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#12 時代遅れの終戦

 夜の東京。先の闘いとは一変し、辺りは静寂に包まれた。

 俺は、納刀した小太刀を脇に構える。鹿島は銃剣を順手に持ち変える。

 俺の遁法。鹿嶋の沌法。それぞれ相手を絶命させ得る一撃を持つ。勝負は……一瞬だ。


「…………貴様」

 静寂を破り、鹿島が口を開いた。

「名は……?」

明松(かがり) 朱弘(あけひろ)。浄忍から落伍した家電営業だ。……武人じゃなくてすまなかったな」

「……そうか」

 鹿島はただ頷いた。そこには侮蔑も嘲笑もない。ただ相手の矜持を、情けを、汲み取ろうとする意思だけが感じ取れた。

 俺たち二人の間には、ゆっくりと、だが、着実に時が流れていた。

「俺は、鹿嶋(かしま) 礼児(れいじ)。帝国陸軍上等兵であり、百月家の食客。鹿嶋(かしま)沌法(とんぽう)の後継者だ」

「そうか。ずっと覚えておくよ、アンタの名は」

「……心遣い感謝する。明松(かがり)殿」

 永遠のような、ほんの一瞬。

 その一瞬だけ、俺たちの心は、確かに、通い合っていたように思えた。



 ――死闘が、始まる。

 俺たちは、互いに駆け出し、距離を詰めた。相手の命を確実に奪うための、必殺の間合いへ――!!


 俺の小太刀が鞘を走る。鹿嶋は既に銃剣を構えている。だが、攻撃の速度は忍である俺の方が速い。

 鞘から放たれた小太刀は、鹿嶋の右腕を狙う。だが、鹿嶋は待っていたとばかりに、銃剣を小太刀の軌道の先へと動かし、俺の剣閃を防ぎにかかる。


 てけ……てけ……てけてけ……てけてけ……


 てけてけてけてけてけてけてけてけてけてけてけてけてけてけてけてけ


 鹿島の刃が高速振動する。奴の沌法の基礎にして奥義。万物を斬り裂く無礙(むげ)の刃が、俺の小太刀に迫る。

 俺の小太刀は赤熱している。ただし、全体ではない。その切っ先の刃に沿った、極めて細い一部の領域だけが。


明松(かがり)創伝(そうでん) 火殺(ほごろし)雄刃張太刀(おはばりのたち)』――」


 加熱範囲の制限による「一極集中」。極めて狭い範囲に、俺の巫力を集中させる技。明松(かがり)に伝わる「奧伝(おうでん)」ではない。俺が、鉾田さんの「拳甲(けんこう)」を見て編み出した技。俺の「創伝(そうでん)」――


 銃剣は、小太刀にめり込んだ。そして、音を立てることもなく、ぬるりとすり抜けた。切り落とされたのは……鹿嶋の銃剣だった。


 刃全体の赤熱ではなく、一極集中により高温化した熱の刃は、奴の刃の「振動」より高速に、銃剣の刀身に「熱」を伝達した。

 小太刀の軌跡に沿い、銃剣は赤熱し、その場に溶け落ちた。勢いのままに、俺の刀は鹿嶋の肘から下を焼き切った。

 後方に引く鹿嶋。俺はそれを逃がさない。振り抜いた刀を返し、鹿嶋に袈裟斬りを仕掛ける。


 振り下ろされる小太刀。鹿島は、まだ勝負を諦めてはいない。鹿島の暗い瞳が、赤く発光し、虹色の虹彩を輝かせる。精鬼の戦士としての意地が、そこにあった。

 ……五センチ。鹿嶋が「寂壁(せきへき)」を展開する時、攻撃が止まる地点の皮膚からの距離は、常に一定だった。ここに「音の障壁」が立ち塞がる。これを破らねば、奴への攻撃は通らない。


 だから、俺は先の衝突で、熱を纏った蹴りで、その有効性を確認した。障壁の有効距離……及び、そこへの「対処」の有効性を。

 奴の障壁は「共振」。同じ周波数帯の音を指定の距離で鳴らすことによる反発力の発生。これは、固定の距離でしか発生しない。少しの「ずれ」でそれは無効化される。鹿嶋の緻密な「見切り」あっての技だ。

 俺が奴に蹴りを入れる時、俺は靴に刀の鞘の下緒を結び付け、命中と同時にこれを引き、打点をわずかに左にずらした。これにより、奴の障壁の見積もり箇所と異なる箇所に、蹴りを直撃させることができた。


 今度も同じ要領だ。だが、下緒はもうない。先の俺の蹴りで既に焼け落ちてしまった。……だが、何も問題はない。

 俺の小太刀が鹿島の肩から五センチほどの距離に近づいたその瞬間。俺は左手に持っていた鞘の鯉口で、鍔を横から強く打ち付けた。夜闇の静寂を金属音が打ち破る。

 刀の軌道はわずかに横にずれた。共振による障壁の展開範囲の外。本来の軌跡から外側に寄った剣閃。五センチの障壁は……俺の太刀筋を遮ることはなかった。


 袈裟に一直線、俺の小太刀の一閃が入る。

 鹿嶋は、緑色の血を流しながら、胸を斜めに両断された。


「――――見事」


 鹿島の声は、残虐な鬼でも、冷静さを欠いた薬物乱用者のそれでもない。一人の人間として相手に敬意を示す、落ち付いた武人の声。

 だからこそ俺の心は暗く沈んでいた。彼は、紛れもなく人間だったのだから。殺したいなどと、思うものか。

 ……だが、それでも、「人間でありたい」と願った、彼の尊厳のために。最後まで、俺は武人として振舞おう。


「あなたも……敵ながら天晴(あっぱれ)だったよ。鹿嶋さん」

 俺は、彼の半身が地に落ちるのを見届け、刀を鞘に納めた。

 彼は、俺のヘタクソな武人の演技を見て、満足げに笑みを浮かべた。


* * *


「……吸うか?鹿嶋」

 鹿嶋に歩み寄った鉾田さんは、懐から白い箱に入った新品の煙草を取り出した。金色の紋の刻まれた……「恩賜の煙草」だ。

「……持ち歩いていたのか?」

「飲食店をやってるので、今は禁煙しているがな。……それでも、お前と会ったら吸おうと、決めていた」

「はは、ありがとよ……」


 鉾田さんは、ピオニィのロゴの入ったマッチをすり、互いの煙草に火をつけた。

「……お前の言う通り、俺たちは出征先が異なっただけ。その運命に必然性なんてない。偶然の巡り会わせさ」

「………………」

「俺は、人として、生きている……。だが、俺は『鬼』という生物の(さが)に飲まれなかっただけ。本質的に『人を殺した』ことは、お前と何も変わらん」

 鉾田さんは、ゆっくりと煙を吐き出した。

「あの時、百月殿の言いつけを守って従軍を拒んだとしても、俺たちの運命は変わらなかっただろう。一億がこぞって殺生の世界に向かっていった時代だ。政府の掲げる正義を信じ、奪い、奪われ、何も手元には残らなかった。百月殿も、シズちゃんも――」


 彼らの姿を見て、俺も自分の懐から煙草を取り出し、火をつけた。……煙草は好きというわけではない。だが、やるせない気持ちになった時、俺はこれに頼るばかりだ。

「俺たちだけじゃない。世界中の多くの人間が、否応なく戦争に向かった。抗いようのない『流れ』の中で、みんな無惨に死んでいった。俺とて立派な人間なんて言えたものか。怒りと怨嗟に満ちた……人殺しの咎人だ」

「………………」

「『鬼』になったのは俺たちだけじゃない。誰も、あの頃の『本当の行い』を、ありのまま後世に残したいなんて、思ってない。……口を噤んでいるんだ。罪業を抱えたまま、自分は人間に戻れたんだと、信じようとしているんだ」

「……そうか」

 両手をすでに失い、口元から落としそうになった鹿島の煙草を、鉾田さんがそっと支えた。

「待っていれば、いずれ俺も地獄に行く。一人だからと、あまり寂しがるなよ」

「……色気がねぇなぁ。でも、シズちゃんたちには浄土の方に行ってて欲しいよな」

「そうだな」


 ……俺は空を見上げた。天国と地獄。果たして存在するのか。無粋だが、あまり現実味を感じない。

 だが、それでも、生者の行き場のない自責の念や、無念のままに終わることへの恐怖を和らげるためなら、その存在が「ある」と思えた方が、きっと幸せなのだろう。


 ふと、ビルの屋上から、明滅する光がこちらに近づいているのが見えた。……綾夏だ。

 ……もう、流石に鹿嶋との戦闘を危惧する必要はない。このまま、こちらに来ても問題はないだろう。俺は、懐中電灯で合図を送った。


 彼女は、舗装された道路に降り立ち、俺たちのもとに駆け寄ってきた。それを確認した鉾田さんが、口を開いた。

「鹿嶋、死ぬ前に、お前に紹介しておきたい人がいる」

「はは……女かい?これから死ぬ相手に、残酷な奴だなぁ……」

「……そう言うな、お前もきっと、喜ぶよ」


「……朱弘さんっ!!店長っ!!」

 こちらに駆け付けてくる綾夏。俺は彼女に歩み寄った。……綾夏には俺から経緯を伝えよう。


「へぇ、あの子かい?……年齢的に、お前の女とかじゃなさそうだ。明松くんのいい人かな?」

「それは……わからないがね。俺たちにとって、大切な人ではあるだろうさ」

「……?」

百月(ももつき)……綾夏(あやか)お嬢様だ。……当主の『奧伝(おうでん)』を継ぐ、百月殿の御息女だよ」

「………………っ!!」


 鹿嶋は、俺たちを……綾夏を見て言葉を失っていた。

「生きて、おられたのか……?」

「……ああ。戦後の東京で私が保護した。……今は私の喫茶店で働いて頂いている」

「あ、ああ……」

「明松くんとは最近知り合ったらしい。詳しくは聞かなかったが……今では共に怨魔と戦っておられるようだ。元浄忍の彼と、精鬼の姫君が、二人でな」


 鹿島は、一筋の涙を零した。

 悲しみではない、喜びと、安堵のこもった、穏やかな涙。


「……俺たちの『戦い』は、あるいは無駄だったのかもしれん。……だが、それでも、俺たちの『命』は、決して無駄ではなかった」

 俺と綾夏は、黒い(もや)となって崩れていく鹿嶋の姿を見つめる。

「俺たちの思い描いて届かなかった、人間と、精鬼が、手を取る未来が……少しずつ、やってきているんだよ。俺たちが生きた、この昭和の先に――」

「………………」

「だから、心配はいらない。ゆっくり休め。俺もできる限り見届けてからそちらに行くよ。その時、二人の顛末は沢山聞かせてやるさ」

「……ああ、いいなぁ。それ。楽しみ……だ……」


 鹿島の半身が、黒い靄となり、霧散していく。鹿島の表情には、もう狂気も無念もなかった。

 ただ、彼は鉾田さんの旧友として、その人生を全うし、消えていった。


 ――怨魔は死体を残さない。その事を寂しく思ったのは、この時が初めてだった。





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