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百鬼の忍 ~戦後を終えた日のもとで~  作者: CarasOhmi
【第二章】憂国精鬼のラプソディ
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#10 鹿嶋 礼児《かしま れいじ》

 戦争末期。南方の戦線は補給線が断たれ、常に食料が不足していた。

 現地からの食糧徴発は困難。終わりのない飢餓状態。周囲の山林の野生動物は取りつくし、虫や鼠さえも御馳走になる有様。

 仲間同士で食糧の奪い合いによる殺し合いも起こる現実。餓鬼道にも等しい地獄……そこに、誇り高き帝国軍人の姿などなかった。


 俺は精鬼だ。普通の人間よりも強靭な肉体を持つ。膂力、耐久力、再生能力……個人携行の銃器による戦闘で、俺は死ぬことはないという確信があった。

 だが、「飢え」は巫力で満たすことは出来ない。「欠乏」によって俺の力は弱体化の一途をたどり、やがては普通の人間とさして変わらぬものとなっていた。


 ……そんな中、「それ」は始まった。

 極限の飢餓状態。今ある食糧で養いきれないほどの人員。発生し続ける人死に。そうなれば、残された道など、他にない。


 俺は拒んだ。俺は「人間」でありたかった。精鬼という種族への誇りも、帝国陸軍の矜持も、捨てたくなかった。

 だが、誇りで腹は膨れない。戦友たちは、ついにその「禁忌」に手を出した。自分達が食べているのは「猪」なのだと、自身を納得させて。


 ――俺は拒み続けた。

 俺は人間だ。人間として認められたいんだ。餓鬼や畜生のそれではない。飢えに負けて、誇りを捨ててなるものか、と。

 だが、俺の体はたんぱく質を欲する。鍋で煮込まれた肉の香りは、俺の理性を混濁させる。そこに理屈はない。

 それでも俺は耐えた。耐えて耐えて、耐え抜いた。自身の身体が骨と皮ほどになっても、なお耐えた。


 ――そんな中、俺の所属する部隊は……空襲を受けて壊滅した。

 着弾地点と距離のある場所で見張りをしていた俺は、なおも生きていた。

 地を這いながら仲間たちのもとに向かった時。そこに存在していたのは戦友ではなく「肉」だった。


 百月殿は「決して人を食ってはならない」と、食客たちに禁忌として教え込んでいた。俺はそれをこの日まで守り続けた。

 だが俺は、限界だった。ここで死んでいる皆もやっていたことだ。因果が巡っただけなんだ。今、俺を見ている者は、誰もいない。

 俺は……喰った。一心不乱に喰い続けた。俺の腹は満ちた。それがあるべき形であったかのように、満ち足りた。


 そして、この日俺は失った。「人間」として認められたいという、友と語り合った俺の夢を――


* * *


 ……それは、極限状態における人々にとっては、「ひと時の過ち」であったのかもしれない。だが、精鬼の俺にとってはそれ以上の意味を持つことだった。

 その後、俺は敵軍に対し抵抗をつづけるも、ついには地雷で両足を失い、捕虜として拘束された。収容所において、俺は敵軍より糧食を得た。最低限の人の尊厳が保証されたそれは、俺にとって紛れもなく御馳走のはずだった。


 だが、いくら食っても腹は満たされない。物理的なものではない。得体のしれない「飢え」が、俺の心に残り続ける。

 理由はわかり切っていた。俺は周囲を見渡す。捕虜収容所にいる戦友も、俺たちを監視する連合国の兵士も、訪問した赤十字の職員も、俺には「人」に見えていなかった。


 ……「肉」だ。「肉」が歩いている。いくらその考えを振り払おうとしても、彼らが視界に入るたびに、俺はこの現実を突きつけられた。

 陛下が終戦の詔書を読み上げ、戦友が涙を流していたその時ですらも、俺の心はそこになかった。俺は、既に、戦士でも、人間でも、なくなっていた。


 日本に復員し、俺は傷痍軍人として物乞いをして暮らしていた。

 俺の中の、もう一人の俺が、常に語り掛けて来る。「誰でもいい。喰らえ。失った脚を取り戻せ。国のために命を懸けた俺にとって、それは当然の権利なのだ」と。

 俺は、それを振り払う。何度も何度も否定する。俺が目指したのは精鬼の英雄。同胞の尊厳を認めさせるために、俺はあの地獄を戦い抜いたのだ。

 俺が食ったのは……肉だ。最後の一線は越えていない。人を殺して食ってしまったら、俺は本当に人ではなくなる。


 だが、消えてくれない。ひとたび禁忌を犯した者から、その「飢え」は決して離れることはなかった。

 俺は、ヤミ物資として入手したヒロポンの幻覚で、すべてを忘れようとした。皮膚の内側を虫に掻きむしられる感覚であっても、全てを滅茶苦茶にして忘れさせてくれるなら、俺にとっては救いだった。


 俺は人間だ。人間なんだ。

 俺は俺の意思で、人喰いなどと言う悍ましい行いを否定し続ける。禁忌を犯しても、俺は人間であり続ける。精鬼は人間なんだと、証明し続ける。

 誰からも見下される中で残された、誰からも理解されることのない俺の願い。妄執にも近い懺悔と誓い。


* * *


「何が同士か!!恥を知れ、この馬鹿者が!!そのような惨めな醜態を晒し、何が国士かっ!!」

 老人は、俺を杖で殴りつける。俺は違う。誇りを持って戦ったんだ。


「……国のためというのなら、なぜあの戦場で死ななかった!!おめおめ生き伸び、敵に目溢しを受ける辱めを受けて、なお命は惜しいか!!なぜ立たぬ……この痴れ者が!!」

 杖で殴りつける。違う。俺は惨めな敗残兵ではない。精鬼の未来をつかみ取るんだ。怨鬼から人々を護り、国を豊かにするんだ。恥知らずの敗残兵じゃない。俺は精鬼の希望になるんだ。あの日、鉾田(ほこた)と誓ったんだ。


「真に国を思うなら、今すぐ腹を切って死ね!!散って行った英霊の元で詫びてこい!!この――」

 なぜ。なぜ、戦友を食ってしまった。なぜ、生き残ってしまった。なぜ、こんなに苦しい。なぜ、こんなにみじめに生きなくてはならない。なぜ、俺は、まだ死にたくないと思っているんだ。なぜ――



「――この、負け犬が……っ!!」


* * *


 気付けば、目の前には下半身を失った、無惨な老人の死体が横たわっていた。俺の口元は血にまみれ、失ったはずの両脚は再生していた。

 彼が陛下より賜ったであろう恩賜の煙草は、流れ出る血で赤く染まっていた。光を失った彼の瞳とは対照的に、胸元の金鵄勲章は鮮やかに輝いていた。

 ついに、俺は、最後の一線すら超えてしまったのだ――



 ――結局、俺は人間ではあれなかった。

 人を喰らい、惨めに生き永らえる、怨鬼(おに)にしか、なれなかったんだ。





最後まで読んでいただけた方は、下にスクロールして☆を入れて頂けますと幸いです。


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