#2 明松 朱弘《かがり あけひろ》
街角の電気屋のテレビジョンから流れる報道番組。
カリブに浮かぶ島国――キューバで発生した緊張状態に端を発した、全面核戦争の脅威。世界が震え上がり、固唾を飲んだ「あの日」から、はや一週間。事態は収束へと向かっているらしい。
日本国民は……いや、全世界の人々は胸を撫でおろしたことだろう。しかし、いつまた始まるかもわからない、現実味に欠ける終末への秒読みに、怯えながら日常を再開した。
「もはや戦後ではない」とは、何の言葉だったか。
俺が幼い頃は、街中や交通機関で頻繁に見かけた進駐軍も、今ではすっかり撤退して、早々見ることも無くなった。
現在の都心は、五輪の御旗の下に、昼夜兼行での大改造が始まっている。
俺の名は「明松 朱弘」、今年二十二歳になった、家電製品の販売に関わる、しがない営業職だ。
家電需要の高まる昨今、俺の営業成績は特別悪いわけでもないが、同期と比べても「並」だ。他の社員と比べてロクに口は回らないが、その分は足で稼いで補っている。
俺の唯一の取り柄とも言える、「無尽蔵の体力」。その源泉は、ひとえに俺が「忍」の末裔であり、鍛錬を積んできた結果だ。
……と言っても、何も特別な存在ってわけではない。もっと正確に言うならば「現代の忍は極めて特殊な任務を帯びている」が、「男の忍なんて無用の長物」というのが実態だ。
忍はその大半を女性が占めている。対して男は、血統に依存する特殊な「遁法」を扱う力を持たないため、せいぜいが種馬程度の扱いだ。
……「沢山の女を抱けて羨ましい」と思う者もいるかもしれない。だが、なにも嬉しくなどない。人権意識の希薄さと、旧態依然とした家柄のおぞましさが、煮詰まっている。
俺たち「浄忍」の家系は「品種改良」の歴史だ。血統に形作られた超常の力、「血因遁法」を保存し、また発展させるために、時には近親関係である者同士や、親子以上に歳の離れた者同士でさえも、家の意向に従い子を成してきた。
俺の成人する頃には、精子の保存技術の実用化がされた。旧弊に縛られたくなかった俺は、自主的に提供を行うことで、実家から求められる「役目」からもようやく解放されることになった。きっと、今後は俺の与り知らない所で、俺の血を引く子が生まれてくるのだろう……。
考えるほどに悍ましい家柄だ。だが皮肉なことに、この前近代的な風習で維持される血筋は、都市人口を爆発させた近代日本にとって、必要不可欠な存在なのだ。
夜の街には、さながら野良犬のように人喰いの化け物どもが……怨霊の呪肉体である『怨魔』が湧いてくる。これは、古の京の都然り、大阪然り、江戸の街も然り、日本の発展の裏に常に存在し続けていた問題だ。
その討伐には、近代的な実力組織や銃火器を用いることは難しい。これらは決して効果がないわけではないが、都市圏の市民の生活の安寧を保証するには不向きなものだ。
隠密性、機動性、被害の不拡散、局所的な破壊力、感覚遮蔽、忘却措置、破壊区画の修繕――浄忍衆という武力集団は、都市圏の怨魔討伐に最適化されたノウハウの集合体である。
俺は、旧弊に反吐が出る気持ちを抱えながらも、それでも浄忍という家系に生まれ、市民を護る使命を背負っていることに、誇りを持っていた。
しかし、「血因遁法」は、男子には発現しないか、発現しても小規模な現象に留まりがちだ。
理由は、浄忍の系譜が「巫女」にあるためだ。元来浄忍の祖は、この国に現れる怨魔から衆生を救うために、神をその身に降ろし、超常的な力をふるった女性たちだ。
そして、その「契約」は子々孫々の女子に受け継がれ、怨魔討伐のための「体術」を体系づくり、室町期に諜報術としての「忍術」と合流し「浄忍」という形式が成立した。
故に、本邦にはびこる男系社会とは裏腹に、浄忍の歴史は常に女性たちの手で動かされてきた。浄忍とは「くのいち」がその中核であり、俺たち男はその血を調整し次代へ繋ぐための「予備」以上の期待はされてこなかった。
それゆえに、志を持っていた者もそうでない者も、やがては信念を腐らせて、種付けに奔走する下種として家々から好奇と侮蔑の眼差しを受けるか、全てを諦め市井の暮らしに戻るか、その選択をするほかなかった。
それがたまらなく悔しかった。自分の道は自分で選ぶ。そう決意し、俺はくのいちに負けぬ一流の忍になることを望み、鍛錬を積んだ。
……しかし、その努力は実を結ぶことはなかった。結局、俺も夢破れた多くの男忍たちと同じく、一般社会に戻っていった。
だが、未練は未だに残っていた。使命感か、はたまた憂さ晴らしか。それは自分にもわからない。
俺は、夜遅くまで働いては、あえて遠回りな道を選んで帰ることにしている。そして上衣と野袴の忍装束を身に着けて、怨魔を見つけては殺して回っていた。
いくら俺が能無しと言えども、丁種……野生動物程度の怨魔に後れを取ることはまずない。逆に言えば、俺に出来ることはこの程度の害獣退治しかない。
そんな児戯のような俺の闘いを見て、時々顔を合わせる、本職の浄忍の女達からは、憐れみのような、馬鹿にしたような、そんな視線を送られるばかりだった。
「いい加減、馬鹿な真似は辞めなさい」
幼い頃、疎開先で共に防空壕で震えながら、それでも希望を忘れまいと語り合い、ともに技を磨いた幼馴染は、夜の街で顔を合わせる度に、その言葉を投げかける。
「靈異統制局」が解体されたことで、当の進駐軍にまで怨魔被害が出ていた頃。俺が巫力の顕現に手こずる中で、彼女は既にその才覚から、血因遁法を実戦級にまで磨いていった。
平和条約が結ばれて、日本が国際社会への復帰を始めた頃。彼女が異例の速さで「浄忍」として首都圏の防衛任務に携わるようになった一方で、俺は自身の血因遁法が本家の下位互換でしかないと知った。
彼女の躍進の背景には、首都の復興を急ぎたい政府の意向と、戦後の混乱による浄忍の不足があった。しかしながら、その実力が過去に類を見ない物であったことは紛れもない事実で、各所で「御三家にも比肩する」と賞賛されていた。
そんなわけで、彼女は俺が手をこまねいている間に浄忍として「成った」。彼女が夜の首都を護る一方で、俺は親族に対して切った大見得を、何も果たせないままに、体だけが大きくなっていった。
親戚となる明松一族からも、遠縁の火遁の本家本元である火走一族からも、顔を合わせる度に、侮蔑と嘲笑、そして幼さを残しつつも男として身体を成熟させつつあった俺に対する、下卑た欲望の視線を向けられていた。
俺は、突きつけられ続ける自分の身の程に耐えられなくなって、中卒とともに家を出た。当時、地方から集まってきた集団就職を目指す若者に混ざり、家電製品の販売会社に入社し、日銭を稼いでいた。
才能の競争に敗れて逃げた先でも、俺は優秀なセールスマンになれたわけではない。結局俺は、夜の世界にも市井の中にも、居場所を感じることが出来ずにいた。
そして、叶わぬ望みと知りながらも、幼い頃の憧れに縋りつき、くのいちの侮蔑を避けながら、雑魚を狩って己を慰める、そんな惨めな醜態を晒しながら、俺は毎日を無軌道に生きている。
だから、あの「怨鬼」の女に出会ってしまったとき、俺は本心から「死んでもいい」と、そう思っていた。
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