#10 離れ離れ
「俺、中学出たら東京で就職するよ」
「……えっ!?」
校舎の裏手。久々に制服を着て学校に出席した宮子は、俺の言葉に驚いたような表情を浮かべた。
「でも、朱くん、強くなるためって沢山鍛えて……、遁法だって使えるようになったって……」
「……それでも、だよ。今の俺の実力じゃ、浄忍には、なれない。俺の力は、本家の劣化版なんだ」
あの夜から、俺は女どもの玩具にされる機会が増えた。ただ犯されるだけでない。「道具」で責め立てられたり、男と交われと命じられたり、本当に「玩具にされた」以外の表現のしようもない。
その中には、明松本家筆頭で、俺のことを目の敵にしていた女もいた。憎しみ余って、俺は血因遁法の「焦」を右手に纏い、顔面を焼いてやろうとした。こいつだけは、殺してやってもいいと思っていた。
……まったく通じなかった。下品な笑いを浮かべながら、逆に奴は俺の太ももに、血因遁法「灼」で「淫」と焼きを入れ、側仕えの女どもに俺を蹂躙させた。
最悪の気分だ。市井の人々を……宮子を護るために、浄忍を目指して鍛錬を続けた俺より、色欲に任せガキを犯す連中の遁法の方が、圧倒的な力量と練度だったのだから。
俺は、明日へ向かうための「意味」を全く失っていた。これだけの力を持った連中が、それを「正しい事」に使わない。
……いや、夜の街の闘いでは使っているのかもしれない。だが、少なくとも俺の前での奴らの振る舞いは、下種そのものだった。これで外面は正義の味方気取ってるのかと思うと、反吐が出る。
宮子は、おどおどと口を開いた。
「でも、私は、朱くんが強くなれなくても……私の隣に、居てくれれば……」
「……俺が、隣で死んでも?」
宮子は、びくりと肩を震わせる。きっと、その事について考え及んでいなかったのだろう。
「そうでなくても、足手まといの俺が横にいることなんて、浄忍衆も許さない。俺も、宮子の強さについていけるとは思えないし、同じ戦場には出さないよ」
「………………」
宮子はうつむいた。俺は、彼女の顔を直視することは出来なかった。
どこまでも不甲斐ない。夢は実現できず、共に戦おうと約束した幼馴染を一人残して、東京にトンズラか。
……包み隠すことでもない。俺は今でも、宮子のことが好きだった。あの暗い防空壕で震えてた日から、この子を守りたいと願い、鍛錬を積んできた。
……おそらく、宮子だって俺のことを好きでいてくれてると思う。これは俺の思い上がりではない。俺の鍛錬を常に見守り、その成長を願ってくれた。あの防空壕での誓いは、きっと、宮子の中にも残っている。
それが、今では宮子だけが一人、実戦級の浄忍として仕上がりつつある。そんな中で俺は?……浄忍の変態女どもを接待する淫売の種馬だ。
何より許せないこと。俺は、変態女どもに抱かれながら「奴らのご機嫌を取る」演技だけが、無駄にうまくなっていったことだ。……やがて、それで騙す対象は変態ども「だけ」ではなくなった。
――俺が騙すようになったのは、他ならぬ「俺自身」だ。
今の俺は、もはや「秘薬」も必要とせず、求めさえあれば自分からあの女どもを抱くことが出来るほどに、この醜悪な環境に染まってしまった。……男ならわかるだろう。俺は、この吐き気のする環境に「快」を感じているということだ。それほどまでに、俺は、自分自身を見失ってしまった。
これが、俺を想ってくれた相手への裏切りでなくて、何だって言うんだ。言い訳なんてするつもりもない。何より、宮子に今の俺を知られたくない。
……話すぐらいなら、「力が無いから逃げ出した」の方が、幾分マシだ。
俺は「憐れな被害者」か?違うだろ。変態どもとともに享楽に溺れたクズだ。そんな人間が、一丁前の男を気取って、好きな女に愛を語れるか?気持ち悪い。最悪だ。
宮子には幸せになって欲しい。なってくれなきゃイヤだ。
決して勇敢なわけでもない、臆病で大人しい女の子だった宮子が、血のにじむ修練に耐えた結果、ようやくそれが実を結んだんだ。
ならば、この子の隣にいるべきは、少なくとも俺なんかじゃない。力もない、誠実さもない、そんな俺が、どうしてこの子の隣にいられるよ。
……現実的な話としても、当代屈指の英才の宮子に、明松の淫売男である俺を近づけるなんて、守谷一族も許さない。どの道、実るような恋ではなかった、ってことだ。
俺は宮子の顔を見る。彼女は俯き、その表情は悲しげだ。だが俺は……俺はこの時、薄情にも、彼女に寄り添おうとは思えなかった。
俺は、ただ、彼女が羨ましかった。力を持って産まれ、自分の道を選ぶことが出来る彼女が眩しく、俺の姿が惨めでならなかった。
……俺の進路は、宮子への裏切りだ。わかっている。でも、俺はもう、この惨めな世界で生きていくことが、宮子の顔を見ることが、つらくて仕方なかった。
「……ごめんな、宮ちゃん」
俺は、彼女に背を向け、下校した。
今日も、最悪な夜を送ることになるであろう、醜悪な実家へ――
* * *
なぜ、宮子を遠ざけたのか。
なぜ、綾夏につい意地悪な言葉を投げかけてしまうのか。
なぜ、広子ちゃんに「色仕掛け」のような手段を使ったのか。
すべては、別の話のようで、根の部分は繋がっている。
俺にとっては、女という存在が、怖く、羨ましく、復讐心の対象になっているんだ。
……我ながら歪んでいる。
宮子が、俺に対して何か酷いことをしたか?
綾夏が、俺の境遇より楽に生きて来たと思ってるのか?
広子ちゃんが、あの変態どもの同類だと思っているのか?
そんなわけないだろう。彼女たちは、ただ懸命に、まっすぐに生きている。俺に対しても、決して邪険になどしなかった。
それでも、俺の心の奥底には不信感が渦巻いている。それが、会話の節々からにじみ出てしまう。彼女たちの優しさを信じられず、受け入れられない。
結局、俺はガキの頃から何も変わっていない。あの暗い離れの一室から、俺の心は一歩も出られていないんだ。人間として生きていく上で、大事な何かが欠けているんだ。
信じたい。愛したい。当然、俺にだってそんな気持ちはある。
……けど、俺が俺を認められないから、俺が俺を誇れないから、誰かが俺を大事に思ってくれているということに、違和感しか感じられない。だから、不誠実なことも平気でやる。
そんな自分が、本当に嫌なんだ。
どうすれば、出られる。この、暗い世界から。
戦って、戦って、その先に、俺の安寧は存在するのか――?
* * *
殺して。殺して。殺し進んで――
俺は長靴に何かが当たった感覚があり、それを拾い上げた。
長い顎に並んだ歯。元の動物の形も連想しやすい。……鰐の頭蓋骨だ。
「……はは、あながちデマってわけでもなかったってことか」
顔をあげたその先には、そのしゃれこうべと比にならない、巨大な大顎の化け物が立ち塞がる。知性はないが大型の怨魔……「丙種」だ。
「逃げ出したペットのワニが、秘密の核実験だか、工業廃水だかの影響で巨大化した、って尾ひれもついてたっけか。……大層栄養状況も良いようで」
怨みのワニは俺を見下ろす。ワニを餌にした怨魔が、取り込んだ肉から形態を再現したのだろう。工業的なものではないが、これも人災だな。
「まあ、人間におもちゃにされた者の末路同士ってことで……仲良く殺し合おうぜ」
俺は、乾いた笑いを浮かべながら「同類」に対し、構えを取った。
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