そういう意味では、この東京で生きている人たちは、俺たち浄忍以上にたくましく、生きる活力にあふれているんだと思う。
俺たちの享受する「経済成長」の引き金にもなった植民地主義の爪痕、世界を一瞬にして焦土に変える大量破壊兵器、超大国の思惑や安全保障、その中にあっても平和を希求する人々の願い――
成長するに連れ、少しずつわかっていったのは、人間の恐ろしさと、それでもなお生きることを諦めない意志。
綺麗な部分だけではない。泥臭く、残酷で、それでもなお生きようとする執念。「浄忍」という「システム」も、人類が導き出した残酷な最適解のひとつだ。
長年に渡る地獄をもがき、ようやく手に入れた平穏な日常。これを、怨魔どもは台無しにしようとする。
民主化、戦争放棄、復興、経済成長……この国から戦火が遠のき、人が増えるほどに、怨魔どももまた増えて、俺達の安寧を脅かす。
この東京はてめェらクソ害獣の巣なんかじゃねぇ。俺たちの、人間の都だ。
「……てめぇらの好き勝手になんて、させるかよ」
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