#2 ヒミツの祈り
「お待たせしました」
ドアが開くと同時に、ドアチャイムの音が大きく響く。目の前に現れたのは、赤紫の振袖に白いファーショールを羽織った綾夏だった。
「……おう、気合入れてるなぁ」
「ふふ、年に一度の一張羅ですよ、似合ってますか?」
「はいはい、似合ってる似合ってる」
雑に返したが、当の綾夏はたいそう上機嫌だ。
……まあ、実際に似合ってるとは思う。しかし、きょうび着物なんて高い買い物だろうに、女の金の使い所っていうのは、男には中々わからないものだ。
むしろ、これだけ気合入れられると、洋品店でまとめ買いした安売りのセーターに、仕事用の煙草くせぇコート着て来た俺が並ぶと、相対的にみすぼらしく見えてしまうな。
俺は、自慢げに振袖をひらひらと振る綾夏の姿を見て、苦笑いを零した。
俺たちは、喫茶ピオニィを出て神社に向かっている。鉾田さんの「お気遣い」により、「一緒に初詣に行って来い」と癒しの空間たる店内から追い出され、寒空の下に放り出されたわけだ。
「年明けちゃいましたし、二年参りにはなりませんね」
「除夜の鐘もテレビ放送されてるしなぁ……歌比べも最後まで見たら、こうもなるだろうよ」
「まあ、あまり急かされるより、こういうゆったりした年明けもいいじゃないですか」
……俺は、ここ数年は毎年寝正月だったけどな。一般的にハレの日には怨魔が少ない。体を休めるにはもってこいだ。
……そう、明松の家を出て「役目」からも解放され、一人で暮らすようになって、ようやく俺は自由を得た。
実家にいた頃は、平素よりの鍛錬は元より、面倒くさい親戚付き合い、男どもで集まって土間で行う料理の仕込み作業、集まった親族どもに連れられ離れで行われる「接待」……、楽しかったことなど何もない。
そう考えると、年末年始には一応休みも取れて、のんびりと初詣にも行ける今の俺は、きっと自由なんだろう。
だが、何故だろうか。俺の心には何か、しこりのような物が残っている。何が不満だ?あのころと比べれば、満ち足りているだろう?俺は、やっとあの胸糞の悪い実家から離れられて――
「何を考えてるんですか?」
気付くと、綾夏は俺の顔を覗き込んでいた。俺は驚いて後ずさる。
「いや……、別に何でも……」
「……昔の、つらいことでも思い出してたんじゃないですか?」
俺はどきりとした。綾夏の勘が鋭いのか、俺が顔に出やすいのか。どちらにせよ、他人に見られたくない心の裡を見透かされたことに、俺は動揺していた。
「………………」
「聞いたりしませんよ。誰だって、他人に話したくない傷ぐらい、あるものです」
華やかな振袖には不似合いな、憂いを帯びた表情で、綾夏は視線を逸らす。
……そうだ。
明るく天真爛漫な、今の彼女を見ているとつい忘れてしまうが、綾夏も店長に出会うまでは、戦後の焼け野原で天涯孤独となっていた身だ。
彼女が今まで生きてきた人生には、きっと「人に言えない傷」は数多く存在する。だからこそ、彼女は俺の心のわだかまりを、話すまでもなく察せてしまうのだ。
「……私は、今がとっても楽しいんです。いいじゃないですか。つらい思い出なら、忘れてしまったって」
「………………」
「私、朱弘さんとお話しするの、結構楽しいですよ?意地悪なこと言われるのはイヤですけどね」
「そう……か」
……そうだ。まったく、余計な気を遣わせてしまった。つまらない気分に、巻き込んでしまったな。せっかく、楽しみにめかし込んで向かってる新年を祝う場で、陰気な男なんて連れて歩いてるんじゃ興醒めだろう。
楽しく明るく振舞う……のは、俺にはどうやっても難しいが、いらんことを思い出すのはナシだ。楽しい初詣などとは思わせられなくとも、イヤな思いをさせて帰すのは、いささか甲斐性無しが過ぎる。
「……まあ、なんだ。綾夏」
「?」
――『俺も、綾夏と話すのは、楽しいよ』
と、口に出すのは、いささか恥ずかしかったので、少し考えて別の言葉を口にした。
「明けまして、おめでとう」
俺は、彼女が表に出てきた時に、言いそびれていた新年のあいさつを送った。
綾夏は、一瞬ぽかんとした表情をしたが、はたと思い出したように頷き、にっこりと明るい笑顔を見せた。
「明けましておめでとうございます、朱弘さん。今年もよろしくお願いしますね」
……彼女の憂いのない笑顔が、暖色の電灯の下で輝く。
それは、陰気で後ろ向きな俺にとっては、ただ眩しく、憧れを感じさせるものだった。
* * *
「何を願ったんですか?」
並んで拝礼を済ませ、参道を歩く俺に綾夏は問いかけた。
「……世界平和、かな」
「ふふ、朱弘さんらしいですね」
「……いや、冗談だから本気にするなよ」
……そりゃ、あの戦火を知ってる人間なら誰だって世界平和は望んでるさ。けど、年に一度の初詣ぐらいは、もっと俗な私欲に走る方が健全だろうよ。
俺の願い。それは――
――「思いつかなかった」だ。賽銭を投げ、いざ神仏に祈るとなると、欲深さ故か、はたまた俺の中身が空虚だからか、上手く言葉が出てこなかった。
基本的には怨魔を根絶することが俺の願いだが、こんなハレの日に願うにはいささか血生臭すぎる。あまり派手に動いて、浄忍と摩擦が起こるのだって気がかりだ。
そんなわけで、面白みのない「思いつかなかった」が、俺の今年の願いだ。綾夏に聞かれた今さらになって、何か取り繕おうとしてる有様である。
……まあ、願いと言うにはささやかだが。
綾夏と、鉾田店長。彼らの仲間が見つかり、孤独を感じることなく穏やかに暮らせるようになって欲しいなと思う。広子ちゃんも短大に受かればいいが……それは来年だな。
「でも、朱弘さんのことだから、どうせ自分のことじゃなく、誰かのためのお願いをしてるんでしょうねぇ」
……だから、心の裡を読むなと。お前は妖怪サトリか。俺が単純だからってのはあるんだろうが、正直少し怖くなってくる。本当に心読めるんじゃなかろうな。
「……買い被るなよ。『洗濯機と冷蔵庫が欲しい』さ」
俺は咄嗟に営業のパンフレットを思い返して、適当な願いをでっち上げた。
「ふふ、『三種の神器』ですね。……テレビはいらないんですか?」
「……受信料、高いしな」
綾夏はくすくすと笑う。どうせ安月給だよ。……なんか腹立ってきたな。
「……そう言う綾夏は、何を願ったんだ?」
「私……ですか?」
「そう。人に聞いておいて、自分は隠すんじゃ筋が通らんだろ」
「………………」
一瞬考えこんだ顔をして、綾夏はすぐに目を逸らした。
「……あっ、お神酒配ってますよ。貰いに行きません?」
「おい」
呼び止める間もなく、彼女はすたすたと歩き出す。そんな言いたくないのか。
どんな恥ずかしい願いなのか、聞き出してやりたい気分になるな。酔い潰して自白させてやろうか。
……いや、酔っ払いの介抱とかしたくねェな。そもそも、女に酒飲ませて酔い潰すのも世間体が良くない。
馬鹿な考えは辞めだ。ピオニィに挨拶したら、帰って気ままな寝正月を過ごすとしよう。
* * *
「だからぁ、あけひろさんはねぇっ!!まるでわかってないんですよぉ!!」
「………………」
「女の子のこころってのはねぇ、とっても複雑なんれすよぉっ!!」
――目の前に酔っ払いがいる。まさか、まさかだろう。
神社に勤める巫女の女性から、お神酒として差し出された小さな御猪口一杯。それで、綾夏は完全に出来上がっていた。
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