昭和三十八年 三月 十日 午後 関東浄忍衆 第一司令室
「――以上が、二月度定例会議の報告になります。それでは、各自夜間警邏に備えて休息を取ってください」
OHPを映し出すために暗くなった会議室。佐倉二等巫術師が報告を済ませると、対策室の面々は部屋を後にした。私も椅子を引き、その場から立ち上がる。
「やあ、守谷サン」
……後ろから声をかけられた。振り向くとそこには、開襟シャツで黒いスーツを着た、赤い長髪の女性が立っていた。その後ろには、同じく赤髪の少女と、桜色の髪をした少女が控えていた。年の頃は小学生から中学生ぐらいだろうか。彼女たちの私に向けた視線には、若干の嘲笑の色が感じられる。
「明松……さん」
彼女は、明松本家の筆頭浄忍である明松 朱海。「灼」の血因遁法を継承する女性だ。
後ろに控える少女たちは、おそらく明松分家と火走出身の子だろう。彼女の「灼」は、火遁の本家本元、火走にも匹敵する練度を誇る。それを見込まれ、彼女たちの教育でも任されているのだろう。
「いやはや、『子供を量産しろ』だなんて、相変わらず旧弊の横行する、イヤな業界だよねェ?」
……貴女がそれを言うのか。
彼女の後ろに控える少女たちは、くすくすと下卑た笑みで笑みを浮かべる。
……この年齢で「それ」を理解できていること。それが、この世界の歪みを、何より雄弁に物語っている。この子たちは、彼女の下卑た「遊び」に付き合わされ、浄忍という世界に蔓延る淀みを、「そこにあるもの」として、素直に受け入れてしまったのだろう。
――私は彼女が嫌いだ。仕事でないのならば、一言たりとも会話はしたくない。
私だってもう子供ではない。この世界がどうやって成り立っているのか、おおよその理解はできている。……彼女が、明松本家が朱弘にしたであろう、その仕打ちも、おおよそ想像がついている。
……怒りを噛み殺し、平静を装っている私の前に、少女たちが歩み寄り、くすくすと笑いかけた。
「でも、カタブツな宮子お姉さまにとっては、むしろ好機じゃあないですかぁ?」
「そうよねぇ、長年の思い人に、大手を振って抱かれる機会だしぃ?」
「でもぉ、守谷当主様が当代屈指の宮子お姉さまに『淫売』を近づける?」
「そこは怨対の指示だし『優秀な男忍』の遺伝子なら、言い訳も立つでしょぉ?」
二人は、子供とは思えぬ下卑た表情で、私に笑いかける。
「くすくす……よかったですねぇ、宮子お姉さま♥」
「ようやく、愛しの朱弘の子を、孕めますよ♥」
少女は私を見て、目を細めながらくすくすと笑う。濁り切った眼。こんな子供に、こんな眼が出来てしまうのか。
この子たちは、おそらく私たちが中学に入る頃に産まれた子らだろう。浄忍家系においては、家の雑事はおおよそ男性が担当する。そうであるならば、少なくとも明松の子と思われる少女の方は、乳飲み子の頃、朱弘の世話にもなっていた可能性も高い。
この子たちが物心つく頃には朱弘は上京していただろうが、それにしたって、あまりにも良心が無い。彼女たちは、家で生まれた「男」の存在を、総じて下男や、あるいは情夫の類としか見ていない。
……こんな子供たちまで、こんな下劣な考えに染める環境なのか、この世界は。私は二人を、そして朱海さんを睨み付けた。
「くっくっ、やめたまえよ、朱葉、紅音……『恋する乙女』を、あまりからかう物じゃない」
「………………」
彼女は、口元を隠しながら、笑いを漏らす。
この世界の仕組みを利用し、思うさま享楽にふける者。それこそが彼女、明松 朱海だ。齢十四の浄忍として首都大空襲の中を生き残り、その洗練された熱遁を以て、怨魔討伐の最前線で戦いを続ける、現役屈指の実力者とも言える浄忍のひとり。
熱遁は火遁の下位互換とは言われたものだが、彼女の遁法の威力はそこに留まるものではない。彼女は既に甲種や乙種の討伐にも参与しており、たとえ御三家の出身と言えども下手な浄忍では彼女に及ばないという声も多い。
……それゆえに、彼女は浄忍衆から「子」を待望されている。浄忍の歴史とは品種改良の歴史であり、彼女もまた三十歳にして既に、何人もの子を産んでいる。そして、女子には御家の虎の子として明松の遁法を仕込み、男子は……おそらく朱弘と同じ道を辿ることになるのだろう。
……まともじゃない。汚らわしい。
彼女は浄忍としての自身の立場を利用し、年端もいかぬ男子を漁っては享楽にふける。また、手を付けた男忍には、自ら『仕込み』を行い、他家に斡旋することで、金銭や資産を得たりコネクションを広げる、さながら女衒のような事もやっている。浄忍に付きまとう不幸な「仕組み」を、現世利益のために最大限に利用し、自身の快楽を得ると同時に、権力基盤を固めている者。それこそが明松 朱海という女性だ。
彼女の後ろの二人もきっと、彼女にそうした世界を「見させられた」子たちだ。性に関する知識が固まるより、純真な恋心を抱くより早く、男を意のままに屈服させ、快を貪る……その味を知ってしまった獣だ。
……この子たちは、被害と加害の立ち位置こそ違えど、その本質は朱弘と同じだ。
朱弘は、就職を選び私のもとを去って行く時、とても悲しげで、申し訳なさそうな顔をしていた。あの時、私はただ寂しいという想いしか抱くことが出来なかった。彼が受けている仕打ちを、私は何も知らなかったのだ。彼は、あの時すでに「組み込まれて」しまっていたのだ。この、悍ましき「悦楽の奥」に。
彼は、気高い信念を持ちながらも、自分の望む道を選ぶことは叶わなかった。それは偏に、彼に「血因」の恵みが存在しなかったため。浄忍世界で意思を通すには「力」が要る。彼は、多くの男忍がそうであるように、自由を手に入れるには、あまりに力が足りなかった。その結果、この腐敗した浄忍の世界で蹂躙され、擦り切れてしまった。
――許せない。この女性は、私の「敵」だ。
「まったく、敵意が駄々洩れだよ?守谷サン」
「……挑発してきたのは、あなた方でしょう?」
「くく……、子供らしい、無垢な親切心ってやつさ」
「………………」
子供たちに罪はない。それでも、淀んだ大人の思惑に飲み込まれた子供の行き着く先は、邪な大人に他ならない。
浄忍の世界に蔓延る悪習を体現するこの女性を、いつまでものさばらせておくわけにはいかない。私の代で、必ず、これを除く。悲劇の繰り返されない、正しい浄忍の世界を、築いてみせる。朱弘の居場所は……私が必ず、取り戻してみせる。
「まあ、朱弘の消息なんて私らは知らんからね。捜索は宮子殿にお任せするよ」
「……承知しました」
「つまみ食いも、独り占めも、好きにすればいい。二十過ぎた男は『客』もつかないんでね。精子提供が続けば十分さ」
「………………」
彼女たちは私に背を向け、会議室の扉に手をかけた。私は、苦虫を噛み潰したような気持ちで、彼女たちの後ろ姿を目で追った。
「……それに、もしかすると、だ」
彼女は私を振り返ると、こちらをおちょくるような歪んだ笑みを浮かべ、言葉を続けた。
「君の担当する予定だった、甲種や『クロコダイル』を殺した熱遁使い……朱弘かもしれないだろう?その時は、また『お姫様』に戻るといいさ」
彼女の後ろで、二人の子供は嘲笑の笑い声をあげた。「そんなことはあり得ない」と、彼の努力を小馬鹿にするように。明松 朱海は、嘲るようにその口角を上げながら、会議室を後にした。
――浄忍の世界は、なんて醜いんだろう。
暗くなった会議室で、私は「人間」に向けることの決して許されない殺意を飲み下し、会議室の扉に手をかけた。
最後まで読んでいただけた方は、下にスクロールして☆を入れて頂けますと幸いです。
☆:いま一歩
☆☆:最後まで読んだ
☆☆☆:悪くない
☆☆☆☆:良い
☆☆☆☆☆:最高!