#4 第一次オカルトブーム前夜
まだ人の少ない、純喫茶ピオニィのテーブル席の一角。そこには、私の見知った顔が並んでいた。
「ちょっとぉ、なによ二人して……冷やかし?」
「いやぁ、働いてる広子を見たいって、葉子がさぁ……」
「えーっ?万美が覗きに行こうって誘ったんじゃん」
彼女たちは私の同級生。門森女子高校の普通課に通う女学生だ。
私は来年短大を受ける。学費は親が工面してくれると言うが、そうは言っても親に頼りっぱなしというのは、良くないと思う。
だったら家計の足しになるようにと、今年度いっぱいはアルバイトで家にお金を入れようと考えた。そこに、うちの近所の喫茶店で、アルバイト募集と張り紙がしてあったので、さっそく応募して面接を受けた。
そこから四ヶ月。このピオニィで、色々と大変なこともあったけれど、今ではお仕事もすっかり慣れてきた。
「……まったくもう、仕事の邪魔するなら、店長に言って出禁にしてもらうからね?」
「ごめんってばぁ、広子。……でも気になるじゃん」
「……?私の働いてる所なんて見ても楽しくないでしょ?」
「違うよぉ~、ほらぁ?いつも広子が言ってるんじゃん」
そう言って、万美は右手を口元に沿え、小さな声で私に耳打ちした。
「素敵な男の人、居るんでしょ?私たちにも紹介してよ♪」
思わず顔が、かぁっと熱くなる。万美と葉子はけらけらと笑っていた。二人とも、私をからかいに来たのか。
「……店長に報告します」
「あぁっ、ごめん!ごめんってば!もうからかわないよ!謝るからぁ~」
「せめてプリン食べ終わるまでは待ってよ~」
遠巻きに私たちのやり取りを見て、綾夏さんと店長がくすくすと笑っている。もう、気付いてるなら止めてよ……。
――その時、カラン、カランとドアチャイムの音が鳴った。
紺色ネクタイの背広に、長い灰色のトレンチコート。七三分けで、わずかに赤みがかかった黒い髪。平均的な身長より小柄で、中性的な印象の顔立ちの男性。
……彼だ。明松さんが、来店した。それを見て、カウンターにいた綾夏さんが歩み寄る。
「いらっしゃい、朱弘さん」
「ああ、今日も邪魔させてもらうよ。テーブル席使っていいかな?」
「ええ、混雑したら相席をお願いするかもですけど」
「それまでには外回りに出るよ。迷惑になったら言ってくれな」
明松さんは、綾夏さんに促されてテーブル席に向かう。
……ああっ!!私が案内しようと思ってたのにぃ~っ!!
綾夏さんと話すときの明松さんは、自然体で朗らかな笑顔をしている。綾夏さんにだけは時々、私には見せないちょっと意地悪な顔も覗かせる。
……羨ましい。
くっそう……この子たちの相手をしてたせいで出遅れた。私は、テーブル席に私を縛り付けた二人を、恨めしい気持ちで睨み付けた。
「えっ……あの人?」
「まだ若いし、顔立ちもそんな悪くないけどさぁ、くたびれたサラリーマンじゃん。背丈だってそこまで……」
……これだから、大人の魅力のわからないお子様は困るよ。
* * *
「はい、ブレンドコーヒーです」
「ありがと」
俺は、綾夏からコーヒーを受け取る。向こうのテーブルで、広子ちゃんが同年代の子らと談笑しているのを見て、自然と頬が緩んだ。
「ふふ、若い子は眩しいですよね。……もっとも、意中の広子ちゃんと話せない朱弘さんは、ちょっと寂しそうですけど」
「……人を、童女趣味みたいに言わないでくれるかな?」
広子ちゃんが元気にしてるのはいい事だが、別にあの子に会うために店に来てるわけじゃねぇよ。成人した大の男が、女子高生目当てで通い詰めるとか、まるっきり変態じゃねぇか。
俺は、手帳を眺めながらコーヒーに口をつける。この商店街の店で、今後業務用家電の需要が見込まれる事業者をリストアップしたものだ。
鉾田さんとの繋がりが出来たことは、営業職としての俺にとっても幸運だった。商工会で繋がりのある事業者の需要を窺うことが出来るためだ。
地域に根差す社交場の主と仲良く出来ることは、営業にとっても大きなことだ。……言葉にするとすごく現金な男だな、俺も。
「それで、今回は何を売り歩くんですか?」
「そうだなぁ……目下はカラーテレビかな。五輪も近づいてきてるし。高級品だから家庭向けの普及はまだだろうけど、飲食店や床屋、銭湯なんかにも売り込めるだろ」
「たしかに、長居するお店でカラー映像見られるなら、その店を使おうかなってなりますよねぇ」
「うん、まあ時期が過ぎれば、各家庭にも置かれるようになるだろうけどな。そうなったら団地で訪問販売とかやるようになるかもな」
うちは基本的に業務用の商材を取り扱っているが、各家庭に需要が出るなら、商機を逃さず訪問販売にも力を入れるようになるだろう。そのあたりは社会状況に合わせて柔軟な経営判断をしていく、ということだ。
「……まあ、今みたいに事業者向けの営業してる方が、俺には向いてるかなと思うんだけど」
「朱弘さん、笑顔も硬いし、口下手ですからねぇ……」
綾夏はくすくすと笑いながら言った。自覚してるけど他人に言われると腹が立つな。
「俺も、誰かさんみたいに、酒飲んで馬鹿笑いしたり、多弁になれる体質だったらいいのになぁ」
「……っ!!ちょっと、朱弘さんっ!!」
綾夏が顔を赤くしながら、俺の腕を盆ではたいた。やれやれ、とんだ暴力喫茶だぜ。
* * *
「それでな、マスクを取った女の口元は耳まで裂けててね……そこで、こう言うわけ。『私、キ・レ・イ?』って……」
「きゃっ……もう、よしてよ……」
人の増えてきた店内、少し離れたテーブルに座ったアベック達から聞こえてくる、都市伝説怪異の噂話。「口裂け女」の怪異だ。何とも心当たりのある話だな。
「あの、朱弘さん……」
手の空いた綾夏が、俺のテーブルに近づいてきた。
「ん、ああ……やっぱり、あの話についてか?」
「ええ、その……大分、『あの一件』に近い噂話じゃありませんか?」
綾夏の言う「あの一件」は、口裂け女の怨魔の話だろう。まるで聞いてきたかのように、あの怨魔の特徴と一致している。
「……これは多分、浄忍衆や怨災対策室が流したものだろうな」
「えっ……?浄忍って怨魔災害を秘匿するのが仕事だって……」
おおよそこの認識は間違っていない。実際に怨魔が発生した時には、その目撃者に忘却措置を行い、破壊区画や遺体の修復を行い、事件を「無かったことにする」のが浄忍衆のやり口だ。
とはいえ、人の口に戸板は立てられない。些細な目撃事案が後々になって更なる問題を産む可能性もある。ゆえに対怨魔機構は「噂の上書き」を対策に使用することが多い。
現在ハッキリしている情報を「怨魔」という実在する脅威ではなく、心霊現象にすり替えることで、噂の信憑性を下げるとともに、怨魔との遭遇時の危機意識を高めることに利用しているのだ。
……それでも、怖いもの見たさで怨魔を探し出して肝試しをしようとする若者は出る。その場合は、安全地帯に目撃証言のデマを流し、待ち構えた巫術師が、適当な幻術や忘却措置を施し、家に帰らせる寸法だ。
「口裂け女なんかは、被害について浄忍衆も把握してたからな。俺たちで討伐したことも報告とかしてないし、情報収集も兼ねてるのかもしれんな」
「ははぁ……彼らも色々やってるんですねぇ」
「……綾夏たちも、狙われる側なんだから、危機感持ってくれよ」
今の所、「口裂け女」や「ターボババァ」の噂は確認している。鹿嶋の一件も、鳴嶋の爺さんの件が変死として表に出た以上、何かしらの噂は出回る可能性は高いだろう。
……何とも小賢しい話ではあるが、それでも人々が怨魔に震えずに生きていくためには、必要な措置だ。そのために有耶無耶にされる被害者の尊厳は、及ばずながら俺が力添えをしていく。
曲がりなりにも、かつての仲間たちに、状況を共有できないのは申し訳ない気持ちもあるが……まあ、怨魔の脅威が減る分には向こうもさして困るまい。綾夏と鉾田さんの安全と天秤にかけるなら、優先順位をどうすべきかなど、考えるまでもないことだ。
「他にも、『人面犬』とか、『下水道のワニ』とか、『メリーさんの電話』とか……全部怨魔の仕業なんですかねぇ?」
「全部ってことはないと思うけどな……でも、いくつかは怨対が流したものだろう。もしかしたら、市民の生の目撃証言とかも混ざってるかもな」
「……これだけ怪奇現象ばかりだと、後世に迷信深い年代って扱われそうですね。『不幸の手紙』なんてものも出回ってるらしいですし」
「……まあ、俺たちの存在だって、半分迷信みたいなもんだからな。無理もないだろうよ」
俺はため息をつく。
超常の力をずっと求めてきたが、それでもやっぱり、怨魔さえいなければ、こんな力も持つ必要はなかったんだよな。もし俺が力を捨て去って、怨魔が全て消え去るなら、喜んで捨てたい。ただし、そんな現実はあり得ない。
……それに、同じく超常の存在である精鬼の……綾夏や鉾田さんの存在は否定したくない。結局、今ここにある現実を飲み込んで、生きていくしかないのだ。
「……でさぁ、『こっくりさん』って降霊術があってね」
「へぇ……十円玉と紙でねぇ」
「今度三人でやってみる?」
「いやだよ、怖いし……」
少し離れたテーブルで、広子ちゃんと彼女の同級生らしき子たちもまた、迷信談議に花を咲かせていた。
まったく、女子高校生までオカルトに夢中の世の中か。つい最近まで、怪異話なんてものは、貸本漫画の愛好家か、駄菓子屋でガキんちょが雑誌を立ち読みして、おばちゃんに煙たがられてるって程度のものでしかなかったのにな。
……みんな、もうちょっと爽やかな青春送ろうぜ。
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