ヱピローグ 兵《つわもの》どもの、夢の後
第二章(終)
「ジュークの動作確認終わりましたー」
「おっ、お疲れ様です」
業者の方が、搬入と配線工事を済ませたのを見届け、鉾田さんは納品書にサインをした。
「じゃあ、これ皆さんで食べて下さい」
「えっ?あっ……お気遣い頂きありがとうございます!!」
「じゃあ皆さん、気をつけて帰って下さいね」
鉾田さんは業者の方にお土産として軽食のクッキーを渡し、お礼を言ってトラックを見送った。
……やはり、人情味の豊かな方だ。所作の一つ一つから、細やかな気配りを感じる。
「いいや、これは商売人の手管だよ」
「……と、言いますと?」
「ほら、クッキーの袋……店の住所と地図を印刷した紙が入っているだろう?」
「あっ……、あぁ~……」
「まあ、即効性のある施策ではないし、打算はあれど人情と言えば人情だね。信頼を構築し、次の商機に繋げる。モノであれサービスであれ、日々の気遣いと誠実さが、商売においても大事な根っこになるんだと、私は思うね」
「勉強になります……」
なるほどなぁ……。「ちゃっかりしている」ともとれるが、信頼が商機に繋がるのなら、こうした細かい気配りこそ、営業の本質なのかもしれない。
「……なんてな。君に対しては釈迦に説法だろう。なんていったって、信頼ひとつで私にこんな高価な買い物させてしまうんだから」
鉾田さんは、ジュークボックスの天板を撫でながら、俺の方に笑いかけた。
「よしてくださいよ……恥ずかしい……」
「わかっている。君は営業のためにやったわけじゃない。だが、契約を決めたのは君の誠実さ故だ。それもまた商売人の資質……自信を持つといい」
「………………」
褒めてもらえるのは嬉しいが、それでもそんな大層なことしたわけじゃない。至らなさや、不甲斐なさを感じる場面もあった。あまり感謝されると、座りが悪い。
「……遺品の件についても、だ。本当にありがとう。怨魔被害を受けたものを弔う寺社があるなど、私はまるで知らなかった。お焚き上げも済ませたし、これで彼らの魂も安らかに眠れるだろう」
……鹿嶋さんと鳴嶋さんには、既に身寄りが無く、無縁仏になる可能性があった。店長は、鳴嶋さんの友人としてその供養を受け持った。また、鹿嶋さんの遺した軍帽も、同じ寺で供養をお願いした。
彼らを供養した「浄聞寺」は、かつての元浄忍の開いた寺だ。俺と同じように、才覚に恵まれず市井に下った男の浄忍が、怨魔どもの被害にあった者を弔うため、建立した寺院。
寺の関係者は、俺たちの素性を問わなかった。市井に下った浄忍や、怨魔を認知できてしまった市民の悲しみ……それを彼らは深く理解している。だからこそ、彼らは詮索することなく、二人の遺品や遺骨を引き取ってくれた。
「……いかん、湿っぽい話をしてしまったな。せっかくこの店に新たな風が入ったというのに。店長の私がこれでは、客まで辛気臭くなってしまう」
「そうですね。店主の纏う空気で店の雰囲気は変わるものです。これからは、音楽の楽しめるモダンな喫茶店として、明るいお店にしていきましょう」
「ああ、そうだね。……もっとも、店主の私の仏頂面なんかより、お客様は華やかな給仕の子らを目当てで来てるんじゃないか、とも思うが」
……たしかに、そういう一面はあるかもしれない。
この店は戦前のカフェーを継承したということもあり、給仕はもっぱら女性の採用が多い。これは鉾田さんが女好きというわけではなく、戦災孤児や後家となってしまった女性に、職と住居を斡旋していたら、自然とこうなったらしい。
「……いや、先にも言ったとおり、私は商売人であって聖人じゃないからね。店の華やかさや、お客さんの求めは意識していたよ。もっとも、世情も安定したし、採用基準は変わってきているがね」
「なるほど」
「……あと、精鬼であっても、私は男だ。魅力的な女性は……まあ、人並みに好きだね」
「そ、そうですか……」
……答え辛いことを打ち明けられると、反応に困る。
「……ただ、やっぱり無意識では、『綾夏お嬢様は生きているかもしれない』『探し出して保護しなくては』って思いがあったからこそ、なのかもしれないね」
「………………」
「私たちの出征時点では、彼女はまだ精霊の発生過程で人の形を成していなかったが……女性として精鬼に受肉するだろうとは言われていた。だからこそ、彼女の安否はずっと気がかりではあったんだ」
「……どうして、かつて百月家に世話になった者だと、名乗り出なかったんですか?」
俺の問いを受け、鉾田さんは窓の外を眺め、ゆっくりと語り出した。
「……最初は確証がなかった。私の知る時期では彼女の名もまだ決まっていなかったし、姓が同じだけの別人の可能性もある。それでも、彼女との会話で『精鬼』であることに、確信を持っていった。いつかは打ち明けるべきとは、私も考えていたよ」
店主は、行き交う人々を見つめ、ため息をついた。
「だが……、彼女は不幸な境遇を経てもなお、あくまで『人間』を装っていた。『人間である』と認めて欲しいと願っていた。そんな彼女に『あなたは鬼の頭領の御息女だ』『御家を再興し精鬼を救ってくれ』と、そう申し出ることは、私にはできなかったんだ」
……俺は、彼女に力を与えてもらった日を思い出す。彼女は「私は人間です」と、強く叫んだ。そう、彼女は人間であると認めて欲しかったのだ。精鬼である自分を否定するではないが、人の営みの中で生きたいと、そう願っていたのだ。
「……だが、それも私の都合に過ぎなかった。百月の奧伝を受け継いだ者が、『怨魔の肉を喰らうことで、その巫力を封じ込めていた』ことを、先日彼女から話されるまで私は知らなかった。結果、彼女を保護すべき立場の私は、彼女を毎夜危険にさらしていた」
彼は窓から俺に視線を映し、じっと俺の目を見つめた。
「……綾夏お嬢様を護って下さったことも感謝に尽きない。ありがとう、明松くん。きっと、鹿嶋も冥府で礼を言っているよ」
……いい加減、礼を言われ過ぎて、居心地悪くなってきたな。もう外回りにでも行こうか。
「……で、ここだけの話だが」
鉾田さんの話しぶりが、真面目で形式ばったものから、柔らかいゆとりのあるものに変わった。俺はほっとして、耳を傾ける。
「どうなんだい。綾夏ちゃんと、その……男女として、お付き合いしたりとかは……?かつての主とも言える方の御息女に、このようなことを言うのは無礼だが……それでも、彼女を大切にしてくれる、支えになってくれる方がいるなら、しっかりした形で誠実な関係を築いてもらえれば、一応の保護者としては安心できるというかだな……」
……おいおい、話の流れは変わったけど居心地の悪さは変わらない……というより、悪化してるじゃないか。御息女を心配する気持ちは痛いほど伝わるけど、そんな前のめりで来られても、なんと返せばいいか困るよ。
第一、本人抜きで勝手に周りが騒ぐことじゃないだろ。……いや、本人が居る場でなら一層、気まずくて仕方ないが。
カラン、カランとドアチャイムの音が鳴る。……噂をすれば影はさすものだ。
「おはようございます、店長。朱弘さんも」
「ん……っ!!……お、おはよう。綾夏ちゃん」
綾夏の出勤に、店長は慌てて振り向き、わざとらしい咳払いをした。
「……?朱弘さん、何のお話してたんですか?」
「従業員が悪い男にたぶらかされないか心配なんだと。御自愛くださいよ、綾夏お嬢様」
俺は、からかうような気持ちで気まずい思いを綾夏に丸投げした。この間、俺もからかわれたしな。仕返しだ。
「……朱弘さん、この間から『お嬢様』いじりしつこいですよ。オジサンみたい」
「~~っ!?」
……オジサンじゃ……ないだろ?俺まだ、二十二歳だぞ?まだ大学通ってる人間もいる年齢で、オジサンはないだろ?
……いや待て。よく考えたら上司も先輩も取引先も、俺の世話になってる人、結構歳行ってるんだ。そう言う狭い社会に慣れたら、俺がオッサンみたいな振る舞いになるのは自明……。いかん、改めなくては……。
「……明松くん、オジサンって言われると結構ショック受けるんだねぇ」
「ちょっとお調子に乗った時に、効果てきめんなんですよ。かわいいですよねぇ」
「うーむ、手綱を握られてるなぁ……」
ふと、綾夏は店長の手元にある四角い台に視線をやった。
「……あっ、ジュークボックス。とうとう設置したんですね」
「ああ、ちょうどさっきまで搬入と配線をしていてね。明松くんはその立ち合いをしてたというわけだよ」
「なるほど……。あっ、これ街角の電気屋のテレビで流れてた歌謡曲ですね。いいなぁ、色々あって……」
「硬貨を入れたら再生できるよ。そうだな……確認も兼ねて、これで好きな曲を流してみてごらん」
「あっ……ありがとうございます、店長。うーんと……じゃあ……」
綾夏は、並んだ演奏楽曲の一覧を眺める中、ある曲に目が留まった。
「あの、店長……これ……」
楽曲リストの一番右下。目立たない場所に、その曲はあった。ヒットチャートには決して選ばれないであろう、古い楽曲。
「……ああ、それはだね」
「綾夏」
俺は綾夏に視線を送る。それで彼女は、おおよその経緯を察した。俺は財布から一枚、コインを取り出してジュークボックスに向かう。
「……俺からのリクエストってことでさ、先に再生していいかな?」
「……ふふっ、朱弘さんの営業の成果ですしね。お先にどうぞ」
「じゃ、お言葉に甘えて」
……レコードから音が流れ始める。この場にいるのが俺たちだけなら、まず選ばないであろうその曲。ヒットチャートの契約に含まれない、店長の私物レコード。
出征する兵士たちを勇ましく鼓舞する、モダンなピオニィには似つかわしくない、軍歌のレコード。
鉾田さんは、流れ始めた曲を聴き、何かを言いかけたが、すぐに口を閉じて、外の景色に目を移した。
このレコードを彼と聞くことを望んだであろう者たちは、もうこの店を訪れることはない。だが、それでも鉾田さんは、戦友たちの魂がこの店に訪れることを、願ってやまないのだろう。
昭和三十七年、平和な東京の街の喫茶店に、時代錯誤な軍歌が響く。
店の外を歩く人々は、そんな事はどこ吹く風で、変わらぬ日々の営みを続けていた――
――――――――【第二章:憂国精鬼のラプソディ・了】――――――――
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