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百鬼の忍 ~戦後を終えた日のもとで~  作者: CarasOhmi
【第三章】東京アンダーモラトリアム
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#12 鉛の天蓋

「どうして――」

 俺は、目の前に現れるはずの無かった彼女の姿に、茫然としながら口を開いた。

「ピオニィの前にいたのが、チラッと見えましたからね。顔も出さずにそのままどこか行ってしまうから、心配になって後を追ったんですよ」

「………………」


 なんて……、情けない話だ。


 本心では俺は、一人で死ぬのが寂しかった。誰かに、声をかけて、助けて欲しかったんだ。

 だから、わざわざピオニィの前に姿を現して、そのまま立ち去った。構って欲しがりのガキのように、情けない未練を晒していたんだ。

 ……みっともない。生き恥とは、まさにこういう事を言うんだろうな。


「……もっと早く、死んでおけばな」


 ……何を言ってるんだ俺は。助けに来てくれた綾夏に対して、真っ先に言う言葉がこれかよ。

 心底嫌になる。だが、心からの軽蔑を受けた相手に、みっともなく縋ろうとして、気を遣わせて、命を助けられるなんて、真っ当な神経で耐えられるはずがない。こんな姿を見せるぐらいなら、人知れず死んでいた方が、どれだけ救いになっただろう。皆を見捨てて、死に逃げる自分の醜悪さに気づいた今、助けを喜んだりなんてできはしない。

 もう、徹底的に失望してくれて構わない。「あなたのような無責任な人間なんて知らない」と、見限られたのなら、俺だってもう、現世に未練など持つまいよ。


「……朱弘さん、昨日私が言ったこと、そんなに引き摺ってるんですか?」

「………………」

「ごめんなさい。私も無神経な軽口を言ったと、後悔してます」

「……合理主義気取って、広子ちゃんの純情を弄んだのは、事実だろ」

「だからって、私があなたのことを『死んでもいい』ってほど軽蔑してるだなんて、本気で思っているんですか?」

「………………」


 ……わかっている。わかっているんだ。

 俺は、綾夏や広子ちゃん、鉾田さん達に失望されることを恐れるあまり、現実に彼らが言わないような、苛烈な言動を妄想している。皆が俺を囲んで責め苛むような、そんな狂った光景を想像してしまっている。

 みんなはそんなことは言わない。みんな、ピオニィで知り合ったみんなは、「()い人」だ。わかっているんだ。


 ――だから、俺は、そんな「()い人」たちに不義理な真似をする自分が、みんなの善意を信じられない自分が、怨魔どもと同じぐらいに、許せないんだ。

 俺の脳裏には、過去の自分を取り囲む大人の女たちの振る舞いが、俺と同じように淀みに飲まれていく男たちの姿が、こべりついて離れない。人間の善意を信じたいのに、「そんなものは存在しない」ともう一人の自分が囁きかける。


 ――もう、信じて傷つきたくないだろう

 ――責任など、負わなくていい

 ――怖いのならば、逃げ出してしまえばいい


 いつだって、そう囁きかけて来る。

 自分の不誠実さで裏切りを誘い、「やっぱり、人間なんて信用できないな」なんて、軽薄な納得を得ようとしている。


 この二ヶ月。俺は待ち望んだ力を手に入れ、大切に思える人たちにも出会えた。ようやく、この安っぽい不信感に勝てる自分になれたんだと、自信を持てた。

 けれど、それは自分を騙す偽りに過ぎなかった。よりにもよって、まだ幼く純真な広子ちゃんに、あんな薄汚い真似をするなんて。俺の根底が、薄汚れた淫乱男のままだったなんて――


 やっと……あの仄暗い離れから出られたって、やっと、俺の人生が始められるんだって――そう、思ってたのに、俺の軽率な振る舞いで、何もかもが崩れ去ってしまった。


「俺は――――――――」


 俺は、もう耐えられなかった。自分を偽り、ヒーローを気取っている自分が、気持ち悪くて仕方なかった。

 俺は、何も変われてなんていない。俺は、そんな自分が、殺したくなるほど、大嫌いだ――


「――――――――――――」

「――――――――」

「――――」


 ……俺は、綾夏に、その穢れ切った生い立ちを、曝け出した。

 恥も外聞もない、俺のありのままの、醜い人生を――


* * *


 ……綾夏は何も言わない。ただ、俺の目をまっすぐに見ていた。

 俺は、彼女の目を直視できなかった。彼女が、俺のことをどう見ているのか、確認するのが怖かった。

 暗黒の穴倉の中、地獄のような沈黙は、周囲に流れる水音だけを際立たせていた。

 

「……つらかったんですね」

 彼女は、ゆっくりと口を開いた。

「信じていた大人たちから裏切られて、弄ばれて……大事に想っていた人にも、打ち明けられなくて……。人間なのに、人間として、扱ってもらえなかった」

「………………」

 彼女の浮かべる表情は、ただ悲しげなものだった。しかし、彼女の慰めは、俺の心をいっそう暗い闇に沈めていく。

 ……俺だけが、この世で一番辛い目にあっていたとでも思っているのか?そんなわけ、ないのに。


「朱弘さん」

「………………」

「私が、戦後どう暮らしていたか、詳しく話していませんよね」

「……聞きたくない」


 わかっている。わかっているんだ。綾夏が、どんな境遇で生きて来たか、俺は既に想像もついている。

 わかっている。わかっていてなお、自分の過去を、さも悲劇の主人公かのように話したんだ。綾夏の抱えているであろう過去を、わかっていながら、俺は――


「あなたに、聞いて欲しいんです」

「……やめてくれ」


 つらい事を忘れられて、幸せになれたんだろ?やっと、楽しい日々がやってきたんだろ?

 それを……壊さないでくれ。君は、もう、悲しいことを思い出して、苦しむ必要なんて、ないんだよ。

 頼む……頼むよ。俺なんかのために、傷を開かないでくれ。悲しい思い出を呼び起こさないでくれ。


「朱弘さん、私はね……」

「……やめてくれ、綾夏……っ!!」




 ――私は、RAA(特殊慰安所)で、進駐軍の兵士に、身体を売っていました。




* * *


 |特殊慰安施設協会《レクリエーション&アミューズメント・アソシエーション》。

 日本の敗戦後、東京に開かれた「慰安所」。その目的は、連合国軍の兵士の性暴力から、日本の婦女を守るために設置された施設とされる。これは日本の婦女の貞操を守るための「性の防波堤」とも呼ばれた。一方で、それは戦勝国への「接待」であるとも揶揄された。

 RAAの募集は、衣食住と高給を保証するというもので、私のように身寄りがなく、食い扶持を稼ぐ手段のない女性たちに向けられたものだった。私たちは、毎晩、何十人もの外国の兵士と、身体を重ねた。

 ……誰しもが売春の経験を持っていたわけではない。その日暮らす金銭のために、経験のない女性たちもそこで働いた。「日本の女性たちの貞操を守る」とは言ったものだが、その守るべき婦女の中に、私たちのような存在は含まれていなかった。


 やがて、進駐軍は公娼制度を廃止した。それは私たちにとって「解放」を意味することだったかと言うと、そういうわけでも無い。

 勤め先を失った慰安所の女性たちは街娼となり、世間からは「パンパン」という蔑称で呼ばれた。募集をかける時には、さながら女性たちの英雄のように喧伝された私たちも、実態として他の国民からは「あばずれ」の扱いであり、RAAが解体され御役御免となる頃には、売女(ばいた)の誹りも避けられない世情だった。


 私の当時の齢は十に満たない。しかし、精鬼という生物の特性として、私は産まれた時点で成熟した肉体を持ち、また他の女性の持つ「妊娠」というリスクも負わなかった。しかしながら、当然のこととして、親しくもない相手と体を合わせることには、抵抗も嫌悪感も強かった。

 ましてや……彼らは、彼らの祖国は、私の大切な人たちを、焼き殺した者たちだ。精鬼の頭として、戦争への参与を避け続けた、私の「お爺様」の頭上に焼夷弾を落とし、消し炭に変えた者たちなのだ。

 そんな相手に、好き勝手な慰み者にされたり、浅はかな同情心で軽薄な愛を囁かれたり、私は彼らに何を想えばよかったのか。彼らを許せない気持ちや、屈辱感は募っていく。そして、そんな者たちに命惜しさで体を開く、そんな自分自身が、日を追うごとに嫌いになっていった。

 私の心は、日に日に擦り切れていく。人を怨まず生きていくこととは、なんて難しいのだろう。


 ……だが、私の生きる道は他になかった。身寄りもなく、世間について何も知らない若い女が、身体を売らずに働き口を見つけられるほど、当時の日本は甘い世界ではなかった。やがて私は、怒りも、屈辱も、不快感も、全てを飲み込み、「自分は何も感じていない」と思い込むことで、何とか生きていた。


 男性たちは「欲」の成就を求める。その反面で女性の「清純さ」を愛すべき魅力としている。その矛盾は、私たちのような「使われる女」と、世の歪みから守られた清らかな「愛すべき乙女」が分かたれることで、解消される。

 朱弘さんが、広子ちゃんを「護るべき子供」として愛おしく感じる一方で、「親に愛され護られて羨ましい」と思う気持ち。そこに嫉妬や劣等感を感じて、苛立ちを覚える気持ち。……それは、私にだって存在している。

 世の中は、往々にして誰かにしわ寄せを集め、損をさせることで理不尽に回っている。それでも、私たちは自分たちの人生を生きていかなければならない。


 あの夜。上空を飛ぶ爆撃機に、焼夷弾で邸宅を焼き払われ、お爺様を、お世話になった皆を、一斉に亡くしたあの夜。

 そこから、ずっと続く閉塞感。私の心を覆いつくす不自由の象徴。それが、この東京の青い空。

 私は、この東京の青空が、不似合いなほどに鮮やかなペンキで塗られただけの、暗く重い鉛の蓋のように感じていた。

 それは、私が鉾田店長に保護され、ピオニィで働き始めてからも、ずっと、ずっと、続いていた。


 誰も……「私」を知ってくれないと思ってた。一人で死んでいくしかないんだって思ってた。

 もう、いつ死んでもいいと思ってた。浄忍に殺されたって、もう構わないと思ってた。

 自身の命を削り、ただひとり傷つきながら戦う、そんなあなたに殺されるなら、私の人生の幕引きに悪くないと。



 けれど、あの夜、あなたは、「あの言葉」を私にかけてくれた。

 私の素性を知って、それでもなお、私を「人間」と認めてくれた。

 望む全てを諦めて、なおも寄り添ってくれた、そんなあなただから。


 だから、私は――

 




最後まで読んでいただけた方は、下にスクロールして☆を入れて頂けますと幸いです。


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☆☆:最後まで読んだ

☆☆☆:悪くない

☆☆☆☆:良い

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